「ガキが…図に乗りすぎだ!」
突然の轟音の正体はローとドフラミンゴだった。相当な高さから降ってきたのであろうローの周りは、その落下の衝撃で地面が陥没する程だった。全身血だらけで意識も朦朧としているその惨状を見て、ゾロはドフラミンゴよりも何よりもまず己の前にいる男に視線を走らせた。
飛ぶよ。ローのためなら何処までだって
そんなことを言っていた彼の、地に足を着けて立っていた後ろ姿が今にも倒れそうな程脆く見える。ルフィを連れ出そうとさっき伸ばされたばかりの翼が小刻みに震えていた。リバーはローを一人残してここに来たのだ。だからずっと酷く焦っていた。こうなる事が、予想できたから。
ゾロは名前を呼ぶよりも先に反射的に手を伸ばし、荒い呼吸で上下するリバーの肩を掴んだ。硬い骨の感触が熱を持って手のひらに伝わる。
「リバー、リバー落ち着け。とにかく息を整えろ」
「……ッ、ああ……」
「リバー!」
「ああああ!!ロー!ロー……!!」
「!駄目だ待て、──」
そんな風に怒りに我を忘れた状態では、隙が多くなる。相手は七武海だぞ。
そう言ってやりたかったがゾロが止める間なぞまるで無く、地面を蹴ったリバーは翼を扇ぎスピードを加速させ、あっという間に遠くなってしまった。思わず天を仰いだが仕方もない。あそこにいるのがルフィなら、きっと自分だってそうした。
「ドフラミンゴォ……!!!」
「……あァ、こんな所にいやがったのかチェンバーズ・リバー…尻尾巻いて逃げたのかと思ったぜ」
「てめェ!!ローから離れろ…ッ」
倒れて動かないローの前に躍り出たリバーは、硬化させた翼でドフラミンゴを薙ぎ払おうとした。しかし荒ぶる呼吸で大きく振りかぶりすぎた翼を見てドフラミンゴの顔ににたりと笑みが浮かぶ。そして、長い腕が懐から何かを取り出した。応戦しようと駆け出していたゾロの肝が一気に冷え、リバーの怒りに満ちた目が大きく見開かれる。
「……!!リバー!!避けろォ!!」
ゾロがあらん限りの大声で叫ぶと同時にドフラミンゴの右手に銃が掲げられ、その銃口が火を吹いた。一発目はリバーの脇腹を貫通して地面を跳ねた。呻き声を上げたリバーが体勢を崩す。そして素早く照準が切り替えられ、二発目が地面に伏したローの身体に当たる。リバーが悲痛に叫びドフラミンゴの腕を蹴り上げ、三発目はリバーの足首を掠めて宙へと放たれた。弾き飛ばされた銃が地面に転がる音が空しく響きわたる。
たった数秒間で、辺りに鼻をつく硝煙の匂いがたちこめた。口から血を吐き物を言わないままのローの前で荒い呼吸を繰り返していたリバーは、やがて血溜まりの中膝をついた。しかし彼の翼だけは震えながら持ち上げられ、横たわるローを守るように広げられている。立ち尽くしたゾロの傍で、海楼石の柵に阻まれたルフィが大きく息をのむ。
「トラ男ォォ!!ウマ男ーーー!!」
『お、おいルフィ!今の爆音と銃声なんだ!?トラ男とウマ男がどうしたって!?』
『ルフィ!そっちで何が起こってるんだ!?』
電伝虫の向こう側から、事態を飲み込めないウソップとサンジの声が響く。
「騒がしくしてすまなかったな!七武海、海賊トラファルガー・ロー!そしてその部下チェンバーズ・リバー…!こいつらが今朝の王位放棄誤報事件の犯人だ!おれを引きずり下ろそうとしていたが…安心しろ、今退治した!」
集まってきた民衆にドフラミンゴが言って聞かせ、王を信じきった国民は一気にロー達を非難し始めた。こうして人々を煽り支持を得てきたのだ。薄っぺらい、偽りの王。ゾロは刀の柄を握る手に力を込めた。
「おいミンゴォー!!お前よくもトラ男とウマ男を…!!!」
「麦わらァ…てめェにとやかく言われたくねェなァ?ローは元々おれの部下!ケジメはおれがつける!それにこの馬はおれの商品だ。傷をつけるのもおれの自由だろう…!!」
隣で同じく怒りに満ちていた錦えもんを見て頷き合い、一気に駆け出した。
「キン!トラ男を運べ!リバーはギリギリ動けるはずだ、おれがなんとかする!」
「承知した!」
『おい!説明してくれ何が起きてんだー!?』
「我らの目の前でロー殿とリバー殿が撃たれた!ドフラミンゴに!」
『なんだって!?おい、リバー…!』
動揺するサンジの声を耳にしながら、ドフラミンゴと対峙する。一撃浴びせて、その隙にリバーを逃がす。2対1のこの状況ならできるはずだ。
「海賊狩りに…狐火の錦えもんだな?こんな連中に構ってて良いのか?モモの助はどうした?」
「のるな!」
「無論でござる!!」
「フッフッフ…!」
目も合わせず高らかに笑うドフラミンゴを確実に切り伏せようと刀を振り下ろした。しかし、その刃先が肉を断つことは無かった。間に入ってきた何者かの刀に遮られたからだ。
「…!!」
瞬く間に鍔迫り合いになり、ゾロは立ちはだかった巨漢を息を詰めて見上げた。コイツは、強い。そして見覚えのある顔だ。ドラスローザに入ってすぐの飯屋で賭博に興じていた盲目の剣士。なぜこいつがドフラミンゴの側に?いや、考えてる場合ではない。
「………てめェ!!」
このままいけばもう少しで押し切れる。そう思った瞬間、ゾロの周囲の地面が突然陥没した。そのまま穴の底に叩きつけられ、起き上がることができない程の重みが身体にのしかかる。
「ッぐああ!!」
「ゾロ殿!」
『ゾロがどうした!?錦えもん!』
「ゾロ殿が……ッぬあ!!」
目には見えない何かが押し付けられている…これは、重力?肌が、肉が地面に引きつけられ、動くことができない。更に上からは錦えもんが何かで切られたような叫び声が聞こえてきた。ドフラミンゴにやられたらしい。予想外の事態に脳が冷えた。このまま成すすべもなくペシャンコになっている場合じゃない。リバーもローも失うなんてこと、絶対にあってはならない。同盟相手がくたばるなんて、麦わらの一味の名折れでもある。ゾロは重力に逆らって、刀の柄に震える手を伸ばした。
しかし、刀を抜くよりも先に穴の上を何かが横切るのが目に入る。
黒い翼。
大きく振り広がったそれが瞬く間に頭上を覆い、ひらりと底に舞い降りてきた羽根が目を見開くゾロの頬に落ちた。そしていつもは静かに澄んでいたその声が、獣のように唸るのが聞こえてきた。
「…藤…虎ァ…!そこをどけえ…邪魔なんだよォ…!」
「…おや、それだけ血を流してまだ喋れやしたか一角天馬のあんさん……先程は軍艦ひとつ沈めてくださって…」
「ロー、からァ!離れろ…!」
途切れ途切れの言葉の合間に水音が混じるのは、口から流血しているせいだ。姿は見えないが、怒りに震えるリバーの感情がその声から痛いほど伝わってきた。賭博オヤジのことを知っているような口ぶりに、つい先ほどリバーがこの島に海軍大将が来ていると言っていたことを思い出す。ゾロは歯がゆい思いで舌打ちを漏らした。この規格外の能力、間違いない。
「くそ、リバー……!」
とっととこの穴を抜け出さなければ。重力に抗い刀を抜こうとしたその時、武装色を纏ったリバーの角が突然刀一本分程の長さに伸び、藤虎を突き飛ばした。
「イッショウさん!」
「大将殿ォ!!」
辺りにいた海兵の驚きの声がする。ゾロはかけられていた重力が解けた瞬間助走も無しに穴の上へと飛び上がり、地面に降り立った。急いで状況を確認すれば、錦えもんはドフラミンゴの攻撃を受けたまま体勢を立て直せておらず、ローは意識が無いままだ。そしてリバーは力なく角を戻し、血が止まらない脇腹を抑えてよろめいている。またしても膝をついて俯いたリバーの口から、夥しい量の血が流れ出ていく。ゾロは一直線に彼の元へ駆け寄りその身体を支えた。
「リバー!その血の量はやべェぞお前…!」
「ロ、ロノア…ッローを連れて逃げてくれ…こいつらはおれが止めるから…たの、む…」
「!馬鹿言ってんじゃねェ!!死ぬぞ!!」
「フッフッフ…そうだ馬鹿を言うな。お前も連れていく…大事な“プレゼント”なんだ当たり前だろ?」
「…!ドフラミンゴ」
神経を逆なでする笑い声がして、ゾロはリバーの前で刀を構えた。彼から出た血で足元がぬめり、ますます焦りが募る。これほどの血を流して一体どれ程生きていられるか、見当もつかない。そしてゾロの心情とは真逆に、悪趣味な出で立ちをしたドフラミンゴの後ろからリバーが吹き飛ばした男がゆっくりと戻ってきた。
「てめェ…盲目の賭博オヤジが海軍大将とはな…!」
「最前はどうも御一行さんに親切にしていただいったってェのに恩を仇で返すようで…なんとも因果な渡世でざんす…」
『錦えもんさん!ご無事で!?やられちゃったんですか!?』
「ぬうう…ドフラミンゴと共におる男が…海軍大将でござった!」
それ程深い傷では無かったらしい錦えもんがふらつきながらもゾロの隣に立った。高笑いしたドフラミンゴが倒れ伏したローの服を掴み、軽々と持ち上げる。後ろからリバーが悲痛に呻きながらローの名を叫んだ。
「ロー!!嫌だ……ロー!」
好き勝手に騒ぐ民衆に、この男の悲痛な叫びは届かないのだろうか。それとも、届いても響かない程ドフラミンゴを信じきっているのか。空虚な街に、空虚な笑い声が嫌になる程高らかに響いた。