ペンギンが案内してくれた部屋は今朝目覚めた船長室の近くにあった。狭く薄暗い部屋には大きな本棚が二つあり、過去の新聞や古ぼけた本が所狭しと詰められている。
「ここが一応書斎って名目だ。ほとんど倉庫になってし、まめに新聞読むのもキャプテンくらいなもんだしで、滅多に人は来ないと思うぜ。電気はそこな。んじゃ、ごゆっくりー」
ペンギンが出ていって静かになった部屋に、かちりと電気を点けた。部屋には木の机と椅子がしっかり置かれており、本の数も思っていたよりかなり多く、書斎という名に恥じない佇まいをしていた。
しばし本棚を物色して、最近の新聞をひとつかみと、幾つか気になる背表紙の本を抜き取って椅子に座った。机にはなんと、デスクライトまでご丁寧に設置されていた。すぐ横の壁には窓もついていて、静かな海の景色も伺える。
使う人が少ないにしては至れり尽くせりな部屋だと思いながらも、新聞の束に手を伸ばした。
時間の経つのを忘れ、夢中で頁を追った。新聞をあらかた読み終えて、次に開けたのは『偉大なる航路』と書かれた本だった。
読み進める度に、自分はこの奇怪な海に生まれたにも関わらず、あまりに無知であったことを思い知らされる。
故郷のオルール島に年中雪が降ることになんら疑問を感じたことは無かったが、どうやらあれは冬島なるものの特有の気候だったらしい。
「雲に浮かぶ島………金魚のふんで出来た島……なんだそりゃ」
この海には、こんなにも奇天烈な島々が浮かんでいるのか。自分がいかに閉鎖的な社会の中にいたのか、考えずにはいられない。
…餓鬼のときに一歩でも海に出ていれば、何か変わっただろうか。いや、悪魔の実を食べたおれとひ弱だった弟とでは、あっという間に海の藻屑だっただろう。自嘲して笑い、おれは本から顔をあげた。凝った首を少し捻り、伸びをして。
そして、背骨が軋むほどのけぞることとなる。
顔をあげた先、本棚にもたれるようにして、この船のキャプテンがおれを見下ろしていたのだ。
何時から、と驚くおれに何も言わず、ローは正面の椅子に腰掛け、長い脚を持て余すようにゆるりと組んだ。
「随分とのめり込んでいたな」
「い、何時からいた?」
「さァな」
曖昧に答えたローは机に頬杖をついて、おれの読んでいた本を見た。切れ長の目の下にある隈は相変わらず濃く、ふわふわとした毛皮の帽子が作る影が、ローの顔をことさらに暗くしていた。昨日は寝れたんだろうか。おれがベッドを占領していたから、あのまま椅子で一夜を過ごしたのかもしれない。本当に悪いことをした。
詫びようとするおれを知ってか知らずか、ローは目を伏せながらぽつりと言った。
「…文字が読めたのか」
「え、あァ。弟が本を読みたいって言ったから」
座学の機会など勿論無かった。しかし読み書きだけは弟の頼みもあって、同じスラムの、学校に行ったことのある少年に毎日のパンと引き換えに教えて貰っていた。へェ、と呟いたローは、隣りに置かれた新聞の束に目をやった。
「全部読んだのか」
「ざっとだけど」
「何か面白ェもんはあったか」
「さあ…知らないことばっかで、まず世界の構造を理解すんのが手間だった」
世界政府、四皇、七武海、海軍。組織と組織の繋がり、表と裏の関係がとかくややこしかった。何も知らなかった自分が情けなく、おれは顔をしかめて頭をかいた。
「…何となく分かったのは、この世界が有り得ねェほどギリギリのバランスで均衡を保ってることと」
おれは積み上げた新聞の束を指さした。
「この新聞社は、政府の脅威になるものを酷くこき下ろしすぎてる…大元に政府の息がかかってんじゃねェのか、ってことくらい」
そう言って所在なく手を膝に置くと、しかしローは瞠目して此方を見ていた。
「…そこまで考えたのか」
「想像でしかないけどな」
「……上出来だ」
にやりと目を細めたローが、刀に置いていた手を伸ばしておれの頭にぽんと手を置いた。たったそれだけのことで血管が狂ったように暴れはじめ、耳は燃えるように熱くなる。褒められるなんて、何時ぶりだ。下手したら生まれて初めてかもしれない。
「…餓鬼じゃねェぞ」
煙がでそうなほど赤くなった自分が分かってしまい、おれはつなぎの襟に顔を埋めてもぞもぞとむくれた声を出した。