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「……ああ?闘魚どこ行った?」
「突然消えたように見えたわ」
「え、あんなでけェのがそんな一瞬で消えるかァ!?」

大きな網に捕らわれて橋の向こう側へと引きずられていった闘魚は、忽然と姿を消した。空へ飛び上がるまでの間も目を離したつもりは無かったが、あの巨体が霧の中に紛れた途端嘘のように見えなくなってしまった。そもそも何が闘魚を捕らえて運んだ?人影のひとつも見えなかったのに。

ロー、ロビン、長鼻の3人を乗せて崩落した橋の向こう側へと飛ぶ。ガスの力でフヨフヨ浮いているシーザーを置いて素早く空を駆け、対岸の土の上に降り立った。確かに引きずられた跡はあるが、闘魚の姿はない。長鼻が「ありがとなウマ男ー」と明るく言いながらおれの背中から飛び降りて、ローもそれに続いた。

「ありがとう。素敵な景色が見られたわ」
「一瞬だったろ」
「いいえ、あなたに乗れる機会なんてもう無いかもしれないもの。十分すぎるくらい」
「……そうか?」

最後に降りたロビンが遠慮がちに頬を撫でてきたので、顔を下げて応えてやった。ロビンは嬉しそうに笑みを浮かべて、細長い指がおれの目の下を優しく撫でる。

「この姿の貴方も本当に綺麗ね」
「ああ、どーも」
「嬉しくない?ふふ…でも、誰かを想う気持ちは綺麗よ。リバー君」
「は?──…急に何言ってんだよ…」

なんだか随分と先を歩いているような、穏やかな声だった。ロビンは不思議な奴だ。ついこの前出会ったばかりなのにするりと内側に入られたような心地がする。つーかそもそも、仲間であるイッカクは除けばこんなにも嘘偽りのない笑顔を女から向けられたことがない。分からない。彼女のこれは、一体どういう感情なんだろう。

「…おい、何の話してる」

微笑むロビンから目を離せずにいれば、角の根元に指がかけられて横へ引き寄せられた。妙に硬い顔をしたローが自分の肩におれの頭を抱き込んで、ロビンに視線を向ける。

「彼が綺麗って話をしてただけよ?」
「ああ?……海が青いとか雪は冷たいとかの話をわざわざする奴がいるか?とっとと辺りを探索しろ、ニコ屋」
「あら」

良かったわね、と言ってロビンがウインクを寄越す。それをぼんやりと受け取って、おれはアホ面のまま立ち尽くした。なに、今のどういう事。つまりその、おれのこと……あーいや、あんま深く考えねェようにしよう。一世一代の作戦の前だってのに舞い上がるとろくな事はない。ローはふてくされたような表情のままおれの頭を抱き込んで、たてがみを乱暴に撫でた。その肩に顎を預けて頬をすり寄せる。

「ロー、どうした?」
「何も」
「何もって感じじゃねェけど」
「…———ニコ屋、辺りの様子はどうだ」
「は?おい……」

ローは最後におれの頬に額を寄せてから、あっさりと離れていってしまった。なんか今、“これだからガキは”みてェな顔してなかった?放置されたおれを置いて、歩きだしていたロビンが口を開いた。

「まだ誰も来てないみたいね……海は闘魚にやられた船の残骸だらけ…」
「魚を引きずった跡はここまでか。さっきのはなんだったんだ…… リバー、お前上から何か見えたか?」
「え、いや…霧でよく見えなかった」
「おいお前らァ!見ろよこの野生丸出しの森~!ここがグリーンビット……なんだァ?この巨大な植物群」

長鼻はさっきパチンコで妙な植物の種みたいなもんを飛ばしてたから、草木に詳しいのかもしれない。気を取り直して近くに寄ってみると、長鼻が興味深げに眺めていたのは人間よりも遥かに大きなキノコやらツタやら花やらが生い茂ったジャングルだった。2年前に行った夏島ともまた違う様相の森は、昔弟が宝物にしていた仕掛け絵本を思い出させた。何回も何回も開いて破れた紙でできた森を、テープで直したりしてやってたっけ。

「おーい!!ジョーカー!おれだ!引き取ってくれ~!!」
「……あそこが約束の南東のビーチ。15時にお前を放り出す」

いつの間にかこちらにたどり着いていたらしいシーザーが悲壮な声で叫び、ローが奥の海岸を淡々と顎でしゃくった。天高く伸びた巨大な薔薇が飛び出したジャングル。あの中に隠したのなら、闘魚が消えたように見えたのも頷ける。

「あ!逆の海岸見てみろ!あれ海軍の軍艦だろ!?」
「…本当ね」

長鼻が指さした先には確かに海軍の軍艦があった。海岸っつーか、岸なんか飛び越えてジャングルにそのまま突っ込んじまったように見えるけど。しかし、こんな島の外れに海軍…海軍、か。

「植物のキズがまだ新しい…あの艦はついさっきここへ到着したようね。海軍達がここへ辿り着くのも時間の問題」
「!!まさか取引がバレてるのか!?それは聞いてねェぞ!!」
「しーっ!!バカ科学者お前声でけェよ!!」
「おいおれは賞金首だぞ…!ジョーカーが七武海をやめた今おれを守る法律は何も無い!海兵のいる島に錠つきで放り出されたらおれは……!」
「うるせェなお前は……ローに近づくな」

ローに詰め寄り「この取引は中止だ!」と叫ぶシーザーの前に割って入りながら、パンクハザードを出る直前のことを思い出していた。あの時、ローは確かスモーカーに“グリーンビットに向かう”と伝えてたはずだ。つまり、まァそういうことなんだろう。あの実直な海兵が海賊の不審な所業を目の前にして動かないとは思えない。

「あなた達、悪い顔してるわよ?」
「おれ今馬だけど」
「あら分かるわよ表情くらい…」
「──偶然だ。なぜおれ達が海軍を動かせる……」
「ローは麦わらと同盟を組んだって報道されちまってる。事実だってバレりゃ海軍はローの敵になるんだぜ?」

目敏いロビンをそれとなく躱しつつ、ジャングルに突っ込んだ軍艦を睨む。頼むからローの邪魔だけはしないでくれよ。

取引の時間までもう後少しだ。身軽に飛べる人獣型に戻り、息を吐く。馬鹿、おれが緊張してどうする?蹄から五本指に戻った手を開き、両頬をぺしりと叩いた。

「……あと15分だ。お前ら狙撃と諜報でおれの援護を頼む。誰が潜んでるかわからねェ。森に異常があったらすぐ連絡を」
「ええわかったわ。リバー君も気をつけて」
「あァお前らもな。長鼻、しゃんとしろよ」
「わ、分かってらァ!!」
「ちょっと待て海軍がいるなんて予想外だ!!」

未だ嘆き続けるシーザーをよそに、2人は森の中へと姿を消した。長鼻も態度こそへっぴり腰だが、狙撃の腕が確かなことはこれまで新聞の報道で見てきたから知ってる。さっきの闘魚への攻撃も凄まじい精度だった。……多分、一番ビビってるのはおれだな。

「リバー、電伝虫を渡しておく。それから必ず雲の上まで飛べ。下はドフラミンゴの領域だ」
「……了解」
「後お前、何が起ころうがくれぐれも無茶は──……!!」

電伝虫を寄越してきた手首を掴み、引き寄せる。予想外に加わった力によろめいて傾いてきた身体を、思いきり抱きしめた。きつく、きつく、両腕の中に大切な男を抱きしめる。3秒。決めていた時間ローの首元に顔をうずめて深く息を吸った。大好きな香りを肺いっぱいに収めて、名残惜しい気持ちに蓋をしながら身体を離した。

「……ごめん」

自分勝手な接触を詫びつつローを見ると、おれの背に合わせられたせいで中途半端に身を屈めた姿勢のまま、少し驚いたように固まってる。結構不意打ちに弱いとこあんの、かわいーよなあんた。
隙だらけなのを良いことに、服の隙間からさらけ出された胸元のタトゥーにそろりと指を添わせた。

ハートの真ん中に、笑顔のマーク。

このタトゥーの訳をちゃんと聞いたことはないけど、きっと“コラさん”を思って彫ったんだろう。今ローが着ている服の背中にも彼の名前が入っている。どれだけ大切な存在なのか今この瞬間にもひしひしと伝わってくる。
おれにとってのローが、多分ローにとっての“コラさん”なんだ。明るい場所へ連れ出してくれた、命の恩人。おれがローのためになんだって出来るように、ローもきっと“コラさん”のためならなんだってできる。……命だって惜しくないくらい。

「………あんたこそ、無茶すんなよ?何が起こるか分かんねェんだから」
「…はっ、甘えたが偉そうに」

ローは柔らかく笑っておれの顔を片手で掴み、両頬を押されて尖った口にフッと息が吹きかけられた。固まって動けなくなったおれを見て、付け髭の下にある口元が弧を描く。

「それで?今ので足りたのか?」
「全然足りねー…けど、全部終わったら続きやっていい…?」
「……終わったら、か」
「おれはあんたが生き残る方に賭けるから」
「…続きをしてェなら、お前も生き残らねェとな」
「あー、やっぱ今のうちにやっとこうかな」
「おい…」
「冗談冗談」

頭を振り、距離を取る。かなりの力を込めて指をローの肌から離した。これ以上触れていると本格的に甘えたのクソ野郎に成り下がってしまう気がした。

翼を仰いで飛び上がる。すると2mほど飛んだところで下から伸びてきたローの手に足首を掴まれて、上へ進めなくなった。慌てて翼の動きを速めて、間違ってもローの上に落ちないよう宙にふんばる。

「っなに、あぶねェだろ」
「…… リバー、冗談じゃねェぞ。ここで約束しろ」
「…………」

足首を掴んだまま見上げてくるローは酷く真剣な表情をしていた。翼の動きに合わせてその頭上にはらはらと羽根が舞う。なあ、おれがいざって時は約束なんざさっさと破る質なことは知ってるだろ?あんただって、死ぬ気でドフラミンゴと会うつもりのくせに。

おれ達2人とも生きてなきゃ、抱き合うことなんかできやしない。

「あんたとの約束なら、死んでも守らねェとな」

翼を仰ぎながらローの肩の上に降り立って、その頬をゆっくり撫でた。太陽が重なって眩しいだろうに、ローは真っ直ぐにおれを見ていた。この海で一番薄っぺらい約束だ。そんなことお互い分かってる。

足首を掴んでいた手がするりと離れた。それを合図に空へと舞い上がる。飛んで飛んで、ローの視線を背中に感じながら雲を突き抜けた。ドレスローザの空は空虚なまでに青く、そして痛いほど明るかった。



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