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腕の中にいるリバーの顔色は相変わらず悪い。

ローの胸にもたれるように目を閉じ動かない部下を、研究所を速足に歩きながら何度も確認した。執拗に蹴りあげられ血を流した身体、折れ曲がっていた翼、踏みにじられていた頭。視線を移すごとに、目の前でリバーが苦しみ叫ぶのを見ていることしか出来なかった悔しさがローの中で鮮明に燃え上がる。

大事に大事にしまい込んでいた宝物を粉々に砕かれた感覚だった。それも、その宝の価値も意味も何ひとつ知らない者の手によって。

「ックソ……急ぐぞ!」
「そりゃ分かってるがお前……必要なのか、これが!?」
「“SAD”を運ぶトロッコだ…全員乗せてとっとと脱出する!!」

スモーカーと共に巨大なトロッコの鎖を引っ張り研究所唯一の脱出通路を目指す。左腕に抱えたリバーから何の声も聞こえないのが、ローの気持ちを焦らせた。外傷も内蔵の傷も全て治した。後は栄養を補給し時間さえ経てば意識は戻るはずだ。手持ちが無い今麦わらの一味に頼るしかない。

「見えたぞ!たしぎ達と麦わらだ」

リバーに落としていた視線を上げれば、子供たちを含む大所帯と共にルフィが確かに出口に立っていた。逸る気持ちのままローは殆ど駆けるようにして同盟相手の元へ向かった。

「ッ麦わら屋!!」
「おおトラ男!ケムリン!それに……あれ、それウマ男か!?何が…」
「おい、シーザーはどうした!」
「あー吹っ飛ばした。もういーじゃん、別にあんなの」
「ああ!?」

心底嫌そうな顔をしたルフィにローは舌打ちをした。扱いにくい男だろうとは思っていたが、これじゃ子供そのものだ。

「約束は誘拐だ!気分で作戦を変えんじゃねェよ!お前を信用するんじゃなかった!!」
「うーん、わりィ」
「この……!──いや、その前にお前んとこの船医はどこだ?こいつを手当てすんのに道具を借りてェ」
「チョッパーならまだ来てねェぞ。それにしてもウマ男……どうしたんだ?強かったろ、こいつ」

ルフィはローの腕の中で動かないリバーを心配そうに覗き込んだ。つられて視線を落として舌打ちを漏らす。リバーがいくら強かろうと、恐らく彼最大の弱点が敵の手の中にあるという最悪の状況だった。ローの自惚れではない。プライドの高いこの部下が心底憎いはずのヴェルゴに床に着くほど頭を下げた時点で、自分の心臓がリバーにとってとんでもなく重い枷になっていたのは明白だった。

製造室に入る前にリバーの言った「死ぬ覚悟であんたを守る」という言葉には、肉体としての死だけではなくて尊厳の死も含まれていたのだ。2年前青キジと対峙した時にも、ロー達を守るために天竜人の元へ行こうとしていた。こいつは何も変わっちゃいない。

腕の中で眠るリバーを、今すぐめいっぱい抱き締めてやりたい衝動にかられる。くそ、目が覚めたら「馬鹿野郎」「行くな」「死ぬな」とこいつが白旗を振るまで言い聞かせてやる。

ローの胸元に寄りかかったリバーの髪が、角に引っかかってさらりと流れる。その隙間から長い睫毛が依然として伏せられているのが見えた。ふと影が差したので視線を向けると、不安げなサンジがこちらに駆け寄ってきていた。

「おいロー…お前らの問題だから何があったかは聞かねェが… リバーは大丈夫なんだよな?」
「血を流しすぎた。点滴か、悪けりゃ輸血か……とにかく器具が必要だ。お前らの船医のを借りてェ」

簡潔に次第を説明すれば、片方しか見えないその眉がきゅっと顰められた。後ろにはナミとロビン、それにゾロまでもがリバーの様子を見に集まってきていて、ローは思わずリバーを抱える腕に力を入れた。不審な目を隠さずにいればゾロがそれに気付き口を開いた。
「そいつにゃ背中に乗せてもらった恩があるからな」
「わたしも……ウマ男、あの雪男から助けてくれたわ」
「その子の事は他人事とは思えないの」
「…………勝手にしろ」
口々に言われて若干たじろいだが、どうやらローと離れていた間にそれぞれとちょっとした関係を築いていたらしい。人と関わりたがらない割には案外人を引き寄せてしまうのが、この部下らしいといえばらしい。

「とにかく、船医と合流したらすぐに発つ。シーザーに逃げられたら作戦はここで失敗だ……こいつの痛みも、全部無駄になる」
「──そうだな。おいルフィ、分かったか?リバーのためだ」
力なく垂れ下がる黒い翼を見ながら1番に頷いたのがサンジで、その次にルフィが「おう!」と拳を叩いた。

「チョッパーとブルックは一緒にいて、フランキーはサニー号んとこなんだな!よし!あんな奴追いかけんのはやだけど、とっとといこう!」

意見が合って幸いだ。この麦わらの海賊に既に散々振り回されているのを自覚しつつ、ローはトロッコを振り返った。スモーカーのソツのない指揮で子供達や海兵は順調に中に収まっていた。麦わらの一味が揃えば出発できる。

ふと、煙草の匂いが辺りに漂った。

「……こいつがこんなになるなんて、お前のためなんだろ?どうせ」

サンジがすぐ隣でリバーの顔を見下ろしている。カマバッカ王国でのことはリバーによく聞かされたが、その全てにこの男の影があった。心底心配そうに揺らぐ瞳から、2人が築いた友情の深さがローにも伝わる。

この煙草の香りも、そう。あの小さな中庭でリバーが吸っていたものと同じだ。ローは形容しがたい思いが胸でざわめくのを感じた。あの、果ても見えなかった1年半。揺らぎやすい部下をこの男の存在が救っていたであろうことは想像にたやすい。

「武装色も見聞色もこいつは全部習得してる。あの島で…おれとやり合えるくらい、こいつは強くなった。お前のためにだ。それなのにこのザマってことは…その理由もお前しかいねェだろ」
「………」
「ほんっと、頭良いくせにお前が絡むとバカになりやがる」
「……そうなるなと言っても、こいつは聞きゃしねェよ」

紫煙はローの鼻孔をくすぐりパンクハザードの空へ雲散する。知ったような口を聞く男だ。そして実際、リバーのことを知っているのだ、この男は。口を固く結んだローを横目に見てサンジは煙を細く吐いた。

「ま、そうじゃなきゃリバーじゃねェか……──お、チョッパー達が来た。おーい!」

弾かれたように顔を上げれば、研究所の通路に確かにチョッパー達が大きく手を振っているのが見える。

「よし、揃ったなー!全員とにかくトロッコに乗れー!!おいトラ男!ウマ男は出発してからで良いか!?」
「──ああ。ここは崩れる…!とにかく海へ!」
「よォし、急げー!逃げるぞ野郎共ォ!!」

海賊、海兵、囚人、子供。混沌とした大所帯が巨大なトロッコに乗り込み、島を勢いよく縦断し始めた。海に出ればシーザーの確保に集中しなければならない。その前に今はとにかくリバーの治療が最優先だ。

ジェットコースターさながらに揺れるトロッコの上、子供たちの楽しげな歓声が辺りに響く。その大きな子供達やこちらを睨む海兵の間を縫ってローはチョッパーの元へ足早に歩いた。

「──おい、こいつの治療をすんのに道具を借りてェ」
「えっ?あ、トラ男!それにペガサスの……意識が無い!どうしたんだ!?」
「悪ィが仔細を話す余裕が無ェ。器具さえありゃこっちでなんとかする」
「わ、分かった!揺れてるから慎重にな……!」

神妙な顔をしたチョッパーに差し出された鞄を素早く受け取り、リバーを床にそっと寝かせた。己の帽子を脱いで、枕代わりにリバーの頭の下へ挟む。中の医療器具を選別している間に、先程から心配そうに近くをウロウロしていたサンジが近寄ってきて隣に座り込んだ。

サンジの視線や周囲のざわめきを意に介さず、ローは無駄なく己の脳と手を動かした。

子供の頃につけられたらしい傷跡の残るリバーの首筋に指を当て、未だ色を失った腕を取る。輸血の必要は無い。やはり必要なのは点滴だ。子供達の鎮静や治療に使ったらしい薬品の中から適切な物を選び、リバーの腕に注射を刺した。点滴がその体内に入っていくのを見届け、誰にも気づかれぬよう小さく息を吐く。

……ああ、これでようやく安心できる。

「か、完璧で迅速な処置だ……!すげェなトラ男…!」
「薬品が充実していたおかげだ。助かった…礼を言う」

ふおお、と瞳を輝かせるチョッパーに礼を言って、着ていたコートをリバーの上にかけてからローはすっくと立ち上がった。ほっとした様子でリバーを覗き込むサンジを上から見つめて、一呼吸分逡巡し、やがて静かに口を開く。

「……黒足屋」
「ん!?屋!?」
「少しの間…………少しの、間。リバーを頼む。おれはシーザーを捕まえなきゃならねェ」

ローの言葉を受けてサンジの目が丸く見開かれた。信じられない、とでも言いたげに。実際断腸の思いだ。半ば睨むように男を見下ろせば、一拍置いてその表情はすぐに朗らかな笑みに変わった。

「へっ…任せとけ。おれァこいつのダチだからな」

底抜けに明るい笑み。ローとリバーには無い、太陽のような眩しさ。殆ど分からないほど小さく頷きローは身体の向きを変えた。リバーがこの男を大切に思う気持ちが、少し分かってしまう自分がいた。

余りにも自分自身に無いものを持っているから、何故か引き付けられる。気を取られずにはいられない。

「おーい、トラ男ー!ウマ男治ったかあ!?」
「……あァ、トニー屋に助けられた。麦わら屋、シーザーを捕えるぞ」
「っし、まっかせろ!!」

この鮮やかな麦わら帽子を見る時の自分と、あの男を見る時のリバーは同じ感情を抱いているのかもしれない。

もちろん、ローはこの同盟相手と“ダチ”になんかなる気は微塵もないが。

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