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一度も振り返ること無く、ローは甲板から姿を消した。目を合わせれば追い縋ってしまう気がしたからその方が有難かった。空の向こうでドフラミンゴの高笑いが響いて、そして向こう側の橋へと消えていく。

全身の筋肉がローの元へ飛び立とうとするのを、理性で無理やり抑えた。もう自分勝手には突っ走れない。ローだけじゃなく、ローの意志も、思いも、未来も、全部を守りたい。“どんなお前でもいいから傍にいろ”って言ってくれた、あんたに報いたい。それが等身大のおれの全部だ。

「ウ、ウマ男さん……?」
「…い、今……」

我に返って振り返るとホネと航海士が妙に色めきたってこちらを見ていた。ああ…こいつらがいたこと忘れてたな。なんだかずっと唇が熱い。脳も熱を持ってる。この姿でローとキスするなんて、想像した事もなかった。本当に、どんなおれでも良いんだって伝えてくれた気がして嬉しかった。
つーか、いつもと違って上からローを眺められる折角のチャンスだったのに、慌てすぎて何も覚えてない。また会えたら、今度こそ……いや、その“また”がくる可能性なんておれには分からない。

「えーと、ウマ男……?ごめん、なんかとんでもない事情があるんだろうけど、私達は麦わらの一味なの。船長なしで出航なんて出来るわけ──」
「おーーい!!ナミさーん!!無事かァ!」
「……!サンジ君!」

空から聞きなれた声がして、ローと入れ違うようにして船にサンジが降り立った。どうやら航海士からのSOSを受け取ってドレスローザから戻ってきたらしい。甲板を見渡したサンジは一角天馬の姿で佇むおれを見て驚いた表情になった。

「…リバー!!ヴァイオレットちゃんの言ってた通りか、サニー号にいたんだな!ドフラミンゴは──」
「見ての通り交渉決裂。工場破壊の方はどうなってる?」
「……そうか。工場だが場所は分かったが想像以上に大仕事になるとフランキーが」
「そうか…まだ時間が必要か。……で?ヴァイオレットって?」

聞き慣れない名前について問うと、サンジの目にポンッとハートが浮かんだ。ああ、大体分かった。ワクワクと口を開いたサンジから顔を逸らして四の五の言わせず制する。

「もういい、言わなくて」
「なんでだよ!聞けヴァイオレットちゃんとおれの──」
「ドフラミンゴの報道が嘘だってのもその女から聞いたんだな?さっきこの船に着いたばっかのおれが見えてたんなら能力者かドフラミンゴの部下かなんかで、とにかく今の時点では味方ってわけだ。後はもうどうでもいい」
「う、お、おう……」

何もかも図星だったらしく、サンジが口を噤む。その影からモモの助が飛び出してきて、必死な様子でサンジに詰め寄り始めた。そういやこいつもこの船にいたんだった。あーおれ、本当に頭がローの事で満杯だ。ま、別にいつものことか。

「サ、サン五郎!父上は?カン十郎は!」
「侍も工場だ。事が済めば助かるはず──」
「う、うわあああ!!軍艦だァ!軍艦が降ってくる~~~!!」

突然甲板に影が差して、トナカイたちの悲鳴が響いた。太陽を覆い隠し空の上から降ってくる軍艦を見上げて歯を噛み締める。こんな常識外れなことできんのはあいつしかいねェ。藤虎だ。

今まさに、橋の上でローとドフラミンゴが対峙している。早く工場を破壊しねェと状況は悪くなる一方だ。麦わらは大きな戦力になる。とにかくこいつらをシーザーと一緒に出航させて、奴を救出しねえと。ああくそ──その間、ローは1人だ……!

藤虎の能力で浮いている軍艦から目を離さないまま、翼に力をいれた。すると呆然と空を見上げていたサンジが、はっとしたようにおれを振り向いた。

「ッおいリバーどうする気だ!?つーかローは!?」
「サンジ、今すぐここを発ってくれ。頼む」
「は!?おい、それァ…」
「ぎゃー!空から何か降ってくるぞ〜〜!!あれは、い、隕石ィ!?」
「ああ!?今度はなんだクソ!」

激しく燃え盛った火球が船めがけて真っ直ぐに落下してくる。あーあー全く海軍大将なんざクソ喰らえだ。青雉といいこいつといいバケモノなんて言葉じゃ生易しい。あれは天災だ。尻込みしていた航海士が、次々に襲い来る絶望的な状況に半泣きになって手を上げた。

「ウマ男ー!前言撤回!“ぐるわらの一味”出航します!!」
「あァとっとと行ってくれ。あれはおれがなんとかする」
「なんとかってお前、あんなもん……」
「あれ見んの、2回目。どうにかなんだろ」
「ッおい、リバー!!」

尻尾を掴まれ目だけで後ろを振り向くと、サンジは半ば睨むように深刻な表情でおれを見ていた。宥めるように背中を叩かれ、顔のすぐ横で息を潜めて問いかけられる。

「シーザーを遠くへ運ばなきゃならねェのは分かる。先へ行くのは構わねェが!ドレスローザは作戦の通過点の筈だ…共通の目的は四皇カイドウの首!──リバー、お前……いやお前ら、やっぱりドフラミンゴにこだわりすぎちゃいねェか!?」
「──……」

全くおれの友人は、軍艦と隕石が真上にある緊迫した状況でもとことん察しの良い男だ。そして薄らと気づいていながら今まで何も言わずにいてくれた。思わず乾いた笑いがこぼれる。

「変わんねェよな、お前は…」
「ああ!?」
「…お前の言う通りだ。通過点なんて…はは、ほんと笑えるぜ……」
「っおい、ならお前らやっぱり他に何か…」
「でも、おれは通過点にしてェんだよ。夢物語だろうがなんだろうが、あいつにとっての通過点にしてやりたい。この先もあいつには生き残って、旅を続けてほしい」

柔らかな金髪の狭間で、サンジの目が険しく細められる。背中に置かれた手に力が籠った。

「リバー、やめろその言い方。お前はどうなる?」
「決まってる。ローがここを“通過”できるように戦う。それだけだ」
「おれはお前の話をしてんだ。お前もここを通過点にする。そうだろうが」
「……お前ならそう言うのかもしんねェけど、おれは御免だ。おれはここで、この国で、最後まで死ぬ気で戦う。ローがそんなこと望んでなくてもな」

視線を空へ戻せば、隕石が段々と近づいてきていた。やれるかやれねェかとかじゃねえ、絶対やってやる。じゃなきゃ何のためにローを1人にしたのか分からなくなる。

“傍にいろ”って言ったくせにおれを放って行っちまったの、ぜってー文句言ってやる。


「……ハア……分かったよ。馬鹿リバー、このクソ頑固野郎。だが、サニー号の出発はルフィの了承を得てからだ。分かるよな?」
「………サンジ」

暖かな手で、何度か優しく背中を叩かれた。その手つきが駄々をこねる弟をなだめていたかつての自分と重なる。海風が金髪を揺らして、柔らかく細められた2つの瞳がよく見えた。

「ルフィなら今コロシアムにいるが、周りには海軍がうじゃうじゃいる。お前なら上から入れるかもしれねェが…ま、近くにマリモがいるはずだ。後は好きにしやがれ。……またな、リバー」

またな、か。絵空事めいた言葉を大真面目に吐いて、サンジはおれの背中から手を離した。

「──……ありがとな、サンジ。後は頼む」

その笑みに押されるように空へと飛び立つ。こいつが無事に生きてここを発つかも、おれが生き残るかも分からない。海賊同士の友情なんてそれくらい脆くて、その分一瞬一瞬が色濃く胸に残る。



翼を武装色で覆い、一気に隕石の上へと飛翔した。最大限伸ばした翼で思いきり風を起こす。さっきはローがいたけど、おれももう1人だ。でも後ろに、ここまで着いてきてくれた同盟相手達がいる。あいつらくらい守らなきゃ、ハートの海賊団の名折れだ。


「吹っ……飛べ!!!」


身体を旋回させて暴風を無理くり小さな竜巻へと変え、隕石にぶつけた。軌道を逸らした隕石が麦わらの船から逸れていく。航海士とトナカイが抱き合って飛び跳ね、こちらに向かって何やら叫んでいる。手すりに身を乗り出したサンジも手を振り上げておれに向かって何かを叫んでいた。一瞬しか見えなかったけど、笑ってるように見えたからまァ良い。

そして翼を仰げば、その声もすぐに掻き消えて聞こえなくなった。傍に浮いていた軍艦まで空を勢いよく旋回する。散らばっていた海兵達が大慌てでおれに砲弾の照準を合わせた。

「い、一角天馬がこちらへ来ます!!撃て、撃てぇぇ!!」

飛んでくる砲撃よりもおれの速度の方が上だった。右に左に砲丸を避けて、麦わらの船に落ちそうなのは蹄で弾き飛ばして、軍艦のマストのてっぺんに降り立つ。翼を折り畳んで見下ろすと、マストの根元があっという間に海兵に取り囲まれた。未知の生き物を見るその顔は恐怖に歪んでいて、上から眺めると酷く滑稽に思えた。知らない間におれも立派な海賊になってたらしい。

「しし、侵入されましたァ!!」
「イッショウさん!!チェンバーズ・リバーです!!」

慌てふためく海兵達と対照的に、藤虎は呑気に麺をすすっていた。あの男を殺すことは今のおれにはできない。余裕綽々で見あげてくる、あの表情だけでそれがよく分かる。

「……おっとこらァ迂闊でした。リバーさんそこで何をなさるおつもりで?」
「イッショウさん!食事をしてる場合では…!!」

殺せなかろうが知るか。サニー号は狙わせない。そして、ドレスローザにも。焼け石に水だろうが今できることはやらなければ、ローに顔向けできない。

「……お前はここで沈めてやる」

蹄をゆっくりと持ち上げ、マストの頂点をコツンと蹴った。

支柱がふつふつと波打ち、湧き上がるような音が聞こえる。さっきまでただの木製の柱だったそこから、真水が堰を切ったように溢れ出した。もう一度蹴れば水は勢いを増し、更にもう一度蹴れば噴水のようにマストから甲板へと水が雪崩落ちる。

「み、水が!!」
「一体どこから……!?」
「い、一角天馬だ!奴の足元から水が…うわああ!」

大砲も銃も何もかもを激流が飲み込んでいく。別に海軍大将がこれしきでくたばるとは思っちゃいないが、少しくらい時間は稼げるだろう。

「おやァ……こいつァやってくれる」

翼を広げ、大量の水に飲まれ沈みゆく軍艦から飛び立つ。麦わらの船も、グリーンビットの海岸も、全てが小さくなっていく。そして、ローが立っているであろう橋が幾層にも切れるのが視界の隅に見えた。ドフラミンゴとやり合ってるんだ。

「……ごめん、頼む……待っててくれ」

恩人の仇と向き合って戦うなんて、きっとおれにはできない。あんたがいない世界で息が続く気がしないから。


ロー。あんたは本当に強いよ。
不安になっちまうくらい、強い。

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