40


ロロノア・ゾロは、人の心の機微には疎い方である。勿論戦闘中の殺気だとか戦意の喪失だとか高揚だとか、そういったものは除く。つまり誰が誰を好きだとか嫌いだとか、面倒事に関しては興味が無い。

ただそんなゾロでも、隣にいる同盟相手が彼のキャプテンにやたらと懐いているのは知ろうとせずとも分かった。皿に盛られたサンドイッチを掴み、真白い頬を膨らませてちまちまと噛み締める男。チェンバーズ・リバー。パンクハザードの宴では大口開けてスープを食らっていたので、どうも今は食欲が乏しいらしい。先程の取り乱し様をみるに無理も無いが。

「リバー、これも食え」
「…いや腹いっぱ、」
「食え」
「…梅干しでも入ってた?」
「それァ昆布だ」
「……」

リバーの向かいに座ったローが自分用に作られたおにぎりをひとつ寄越したのを、戸惑った手が受け取る。随分と過保護だと思いはしたが、それも先程のやり取りを見ていれば頷ける。


ドンキホーテ・ドフラミンゴが彼に放った、心底胸糞の悪い言葉を思えば。


部下をあんな風に貶されては黙っておけないだろう。ローのことをさして知らないゾロだが、なんとなくの話しぶりから芯のある奴だとは見抜いていた。

「…とりあえずドフラミンゴのことはそれとして…錦えもん、お前らの事情を聞いてもいいか」

一通り料理を作り終えたサンジが煙草をふかしつつ、錦えもんと龍になっているモモの助に話を振る。

「うむ──なぜ追われていたかは話せん!しかし元々は、“ゾウ”という島を目指して海へ出た」
「んぐ……え、ゾウ?」
「む、リバー殿存じおるか!?」

おにぎりを飲み込み損ねたらしいリバーが咳き込んだので、ゾロは彼の前にあった紅茶を差し出してやった。ぎょっと2度見されてから、小さく「悪ィ」と言ってリバーがそれを口にする。一体サンジから自分についてどんな話を聞かされていたのか、こうして当然の気遣いをすれば逐一驚かれる。

「…存じてるっつーか…おれ達の仲間もそこにいるんだよ。なァロー」
「──あァ。何から何まで奇遇だが、シーザーを明け渡しSMILEの工場を壊したら、次はゾウに向かうつもりだ」
「まことかそれは!!…では、そ、そこまで拙者達同行する訳には…」
「いいぞ、ワノ国まで行こう!」
「おい!……いや…」

いつもの調子のルフィにローは呆れ返ったように息をついて、おにぎりにかぶりついた。なんであれ、今ローとリバーはサニー号に乗っていて船の長はルフィだ。一応の立場は弁えているということだろう。

「侍3人とモモの助、しめて4人ゾウを目指したがあえなく遭難。ドレスローザに漂着したのは侍2人とモモの助…」
「しかしドフラミンゴという者達に追い回されて…せっしゃよくわからぬ船に逃げ込んだのでござる」

なるほど、それでパンクハザードに。ゾロは錦えもん達の話に耳を傾けつつ、“ドフラミンゴ”とモモの助が口走った瞬間リバーの手をするりと離れたおにぎりを手のひらに受け止めた。

「…悪い」
「いや。大丈夫か」
「ああ」

おざなりな返事をして、リバーはまた小さい口でおにぎりを頬張った。ゾロが柄にもなくその様子を気にするのは、パンクハザードで彼の背に乗せてもらった恩義があるからだ。

漆黒の一角天馬は本来なら見捨てても良いゾロ達を拾い上げ、あの毒ガスの中を飛びきってくれた。伝説上の生き物に乗って空を飛べてかなり高揚したのも事実だ。話してみれば落ち着いた静かな空気を纏う男で、一味の賑やかさに慣れていたゾロには新鮮に映った。

「──そして、慌ててモモの助の後を追う拙者をかばいカン十郎が人質となるも、拙者を海に逃がしてくれたのでござる!必ずや助けねば!必ずや……戻らねば!!」
「ぶあ~~!男じゃねーかカンジューロー!!」

必死の形相で語られた錦えもん達の身の上話に、フランキーを筆頭とした連中が熱く同調している。

その様子に半ば引きつつ「お前ら目的を見失うんじゃねェぞ」とローが諌める。一味のいつもの空気に押されるローを面白半分に見ていると、リバーが盛り上がる会話をよそに立ち上がりキッチンを出ていった。勿論ローは気づいた様子だったが、すぐには追わない選択をしたらしい。

なら、おれが行っても良いか。

ゾロは席を立ってリバーの後に続いた。入口付近に立っていたサンジが戸惑ったようにらしくない行動に出た仲間を引き留める。

「おい、マリモ……?」
「んだよ」
「追いかけてどうする。ほっとけ」
「海にでも落っこちかねねェぞ、あいつ」
「そんな真似する奴じゃねェよ」
「そうか」
「ああ?おい…」

制止を無視して甲板へ出る。扉を閉めればキッチンの喧騒が遮断され、静かな波と風の音だけが辺りに響いていた。

少し見渡せば、その黒い塊はすぐ視界に入った。笑顔のジョリーロジャーが背中にプリントされた黒いパーカー。デッキの手すりの上に背を丸めて蹲った彼に、遠慮なく近づく。

「おい、落ちるぞ」
「…落ちるわけねーだろ」

不躾に声をかければ、ため息混じりの声が返ってくる。ゾロはリバーの少し後ろで立ち止まって、長めの黒髪が潮風に揺れる様を眺めた。シャープな輪郭が顕になり、白い肌に太陽が反射しているような気すらする。

やたらとキラキラした奴だ。特に感慨は無いが、事実としてそう思う。

鍛錬一筋の自覚はあるが、ゾロとて一応普遍的な感性を持ち合わせた男だ。例えるなら、人魚は美しい方が好ましい、というような感覚は当たり前に持っている。そしてペガサスなんてものに変身するなら、やはりこういう奴の方がサマになる。かつて空島で見た妙な模様のペガサスもどきを思い出し、慌てて記憶をかき消した。

「なんか用かよ」

何も言わないゾロに痺れを切らしたらしいリバーが、胡乱な目を隠す気も無くこちらを振り向いた。黒々とした睫毛と風になびく髪がゾロ達を乗せてくれた一角天馬を思い起こさせる。ローが研究所から抱えて出てきた時には血の気を失っていた顔も、今はすっかり元に戻っていた。

「いや。身体はもう平気なのか」
「…あ?あァ、まあ…」
「さっきあんまりパニくってやがったから、そのまま海に落ちるんじゃねェかと思った」
「はあ?」

じとりとゾロを睨んでいた目ががぎょっとしたように丸くなる。どうやら本気で驚いているらしい。

「ローがいんのにんな馬鹿な真似するかよ!てめェ縁起でもねェこと言うな」
「悪い悪い」

笑いながら手をヒラヒラと振って、隣に立つ。足先を海風に晒したまま、リバーは呆れ顔で頬杖をついた。

「びびらせんなよ…やっぱサンジから聞いてたのと随分ちげェな。ロロノア」
「あ?」
「野蛮、筋肉、刀馬鹿」
「あのぐるまゆ野郎…」
「──まァでも…そんな発想までさせたのはおれか。さっきは、見苦しいとこ見せた」

膝を抱えたリバーはゾロを覗き込み、自嘲めいた笑みを浮かべた。形容しがたい感情がないまぜになったそれを真正面から受け止めて、やっぱり海に落ちそうな奴だ、とゾロは思った。いつでも死を選ぶ覚悟がある人間の、目。

「…お前、キャプテンの道が途絶えるくれェなら、てめェが死んだ方がマシだと思ってるだろ」

真っ直ぐに目を合わせて、殆ど断定するように言った。手すりについたゾロの肘と、抱えられたリバーの脚が一瞬触れ合う。強ばったその感触を反芻してるうち、辺りに沈黙が降りてサニー号に波が打ち付ける音だけが響いた。

「……お前も?」

リバーは笑みを消して、よく出来たガラス細工のような瞳を真っ直ぐゾロに向けた。共犯者を見つけた男の囁き声が、半分無くなった視界の向こう側から聞こえる。

「否定はしねェ」
「は……そっか。つか、なんで分かんの」
「ボロボロになったお前を連れてきたトラ男の顔見りゃなんとなく分かる。ありゃ相当キレてたな。お前が野郎を守ったんじゃねェのか」
「…へェ、野生の勘だな。でも守るとか、そんな大層なもんじゃなかったぜ……むしろ傷つけたかもしんねェ」

リバーは大きく伸びをしたかと思えば、手すりの上に仰向けに寝そべった。腕を枕にして、グレーの瞳が眩しそうにゾロを見上げる。上からその顔を見下ろし、やはりやたらとキラキラした奴だと思った。

「おい……やっぱ落っこちてェのか」
「落ちても飛べる」
「飛ぶ気が無かったら意味ねェだろ」
「飛ぶよ。ローのためなら何処までだって」

切ない声色。必死に地面に足を踏ん張っている奴の矜恃が篭っていた。

リバーがドフラミンゴの言葉にあんなに取り乱したわけを知りたいとは思わない。それはリバー自身の問題で、たかが同盟相手が踏み込むべき領域ではない。だが目の前で見てしまったからこそ、落ちていかないように引き止めるくらいはしてやりたかった。
何故か、と問われれば、やはりゾロも麦わらの一味だからだろう。人のために動くことはそこまで嫌いではない。

リバーの顔が海の方を向いて、潮風が髪をたなびかせる。グレーの瞳に水平線が映り、薄い唇がゆっくりと開くのをゾロはただ黙って見つめた。

「…お前も同じだ、ロロノア。麦わらのためなら死ねるって、そういう目ェしてる」
「…はっ、んな簡単には死なねェけどな。…あいつの野望のためなら、ってだけだ」
「あァ…分かるよ…」

ぽつんと吐かれた肯定に笑いを返す。自分自身の野望も何もかもひっくるめて、キャプテンを信じている。強固な共通項が2人の間に確かにあった。リバーをひょいと覗き込んで笑みを向ける。

「おれたちゃ同類ってことか?」
「おれァお前ほど強くねェけどな」
「は、よく言うねェ」
「一目瞭然だろ」

ニヒルに笑ったリバーが、鍛え抜かれたゾロの二の腕を指の背で小突いた。自分の焼けた肌とリバーの真白い肌が鮮やかなコントラストを描いている。小気味良い会話に肩を竦めて、眼下でたなびく黒髪に目をやる。艶やかなそれはあの雪景色で見えた、揺れるたてがみの面影を残していた。

「たてがみ……」
「ん?」
「天馬になった時のたてがみと一緒だな、お前の髪」
「あァでも感触は結構違うぜ。馬の方が硬ェ」
「へえ。触ってもいいか」
「は?何、動物好きなわけ?」

目を丸くしたリバーに問われ、はてと首を捻る。そんな自覚は無かったが、チョッパーの頭を撫でるのも嫌いではない。

「おれって動物好きだったのか?」
「あ?知らねェよなんなんだお前……まァ頭はやだけど髪なら良いぜ」
「ほんとか。んじゃ失礼」

言葉に甘えて、なびく黒髪の毛先に指を通す。無骨なゾロの指に細い毛束が受け止められては流れていく。「おお…」と感嘆を漏らすとリバーはおかしそうに肩を揺らした。

「おおって、ただの男の髪だろ」
「いや、やわらけェ」
思ったままを言えば、途端に不審げな顔つきになったリバーがじとりとゾロを見た。
「………一応聞くけど、お前そういうシュミじゃねぇよな?」
「?そういう趣味ってなんだ」
「いや…分かんねェならいい」

身体の半分は海に投げ出したままリバーは目を閉じた。こんな細い手すりの上でよく横たわれるものだと思いながら髪を梳く。波の音だけが聞こえる穏やかな時間が流れて、やはり静かな空気を纏った男だと思った。



「……何やってんだ、お前ら」



突然、後ろから低い声が響いた。振り返れば酷く不機嫌そうな男が腕を組んで立って、こちらを睨んでいる。誰か来たことには気付いていたがそれはローだったらしい。
ただでさえ目つきの悪い顔が手すりに寝そべる部下を見てますます厳しくなった。大股で近づいてきたかと思えば、腕を引っ掴まれたリバーがあっという間に甲板に降ろされる。

「リバー。寝るなら安全な場所で寝ろ」
「あんたまで……落ちたりしねぇよ」
「落ちそうな場所にいるなっつってんだ」

やはり、キャプテンにも危なっかしいと思われているらしい。厳しい声色で咎められたリバーは気まずそうに「んん」とか「ああ」とか言葉にならない声をいくつか出した。ゾロに梳かれて乱れた黒髪を、ローの指が撫でつける。

「ベンチで寝とけ」
「ん…」

撫でられて気持ちよさそうに目を閉じていたリバーはひとつ頷き、マスト下のベンチの方へと去っていった。

「…危なっかしいな、てめェの部下は」

その線の細い後ろ姿がベンチに座るのを見送ってローに言えば、彼は深く帽子を被り唸るように息を吐いた。

「──お前はなんで髪撫でてた」
「あァ?」
「あいつはそう簡単に他人に懐く奴じゃねェ。どう懐柔した、ロロノア屋」

鍔の下からキツく睥睨されて肩をすくめる。

「懐柔ってお前なァ…触っていいかって聞いたら良いって言われただけだ。見事な毛艶だと思って」
「……フン…」

帽子の影になった目が眼光鋭くゾロを見て、そしてふいと逸らされた。お気に入りの部下が他人に懐いたように見えて拗ねてるのか、とゾロが結論づけた時、険しかったその表情が少し和らいだ。

「あいつが受け入れたならとやかく言わねェが」
「……なんだ、てっきりキレてんのかと」
「勘違いするな。不愉快なのは変わんねェ」

そう言って立ち去ったローは、ベンチに腰掛けていたリバーの隣へと腰を下ろした。…例えばチョッパーが一味以外の人間に懐いたとして、自分はそれを不愉快に思うだろうか?思わず考えかけて、首を振る。専門外のことは首を突っ込まないに限る。

ベンチでは、気まずそうに逸らされたリバーの顔をローが覗き込み、楽しげに肩を揺らしていた。さっきまでの不機嫌さはどうした。真正面でローの笑顔を見たらしいリバーはぴしりと固まり、石のようになってしまった。遠くからそれを眺めて、ゾロは1人肩を竦める。


なるほど、何処の船でも最後はキャプテンが一枚上手らしい。





──そして時が経ち、数時間後。


順調に海を進んだサニー号の前にその島は現れた。

「うほー!!なんだあのゴツい島!!」

まるで大きな岩壁が海にそびえ立っているようだった。ゾロもルフィの後ろに立ち、高揚した気分で口角を上げた。


「着いたぞ~~!ドレスローザ~~~!!!」

ルフィの声が甲板に響く。そして新しい島に浮き足立つ一味の輪から外れて、ローが眼光鋭く岸壁を睨みつけていた。ゾロはその隣に立ったリバーに視線を移した。彼はただ1人、島ではなくローを見ていた。


狂おしい程の激情が渦巻いた目をして、しかしその全てを飲み込んでただ一心に。彼だけは、吹いては飛んでいく羽根のように危うい場所に立っている。

ゾロには何故か、そう映った。




- 113 -

*prevnext#

back

TOP