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抱えた鬼哭に頭をもたれさせながら、ローはたった数時間前に自分が命を拾った青年を見やった。血を流してすっかり清められた様子のリバーは、今は怪訝な顔をしてベッドにうつ伏せに横たわっている。

人買いの男に欲情されて大層な仕返しをしたという話を聞いて、ローを睨む青年の顔をよく見てみた。すると男の美醜にさして興味の無いローから見ても、彼が並外れて整った容貌をしていることが分かった。

ナイフで切ったような深い二重に、薄い虹彩の瞳。今は不機嫌そうにひそめられた眉も、整った鼻筋にゆるく開いた薄い唇も、誂えたようにそれぞれの場所に居座っていた。柔らかそうな黒髪はざっくりとかき上げられていて、小作りな青年の輪郭をあらわにしている。

鎖に繋がれた美青年に心を乱されたのであろう人買いの親父の末路を思い出して、ローは再び笑いを噛み殺した。また笑ってんじゃねェか、とリバーはますますむくれる。

「…まァ、その人買いももういねェ。お前を苦しめていたやつは死んだ」

リバーはローの言葉に少し可笑しそうに口を歪めたが、すぐにきゅっと眉を寄せた。苦しそうに息を吐いて、震えた声を出す。

「……でも、守りたかったもんも全部消えちまった」
「おれも同じだ」
「…あんたも?」
「海賊なんざ、そういう奴らの吹き溜まりだ」

リバーは戸惑ったように瞳を揺らした。ほんのついさっきまで、あまりにも狭い社会の中で生きてきたのだ。今は他人の境遇を自分と重ね合わせることも難しいだろう。しかしローも、自分の過去とリバーを重ねた自分に内心驚いていた。同情で仲間に入れたつもりなど、毛頭無い。なぜ「同じ」などと口走ったのか。

思考を巡らしながら頬杖をついて青年を眺めていると、骨ばった手がベッドから持ち上げられ、そろりと此方に伸ばされた。そしてローの膝に置かれた手の、鮮やかな刺青が彫られた指にちょんと触れる。あまりにか細い接触だった。

「…何だ、人肌恋しくなったか?」

ため息をついたローは、しかしリバーに触れられた手を動かそうとはしなかった。リバーはそのまま、ローの人差し指をそっと握った。青年は恐らく、柄では無いことをしている自分に戸惑っている。
さっき出会ったばかりの男の指を握るなど。赤ん坊じゃあるまいし。そう言いたげに自分の手をローの指から外そうとして、しかし力が入らず何度も失敗している。ローはその様子をぴくりとも動かずに見ていた。

冷たかったローの指に、リバーの高い体温が移っていく。自分の手と格闘するのをやめたらしいリバーが、ふぁ、と欠伸を噛み殺した。黒々とした睫毛が、ふっと伏せられる。

「……お前、ここで寝るつもりじゃねぇだろうな」
「まさか……部屋に戻る…」
「おい、戻るって奴の顔じゃねェぞ」

甘えんな、と言ってリバーを起こそうとしたローは、ぴたりと動きを止めた。そのままじっと、リバーの顔を見つめた。

もはや完全に閉じようとしているリバーの瞼から、透き通った涙が、一筋流れている。やがてベッドにぽつりと染みて消えたそれを見て、ローは閉口した。
弟を亡くし、故郷を無くし、自分でも気付かぬままに涙を流す青年が、酷く脆いものに見えた。

ため息をついて背もたれに身体を戻したローは、自分の指を握ったままのリバーの手を動かさないよう身体を捻って、机に置いていた読みかけの本を取った。
空いていた膝で本を開きながら、すうすうと響く寝息に、普段は厳重にしまい込んでいる過去の記憶を呼び戻されそうになる。オルール島に降っていた白い雪と灰色の空も、それに拍車をかけた。

ローは活字に集中することでそれをやり過ごした。二人分の呼吸の音と、頁をめくる音だけが空間に響く。冷たい深海の中の部屋で、ただ、リバーに握られたローの人差し指だけが、じんじんと熱いままだった。

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