8


20の国の20の王が世界を中心に集い、ひとつの巨大な組織を作り上げた。それが現在の世界政府。ネフェルタリ家を除き、それぞれの家族を連れ聖地マリージョアに移り住んだその創造主たちの末裔が天竜人である。ドフラミンゴは朗々とそんな昔話を語って聞かせた。

ローは重力に押され地面に倒れ伏しながらも男の吊りあがった口角を睨み、そして自身の頭上で糸で磔にされたまま物を言わないリバーの後ろ姿に視線を移した。翼は大きく広がったまま宙に固定され、腕は吊り上げられ、悪趣味な標本そのものの姿に悪寒を覚える。足首を掴んだ手にいくら力を込めようが、リバーが答えることは無かった。


「──つまり800年前、19の国から王族がいなくなったんだ。分かるな?各国では当然次の王が選出され、新たな王族が生まれる事になる。我がドレスローザで例えるなら…その新しい方の王族がリク一族。世界の創造主として聖地マリージョアへ旅立ったのが、ドンキホーテ一族だ」
「………!!」

思わずキツく目を閉じる。何を後悔しようが、現実が変わることは無い。しかしサニー号でのリバーの懸念が正しく真実だった。いや、真実はもっと残酷だ。

「…じゃあ、お前は…天竜人だったのか
ドフラミンゴ…!!」

その過去を持ってして、報道すら書き換えてみせた。リバーを欲する天竜人を通じて彼の情報も全て筒抜けだった。そして悪魔の実の意思などというこの海の真髄のような話を知っていたことにも、全てに辻褄が合う。

「“だった”と言うなら正解だ…今は違う」
「……何?」
「血とは何か、運命とは何か…?おれ程数奇な人生を送っている人間もそうはいまい…フッフッフ……!!」
「——……」

この男がそうだというなら。コラさんも同じ道を辿っていたということだ。少なくとも最初の境遇は同じだった。でも彼はあんなにも心優しい大人になり、そしてローを生かし愛してくれた。血筋が全てを決めるわけではないのだ。生き方次第でどうにでもなる。

優しい彼が愛してくれたからローは今ここにいる。そして、彼が自分を愛してくれたように誰かを愛することができる。高笑いするドフラミンゴに遮られないよう、ローは喉から声を絞り出した。

「……なァ、リバー……」

宙づりになった彼の足首から手を離す。重力に逆らい続けていた手は呆気なく地面にめり込んだ。

「…おれ以外にどう思われてもいいってんなら…お前がお前をどう思おうが、お前に関係ねェだろうが…」

霞む視界にリバーの背中を収める。ローが整えてやった細い黒髪が、海岸に吹く潮風に揺らいだ。白い首筋にドフラミンゴの糸がくい込み血が滲んでいるのが目に入って、拳を固く握る。

なんでお前が、そんなにも傷つかなくちゃならない。

リバーは頑固な男だ。こんなにも言う事を聞かない部下は初めてだった。従順なくせして肝心な時には意思を曲げない。強情で、意地っ張りで、澄ましてるくせにとんでもなく照れ屋で。自分では気づいていないだろうが、人を笑わせるのが案外好きで軽口をよく叩く。

そんな奴だ。ただの、たった一人の、大切なチェンバーズ・リバー。

「何、も、悩まなくていい。お前はお前だリバー…!どんなお前でもいいから傍にいろ…ッ悪魔の実なんざ…食って腹に収めた時点でお前のもんだろうが…!」

ドフラミンゴから笑みが消えた。それを無視して、ローはリバーを一心に見上げた。

そうだ、何も悩まなくていい。そのままのお前で傍にいてくれたらいい。何回そう言い聞かせてもぐるぐる考え込む部下だ。そんなところも、手がかかって悪くない。

風に吹かれて散った黒い羽根がローの顔に落ちる。頬を掠めるその柔らかさすら、ローには温かく思えた。出会ってまだ2年と少し。しかもそのうち1年半は離れ離れだった。それなのに、ローの中ですっかり他に替えようのない存在に膨れ上がっている。
そもそも地下牢で顔を合わせた時にはもう悪魔の実はリバーの一部だった。あの雪の降る島で初めて一角天馬を見た時どれだけ見惚れたか、リバーに言ったらきっと耳まで赤くなるだろう。そんなあいつを笑って、笑い返されて、ただそれだけで良い。


「あいつは角の話しかしてねェぞ、リバー…!レッドラインを越えてまでおれの元へ戻ってきてくれた、その背中の翼は、なんのためにある…!」


大きく息を飲む音が聞こえる。瞬間、頭上に吊り上げられていた腕が一瞬で武将色で覆われ黒く染まった。ピンと張りつめた糸が、血飛沫と共に千切れ飛んでいく。ローの口元に笑みが浮かんだ。そうだ、プライドの高い負けず嫌い。お前はそうでないと。

風に仰がれた黒い翼が花のように大きく広がった。ローはこの世のどの絶景よりも、彼が翼を仰ぐ光景が美しいと思う。振り返ってこちらを見たリバーが、目を合わせて今にも泣きそうに微笑んだ。

「この翼は、あんたを乗せて飛ぶためにある…!」
「!小賢しいガキが……ッ」

雄々しく叫んだリバーは、ドフラミンゴが糸を伸ばすよりも、藤虎が重力をかけるよりも早く翼で2人を薙ぎ払った。ローにかけられていた重力が解ける。そしてローが立ち上がるよりも、リバーがローの腕を掴む方が早かった。
勢いよく駆け出し、ローをおぶさるように走りながらリバーは天馬へと姿を変えた。そのまま背中に跨りたてがみを掴む。頭を撫でると耳がパタパタと動いて反応を返してきた。

「随分寝てやがったな。ねぼけてねェか?」
「あんたのおかげで目ェ覚めた!」

リバーはローを乗せて、崖から飛び立ち大きく翼を仰ぎ、突風が如きスピードで一直線に海岸を目指した。そこには大勢の海兵と共に、目を丸くしてこちらを見上げるシーザーがいた。
首元から背中にかけて毛皮をそっと撫でると手に血がついて、石を飲み込んだように胸が沈む。全身に巻き付いていた糸を引きちぎったせいだ。またあの男に、今度は大切な部下が傷つけられた。

「ロー」
「…ん?」
「あんたの言葉のおかげで、正気に戻れた」
「——ああ」
「あいつが言った事、全部否定できるわけじゃねェ。もしかしたらおれは、空っぽなのかもしんねェけど…」
「んなわけねぇだろ。空っぽの奴が新世界の空飛んで帰ってこられるもんか」

後ろから両手を伸ばし頬を撫でてやると、尻尾が揺れてローの背中の上をパシパシ跳ねた。ローがいない間だって、一人でこんなにも強くなって帰ってきてくれた。あの男の言った“悪魔の実の意志”が実際作用していたとしても、リバーにはそれに負けない確固たる自己がある。分かりきったことだ。あまりにも当たり前で笑ってしまうくらい。この負けず嫌いが実ごときに屈するものか。

「…ああ、そうだよな。この翼のおかげであんたのとこに帰れた。っはは、食っちまったんだから全部おれのもん…うん、あんたの言う通りだ…」
「そうだ。たかが食い物の意思なんざ知ったことじゃねェだろ」
「っはは、あー、まじでそうだ」

これも何かの因果かお互い振り回されるものだ、悪魔の実という存在に。ローはオペオペの実に救われて今ここに生きている。だがコラさんは、元を辿ればあの実がなければ、ローがいなければ死ぬことは無かった。考えたって詮の無い事だ。そんなこときっとリバーも分かっている。だが、どうしても考えてしまう。どうしたって、自分とは切っても切れないものだからこそ。

射程範囲に入ったところで、“ROOM”を広げてシーザーを宙に放り上げた。その服の裾をリバーの蹄が器用に引っ掛け、華麗に翻る。

「ぎゃああ助けてくれジョーカー!!」
「リバー、ドフラミンゴが追ってくる。船まで逃げきれ!」
「ああ!…ん?向こうの空、雷鳴ってねぇ?」
「あれァ確か…」
「麦わらんとこの航海士の技だ…!船がそこまで来てる!ドフラミンゴに追いつかれたら終わりだ。飛ばすぞ、落ちんなよガス野郎!」
「無茶言うな!てめェが絶対落とすな!!」

リバーの言う通りドフラミンゴに船を狙われれば終わりだ。彼らにはシーザーを乗せてゾウまで逃げてもらわなければならない。空が本領の一角天馬の全速力はドフラミンゴの速度を遥かに凌いでいる。このままシーザーを船に届けることは容易だ。…だが、その後は。

「…… リバー」

名前を呼べば、ツンと立っていた耳がぴくりと動いた。闘魚の群れを眼下に抜けて、見えてきた麦わらの一味の船まで降下しながらリバーが深く息を吸うのが跨った背中越しに伝わる。葛藤と、恐らく覚悟。

「…ああ、分かってる。分かってるよ…」

向かい風に入り混じる声でリバーはそう呟いた。船の上からはナミやチョッパーがこちらを見上げて何やら叫んでいる。状況把握に長けた部下は、黙り込んだまま芝生の甲板へ舞い降りた。

「トラ男さん!ウマ男さん!」
「ウマ男!あんたほんっと無茶な要求してきて…キャー!ほんとにそいつ連れてきてんじゃない!」

ロー達を出迎えて元気に大騒ぎしている麦わらの一味も死地をくぐり抜けてきたらしく、衣服や肌に戦闘の跡が残っていた。

「ぬあ!畜生またこの船にィ!」
「シーザー!」
「おおジョーラか助けろ!」
「わたくしも捕まってるのざます!」

着地した瞬間リバーがシーザーを蹴り転がし、ナミやブルック達が駆け寄ってきた。思い出したくもない見知った顔が拘束されているのを見るに、この船でも激しい戦闘があったらしい。ローが背中から降りると、リバーは一息つく間も無くナミに詰め寄った。

「航海士。ベポのビブルカードは持ってるよな。この野郎を連れて今すぐゾウまで行ってくれ」
「……!!え…?」
「ゾウって…ルフィさん達はどうするんですか!?」
「工場さえ破壊すりゃこの島に用はねェ。おれ達もすぐ後を追う。頼む…!」
「や、やだウマ男顔上げてよ…そんなの無理よ!ルフィ達を置いていけるわけないじゃない。分かるでしょ?」

頭を下げたリバーをナミが慌てて覗き込んだ。見慣れない一角天馬の姿のリバーが目の前で頭を垂れているせいか、その声には戸惑いが混じっている。焦ったナミはリバーの角の根元を掴み顔を上げさせようと奮闘しだした。

ローは来た方向を見返し、ドフラミンゴの影が遠くの空にあるのを確認した。もう時間がない。そう簡単に彼らが出発しないのは分かっていたことだ。ナミの言う通り船長がいないこの状況で独断で別の島に行くなど、真っ当なクルーならまず決断できないだろう。リバーの翼を撫でながらナミの前に立つ。

「残るのは自由だがシーザーは渡すなよ」
「ロー…」
「ここはお前に任せる」

ローの頭より少し上にあるリバーの柔らかな耳を撫でて、「何があってもゾウへ向かわせろ」と囁いた。微かに頷きが返ってくる。

「その後だが…」
「…分かってる。あの野郎の言う事が正しけりゃ、麦わらは今コロシアムから動けねェ状態で…工場の破壊も、多分まだだ。おれ達は、絶対に作戦を成功させなきゃなんねェ」
「ああ」
「だから…あんたはドフラミンゴと藤虎をここで引きつける…1人で。おれは、麦わらんとこに行く。あいつを助ける」
「そうだ。できるな」

頬に寄せられた長い睫毛が頬をくすぐる。ローはリバーの顔を肩に抱き込んで、間近で瞬く目を真っすぐに見た。明るいグレーの瞳は今にも“嫌だ”と叫びだしそうに揺れたが、すぐにぎゅっと閉じられる。

「あんたの言う通りにする。だから、だから…絶対、おれのいないとこで死なないでくれ」

か細い声が耳元でそう言った。くたりと折りたたまれた翼が耐え忍ぶように震えているのを見ながら身体を離し、両頬に手を当てて引き寄せる。無防備に近づいてきたその眉間の毛皮を撫でてから、引き結ばれた口にそっと唇を重ね合わせた。

「……!」

人間の唇の感触とは全く違う、少しかさついた感覚がローの唇を覆う。驚いたリバーが身じろぎしたので、口元の毛が鼻先を掠めてローの肌をなぜた。頬の柔らかな毛並みに手を這わせながら、驚きで開いた唇に舌を差し入れ表面同士を触れ合わせる。人間の時よりも随分と大きな舌だが、先端が一瞬緊張で震えるのはいつものリバーと同じだった。

天馬になってもリバーはリバーだ。だから、濡れた鼻先の感触までもがあたたかくローの心を満たした。
惚けたナミ達が我に返る前に口を離し、頭を抱き込み角の根元に額をすり寄せる。口惜しいが時間がない。奴が船に来る。

「……ロ、ロー?」
「お前がここにいてくれて良かった。リバー」
「───……!」
「頼んだぞ」

甲板の隅に転がっていたジョーラの服を引っ掴み、大きく“ROOM”を広げた。振り返ることはしない。リバーがここまで着いてきてくれた意味も、ローを乗せて飛んでくれた意味も、奴と決着をつけなければ何も無くなってしまう。

こんなことを言えば、リバーは意味などいらないと叫んで泣いてしまうだろうがこれはローの矜恃だ。2年前、リバーを探しに行くこともせずレッドラインを超えて新世界に出た。リバーを置いて七武海にまでなった。そんなローの元に戻ってきてくれた部下に報いなければ、何がキャプテンか。


なあ、コラさん。

コラさんがおれを愛してくれたように、おれもあいつに与えたいんだ。全てを終えた、その先で。

- 121 -

*prevnext#

back

TOP