スモーカーが製造室に入ってまず視界に捉えたもの。物騒な機械、憎き海賊ヴェルゴ、荒い呼吸をしながら胸元を抑え燃えるような目でヴェルゴを睨む七武海トラファルガー・ロー。
そして、最後にもう1人。
ヴェルゴの足元で、無惨に曲がった翼や四肢をそのままに血だまりの中気絶したチェンバーズ・リバー。辺りの床に散乱する引きちぎれた黒い羽根の量を見れば、何が起こったのかはおおよそ把握できた。
「……どの道、キミの口封じもするつもりだが」
「早い方がいいね…視界に入るゴミクズを眺めてんのもやなもんだ……海賊ヴェルゴ!」
大股に近づいてより鮮明に見えたリバーの状態は、かなり悪かった。つい先程までは美しかった──海賊にこんな形容をするのは遺憾だが海軍本部の連中すらそう評している──その相貌は腫れ上がり、あちこちが赤黒く変色してしまっている。戻す力も無くしたのか、ぼろぼろに毛羽立った翼は折れ曲がりただ地面に伏していた。
ローが噛み締めた口から血を流す程怒り狂っている理由が、この彼の仲間の有様を見ればすぐに分かった。
「ヴェルゴ、お前の真実は部下達には知られたくねェな…お前をまるでの親の様に慕ってやがる。こんな裏切りはねェ……」
「手遅れだろう。ついさっきあいつらには会ってきた」
「……!!」
十手を振りかぶり襲いかかる。こんな腐りきった人間が近くに、それも同じ海軍にいてなぜ気づかなかった。いや後悔をしているヒマはない。
スモーカーは最善を探った。部下に手を出したこの外道の打倒、そして……檻の中で図らずも命を救われたローに借りを返すこと。その両方を達成する方法。
───畜生、これしかねェか。
腹を括り、身体から部屋中に煙を広げる。ヴェルゴが途端に怪訝な顔をしたが無視をする。スモーカーと対峙するヴェルゴの背後で、煙に隠れたローが真っ先にリバーの身体を離れた機械の影に移動させるのが見えた。
一度心臓をくり抜かれたスモーカーには、それを好き放題される痛みがよく分かる。ローは動きたくても手出しできなかったはずだ。自分の能力に牙を向かれるとは笑えるが、今共通の敵はヴェルゴだ。
そして、チェンバーズ・リバー。
煙に巻かれて、地面に散乱していた黒い羽根が舞い飛ぶ。あの一角天馬がこちらが辟易する程ローに懐いているのも、先程合流した時に見て把握してしまった。あれがローを見つめる眼差しの熱さは部下が船長に向けるそれを超越していた。心酔するキャプテンの心臓がヴェルゴの手元にある限り、彼が使い物にならなかったであろうことは想像にたやすい。
海賊の心情がここまで分かってしまうのも癪だが、つまりは八方塞がりだった場面でスモーカーが来た。そう、あの檻の中でやむを得ず借りた不本意な借りを返す、またとないチャンス。さらに大きく煙を広げ、ヴェルゴの視界を狭める。
「なぜ執拗に能力を使う……?君らしくない戦術だったな、スモーカー君」
「……!!」
部屋を覆う煙の向こう側で動く影に気づかない哀れな海賊。武装色を纏った竹竿で勢いよく身体を突かれて、スモーカーは床に倒れ伏した。
「海軍を舐めきっているおれを消そうにも、実力はなくてはなァ…」
もう全てが終わったようにヴェルゴが悠々としている様を、倒れながらも客観的に見ている自分がいた。ああ、胸糞悪ィが、くそ。……機会は与えてやったぞ。
カツン、と靴音が響く。
「……!?」
ヴェルゴが振り向いた先には、獰猛に瞳を光らせたトラファルガー・ローが立っていた。その手に己の心臓を掲げて。
「おれの心臓……確かに返してもらった…スモーカー」
「~っそういう事か!貴様いつの間に!!」
驕った男が叫ぶ。いくら喚こうがもう後の祭りだ。心臓は怒りを煮えたぎらせた持ち主の元に戻った。
「これで借りはナシだ……!とっととケリをつけろ!」
正に海兵の恥。だが、借りを返さないのも男の恥。究極の選択をしたスモーカーは血を吐きながらも事の顛末を見守ることにした。
「そんなに海賊に借りを作るのは嫌か…まァ助かったのは事実だ。なあ、ヴェルゴ“さん“……」
「やっとあるべき上下関係を思い出したか、クソガキ」
「そう思ってろってことだ。おれの……おれの部下を散々痛めつけてくれやがって、クソ……おい、いつまでもそのイスに座ってられると思うな…!聞こえてんだろ、ジョーカー!!」
ローの叫び声を受けてヴェルゴのポケットがもぞりと動く。電伝虫だ。
『フッフッ……フッフッフ!!目の前で大事なペットが死にかけてたってのに助けられもしなかった野郎が、随分偉そうな口聞くじゃねェか…!』
スモーカーは舌打ちを漏らした。また七武海か。これだから海賊はクソだ。煽られたもう一人の七武海を見れば、ぎりりと噛み締められたその唇からまた血が流れた。なるほどどうやらコレに関しては図星らしい。「ペットじゃねェよ」とぽつり呟き、血が滲むその口が嘲るように弧を描いた。
「…ヴェルゴはもう終わりだ。シーザーは麦わら屋が仕留める…てめェは“SAD”も何もかも全て失う……!」
ニヒルな笑みを浮かべたローは“DEATH“と意味ありげに彫られた指を刀の柄にかけた。製造室の隅で動かないチェンバーズ・リバーの黒い羽根がざわざわと揺れる。ヴェルゴがばさりと服を脱ぎ捨て、その身体が尋常ではない精度の武装色で覆われた。強大な威圧感を放つ男と対峙したローは、しかし眉ひとつ動かさずに長刀の柄をゆるりと握り込んだ。
「──おれ達は、お前の笑みが長く続くほど予想通りには動かない」
『フッフッ……随分いきがってくれるじゃねェか小僧!目の前のヴェルゴをキレさせてやしないか──?』
「悪ィが敗者に付き合ってるヒマはねェ…おれはあいつを治療しなきゃなんねェからな」
鈍く輝く妖刀が姿を現す。そして、一刀両断。
鮮やかなその刃先が覇気を纏ったヴェルゴの身体をいとも容易く両断した。広がった斬撃は製造室どころか研究所を丸ごと、星切りがごとく真っ二つに縦断する。瞬間、挾間から覗いた雪景色が研究所に寒風を呼び込みリバーの羽根がまたザワザワと武者震いするかのように揺れた。
「あの戦争は序章に過ぎない。豪傑どもの“新時代”がやってくる……!歯車を壊したぞ…もう誰も引き返せねェ!!」
両断された機械の山がバチバチとショートし、幾つかの中からは妙な気体や液体が漏れる。口を真一文字に結んだまま上半身だけになったヴェルゴの傍らにある電伝虫の向こう側からは、いつの間にかドフラミンゴの気配が消えていた。
そしてローは鮮やかな刀さばきで黙り込むヴェルゴの身体を更に微塵に斬り分け、もう二度と再起することの無いよう手すりにそれらをくっつけてしまった。細切れの人間の破片が並ぶ異様な景色を見て無意識にサイコロステーキを思い浮かべながら、スモーカーはのそりと身体を起こした。
「ああ、ひでェ復讐にあった…おいロー…お前はジョーカーの過去を知らない…それが命取りになる」
頭だけになったというのに落ち着きはらった表情のまま、ヴェルゴがローに向かって口を開いた。
「……?」
「少し名を上げたくらいの新世代に、取って代われる程世界は甘くな──」
「おれの心配は良い。てめェの身を案じてろ。ああ、それから最後に…これはリバーの分だ……!」
「………!」
「あいつは!あいつは、お前みてェな薄汚い人間が触れていいような奴じゃねェ…!」
最後のトドメと言わんばかりにその頭部が8等分に斬り分けられた。これでもう言葉を発することも出来ないだろう。瓦礫と成り果てた機械と物言わぬ破片になったヴェルゴを背景に全てを終えたローが素早く後ろを振り返り、右手を掲げる。
「……おい、リバー……!!」
さっきまで不遜な笑みを浮かべていた男から発せられたとは思えない、切迫した声だった。外科医の手術台が勢いよく広がり、飛ばされた瓦礫と入れ替わったリバーの身体がローの腕の中にふわりと落ちる。顔色を無くし血を吐いた痕の残る口元にすがるように頬を寄せたローの顔に、赤黒い擦れ痕が移る。
「……生きてんのか、そいつは……」
スモーカーの言葉に返事は無い。あちこちで曲がった翼も四肢も力なく垂れ下がり、瞼はひっそりと伏せられたままだ。変色し腫れてしまっているが、やけに整っていた元の顔を思い出しスモーカーは眉間にシワを寄せた。
そのお綺麗な顔のせいで、かつて海賊でもなんでも無かったこの青年に、天竜人が法外な価格の値札をつけたという。
…今はもう海軍を辞した男が苦々しく語って聞かせてきた話だ。天竜人の──政府の気まぐれが、1人の少年の人生を大きく狂わせた。欲に狂った親に弟を殺され海楼石の鎖に繋がれている最中に、国中が政府に葬り去られたのだという。
微かに上下するその胸を見て、スモーカーは思わず微かな安堵の息を吐いた。
海賊なんぞになったことはいただけないが、それでも。ハートの海賊団に拾われなければ今頃天竜人のペットだ。どちらが青年にとって幸福かなんて、海兵のスモーカーでも前者と答える。
なんとも形容しがたい思いを抱えつつ葉巻に火をつけ、ローがリバーをそっと床に降ろし刀を構えるのを眺めた。
「——どこもかしこも…あァ、大馬鹿野郎…いつもお前は…」
眼下の部下に振り絞った言葉をかけながら、
掲げられたその右手が彼の“手術台”でリバーの身体を包み込んだ。横たわる青年の周りを守るように覆うその青白い膜が、スモーカーの目にはやけに神聖めいて見えた。
“死の外科医”なんて大層な異名を引っさげた男が、スモーカーにも伝わる程丁寧な手つきでリバーの骨や皮膚をあるべき形に戻していく。悪魔的に繊細な技術。そもそも心臓だけを的確にくり抜いてみせる男だからこのくらいは朝飯前なのだろう。
腫れあがっていた部位も見違えるように引いていき、元来のリバーが段々と現れてきた。折れ曲がっていた翼も元の形に戻り、ローの手によってふわふわとその羽根を整えられる。それがどうも真綿に触れるような、はたまたガラス細工に触れるような手つきで、スモーカーはむず痒くなり頭を搔いた。
大切にされてるようで何よりだな、とかつての少年に内心で告げる。
やがてムダの無い動きで処置を終わらせたローはリバーの頭を膝の上に乗せて覗き込んだ。顔色は依然悪いが歪に折れていた鼻も元の真っ直ぐな鼻筋に戻り、最初に会った時の姿に時間が戻ったようだった。とんでもない医術を持った野郎だと内心で舌を巻く。
スモーカーは腕を組みただ黙って治療の経過を見守っていたが、リバーの前髪をそっとかき分けたローがその顔を見つめたままぴたりと動かなくなったので、いよいよ大きなため息を吐いた。
「…おい、終わったか」
「———意識が…」
「貧血かなんかだろ?死の外科医サンよ…そりゃあんだけ血ィ流してりゃな」
「…分かってる。麦わら屋んとこの船医に会わなきゃなんねェ…行くぞ」
バラバラにくくりつけられたヴェルゴに一瞥もくれることなく、リバーを横抱きに立ち上がったローは足早に製造室の出口へと歩き出した。スモーカーも少しの未練もなくその後に続く。
垂れ下がった青年の黒い翼がローの腕にしな垂れてふわふわと揺れるのを見ながら、そして青年を見つめる七武海の揺れる瞳を認めながら、2本目の葉巻を咥えて火をつけた。
この一瞬でも海賊に気持ちを傾けてしまう自分がいるのが、どうにも嫌だった。