誰が窮鼠だ

アイシング良し!処置良し!風丸良し!と確認して振り向いた私。見えたのは泣きながらユニフォームを脱ぎ捨てて走り去る目金の姿でした。えっマジ?十番脱ぎ捨てていきおったぞあの野郎。慌ててチェンジを願い出て中に入る。点差はいつのまにか二十点になっていた。とうとう倒れ臥してしまったらしい円堂を抱え起こす。具合を確認して、もしもう無理なら風丸同様グラウンドの外に出すつもりで居たのだ。…けれど、円堂の目は死んでいなかった。まだ勝負を諦めていない。

「…そうだよね、円堂。お前はそういう奴だよ」
「悠…?」
「諦めを知らないサッカーバカ。そんなお前が居たから私は、雷門中でのサッカーが大好きなんだ」

昔のクラブチームでも、まともにプレーができない今のサッカー部よりもっと上のチームに行くべきだと諭された。私の居るべき場所はここじゃなく、持ち得る力を発揮できる環境に居るべきだとも。けれどそんな、決まりきったレールに乗った人生なんかが楽しいかい?不確定で、不明瞭で、不安定な未来を突き進むからこそ人間は生きている意味があると思うのだ。

「勝ちに行こうぜ円堂!」
「…おう!」

まともに動けるのは私だけという不利な状況で、奇跡の大逆転なんて起こしたら明日は私ヒーローでは?新聞部のインタビューに囲まれてしまうのでは?本当にモテちゃう。…そしてそんなものは楽観的な想像かもしれないと思うだろうがだがしかし。これは紛れもない私の決めた道を進むための糧でもあったりするからね。
そんな意気込みを込めてゴーグル少年率いる帝国選手を見据えた。…そのときだった。周囲のギャラリーが戸惑いに騒めき立つのが聞こえる。訝しげに思い、みんなの視線の先を見るとそこには。

「豪炎寺修也!?」

この前、私が勧誘し損ねたあの才能溢れるツッコミ要員候補くんが、目金の脱ぎ捨てたはずの十番を身に纏って歩いてくるところだった。しかもなんか実況してる角馬の話によれば、彼はなんと去年のフットボールフロンティアで活躍した木戸川のエースストライカーだというじゃないか。なるほど、私の女の勘に狂いは無かったらしい。最近はどのミカンが一番甘いかという考察にしか使っていなかったから不安だったが、これから先は誇っても良さそうだ。ちなみにミカンは三個選んで全部酸っぱかったという事実は永遠に葬ることとする。そんなツッコミ要員候補くんこと豪炎寺に話しかけた円堂に続き、私も興奮のままに彼へ声をかける。

「昨日勧誘させていただいた前世からのソウルメイトです!!!」
「人違いだ」

う〜んツッコミのキレが素晴らしいね。そしてどうやら彼は転校生であったらしく、円堂や秋ちゃん、半田と同じクラスらしい。通りで見たことない顔だと思ったけども。でもこれでとにかくこっちは百人力だ。何せ助っ人が豪炎寺。私の見込んだ素晴らしい人材を前に、帝国の奴らは敗北を覚悟するが良い。

「見てろよゴーグル少年と愉快な仲間共!豪炎寺のツッコミのキレの鋭さに腰を抜かすが良い!」
「サッカーをしろ」
「はい!!」

怒られてしまった。でも私はめげないしょげない諦めない。律儀に私へツッコミを入れてくれる豪炎寺の優しさに甘えて、今後も我が道を進むものとする。
そして再開した試合。しかし何故か豪炎寺は、ボールも持っていないくせに猛然と前へ走り出した。たった今、帝国がシュートを撃ち放ったところだというのに。けれどその意図はすぐに分かった。豪炎寺は円堂が止めると信じているのだ。そして円堂が本当に止められれば、それは油断しきっている相手へのカウンターにもなる。だから私もただひたすら真っ直ぐに円堂を信じて叫んだ。

「やったれ円堂!」
「おう!!」

そして円堂も、豪炎寺からの声無き信頼を感じ取ったらしい。先ほどまでよりも一段と気迫のこもった様子で、迫り来るボールを睨みつける。さっきまでは無様にもゴールネットを貫かれ続けたそれを、けれど円堂は恐れはしない。
だって円堂はいつだって真っ直ぐだ。己の研鑽も怠らず、いつかひたむきな努力が報われることを信じて突き進む。だから、今目の前で起こった事実も、私からすれば不思議なことじゃ無かったのだ。

「ゴッドハンド!!」

円堂の必殺技。神の名を冠する手がボールを支えるように止め、やがて勢いを失ったそれは円堂の掌の中にぴたりと収まる。完璧なガード。それに口笛を鳴らした私に目配せした円堂が嬉しそうにブイサインをかます。後で盛大に胴上げしてやるからな。…だから、今は。

「ぶちかましたれ!」

前へと単身上がった豪炎寺に、希望のパスを。
円堂が放ったボールを受け取った豪炎寺は即座に空へと舞い上がる。そして何者の邪魔もない、キーパーのみが待つゴールを鋭く見据えて、炎を纏った強烈なシュートを叩き込んでみせたのだ。つまりは我々の得点。まだ点差は絶望的に開き過ぎているし、時間もあからさまに足りないがノープロブレム。気合と根性で乗り切るんだよ。
しかしそんな私の意気込みとは裏腹に、何故か帝国学園は突然試合を放棄した。敵前逃亡か?よく分からないが、この勝ち方は不本意である。だがそのおかげで雷門中サッカー部は存続が決定。おまけに超即戦力なストライカーも入ってきて心強いことこの上ないね。

「今回限りだ」
「なんでや」

豪炎寺は何故か喜ぶ我々の前でユニフォームを脱ぎ捨てると、その場からさっさと立ち去ってしまった。それをぽかんとしながら見送りつつ、私は眉を顰めながら顎に手を当てて呟く。

「…露出魔か?」
「違うだろ…」

私の純粋な心の底からの疑問に対し、呆然としながらも答えてくれた半田に感謝。一応目の前にはか弱い年頃の少女である私が居たのだが、それに構わず脱ぎ捨てるとは何事だ?しかも上半身裸のままどこへ行くのだね。途中で先生に見つかったら注意されるぞ。まぁしかし、それは今回の活躍に免じて不問にしてやるとしようじゃないか。





負けたら廃部!勝ったら大会出場権!という何ともハイリスクハイリターンな練習試合の提案を、理事長の娘である夏未嬢からされてしまった。もしや我がサッカー部はいつでもどこでもやべぇ危機を課される運命にあるのでは?お祓いしよ。

「相手は尾刈斗中とな」
「呪いですか…」

呪い、呪い、呪いねぇ…。個人的にはそういう超常現象は一切信じていない類の人間なので怖くも何とも無いのだが、一年生たちはそうではないらしい。尾刈斗中の悪い噂の根源である呪いとやらをすっかり信じて怯えてしまっていた。まぁ、仕方あるめぇか。そういうのは個人個人の感情でもあるのだし。
しかしそれよりも、最近の悩みの種といえば染岡のことについて。豪炎寺のすごいプレーを見たからなのか、帝国との練習試合の日からやる気と気迫がすごいんだよね。ただ、空回りし過ぎて練習中に弾き飛ばされたときは何事かと思ったわい。後でタオルでケツをしばいたけども。

「いくら女を捨てて半分男と化してるからって、選手内の紅一点は丁重に扱いな」
「自分で言ってて虚しくねぇのかよ」
「ぴえん」

ぱおんも超えた。そうだよ。自分で言ってて虚しいことこの上ないわ。しかし私は特にそのことに対して思い悩むことは無い。むしろ恭しい女扱いなんてノーサンキュー。女とか男とか、そんなつまらない価値観で接し方を変えるんじゃなく、浅野悠という一人の人間の在り方を見て決めておくれよ。

「…どうせお前も豪炎寺が良いんだろ」
「おん?いや、まぁ惜しい人材だとは思ったよ」
「…」
「あそこまで深く鋭くツッコミできる才能…欲しいよね」
「誰もお前のボケの話はしてねぇよ」

ちゃうの。いつもツッコミ役に回り続けている染岡の負担も減ると思うのだがそれはさて。どうやら染岡はサッカー選手としての才能の差を感じてしまっているらしい。そりゃあよ、お前さん、豪炎寺と比べるのは酷だろうて。

「全国経験のある虎に対して、ようやっと最近まともに練習できるようになったハムスターが敵うかってのなぁ!ハッハッハッハッ!」
「誰が齧歯類だ」

追い詰められるどころか、どうせ鼻で笑われてあしらわれて終わりだろう。所詮我々はまだそんな程度。だからこそ今からでも少しずつ頑張るのである。私だって最初はへたっぴだったんだぜ。小学校で毎日のように虎ちゃんと特訓し、擦り傷打撲痕青痣作って母さんに悲鳴を上げさせたこともあるのだ。そしてそんな長年の積み重ねがあったからこそ、今の私があるんだよ。お分かりかね。

「ま、努力しかないよね。私もまだまだだし、お互い頑張ろうな」
「…あぁ、そうだよな」

背中を叩いて鼓舞する。染岡も、珍しく真面目な言葉をかけた私に思うところがあったのか、少々神妙な顔で頷いてくれたから万事オーケー。あとは尾刈斗中との試合の日まで練習あるのみ。
そんな次の日の登校中、私は豪炎寺の背中を見つけて突貫した。構っても〜らおという単純な私情である。大迷惑だろという常識は聞かんものとする。

「おはようベンガルトラ!」
「まさかとは思うが俺のことか?」

やっべ、昨日の話を引きずってしまっていたな。

「ゴジラだと思ってたけど実は割と親しみ深い可愛いネコチャンだったという意味です」
「なお悪いだろ」

そうか?少なくともゴジラよりはマシだと思うのだけど。ちなみにそんなお強いネコチャンである豪炎寺であるが、実は私だって虎に負けないネコ目フレンズであるという自負があるのだぞ。

「パンダ!」
「国際問題に発展しそうなネコ目だな」

安心しろ国産だわい。日本を愛し、日本に愛され、人々にチヤホヤされる運命を背負いしネコ目。それがパンダである。だがしかし肩書きはクマ科。しかも漢字で書くと「小熊猫」となるのだが本当にクマネコどっちやねん。
そんなパンダの豆知識をしばらく奴に語ってやった後、たどり着いた校舎の靴箱の前で私はふと豪炎寺に尋ねてみる。

「サッカー部には本当に入らんの?」
「…しつこいぞ、俺はサッカーはやらない」
「なんで?」

理由が聞きたいんだよなぁ。断るのなら、それ相応の理由があるんだと納得させて欲しいのよ。そう言えば豪炎寺は納得したのか神妙な顔で眉を顰めながら、私から目を逸らしつつも口を開いた。

「…俺のサッカーのせいで苦しんだ存在がいる。誰かを不幸にした俺に、サッカーをする資格なんて無い」
「そっかぁ」

なるほど、何か事情があるらしい。彼にとっては重要な理由になるほどの事情が。そんな訳であるのなら、私はこれ以上何も言えまいさ。他人の事情に突っ込んでやるほど私は慈悲深くは無いんだよ。でも、これだけは言っておこうかね。

「豪炎寺にとってサッカーって、誰かの許可が必要なんだね」
「!」

いや、なんでそこで豪炎寺が傷ついたような顔をするのさ。だってそういう意味でしょ?サッカーをする資格が無いだとか、許してもらえないとかなんとか。豪炎寺の事情なんかこれっぽっちも知らんけど、何かに囚われて自由に走れないのは悲しいことだと思うよ。

「いつか思い切り走れたら良いのにね」

それだけ言って私は豪炎寺に別れを告げた。豪炎寺は何も言わないまま私を見送って、しばらくその場から動く様子を見せなかった。
そして私はその数分後、見事に宿題を忘れたおかげで担任の先生からクラス名簿の側面で頭を叩かれたのである。

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