ローは黒髪の女と妙な髪型をした大男の首を鬼哭で斬り落とし、タンカーから引っ張り出した救命ボートの上に晒すように置いた。「ドフラミンゴの部下だ」と吐き捨てるように言われたのでこの扱いも頷ける。そしてもう1人下で伸びていたデカい男が、クソッタレのシーザーらしい。
「このアホ面が、交渉材料なのか」
「あァ、残念ながらな……いずれここに奴が来る。死に物狂いでシーザーを取り戻してェはずだ」
「……ドフラミンゴ……」
生首の置かれたボートの帆には、笑顔のマークが描かれている。ドンキホーテ・ドフラミンゴの印。ヴェルゴに蹴り飛ばされた腹が不意に傷んだ気がした。ヒューマンショップやこの趣味の悪ィ島、そしてヴェルゴの裏にいた男。なにより、ローの恩人を殺した男。
殴られっぱなしのあんなヘマはもう駄目だ。でもこの命に何があったって、絶対にローの本懐を遂げさせてやる。マークを睨みいつの間にか拳を痛いほど握りしめていたのに、手を包み込まれて初めて気が付いた。見上げると、帽子の鍔がぶつかりそうな程近くにローの顔があっていささか驚く。
「……お前を連れていかせやしねェ」
「…………え?」
「ヴェルゴも、いつかの島の海賊どもも言ってたろ…ジョーカーはお前を狙ってる。天竜人に売っぱらうために」
「──……」
不機嫌な顔をしたローに覗き込まれて、呆然と目を瞬かせる。そんなこと言ってたっけ?言ってたか。隈をこさえた切れ長の瞳と暫く見つめ合い、余りにも真剣な表情に思わず笑ってしまった。ふつふつと笑うおれを見て訝しげな顔をするその両頬を手で包み込み、思いきり背伸びをする。
「だいじょーぶ。寂しがり屋のあんた残して、もうどこも行かねェから」
いたずらにもみあげを指で撫でれば、灰色の目が珍しく丸くなった。一瞬の沈黙がおりて、やがて糸が切れたみたいにその肩が震えだす。
「はっ……馬鹿、寂しがり屋はお前だろ」
「おれがいなくなったら寂しいっつってたろ?」
「──……いなくなったら、な」
肩に額を乗せたローが、こちらを見上げて微笑んだ。きゅ、と胸が締まる。超かわいいんだけど。間近で破壊力の高すぎる笑顔を浴びて、思わずキスしようと近づけた口を手で塞がれる。尖らせた唇をローの手に押し付けたまま、おれは不満を隠さず眉をしかめた。
「なんで」
「人目があんだろ、馬鹿」
「また寸止めじゃねえか…あんたそんなん気にするタイプだっけ」
「仮にも同盟相手だからな。それに海軍もいる」
「けーちー」
「誰がケチだ」
コツン、と額を指で弾かれて、コートの襟元に顔をうずめた。次やる時は覚悟しとけよ。未練も無くくるりと後ろを向いたローに内心ごちる。
いつの間に持ってきていたのか、ローは懐から電伝虫を取り出し木箱の上に置いた。これで、いずれ部下の元へ来るであろう奴と話せるってわけか。2つ並んだ首に一瞥もくれることなく、ローは救命ボートを降りた。後に続きながらその後ろ姿を目に焼き付ける。
……連れていかせやしねェ、だって。
「…もったいないお言葉、ってやつだな……」
歓喜に今にも叫びだしたくなる衝動が襲ってきたのを胸を抑えて耐えた。言われなくたって傍にいるけど、やっぱり言葉にされると泣きたくなるほど嬉しい。
「麦わら屋!!いい加減出発するぞ!」
「ん?おお、分かった!おいケムリン、コドモらの出航を確認しねェとウチも絶対船出さねェってナミとチョッパーが言うからよ、先にコドモ出してくれ」
「……なら、あのタンカーはいただいていくぞ。おい、お前ら出航だ!!!」
すっかり元気になった子供達が、海軍に連れられタンカーへと乗り込んでいく。覚醒剤を抜くなんて根気のいる治療だろうが、同じ境遇の仲間があんだけいりゃマシだろう。はしゃぐ子供の姿を見て、目の奥がツンと熱くなる。
「もう、くそ……」
ローにあんな言葉をかけられたせいか、涙腺が馬鹿になったようだった。ああ、おれと弟がいたあの島に、優しい大人ってのが来てくれていたら何か変わっていただろうか。考えたって意味の無いことを考えてしまう程に目の前の光景が眩しい。
…なあ、兄ちゃんだけ幸せになってごめん。
数えきれないほどしてきた無意味な謝罪がまた頭に浮かんでしまう。お前の方がよっぽどこの海へ出て、幸せになるべきだったのに。弟が聞けば怒られてしまいそうだが、そのクリスはもういない。
海軍が幕を張り、子供達の姿が見えなくなった。ローとおれには船が無いからここからは麦わら達の船に乗ることになる。タンカーに背を向けて、大きなコートの襟に顔をうずめた。鼻の奥が痛む。あーあ、メンタル馬鹿になっちまったかな。
…いや、意思が固く頑強なローと違っておれのメンタルなんかもうずっとヘタレも良いとこだ。多分、生まれた時から。こんなだるくて面倒くせェ男、おれならとっくにぶっ飛ばしてる。ずっと向き合ってくれるローはやっぱり凄い。
自嘲の念を抱いて俯き歩いていれば、後ろからぽんと肩を叩かれた。
「よお、お前もおれ達の船に乗んのか?」
「……ロロノア。あァ、今は船がねェからな」
「へえ。怪我の具合は」
「治った」
「そうか。ま、お前にゃ世話になったからな。せいぜいくつろいで……」
朗らかに覗きこんできたロロノアとばちりと目が合う。潤んだ視界越しにロロノアの右目が丸くなるのが分かって、舌打ちをして顔を逸らした。同盟相手に見られるなんざ、とんだ失態だ。
「忘れろ」
「あん?…別に何も言ってねェだろ」
「うっせー。くそ、お前もっと無口なんじゃねェのかよ。聞いてたのと違う。絡んでくんな」
「っは、お前も案外おもしれェじゃねーかリバーくん?」
酒くせー、こいつ酔ってやがる。肩を組もうとしてきたその逞しい腕を避けて、前にいたサンジの影に避難した。
「お、リバー!サニー号乗るんだってな?……ん、マリモになんかされたか?」
「……あいつお前から聞いてたより明るい。やっぱ麦わらの一味って感じ」
「んだそりゃ。おい緑、てめェ酒呑みすぎだ毎度毎度」
「作戦成功の祝いだろ。細けェなてめェは」
「んだとてめ!!」
サンジがロロノアに向かって脚を振りかざしたのを横目に、おれは早歩きでローの元へ向かった。サンジがこうして自分の仲間と生き生きやってんのを見れたのは結構嬉しかったりする。だからこそ、おれはおれのキャプテンの傍にいたいって、より強く思える。
前を歩いていたローに追いつき、隣に並ぶ。ちらりと見下ろしてきたローが目尻に手を伸ばしてきたので、少し驚いて長身を見上げた。冷えた親指がするりとまつ毛に触れて、顔が熱くなる。
「な、なに」
「…泣いたのか」
「泣いてねーよ」
「嘘つけ」
とっくに涙は引いてるはずなのになんでバレんだよ。“あんたに言われた言葉が嬉しすぎて泣いた”なんてとても言えないので、覗き込んでくるローを誤魔化すように後ろを向いた。背後では、麦わら達に礼を告げようとする子供達を海軍が必死に隠しているところだった。
「ナミお姉ちゃーん!!」
「チョッパーちゃーーーん!」
「ロボは~?」
「こら!あいつらは海賊だ!仲良くしちゃ駄目!」
未来ある子供と、海賊。まあ普通に考えりゃ関係なんて切った方が良いに決まってる。連中は粗暴な見た目だが海軍の使命を一応のところ全うしてるらしい。
「グルグル兄ちゃんに会わせてー!」
「ペガサスのお兄ちゃーん!」
「っ、は!?」
麦わらの一味の名前とともに何故か自分の名前まで呼ばれて、驚いた拍子に石ころに躓いた。ふらりとよろめいた腕をローに掴まれ、慌ててその身体に手をついた。
「な、なんでおれ?」
「お前もあいつらのこと守ってたじゃねェか。翼広げて風防いだり、雪男倒したり」
立ち止まるおれとローを追い抜かしながら、サンジが楽しげに笑った。
「別に、おれはただローのために……」
「相手は知ったこっちゃ無ェってことだろ」
半ば呆然と言えば、ローにぐしゃりと髪を撫でられる。
「助けようとしてた麦わらや航海士に、意味ねェって言って止めようともしたし」
「それもあいつらは知らねェ。“イイ事”しちまったな、リバー」
「っいや、おれは…」
ローの声はやけに愉快そうだった。海軍の張った幕の向こう側から、子供達は海賊を呼び続けている。悲痛な叫びだった。
「海軍はァ!!とても勇敢で正しくて……!!」
「やめなさい、あなた達!みっともない!」
眼鏡の海兵が一喝する。すると、おれ達と子供達とを分け隔てていた幕がふるふると震え出した。支える海兵達が一様に天を仰ぎ、涙を流す。
「……!!だがよ、たしぎちゃん!悪口でも言い続けねェと、おれ達ァこの無法者どもを!!好きになっちまうよォ~~!海賊なのによォ~!!」
ため息を吐いて額を抑えるスモーカーと、「なはは、変な海軍」と笑う麦わら。幕が取り払われ、子供達がタンカーから身を乗り出してこちらに手を振った。口々に、溢れんばかりの感謝の言葉が降ってくる。
ありがとう。
助けてくれてありがとう。
大きくなったら海賊になるよ。
最後の言葉は海兵に大否定されたけど、とにかく目の前に広がる光景はひたすらに明るく、眩しく。無償の愛や無償の優しさなんてものはこの海には無い。なんの利益も無く人と人は繋がれない。そう思って生きてきたおれのような人間は、この場に存在してはいけないのではないかとすら思った。
「またな~~!次は敵だ~~!!」
海軍達に向かって朗らかに手を振る麦わら帽子から信じられない気持ちで目を逸らして、逃げるようにローを振り仰いだ。そして。
「……!!」
帽子の影に隠れたその表情が、おれの位置からだとよく見えた。ひゅう、と息を飲む。こういう人間だって分かってたはずなのに。それなのに衝撃で、動けない。
ローは確かに、柔らかい笑みを浮かべて目の前に広がる光景を見ていた。
そこにいる全員が子供達の方を向いて温かい表情を浮かべている中、きっとおれだけが情けの無い顔でローの横顔を見つめている。何故だか今すぐ、ただっ広い海のど真ん中で叫びたくなった。
やっぱりあんたは優しい人間だ。
今この場で、そんな風に笑えるんだから。
笑顔のひとつも浮かばないおれとは違う。なあ、誰か教えてくれよ。おれは何故、こんな人と出会うことができたんだ?この人のために、一体何をしてやれるんだ?
そんな事ばかりが胸に浮かんでは、心臓の奥深くに染み込んだ。