サイファーポール、と聞いてウソップの脳裏に浮かんだのは2年前の忘がたい連中の顔だ。目の前にいるロビンを救うためウソップ達は──まぁ正確にはそげキングだが──世界政府に喧嘩を売った。その筆頭がCP9。しかし、今正に目の前を通り過ぎていく白い衣服に仮面をつけた集団はCP0、サイファーポールの最上級の機関だという。
政府にその身を狙われるロビンはともかく、ローが彼らの死角にリバーが入るように身体を乗り出したのが気がかりだった。ウソップもつられて身を縮め、俯く彼に小声で問いかける。
「ウマ男?大丈夫か?」
「あァ……平気」
さっきまではいつも通りにツンと澄ました様子だったリバーは、ウソップに小さく頷きを返しながらもローの影にすっぽりと隠れている。変装によってただでさえ女にしか見えないのに、こうもしおらしくなられてはどうも落ち着かない。
「どうしたんだよ?お前もあいつらに因縁あんのか?」
「…いや、ロビンほどじゃねェ。おれのはなんつーか…いや、そもそも連中がおれのこと知ってんのかも分かんねェ。ただ関わりあいにはなんのは御免だな…」
「…七武海になった直後、“チェンバーズ・リバーを寄越せ”とサイファーポールの使いがきたことがある。天竜人の差し金でな」
「え、」
潜めた声で話し始めたローを見あげて、リバーがこぼれ落ちそうな程目を丸くした。
「なに、それ。聞いてねェ」
「言ってねェからな」
ローは去っていくCP0を眉間に皺を寄せて見送った。サングラス越しで見えないが、きっと険しい目をしているのだろう。「おい」とリバーが焦った様子でローの肩をゆするが、返る反応は落ち着いたものだった。
「まじかよ…何もされなかったか?」
「居所も分かんねェもんを突き出すのは無理だと、そのまんまを言って帰らせた。こっちが教えて欲しいくらいだったしな…だがお前をご所望の連中は欲を満たすためなら使えるもんはとことん使ってくる。ペットの調達に諜報機関を使う真似も平気でな。知ってるだろ」
「──…それは、大将まで来たことあるから…」
「サイファーポールは確実にお前の顔を覚えてる。間違ってもノコノコ出向くんじゃねェぞ」
「出向くわけねーだろ……」
反論する気力も無さそうにリバーの薄い唇がストローに吸い付く。アイスコーヒーの入ったグラスを物憂げに見つめる顔は切り揃った前髪のせいでますますよく出来た人形のようで、ウソップはドフラミンゴがリバーに“価値”だの“高い値”だの言っていたことを思い出した。そして今度は“ペット”ときた。どうやら彼にも並々ならぬ事情があるらしい。
しかしロビンは言わずもがなとして、シーザーも政府に狙われているしそこにリバーまで。どうもこのパーティには危険因子が多すぎる気がする。冷や汗をかくウソップを傍目にロビンが至極冷静に口を開いた。
「人探しをしている様子ではなさそうだけど、警戒するに越したことはないわ。彼らが動く時にいい事なんて起こらない」
「……あァ確かにな」
「世界政府絡み、ってことだろ。しかもおれらが到着したその日に?嫌な予感しかしねーよ…ロー、もしもん時はおれを餌に逃げるくらいしてくれ。頼むぜ」
「すると思うか?おれが」
「思わねェから頼んでんだよ」
「頼まれてやると思うか」
「……何回目だ。この不毛なやりとり」
「始めるのはいつもお前だ」
額を小突かれたリバーが言葉を飲んで押し黙る。歯がゆそうなその顔をちらりと一瞥して、ローも眉間にシワを寄せてそっぽを向いてしまった。他所の海賊団の人間とこうも長く話すのはウソップにとって初めてのことだったが、冷静なローはルフィとはまた違うキャプテンシーを持っている。しかしその印象とは裏腹に、今の会話の内容を要約すれば結局リバーもローもお互いがお互いを心配しているだけだ。
この危険な同盟に賛成できないスタンスは変わらないが、目の前にいる2人組のことをなんとなく気にかけている自分がいるのも事実だった。ドフラミンゴの電伝虫を受けた時心神喪失しかけていたリバーを見てしまったからには、そう無下にもできない。
「…そろそろ15分前だな。グリーンビットに向かう」
「シュロロ!やっとか!」
「あ~本当に行くのかよ〜闘魚の群れん中によ〜」
「見たこともねェもんにビビッてどーする」
すっかりいつもの冷めた様子に戻ったリバーに突き放され、ウソップは大げさに肩を落とした。一緒に怯えてくれるナミもチョッパーもいないうえ、このチームは人質のシーザーを除けば冷静なメンバーが揃いすぎている。
店を出て、橋を封鎖する立ち入り禁止の柵を真っ先に越えたのはローとリバーだった。行き交う人々が、注意書きの看板を堂々と無視するスタイルの良い2人組を不審げに見つめている。臆せず進む彼らに続いて恐る恐る橋に入り、遥か奥まで続く異様に頑丈な鉄柵を見上げる。ああ船に帰りたい。そう思うくらいは自由だろう。嘆きつつ空を仰ぐウソップを、前を歩くリバーが長い黒髪を翻して振り向いた。
「長鼻。ある程度はなんとかするつもりだけど、もし海水かぶりゃお前以外は使いもんになんねェ。気ィ張っとけよ」
「おおい縁起でもねェこと言うなよ…そうなったらおれはロビンしか助けねェぞ」
「ロビンを助けながら一人で例の闘魚をなんとかできるんならそれでも良いけどな。……あ、でけェのが来るぞ、前方右だ…止まった方が良いかも」
「えっ?」
海が波打つ音がいち早く聴こえたらしいリバーが大してでかくもない声量で言い、全員が足を止めた。数秒後、海王類が跳ねた時のような音が辺りに響いて、鉄で出来た柵がひしゃげる程の衝撃と共に“闘魚”が橋へと激突した。牛のような角が柵の間から大きく突き出す。すんでのところで巻き込まれかけたウソップとシーザーは盛大に驚いて尻もちをついた。
「ででで出たァァ!!鉄橋頼りねェ!!」
「てめェチェンバーズ、もっと危機感込めて警告しろォ!」
「避けれただけ有難く思えよ。おいロー、水かかってねェか?」
「あァ」
2人をほっぽいてローの元へ即座に移動したリバーを見て、シーザーが「おれは大事な人質だぞ」と嘆く。そんな扱いを受ける人間性ではないのが原因だが、割愛。とにかくこの鉄橋をねじ曲げる程の巨大な魚をなんとか……魚なのか?これは。
「“闘魚”っててっきり魚かと思ったわ」
「魚じゃねェの?これ」
「もう魚じゃねェだろアリャ!」
「海獣と変わらねェ!獣だ!」
「大丈夫だ。お前らが何とかしろ」
「お前がやれよ!!七武海!」
無責任にウソップ達を指さすローに鼻が曲がるほど近づきツッコめば、舌打ちをしたリバーに「ローに近づくんじゃねェ」と言い放たれ即座に引き剥がされた。
「…今おれは戦えねェ。おれの能力は使うほどに体力を消耗する…帰り道にこそ本領を出さなきゃならねェ。少しでも力を温存しておくんだ…相手はドフラミンゴだぞ!」
「………!!」
ローの声は真に迫っていた。この男は本気で、自分と同じ七武海の一角を引きずり下ろそうとしている。その迫力に押され言葉に詰まったウソップの視界に、またしても闘魚が向かってくるのが見えた。
「うわわわ言うてる間に来たぞ!!やるっきゃねえ!“必殺・緑星”!!ドクロ爆発草!!」
「ミル・フルール…巨大樹!スパンク!」
両側から飛びかかろうとしていた2体の闘魚はウソップとロビンの技で退けることができた。だが気休めに過ぎないことは明白だ。
「上出来じゃねェか」
「だー!バカ言え!ここは群れん中だぞ!」
海面から数え切れないほどの背ビレが飛び出して次から次にこちらへ向かってきている。がむしゃらに臨戦態勢に入れば、背後から静かな声がした。
「長鼻、下がってろ」
「はあ!?おい…ウマ男!?」
パチンコを構えたウソップの日に焼けた腕を、リバーの真白い手が下げた。薄いその背中から勢いよく黒い翼が生え、橋の横幅を覆うほどの大きさに広がる。彼が変身する場面を見るのは初めてではないが、ウソップは新鮮に「すげー」と感嘆を漏らした。リバーがどこか神秘めいて見えるのは、幻獣種なんて希少な能力を持っているせいだろう。話してみれば案外ただのガラの悪い青年なのだが。
キャップと長髪のカツラを脱ぎ捨て、光沢のある角を額から生やしたリバーの顔が露になる。明るいグレーの瞳に、高い鼻筋、淡く色付いた唇、そしてシャープな輪郭。随分と絵になる人獣型になった青年は髪をかき上げ闘魚を睨みつけ、空高くその翼を振り上げた。ウソップの心に“男のロマン”という文字が踊る。
「悪ィが通らせてもらうぜ」
「うおー!かっけーぜウマ男!やったれい!!」
ゴォウ、と風圧の音が辺りを包む。空気の抵抗をものともせず振り下ろされた巨人の手よりも大きな翼が暴風を生み、鉄橋に向かっていた闘魚の群れを吹き飛ばした。風を浴びながら真ん中に経つ痩躯はよろめきもせず、険しい目で正面を見据えている。激しい風が止んだ後、遠くで伸びた闘魚を見ながらウソップは「ほえー」と感嘆の息を漏らした。
「すげェなおい!ウマ男!」
「天馬の力をこんな風に応用するなんて…凄いわ。とてつもない威力ね」
「吹っ飛ばしただけだ、また来る。それより……」
「あ!おい、この先橋が壊れてる!向こう岸は霧でよく見えねェ!!しかも正面からまた闘魚が来るぞ…!」
「……いや、待て。様子がおかしい!!」
叫ぶウソップをリバーが制するのと同時に、橋の断面からこちらに飛びかかってきた闘魚に突然大きな網がかけられた。続けてその体に杭が打ち込まれてその巨体が向こう岸へと引っ張られていく。あれではまるで漁だ。
「なんなんだ…おい、声までしねェか」
「あ、あァ」
呆然とした様子のリバーが言う通り、向こう側からは収穫を祝うようなはしゃいだ声が聞こえてくる。
「誰の声かしら…?」
「島の住人達か?」
「無人島じゃ無かったのか?…おーい!!そっちにいるのは誰だ!?おれ達橋を渡りてェんだが!」
「──…ダメだ。逃げてくみてェだな」
ウソップの声に気がついたように、闘魚を引っ張っていく何者かの動きが早くなった。どう見たって闘魚の漁に慣れている者の行動だ。
しかしこの橋を渡れないとなると、グリーンビットにたどり着けず目的も達成できない。とりあえずの判断を仰ごうとウソップがローを振り返れば、リバーが既に隣にいてローの腕を引っ張るところだった。
「街からも大分離れたし、あの島くらいならどうってことねェ。全員おれに乗せて飛ぶぞ」
「──分かった。おい、シーザーの錠を解け」
「ええ!?そしたらコイツ空飛んで逃げるぞ」
「ロー?別に4人乗っけて飛べるけど」
「駄目だ。この野郎までお前の背中に乗せてたまるか……それに下手なマネはできねェさ」
ローが懐から取り出したのは脈打つ心臓。なんてえげつない男だ。ウソップは思わず顔を引きつらせて自分の胸を押さえてしまった。これは効果てきめんな脅しだろう。予想通りシーザーは、錠を解いたというのに「おれの心臓!!てめェろくな死に方しねェぞ!!」と嘆き逃げようとはしなかった。リバーはと言えば、シーザーには目もくれず顔を赤くしてローを覗き込んでいる。
「な、なァ、駄目とかあんの?おれの背中に乗せんのに?あんたが嫌ならあんた以外一生乗せねーけど」
「今まで通りで良い。臨機応変に対応しろ」
「…へーい…」
控えめに伸びたその角があっさりと押し返される。麦わらの一味の男連中はせいぜい肩を組むくらいなので、リバーとローの距離感の近さにウソップは未だ慣れずにいた。ロビンは微笑ましそうに笑っているが。
残念そうに肩をすくめたリバーの髪が風に靡き、見る見る内にたてがみへと変わった。馬の耳がぴょこんと生えて全身を滑らかな毛が覆い、青年が一角天馬へと姿を変える。
「よし、さっさと乗れ。あの闘魚が気になる」
「お、おう…」
リバーの声で話す天馬がウソップの目の前で膝を折り曲げ、変わらないグレーの瞳が見上げてきた。黒毛の一角天馬は間近で見ると緊張する程高貴な雰囲気を纏っているのに、粗雑な口調のままなのがアンバランスで奇妙だ。ローがまず慣れた動きでその背中に跨った。続いてキラキラと目を輝かせたロビン、そしてウソップが続く。全員乗ったことを確認したリバーが四本脚ですっくと立ち上がると一気に視界が高くなり、ウソップは慌てて毛皮に手をついた。
「うおお、高ェ!」
「ふふ、光栄だわ。一角天馬に乗れるなんて」
「乗り心地は保証しねェぞ。おいガス野郎!遅れんなよ!」
「無茶言うな!てめェより遅いに決まってんだろうが!」
リバーが一度翼を仰ぐとその脚が地面から離れた。浮遊感と、確かな高揚。目の前で大きな黒翼が羽ばたく様はおとぎ話の世界に飛び込んだような景色だった。ロビンも浮き足立っているようで、スピードを上げた天馬の背中から見える景色を楽しんでいる。
そしてウソップの視界に、ローが身を乗り出してリバーの頬を撫でているのが映った。空を駆けるリバーも目を細めてその手を受け入れている。ウソップはなんとなくくすぐったい気分でその光景を眺めた。あんなにも優しい手つきが出来る男なのだと、同盟相手の新たな一面を知った気がした。