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雲の上に出ると太陽がますます眩しく背中を照らした。晴天のせいで雲の量が少ないから、グリーンビットが見える位置にある数少ない雲の上を点々と移動しなければならなかった。ドフラミンゴは雲に糸をひっかけるという曲芸じみた移動方法をとるらしいから、見えないように上に隠れなければならない。

「あちィ……」

仕方のないことだが飛べば飛ぶほど太陽は近くなるし、真っ黒なおれの身体も暑くなる。垂れる汗が顎を伝って、ぽつりと雲に落ちて消えた。雲の合間から、シーザーと2人でグリーンビットの海岸に佇むローを見下ろす。すげー険しい顔。大体仏頂面だけど、今は特に。
おれの身体の緊張はいまだ解けないままだ。汗をかくほど熱いのに内側からひんやりと肌寒くなった身体を丸めて、膝を抱える。

なにもかもうまくいくはずが無い。この世界はそんな簡単には出来てない。そんなこと知ってるけどさ、たまには良いじゃねェか。あの優しい男の悲願くらい、遂げさせてやってくれよ。

「…頼むよ……」

雲に触れて濡れた靴がどんよりと重くなる。空に向けて祈るように呟いた声に、返事はない。固い呼吸を繰り返しているうち、ローに動きがあった。懐から電伝虫を取り出したのを見ておれもフードに入れていた電伝虫の受話器を慌てて耳につける。

『おい!ロー!こちらサンジ!!』

ローに連絡を寄越したのは、工場破壊班に振り分けられたサンジだった。

「黒足屋か……工場は見つかったか?」
『それどころじゃねェ!よく聞け!──今すぐそこを離れるんだ……!!』
「…何言ってやがる……これからシーザー引渡しだ」

切羽詰まったサンジの声に、心臓が一気に嫌なリズムを刻み始めた。ローも眉を顰めて顔色を悪くしたように見える。ここを離れろだって?サンジがどんな情報を得たのか知らないが、ろくなことじゃないのは確実だ。抱えた膝を固く抱いて翼を丸める。吐けば震える息を潜めて言葉の続きを待った。一呼吸おいて、いつもは穏やかに話すサンジの苛立った声が受話器から響いた。


『ドフラミンゴは七武海をやめてなんかいねェ!シーザーを返しても何の取引も成立しやしねェんだ!おれ達は完全にハメられた!!予想してた“最悪”が起こったんだよ!』
「!?おい、まさか……」
『説明は後だ!その島から逃げろ!!おいリバー!!聞いてるよなお前もだぞ!良いな!?急げ!!』


くらり、と翼から力が抜ける。思いつく限り最悪の展開だ。ドフラミンゴはつまり、デマのニュースを流すほどの力を持ってるってわけか?まさか、貴族とのパイプがそこまでの力を?そんな馬鹿なことがあるか?

……クソ、もう遅いよサンジ。鳥の羽音が聞こえやがる。おれは震える手で受話器を抑えた。


「……ロー、間に合わねェ。ドフラミンゴが空から来てる。後30秒くらいだ……」
『……手遅れか』
「おれが全員乗せてとっとと逃げる。ロビンに連絡を…」
『いや、今ドレスローザに騒ぎを持ち込めば計画が丸々破綻だ。こうなったら工場の破壊だけでも成功させてェ』
「…は?てことは、おい…どうするつもりだ?まさかここで、」
『……今の連絡聞いたわ!サンジからね!』

ロビンの上半身が地面から咲くのを、雲の隙間から呆然と見やった。漏れ聞こえる会話からするに、長鼻と共にあのジャングルの地下から動けない状況らしい。ローとシーザーの2人だけなら乗せて飛ぶなんてますます簡単だ。でもそれを拒むのなら、ローはここに残って時間を稼ぐ気だってことで。

ただでさえ冷えていた手先がますます冷たくなった。麦わら達に工場破壊を託して、ここでドフラミンゴを迎え撃つ?

『…おいリバー、お前はそこから麦わら屋達の元へ向かって工場破壊の方を手伝え』
「あんた残していけるわけねェ」

間髪入れずに言えば自分の声が思いのほか弱々しくて驚いた。でもローはおれと違って迷いのない目で上を見上げた。こんなに高いところにいるのに何故か真っ直ぐにおれを見つけたローと、雲の隙間から目が合う。

『リバー…たまには言うこと聞け』
「ならあんたがシーザー連れてけ。おれが残る」
『リバー』

揺るぎのないキャプテンの声に、これ以上の問答は無用だと突きつけられた心地がした。キツく目を閉じて唇を噛む。壁でもなんでも殴ってやりたい気分なのに、ここには雲しかない。ああくそ、この頑固野郎!

「──…分かった…くそ、ほんとはやだけど分かったから、なァ頼むから絶対無茶は──ッ!?」
『… リバー?……おい、どうした?……返事しろッ!リバー!』


羽ばたこうと広げた翼が前触れもなく、とてつもない強さで下へと引き寄せられる。グン、と一気に雲を突き抜けて、身体が為す術なく空を急降下し始めた。抗おうにも上から押し付けられる力に抗えない。身体が突然鉛になったようだった。空でこんなにも自分を制御できないなんて、一体なんだこれ───重力?

「……ッ!!や、ば、」

風圧に押されながらかろうじて見えた地上には、撃たれた鳥のように落下するおれを青ざめた顔で見上げるローがいて、そしていつの間に現れたのか大勢の海軍がこちらに銃口を向けていた。


「ッリバー!!“ROOM”!…シャンブルズ!」

このままだと地面に叩きつけられる。その寸前で、勢いよく広がった大きな膜が身体を包み込んだ。迫っていた地上の景色が一瞬でかき消えて、ローの上に落下する。伸ばされた長い両腕に力強く抱きとめられ、髪が地面スレスレで揺れるのを呆然と見つめた。今、この一瞬で死ぬとこだった。空で制御が効かなくなるなんて初めてだ。

「あっ……ぶねェ…」
「おいリバー平気か…!」

今まさに死にかけたおれよりも、助けてくれたローの方が輪をかけて顔色が悪そうだった。体に固く巻き付いた両腕が少し震えていて、思わず安心させるようにその手に手を重ねた。

「ああ……悪ィ、ありが……」
「やはり空にいやしたか…七武海の旦那の傍に“一角天馬”が戻ってきたってのァ聞いてやしたんで…」
「……!お前は、海軍の……」


響いた低い声に振り向く。大勢の海軍の先頭に立っていたのは、新聞で見覚えのある顔だった。海軍大将藤虎。そうか、今のはこいつの能力か。事態はいつの間にか大将が出張る程大きなものになっていたらしい。地面にゆっくりと足を着けて、ローを覆うように翼を大きく広げた。これはもう工場破壊チームを助けにいけそうにねェな。また、ローの願いを聞けなかった。

「どうも、とんだご無礼を…」
「…いいや?むしろ落としてくれて助かったぜ。丁度挨拶しねェとと思ってたんだ。あの鳥野郎にさ……」


ローを包み込むように翼を丸めながら、後ろを振り返る。

その男は既に、満面の笑みを浮かべて海岸に立っていた。すぐ隣にいるローから様々な感情の渦が沸き起こるのが伝わってくる。おれを抱き寄せていた手がゆっくりと離れていって、いつでも鬼哭を抜けるように背後へ回った。今何を感じているのか、それは怒りなのか悲しみなのか、きっとローにしか分からない。ただ、苛烈なまでにギラつく視線を向ける相手だってことは疑いようもない。

「フッフッフ……口が悪ィなチェンバーズ・リバー…売っ払う前に躾けなおしてやろうか?」
「もうローに躾けてもらったからいらねェよ。てめェはクソ喰らえってな」

おれの吐き出した言葉を聞いて、ドンキホーテ・ドフラミンゴは天を仰いでけたたましい笑い声を上げた。乾いたその声は酷く寒々しく辺りに響く。見あげるほどの長身と、耳元まで口角の上がった軽薄な笑み。鋭く尖ったサングラスで目の輪郭が見えないせいか、その笑顔はまるで仮面のように映った。すぐ隣に立つローの肩が硬くなっている。あいつとあんたがこうして顔を合わせるのは一体いつぶりなんだろう。…恩人を、殺されて以来なんだろうか。

こちらを嘲るように鮮やかな色をした服をたなびかせながら、ドフラミンゴは長い指を掲げてローに向けた。

「…ああ、ロー!お前にしちゃあ上出来じゃねェか!まさか海軍大将がお出ましとはァ…七武海をやめたおれは怖くて仕方ねェよ!!」
「……!!ウソをつけェ!世界政府の力を使って僅か10人余りのおれ達を騙すためだけに…世界中を欺いたってのか!?」
「大きなマジックショーほど…意外に簡単なところにタネはあるもんだ。ロー」

引き攣ったローの叫びを聞きながら、嫌な予感が最悪な形で的中したのを感じた。あの、地下牢での事。何故こいつが知っていたのか。何故世界政府すらも支配下に置けるのか。

「…天竜人に渡るようなおれの情報を、お前は握ってた。それと関係があるんだろ」
「……!!リバー」

弾かれたようにおれを見たローに腕を強く掴まれる。やめとけって、思ってくれてんだろうな。肌に食い込む指の感触を感じながら、湧き上がるどろどろとした言葉を続けるのをやめられなかった。

「あそこであったことを、お前は知ってた。いくら裏世界にいたって知るはずもないことを」
「フッフッフ…そうだ“地下牢”…!お前の商品価値をおれは知ってる…」
「てめェは、まさか…」
「だがなァ一角天馬…もっと根深い話さ。ことの始まりはてめェのキャプテンだ。なァロー…!!おれァとにかくお前を殺したかった!!」

ドフラミンゴの声が真に迫る。殺したかった、だと?お前がローを?…何を言ってる?ローの恩人を殺したのはお前だ。死ぬべきはお前で、救われるべきはローだ。そんな事分かりきってる。他の奴らがなんて言ったって、おれにとってはそれが道理だ。ローが報われる以外の未来なんて知ったこっちゃない。

「ジョーカー!!さっさとこんな奴らたたん…ウゲ!離せこの馬人間が…!」
「…黙ってろ、てめェ」
「こいつを返すわけにはいかねェ!何も約束は守られてねェんだからなァ!ドフラミンゴ──この取引は白紙に戻させてもらう!」

駆け出そうとしたシーザーの首根っこを掴み、背中を踏みつけて拘束する。どうする、さっさと水を湧かして全員沈めるか?いや、宙へ飛べるドフラミンゴにはどうせ効かないから無意味だ。

「フッフッフ…それが10年以上も無沙汰をしたボスに言う言葉か!?置いてけ、ロー!そこの有翼のユニコーンもなァ!」
「てめェ…!まだリバーのことを…!」
「勿論さ…そいつ1人でいくら手に入る?なァロー、お前にも分け前はやるとも…邪魔な荷物を手放すだけでその懐に何億入るか──」
「こ、の…ッ!!」
「ロー!」

今にも飛びかかろうとするローの肩を引き止める。獣めいた目が「止めるな」と言いたげに此方を振り返った。

「大丈夫、おれなら大丈夫…あんたがそんな真似するわけねェって、おれが1番分かってる」
「… リバー」
「フッフッフ…えらく殊勝な言葉を吐くじゃねェか…!!だが置いてかれたくねェと、心から言えるか?ああ?」
「───……何?」

ドフラミンゴは笑みを深め、サングラス越しにおれを見据えた。何かに絡み取られたように息が止まる。

「なあ、お前を1番拒絶してんのは、お前自身じゃねェのか?チェンバーズ・リバー……」
「───………」
「…… おい、リバー?」

呼びかけられる囁き声に、冷水をかけられたような心地になる。ローが後ろで訝しげに名前を呼ぶ声が一瞬遠のいた。なんでこいつが、そんなこと。動きを止めたおれを見てドフラミンゴがにたりと笑った時、堂々とした声が空気を変えた。

「シーザー・クラウンにチェンバーズ・リバー…七武海の部下なら…免除ですねェ…恩赦だ…」
「あァ、お前か…フッフッフ…世界徴兵で海軍大将に特任された藤虎…噂はよく聞いてる」

藤虎とドフラミンゴは七武海の“特権”についての話を始めた。ジョーカーという裏の存在を海軍に知られちゃ流石によろしくないらしい。それを言ったら今のローの状況だって七武海としちゃまずいことこの上ない。麦わらと同盟を組んで、海軍が良い顔をするわけが無い。

つらつらと思考を巡らせてドフラミンゴの言葉を隅に追いやろうと努力した。指先がやけに冷たい。なんであの野郎は、こうも尽く余計な事を言いやがる。

「…おい、分かってんだろうなリバー。あいつの言う事に耳を貸すな」

おれの様子が妙なことに気づいて、ローが顔を覗き込んできた。ローを守るように広げていた翼を労るみたいに優しく撫でられる。馬鹿、心配させてどうする。無理に笑みを浮かべればローの眉間にシワが寄ったので、慌てて表情を取り繕うのをやめた。

「悪ィ、分かってる…いちいち土足で踏み込んできやがるんだ、あいつの言葉が──…」
「…昔から、人の心に荒波立てることだけはうめェ野郎だ。じゃなきゃあの悪魔の実の能力を使いこなせる訳がねェ」

苦々しげにそう吐いたローの方を藤虎が見た。どうやら話題がこちらに移ったらしい。

「フッフッ…それで?海軍は今回のローの処分をどう決めた?」

一歩前へ出て、ローを背に2人を睨みつける。麦わらとの同盟について、ローの答えは分かりきってる。ならおれはここで何ができるか考えねえと。ドフラミンゴはサングラス越しにおれを見てますます笑みを深めた。不気味な男だ。今こいつは何を考えてる?

「…報じられた麦わらの一味の件、記事通り同盟なら黒!彼らがローさん…あんたの部下になったのなら…白だ!返答によっちゃあっしらの仕事は、あんたらさんと麦わらの一味の逮捕ってことになりやす」
「オイなんだその判定は!そんなもん…ウソつきゃしまいじゃねェか!!」

そりゃあ出来ればお前の言う通り適当に誤魔化してぇさ、ガス野郎。だが、それじゃ何も成し得られない。あんたの願いはこんなとこで折れていいもんじゃない。

ローが力強くおれの肩を叩いた。振り返らずに頷きだけを返す。分かってる。おれは大丈夫。あんたはあんたの思う通りにすれば良い。おれはどこへだって着いていく。

翼を勢いよく、更に大きく広げた。角も大きく額からせり出す。黒い羽根が舞い散る中、ローは大きく息を吸った。


「麦わらとおれに上下関係はないっ!!記事通り、同盟だ!!!」
「…フッフッフ…不器用な男だ!てめェは!!」
「では称号剥奪で…ニュースはそれで済めばいいが…」

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