スライムの塊が妙な飴玉を喰らい、そして毒ガスを吐き始めたのを眼下に見下ろしながら、おれは背中に連中を乗せつつ研究所を目指しひたすらに空を飛んでいた。
「一体あの煙はなんでござるか…!趣味の悪い!」
「毒ガス…シーザーの能力だ。つーか侍、あんま身ィ乗り出すな落ちるぜ。一番重いんだからよ」
「む、かたじけない」
「リバー、バテてねェか?悪いなほんと」
「こんくらい余裕。カマバッカの方がやばかったろ?」
「ははっ、言えてるな」
軽口を叩き合いながら飛ぶ間に、地上の毒ガスはその範囲を広げていた。逃げ惑う連中の1人がそれに飲み込まれ、石のように固まっていく。
「……えげつねェ殺傷力だな。お前のおかげでおれ達ァ空に逃げれるが…研究所に入んねェことには始まんねェぞ」
「あァ」
ロロノアが冷静に進言してきたのに頷きを返す。おれはローの元にこいつらを届けなくてはならない。とっととあの中に入らなければ、永遠に空で待ちぼうけになってしまう。
「あ!見えました!研究所です!!でもまずいですよ、シャッターが閉まりそうです!」
「はァ!?マジかよ無理!ローに会いてぇのに!」
「お前はほんとそればっかだな!」
外にはまだ多くの囚人が残っている。だというのに入口を閉めやがんのか畜生が。フルスピードで降下するが、間に合うか微妙なラインだ。
「……おい、鉄は斬れるかキンエモン」
「あれしきならば支障なく!」
「そうか。よしリバー、そのまま研究所に突っ込め」
「すまぬが、背中をお借り致す!」
「──あァ、りょーかい!」
チャキ、と刀の鳴る音がする。背中の上でロロノアと侍が立ち上がる気配がした。ロロノアの実力はサンジから散々聞かされてる。あんだけボロクソ言うってことはつまり、そんだけ強いってことだ。サンジの信じるロロノアを信じ、閉まりゆくシャッター目掛けて思い切り突っ込んだ。
2人が背後で同時に刀を振り下ろし、前方に迫った分厚いシャッターが盛大に両断される音が響く。外にいた幾人もの叫び声と共に、おれ達は研究所の中へと辿り着いた。
「う、うわあああ!!ペガサスが突っ込んできたああ!!なんでこんなとこにペガサスが!!」
「お、落ち着けトラファルガーの仲間の一角天馬・チェンバーズだ!」
「こいつらシャッターぶった斬りやがった!ガスが入ってくんじゃねェか!!!」
海軍が逃げ惑うど真ん中、爛れた前脚を踏ん張って着地する。あーちくしょー、いてェな。
「うおお!着いた!!リバーさんきゅー!」
「ありがとうございましたリバーさん!」
サンジとホネがそれぞれ背中から降りていき、刀を収めた2人が一寸遅れて着地した。
「見事な飛びっぷりでござった!礼を言う!」
「あァ、お前らも良い斬りっぷりだった」
「あんくらい大したこたねェ」
ロロノアは得意げに笑みを浮かべておれの翼を撫ぜた。息を吐きながら見渡した辺りには、最初にこの島に来たガラの悪い海兵どもと、囚人と、それからうまいこと集合したらしい麦わらの一味。
海兵達が空いた穴を必死に塞ぐのを尻目に一番目当ての男を探した。しかしおれが見つけるよりも前に、見慣れた薄青の膜が広がって身体を包み込む。敵からしたら死の手術台なんだろうが、おれからしたらフカフカのベッドみたいなもんだ。一気に緊張がほぐれる。ぶわ、と周りに黒い羽根を散らしながら人型に戻り、“ROOM”に身をゆだねることにした。
「ペガサスが人に……!!」
「うわァ出たチェンバーズ・リバーだ!」
「こいつ手配書通りイケメンだな!腹立つ!」
「……シャンブルズ」
もうすっかり慣れた、身体が一瞬かき消える感覚。そして。ふわ、と移動した先は大好きな男の頭上だった。落ちてきた瓦礫か何かと入れ替えたらしい。
降ってくるおれを見上げて、帽子の鍔の下から覗く切れ長の瞳が細められた。大して時間は経ってねえのに、久しぶりな気がする。
腕を回して思いっきり抱きついたら、更に強い力で抱き返された。黒い毛皮のコートに埋もれる。ローの匂いに包まれて身体の強張りが一気にほどけた。
「あー……ロ〜〜」
「よくやった。とっとと腕見せろ」
「腕…?」
覗き込んできたローが早口に言う。お互いの冷えた鼻先が擦れ合って、おれはますます身体がふやけた。
「爛れてる。あのスライムみてェな奴に触れたか?」
「ん?あァ……そうだった」
床に下ろされ手を見れば、両腕の肘から先は赤く変色していた。顔を顰めたローが鬼哭をかざして出血を止め、鮮やかな手さばきで包帯を巻いていく。
「おお、ウマ男~!サンジ達手伝ってくれてあんがとな~!」
ローと一緒に行動していたらしい麦わらが、手すりの上にしゃがみながら朗らかに手を振ってきた。変わらない晴れやかな空気に気圧されて思わず逃げ腰になる。
「別に、ローのためにやっただけだ。礼を言われる筋合いは……」
「なァ今度おれも背中に乗せてくれよ~」
「無理。さっきはサンジがいたのと命令守るために乗せただけ」
「えー、ケチぃ」
本当に残念そうな声だったが知ったこっちゃねえ。メリットも無しに他所の船の奴を背中に乗せる義理なんかおれにはない。
腕に綺麗に包帯が巻かれて、最後にローの冷えた手が労るように腕を撫でてくれた。こんくらい気にしなくたって良いのに、この優しさは医者だから?それとも、もしかしておれ相手だから?なんて。首を振って余計な思考を振り払う。今はそんな事考えてる場合じゃない。
「サンキュ…つかなんで怪我したのとか知ってんの?見てた?」
「シーザーがご丁寧に中継してくれてな」
「へェ。…なあ、あんたこそなんかあった?」
ローの薄い唇の端。微かだが血を擦った跡がある。それになんか、別れる前よりやつれたような。じ、と見上げればローは目を見開いて驚いた表情をした。バレねーと思ってたんなら心外だ。
「…想定外の奴がいやがった。海軍に潜伏してたヴェルゴという、ドフラミンゴの腹心みてェな野郎だ…おれの心臓はそいつの手にある」
「──……!!」
冷水に浸されたみたいに頭が冷える。ドフラミンゴの名を呼ぶ怒りの籠った声。伏せられた瞼。噛みしめた唇。ローに起こる様々な変化が前に話してくれた過去の話を脳裏に蘇らせた。“コラさん”を撃ち殺した男、そして“コラさん”がその悪行を止めようと必死に生きた組織。
「よし………殺そう。どうせ心臓になんか…なんかされたんだろ」
おれのキャプテンがそのクソッタレに何をされたかなんて、想像すんのも嫌だ。今こうしてる間にも、そいつがローの心臓を落っことしたら?眉間に皺を寄せていないと涙が出そうだった。
「…そんな顔すんじゃねェよ」
親指で眉間をぐりぐりと押されて、思わず顔を両手で覆った。あーくそ、泣くな、泣くな。みっともねー。
「っし、死んでも取り返す。だから死ぬな」
「馬鹿…お前が死んだら意味ねェだろ」
「意味はある。あんたが生き残る」
「……ねェよ」
俯く頭がそのまま胸元に抱き寄せられる。ローの背中に手を回し睨むように顔を上げれば、真剣味を帯びる端正な顔が間近にあった。
「っだから言ったんだ…おれのと交換しろって」
「その話はもう済んだろ」
咎めるみたいに耳たぶを引っ張って、ゆっくりと薄い唇が近づいてくる。
「心臓は取り戻すし、ヴェルゴも必ず殺す…安心しろ」
低い声が鼓膜を揺らす。何の迷いも無い、決意に満ちた男の声。その甘い響きを噛み締めて、おれは不格好な笑みを返した。
「当たり前だろ?」
「あァ…それから伝えておくが、後ろにいる白猟屋は手出ししてこねェ」
「あ?あの海軍?」
「さっき命を助けてやったからな」
ローの肩越しに見れば、スモーカーとかいったあの中将が不機嫌丸出しでこちらを睨んでいた。隣で何故か顔を赤くしている眼鏡の女も確か海軍の中にいた奴だ。
「おい…てめェら海賊の分際でなに妙な空気になってやがる」
「ス、スモーカーさん!」
くっついたおれ達に舌打ちしてくるスモーカーは無視して、ローに頷きを返した。仲良くする義理はねえ。
「ちっ、あの馬野郎スカしやがって…気に入らねェ」
「気に入るも気に入らないも、海賊は海賊ってスモーカーさんいつも言ってるじゃないですか」
「ふん……」
「あ!!トラ男ー!ちょっとあんた~!」
突然下の階からサンジの声がした。見れば航海士と2人並び、中身をとっとと戻すようローに叫んでいる。サンジは戻りたくなさそうだけど。しかしとんでもなく内股なサンジ、何回見ても笑える。
「お前らほんとおもしれェな」
「何にも面白くないわよウマ男!!ねえ早く!」
つーか、いつの間にかその変な呼び方定着してんの何?ローが面倒臭そうに息を吐いて、ぱ、と2人の中身が元に戻る気配がした。航海士が狂喜乱舞して、そしてすぐに服が変わってる事に気づきサンジを殴り飛ばす。
手すりに肘をついてそのやりとりを眺めていれば、ボコボコになりながらも幸せそうだったサンジがこちらに気が付いて、おれの包帯を見て眉を顰めた。
「おいリバーお前、腕怪我してたのか?」
「ん、あァ…もう平気。ローが手当てしてくれたし」
「そりゃ悪かった。無理させたな」
「……いや、あの状況じゃ仕方ねーだろ……お前優しすぎんのやめろっつったろ?」
「ああ?」
きょとんと瞬きをするサンジにため息を吐けば、「にしし」と笑い声が響いた。にょん、と首を伸ばして覗き込んできたのは麦わらだ。
「なんだウマ男、サンジの良いとこ分かってんじゃねェか!」
「…はあ?別に、そんなんじゃ…」
朗らかで明るい、陽の光のような笑顔。思わず目を逸らしたおれの肩を、「まともに受けとるな」と呟いたローが叩いた。
「……黒足。カマバッカじゃこいつが世話になったらしいな。礼を言う」
礼を言っている割に冷めた声色のローに、サンジは眉をひょいと上げて笑みを浮かべた。
「…いや?おれの方こそリバーには世話んなった。まァ、いっつもお前の話ばっかされて大変だったぜ」
「サンジ、余計なこと言うんじゃねェよ」
「お前に会えるまで髪切らねェとか言うから毎晩ブラシかけてやったりな」
「おい…」
らしくなく余計なことを饒舌に話すサンジを咎めたが挑発的な声色は変わらない。一体なんだってんだ。困惑して身を乗り出したおれの肩をローが押しとどめ、苛立ちを隠さず舌打ちを漏らす。
「それにクールに見えて可愛いとこあるし?リバーは良い男だよなァほんと」
「え、ちょっとサンジくん?熱でもある?」
「お前が男褒めるなんて珍しいなァ」
航海士と麦わらが訝しげにサンジを見る。こいつとずっと一緒にいた仲間がおかしいと思うんだから、今の言動は妙なんだろう。サンジの言葉を受けて、おれの肩を掴んでいたローの手にぎゅっと力が籠った。
「さっきからなんだ。ウチのクルーのことならおれが一番知ってる。わざわざ教えられる筋合いはねェ」
「別に深い意味はねェよ。ただ…おれのダチでもある」
「…サンジ?」
懐から取り出した煙草に火をつけて、サンジは真っすぐにローを見つめた。なに、この妙な空気。隣を見れば、鬼哭を握りしめるローの手が不自然に力み白くなっていてぎょっとした。
「トラファルガー、ほんと…頼むぜ。そいつを一人にしてやるな」
「……っおい、おれのことはお前には関係ねェだろ!」
「ああ関係ねェ。でもダチだろうが!」
なに言ってんだ、こいつ!なんでお前が、わざわざそんな。気遣いのできる男がここまで踏み込んできたことに失望すら覚える。ぎりりと手すりを掴み、煙を吐き出すサンジに向かって身を乗り出した。
「おっまえ…ほんとその、お節介なんとかしろ、馬鹿!おれがローから離れねェからいいんだよ!」
「ああ!?クソほど泣いてたくせに強がってんじゃねェ!」
「んなもんお前だって泣いてただろ!かっこつけて煙草吹かしやがって、強がってんのはお前の方だろ!!」
「おれァリバーちゃんよりは泣いてねェよ!」
「ハァ!?毎日ドレス押し付けられておれの背中で泣いてただろうがサンジちゃんよぉ!」
「ばっ、それはお前…あんなヒラヒラ毎日着られるお前がおかしい!」
叫ぶサンジの頭に「うっさい!」と航海士の拳が落ちると同時に、おれもローに口を塞がれ胸元に引き寄せられた。うわ、ちょーいい匂い。シュンと大人しくなったおれを見て、麦わらが「おもしれー」と笑い声をあげる。顔を覆い隠したローの手のひらはやけに冷えて力が篭っていて、思わず押し黙った。
「……余計な口出しはいらねェ。おれは命令されるのが嫌いだ。こいつのことはおれが傍におきてェからおいとく。それだけだ」
そう言って、おれの肩に腕を回したままローが踵を返す。
思わず振り返ってサンジを見た。多分最高ににやついてる。聞いた?傍におきたいだって、たまんねーんだけど。目が合ったサンジは呆れたように肩をすくめるだけだった。
数秒前まで啖呵を切りあっていたのが幻みたいに笑みを返して、肩に回されたローの腕にすり寄った。大きな手が頬を撫でてくれて、もう最高。
「…何にやけてんだ」
「あんたのせいだろ」
「お前……毎日ドレス着てたのか」
「あァ。あれ案外通気性良いぜ」
「──……」
深いため息を吐かれて首を傾げつつ戻った先ではスモーカーが苦虫を噛み潰しまくった顔をしていた。そんなことお構いなしに、頬に触れるローの手のひらの感触を反芻する。傍にいたいって思えば思う程、胸に変な切なさがはしるのが不思議だった。