『第三研究所全棟へ緊急連絡!只今トラファルガー・ロー及びチェンバーズ・リバーが…!「SAD」製造室へ侵入しました!!』
製造室に足を踏み入れてすぐに、壁に取り付けられていた放送装置が緊迫した声色でそう叫んだ。この研究所の心臓部分に入られたんだから連中が焦るのも無理はない。
「当たり前だけど、これで完璧おれらを殺しにくるな……つーか?一番怖ェのはあんたの心臓がとっとと潰されねェかってことなんだけどさァ」
こんな中枢部分にまで侵入されたというのに何故まだローが生きていられるのか、不思議でならない。目的をまだつかめていないから?それとも、ローが反逆を企てたことを信じきれずにいるとか?
分からないからこそ怖くて仕方ねえ。いつバッタリ倒れてもおかしくないローの、均整の取れた背中の心臓あたりをぐりぐりと押せば「あァ最悪の誤算だ」と重いため息が返ってきた。
「ヴェルゴからすぐに取り返せりゃ良いが……あの手ん中に心臓を持たれちゃ不利だな。クソ…」
苛立っている声色。ずっとこの時のために準備してたってのに余計な邪魔、それもドフラミンゴの部下が参上とあっては腹立たしいことこの上ないだろう。しかもそいつが自分の命そのものを持ってるなんて最悪も良いとこだ。製造室の中を見て回りながら、黒いコートの長身を横目に見た。
ローの心臓を贄に取られた状態で戦う。おれに…おれに、できるか?想像しかけてすぐに首を振る。ローの傍にいることを選んだのはおれだ。ここに来たことを後悔するのは嫌だった。
「…考えんのは後にしようぜ。とにかくここをぶった斬ってからだ。おれも手伝う」
「ッリバー、待て」
翼を生やそうと力を入れた肩をローの手が力強く抑えた。肩が軋むほどの強さに驚いてローを見上げれば獣さながらにギラつく灰色の瞳が入口を睨みつけていた。一瞬、足が竦む。あんたがそんな目ェする相手なんて、この海にそう何人もいない筈だ。そう、それこそ仇でもなきゃ。
「…………来やがった…思ったより早ェな。やはり想定外だ、あの野郎だけが!」
ローの視線を辿って入口を振り返る。氷点下の夜みたいに冷えた空気を纏って、そいつはそこに立っていた。今にも暴れだしそうな緊張感をまとっているのに、同時に酷く落ち着いてもいる。底の見えないサングラスに隠されて感情も読み取れない。前に出ようとしたローの服を掴み背中に追いやった。少しだって近づけたくねえ。それだけで頭がいっぱいだった。
「さっきぶりだな、ロー。散々痛みつけてやったのに…もう元気になったようで何よりだ」
男の低い声がやけに頭にこびり付いて手先が冷えた。そしてフラッシュバックする、血を擦った跡の残ったローの顔。こいつが、こいつが…!
「………ッ死ね!!」
先手必勝、そう思ったのと同時に思いきり地面を蹴りあげ、武装色を纏った翼を振り下ろす。どんな能力だろうが知るか。ぶったぎってやる。
「ああ…お前かチェンバーズ・リバー。さっきジョーカーと手土産の相談をしてた所だ。おれはローの削ぎ落とした耳とお前の身体を丸ごと持ち帰ることにした。ジョーカーは以前からお前の首にかかった値札に目をつけていてな…」
自分が巻き起こした暴風の中聞きたくもない言葉が次々飛び込んでくる。想像してた通り性格は最悪らしい。とっとと首をへし折ってやりたくて翼を振りかぶった瞬間。「ああ、そうだ」と呟き胸元に手を入れたヴェルゴが取り出したのは、ドクドクと脈打つ、心臓。
「……!!」
それは、それが!衝撃に目を見開いたおれの目前で、この世の何よりも大切な人の命が無慈悲に圧迫された。
「ッぐああ!!!」
「~~~~!!ロー!」
背後から響いた激痛に呻く叫び声。そして締めあげられたせいで歪んだ心臓を目の当たりにして、ヴェルゴの首を狙った翼は途端に行き場を無くし空回りした。勢いづいて地面に転がったおれの翼をヴェルゴの足が間髪入れず踏みつける。そのまま靴で踏みにじられ、幾本もの羽根が引きちぎれる感覚がした。
「う、あァ!!」
「っは……リバー……!!」
「こいつを見ただけでこの有様か。なるほど一角天馬がお前にいたくご執心という噂は本当らしいな、ロー。実に滑稽だ…今の動きを見る限り割とやるらしいが、この心臓がある限りてめェは腰抜けってことだ」
「…う…ロー……!!」
踏みつけられた翼が引き攣るのを無視して、ローの方へ身体を起こした。ローはよろめきながら胸を抑え、口元を拭った手の甲にはベタリと血がついていた。鮮やかなタトゥーが赤黒く変色していく。とんでもない勢いで血の気が引くのを自分で感じながら、未だ翼を踏みつけるヴェルゴを睨み上げる。
「クソ野郎…!!ローの心臓から手ェ離せ!!」
「そう言われて聞くと思うか?なァ?お前はここで生け捕りにしてやる。ローも何故お前みてェな厄介者を船に乗せたのか、理解に苦しむ…」
「……し、ね!」
吐いた唾がべとりとヴェルゴの脛にかかった。ざまあみろと思ったのもつかの間、青筋を走らせて無言で掲げられた心臓がまた握られる。
「っぐ、あ、ああっ!!」
「ッロー、ああ……!ごめ、ごめん!」
「威勢が良いようで何よりだ。おかげでお前のキャプテンが苦しんでるようだぞ?チェンバーズ……」
挑発に乗ったら駄目だ、おれのせいでローが苦しむなんて、舌を噛み切っても死にきれない。その時衝撃が全身を襲い、這い蹲ったおれの背中に振り下ろされた足が今度こそ翼の根元を折り潰した。
「~~ッ、う……!!!」
「ああ、武装色で守ろうなんて考えるな。おれはいつだってこの心臓を潰せるんだからな……」
「…、!」
硬化しかけていた身体が為す術なく元に戻り、プレス機のように振りかぶった足が翼の骨をたやすく粉砕したのが分かった。痛いとかそんな感情の前に、不甲斐ない自分への苛立ちが一番に襲ってきた。妙な方向に曲がった翼は戻したくとも身体が軋み戻せない。
「───ッ!!く、そ……」
「おいチェンバーズ……自分で吐いた唾は自分で舐めとれ。愛しのローのためなら出来るよな」
地面を踏むのと同じようににおれの翼を踏みしめてしゃがみ込んだヴェルゴに差し出されたのは、愛しい男の心臓と、殺してェ男の足。言う事聞かなきゃまたローが苦しむ。それにこのくらい、どうってことねー。この口で今まで舐めてきたもんの方がウン倍も汚いに違いねェから。
頭を持ち上げ舌を出し、脛のあたりにかかった自分の唾を舐めとった。犬さながらのおれの頭上から冷酷な嘲笑が降ってくる。
「はっ!こいつ慣れてやがる…なァロー、ジョーカーに愛玩動物を献上するつもりでこの馬を仲間にしたのか?」
見当外れだ馬鹿野郎。でも、今がチャンスだ。このグラサン野郎がおれにかまけてる間にとっとと心臓を取り返してくれ。床にひれ伏しながら目線だけを上に向けると、同じことを思ったらしいローがよろめきながらもギラギラと目を光らせて“ROOM”を広げ始めた。
「シャンブルズ……!!戻れ、心臓!!」
ヴェルゴの手からパッと消えた心臓。しかしホッとして弛緩した翼の上から、瞬きの終わらないうちにヴェルゴの姿がかき消えた。
「………っ!!!」
蒼白な顔を上げた時にはもうヴェルゴがローを蹴り飛ばし、ローの体が柵にめり込むまでに衝撃を与えていた。そして、ヴェルゴの手元に戻った心臓が非情に握りこまれた。呻いたローの口から血が吐き出される。
「うあああァァァ!!!」
「ッロー!!ロー!嫌だ、やめろ、やめろ…!!」
聞いたことの無い絶叫。胸が張り裂けて今にも死んでしまいたくなる声だった。なんであんたがそんな悲鳴出さなきゃなんねぇんだ。なんで、なんで!!折れて使いものにならない翼を無理くり動かし、ちぎれた羽根の舞う製造室を駆けた。飛び上がって背中から押さえつけ、ローを殴る予備動作をしていたヴェルゴを羽交い締めにして拘束する。
「ッ、ロー!!やってくれ!!」
「ハァ、ハァ……カウンターショック!!!」
ヴェルゴの肩越しに叫べばローがおれを見てひとつ頷いた。突きつけられた鬼哭の先端から雷鳴のような衝撃がしてヴェルゴを直撃する。巻き添えを食らう覚悟だったが、寸前で勢いよく床に転がり落ちた。
焼け焦げた匂いと煙。自分も半分痺れながら、祈るような思いでその硝煙の真ん中に立つ影を見つめた。頼む、頼むから死んでくれ、頼む──。ローの荒い息遣いと、引き攣れたおれの翼から血が滴る音が製造室に響く。
やがて無情にも、その影がゆらりと動いた。
「…ジョーカーから伝言がある…」
立ち上る煙の中。揺らぐように聞こえた男の低い声に思わず目を閉じる。
「“残念だ”と…!!」