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おれが一番嫌いな、おれ自身のこと。ドフラミンゴが何を話そうとしているのかなんて分からない。分からないけど、聞かねェ方がいいことは分かる。おれ自身も知らないおれのことなんか、きっとろくな事じゃない。ほら今だって、喉に泥が絡みついたみたいな気分だ。


「…リバー、奴の言うことに耳を貸すな…!」

背後で息を荒げたローが痛いほどの力で肩を掴んできた。それでも振り返れず硬直するおれを眺めて目の前の男の笑みがますます深まる。

そうだ耳を貸すな。今すぐ振り返ってローの手を取れ。それからこいつらの隙をついて、シーザーを麦わら達の船に連れていく。そしてドレスローザをとっとと離れてゾウに向かってもらう。それが今おれにできる最善だ。最善が見えてるのに行動しないなんてありえない。そうだろ、なァ。動けよ間抜け…これ以上ローの足を引っ張るな。


「天馬の翼にユニコーンの角…その実のことを、どのくらい知ってる?それさえ食わなきゃお前はあの貧しい国で野垂れ死ぬだけの楽な人生だったろうにな?…フッフッフ…」
「ッ黙れ!てめェに…っこいつの何が分かる…!!」

耳を貸すなと言ったそばから、ローの方が発火したように激怒した。傷が痛むのかその息は荒い。おれはローの剣幕のおかげで我に返った。そのまま無茶して飛び出していかれてはたまらないので翼を更に広げてドフラミンゴの視界から覆い隠した。

「ロー…おれァ今こいつに話をしてるんだ。なァ、チェンバーズ・リバー…お前はお前が嫌いで嫌いでたまらないだろう?」
「…ッくそ、またそれか?さっきから何訳の分かんねェことくっちゃべってやがる……!」

臨戦態勢のまま、ドフラミンゴの腕が嘲笑うように宙へ広げられるのを睨みつける。眼前に広がる長い四肢が檻のように見えた。おれは、おれが嫌い。こいつ、知ったような口を。

そう、知ったような。
──なぜ、知ってる?

吐かれた言葉が耳から脳へ絡みついて身体を侵食する。聞くな、聞くな!瞬時に翼を硬化させてドフラミンゴ目掛けて暴風を生み起こす。しかし、奴の指から伸びた恐ろしく精度の高い糸は、風の間を素早く掻い潜って襲い掛かってきた。

「……ッ!!」
「ッリバー!」
「てめェはそうして標本になってんのがお似合いだ…このまま剥製にでもしてやりたいところだが」

両腕両足と翼に糸が絡みついて身体を締め上げられた。四方から伸びてきた糸に大の字に固定され、もがけばもがく程強度が増して肌に食い込む。さっきこの糸は、隕石すら断ち切っていた。無理に解こうとすればどうなるか想像するのも億劫だ。

「う…」
「ただでさえペットになるために生まれてきたみてェなツラだってのに、翼に角まで。つくづく観賞にお誂え向きの見てくれだなァ?フッフッフ…」

ドフラミンゴは背中を曲げ、糸に縛られ動けなくなったおれを覗き込んで口角を吊り上げた。咄嗟に顔を背けたが、角に糸が巻き付いて無理やり正面を向き直される。眼前に迫った不気味なサングラスに引き攣った自分の顔が反射した。

「話の続きだ、良いことを教えてやろう…ゾオン系の実には意思が宿る。幻獣種となりゃなおさらだ」
「———…意、思?」
「この海でも一握りの連中だけが握ってる情報だ」

聞き覚えの無い話だ。ポーラータングにあった本は粗方読んだが、悪魔の実についての記載に覚えはない。

「地を蹴れば泉が湧き、その翼で空を飛ぶ。散々噂になってるそれは全部ペガサスの持つ能力だろう…なら、お前のこの角は?ユニコーンの方はどうだ?フッフッフ…」
「し、るか…どうでもいい…ッあ、!」
「まァ最後まで聞け」

身体に巻き付く糸が力を強めた。足が地面から浮き上がる。ドフラミンゴの指が根元から一本ずつおれの角をゆっくりと撫でて、肌がざわりと総毛立った。

「ドフラミンゴォ…ッ!リバーを離せ…ぐあっ!」
「…大人しくしといてくだせェ」
「ロー…!!」

背後からローの呻き声がして、藤虎が能力を発動させたんだと分かった。今すぐ振り向きたいのに、角が固定されたせいで頭すら動かせない。

「……ッリバー…」

地面から浮いた足首を重力に逆らったローの手が力強く掴んだ。きっと悲痛に歪んでいるであろうおれの顔を覗き込むドフラミンゴの笑みは、もはや耳元まで裂けそうな程深い。波が打ち付ける海岸に奴の笑い声が響いた。

「随分この哀れな奴に入れ込んだなァ!ロー…!」
「リバー…!しっかり、しろ!武装色で糸を切れ…ッ」
「フッフッフ…良かったなァチェンバーズ?汚れきったお前を癒し、受け入れてくれる便利な存在を見つけられて。さぞかし楽だったろう、こいつといると…」

は、と絞り出した息が酷く冷たい。糸は嘲笑うようにますます力を強めた。服を貫通し肌にまで食い込むその痛みが鈍るほど、耐えがたい怒りが沸きあがる。便利、だって?

「……何を…何を言ってんだお前は…?ローは、ローは……」
「ああ、感傷はいい。つまらねェ問答は無用だ。てめェはユニコーンという生き物の習性を知ってるか?見た目こそ美しいが大層獰猛な生き物だったらしい。伝説によれば、ユニコーンを捕らえる方法はたったひとつだけだったそうだ…」

ユニコーン。おれが一角天馬と言われる所以。たやすく頭を握りつぶされそうなほど大きな手が眼前に掲げられ、人差し指がピンと立つ。鼻先が触れそうな程近くにドフラミンゴの顔が迫った。


「純潔の乙女」


低い声が耳元で囁いて、ドフラミンゴの手の平が嘲るようにおれの腹の上を撫ぜる。その動きに合わせて、身体中の血液が全て凍っていくような心地がした。


「かつて人間はユニコーンを捕らえるため、清い女を差し出した。ユニコーンはその女を好んで膝の上で眠ったという…フッフッフ…反吐が出るよァ…?なんせお前と真逆じゃないか?」

腹に置かれた大きな手がゆっくりと中へ押し込められていき、視界が白く点滅しだした。これ以上聞いてはいけない。分かってる。分かってるよ、ロー。

「分かるか?純潔を好むユニコーンの精神性が何よりお前を拒絶している。お前に食われて、実の方もさぞや嘆いたことだろう……覚えは無ェか?ローという拠り所が無ければ生きていけないと思ったことは?ああそのツラ、フッフッフ……あるんだろう?一人じゃ実の意思に負けちまうからだ。お前は他力本願で弱い虫けらそのものだ…」
「ちが、違う……」
「何も違わねェだろう。ローがいなけりゃ、悪魔の実に食われてお前はとっくに死んでる」
「ッう……」


巻きついた糸がギリギリと全身を締め付け、ろうそくの火を吹き消すようにドフラミンゴの顔から笑みが消えた。


「吐き気がするぜ、お前みてェな貧弱な人間を見てると……とっとと金に生まれ変わっちゃくれねェか?」


感情が抜け落ちた暗い声。目の前の男の輪郭が何度もブレて、自分の呼吸が不規則になっていることに気が付いた。体中に張り巡らされた糸が、ドフラミンゴの感情に呼応してますます力を強めた。

背後のローが重力に圧迫されながらも獣のように呻き、掴まれた足首が軋む音が響く。その痛みのおかげで、朦朧としていた焦点が元に戻った。


ペガサス、ユニコーン。


翼が生えたような形をした、真っ黒の実だった。
おれと弟の人生を狂わせた悪魔。

あれを食べたのは15かそこらの時だ。街から外れた森でたまたま見つけた、異質な実。弟に食わせてやれるか、自分で一口食べてみてあまりの不味さにすぐに捨てた。それから間髪入れず身体に異変が現れた。肌という肌に黒い毛が生え広がっていく恐怖も、額から角が盛り上がってくる痛みも、自分の背中から翼が広がる非現実な光景も昨日のように覚えてる。

殆ど半狂乱になって暴れる未知の生物を落ち着かせてくれたのは弟だった。「目を見れば兄ちゃんだって分かったよ」と言って抱きしめて、何かの本から得た知識で“幻獣種”という存在を教えてくれた。

──あの実が、おれの意思を取り込んでる?

「…ち、がう、あんなもん食ってなくても、おれはおれが嫌いだった!!あ、あんなもんなくても、ローはおれの、おれの大事な──」

弟一人満足に食わせてやれない自分が嫌いだった。あの島を抜け出す力が無い自分が、弱い自分が嫌いだった。悪魔の実のせいなんかじゃない。震える声の叫びは、高笑いにかき消された。

「フッフッフ…本当にそう言えるか?お前自身の意思で選んだもんなんか何もねェ。全ては悪魔の実の意思だ…」
「…違う…!」
「地下牢で何があった?思い出してみろ…ほら、今にも死にてえ程おぞましいだろう?」
「……っああ…嫌だ…!や、めろ…」
「その絶望こそユニコーンの意思だ。自分自身を拒絶する辛さを、ローといれば忘れられたか?お前のローへの思いは全て、悪魔の実の意思からの逃避にすぎねェ!」
「違う──……」
「違わねェ!どうだった?“弟”を踏み台に得た幸せの味は?お前がその実を食ったせいで死んだ“弟”を見捨てて得た安寧の味は?さぞ甘美だっただろうな!!フッフッフ…!!!」

身体の奥から湧き上がった何かが目からこぼれ落ちた。呼吸をしなければ。今までどうやって息を吸って吐いてた?悪戯にうごめいた糸が喉にまで絡みつく。まるで獲物を追い詰める蛇のように、全身を白い糸が駆け巡った。首元を這う糸が頬にまで伸びて顔を固定した。宙に磔になったおれを前に、ドフラミンゴは両手を掲げて高笑いしている。

実の意思?ローを思って焦がれるこの気持ちも、弟への後ろめたさも、全て?違う、そんなわけがない。否定したいのに、そうできる根拠も何も無い。
ロー、助けて。ああ、いつだってローが助けてくれるって信じてるこの気持ちも、おれのもんじゃないのか?

この実を食ったせいで天竜人に目をつけられた。そのせいで弟は死んだ。その因果でローに出会うことができた。おれの人生は確かにこの実に振り回されてる。でも、だからって、感情まで侵食されてるなんてそんな馬鹿げたことがあるか。


だって、それなら本当のおれはどこにいる?
実を食ったあの瞬間に死んだのか?
違う、違う、違う!


「ハッ、そうやって泣いてまたローに助けを求めるのか?」
「———……」
「……あァ…ようやく身の程を知ったか?気に食わねェ野郎だったが、やっと“美しい”顔になったじゃねェか…」
「ッてめェ…ッ!薄汚れた手で触れてんじゃねェ…!!リバーから離れろ……!!!」
「フッフッフ…ロー!薄汚れてんのはてめェの部下だ!!ほら見てみろ、自分でもそう思ってるからこの通り空っぽになっちまった。使えねェお荷物はとっとと置いていけ!同盟相手の麦わらはおれの仕掛けた罠に食いついてコロシアムに閉じ込められてる。時間稼ぎも無駄だ!」
「…てめェは、こいつの弟のこと、まで…!何故知ってる……!」


「フッフッフ…よおく知ってるからなァこいつを飼おうって連中のことを…ひとつ昔話をしてやろうか?ロー…800年も前の話だ…」


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