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王宮、地下1階。ヴァイオレットは麦わらのルフィと一角天馬チェンバーズ・リバーと共に石造りの通路をひた走っていた。さっきまでその背中に2人を乗せて空を運んでくれたリバーは天馬の姿を解いて、角と翼だけを残して人獣型と呼ばれる姿に戻っている。

「この上にローが…」
「ええ、まずは2階のスートの間へ!トラファルガー・ローの様子も確認できるわ」
「状況は変わってねェよな?ローは?」
「安心して、彼は無事よ」

この質問に答えるのはこれで3度目だった。ヴァイオレットがちらりと仰ぎ見ると、隣を飛ぶリバーは長い睫毛を伏せて苛立たし気に唇を噛んでいた。その表情だけで、彼が心底からキャプテンのことを慕っていることが伝わってくるほどだった。

七武海のトラファルガー・ローがドフラミンゴのかつての部下であることはファミリーの話で知っていたから、ハートの海賊団の記事はそれとなく目で追っていた。しかしこの青年のことは、追おうとせずとも街を歩けば耳に入ってきた。

世にも珍しい幻獣種の実を食べたのは、比類なき美青年だった───。

世間を騒がすルーキーの部下ともあって、彗星のごとく現れたあまりにも目立つ彼のことをメディアも市井も面白おかしくはやし立てた。

ヴァイオレット自身はさして興味も無く手配書の写真を遠目に見る程度だったが、こうして間近にいると彼が御伽噺じみた容姿をしていることが実感を伴ってよく分かる。額から生える艶やかな角に、神々しさすら感じる大きな翼。そして危うい色気を漂わせる美しい顔立ち。つい先ほどその背中に乗ったのが夢なのではないかと思う程、彼の存在は浮世離れして見えた。

「ヴァイオレット!!」
「…どうしたの!」

落ち着いたリバーとは真逆の溌剌とした声に呼ばれて我に返る。もう一人の同行者であるルフィが先頭を走りながらこちらを振り返っていた。

「次どっちだ!」
「右へ!」
「分かった!おーいウマ男、後でまた背中乗せてくれよ〜」
「調子乗んな。やむを得ない状況だけだ」

ウマ男、なんて到底似つかわしくないあだ名で呼ばれてもまるで気にせず、リバーはルフィの言葉に素直な笑みを浮かべた。異なる海賊団の者同士がこうして気安い会話をしていることが物珍しく、ヴァイオレットはリバーに問いかけた。

「あなた達、同盟組んでるって本当なの?」
「あァ、まあ」
「海賊の同盟なんて嘘だらけだと思ってたけど…」
「実際そんなもんだろ。でも、麦わらは違う。麦わらはそういう奴じゃねェから、おれと違って他人のためにここにいる。つくづく変な野郎だよ」
「…あなただって、トラファルガーのためにここまで来たんでしょう?」

羨望でも尊敬でもなく、まるで別の生き物を見るような目でリバーはルフィの後ろ姿を見ていた。思わず問いかけた言葉は、自嘲めいた仕草で返される。

「ローが生きてなきゃおれが生きてらんねェから勝手に助けに行くだけ。だからおれのことは信用しなくていい。小人の作戦がどうとか本当はどうでもいいんだ……信用すんならあいつにしとけ」

リバーの白い指が駆けていく元気な背中を指した。確かにあの男はヴァイオレットの知っている海賊の姿とはかけ離れている。ただそういうリバーだって、キャプテンを救うためとはいえここまでの道中ヴァイオレットを守ってくれたのは事実だ。

最初に出会ったサンジに、ピーカ相手に一人足止めに残ったゾロ。今このドレスローザに新しい風が吹いていることは紛れようもない。

「少なくとも今、私とあなたの目的は同じよ。それで十分嬉しいの…」
「…あァ、その感じはちょっと分かる」

鋭く周囲を警戒していた切れ長の瞳が柔らかい輝きを伴ってヴァイオレットを見て、向けられた微笑みに驚いた。街の少女達が騒いでいた手配書の蠱惑的なイメージとはまるで違う、等身大の彼を初めて見たような気がした。思わず見入ってしまったその時、前を走るルフィが不意に立ち止まった。

「…!誰かいるぞ!」
「え?」
「見張りか?」
「いや、なんか戦って…あっ!あいつ…!!」

慌てて駆けつけると見覚えのある姿がそこにあり、ヴァイオレットは大きく息をのんだ。よろめきながらも懸命に走ろうとしているのは、10年間もの間レベッカを育ててくれたオモチャの兵隊だった。遠くからしか見ることのできなかった存在がこんなにも近くにいる。そのことが、今日という日の異質さを物語っていた。

「…!!相手がまずいわ!!」
「あのヘルメット野郎か!?」
「ファミリーの幹部よ!グラディウス…彼が触れた無機物は破裂してしまう!」
「…あの兵隊どう見ても無機物じゃねェの?」

冷静に言ったリバーの隣でルフィが既に拳を振りかざしていた。グラディウスの手に掴まれた兵隊の頭がパンパンに膨れ上がっていくのにヴァイオレットが息をのむと同時に、彼の拳が目にも止まらぬ速度で顔の横を通り過ぎていく。

「ゴムゴムの~~!JETスタンプ!!」
「!!??……!!……誰だ…ッ!!」

間一髪。ルフィの放った拳がグラディウスの腹を直撃した。衝撃で解放された兵隊の身体を、正にゴムさながらに伸ばされた手が掴む。

「兵隊!フランキー達は!?一緒じゃねェのか」
「……キミは…」
「麦わら、話してるヒマはないわ!」
「あの野郎起きたぞ」

我関せずといった風に一連の流れを静観していたリバーがヴァイオレットを守るように大きく翼を広げた。その言葉通り、ルフィに殴り飛ばされたグラディウスは恨めしげに唸りながら起き上がってこちらを睨みつけていた。

「麦わらのルフィ、一角天馬……!!ヴァイオレット!貴様、よくも若様を裏切ったな!!」
「よぉし来い!」
「ばーか、あんなん相手にしてられるか。とっととローんとこ行くぞ」
「そうよ、とにかく2階のスートの間へ!あの人も極めて厄介な男!」

ルフィを促し一気に走り出す。兵隊はルフィに抱えられ、リバーは一番後ろを優雅に飛びながら着いてきた。

「ヴィオラ様…なぜあなたが…」
「!?私を知ってるの…!?」

もはや近しい人間しか知りえない名前を呼ばれ、心臓が跳ねる。オモチャの兵隊の声には確かな親しみがこもっていた。もしかすると自分も誰か大切な人を忘れているのかもしれない、一瞬その恐怖に支配されかけたが慌てて振り払った。

「私もあなた達をずっと見てた…あなたとレベッカを!あなたの10年間の奮闘を私は知ってる。辛かったでしょう…ありがとう」
「よしましょう今はまだ…!あなたやリク王の苦しみを超えるものがありましょうか!!」
「ヴァイオレット!!おれは裏切り者を!絶対に許さねェ!」

蹂躙されてきた者同士の邂逅を切り裂いたのは、背後に残されたグラディウスの声だった。

「…!裏切ってなどいないわ!10年前のあの日から私はあなた達に心を許したことなど一度もない!!」
「若への侮辱に変わりあるまい!!」
「……!!!」
「メットパンク!!」

怒りに満ちたグラディウスの攻撃が襲いかかってくる。衝撃に耐えるため反射で瞳を閉じたが、轟音が響いてなお身体が弾き飛ばされることはなかった。

「ウマ男!ごめん、ありがとう!」

真っ先にルフィがそう叫んだので恐る恐る顔を上げて、広がる光景に目を見開いた。ヴァイオレットの顔を柔らかい感触が撫ぜる。片方だけ大きく広げられたリバーの翼が、ヴァイオレット達を守る盾となっていたのだ。覇気を纏っているとはいえかなりの衝撃があったに違いないが、彼はパーカーのポケットに手を入れる余裕まであるようだった。黒い羽根が舞う中にやりと笑ったリバーが、グラディウスに向かって悪戯に舌を出す。

「一角天馬!!貴様ァ!」

あからさまな挑発に怒りくるうグラディウスに一瞬で興味を失ったように顔を逸らして、リバーはヴァイオレットに近寄ると窓を顎で指した。

「なァ、あんな野郎が何言おうが無視しとけば?おれらはとにかく2階いきゃいいんだろ?」
「え、ええ…でも階段はあっち、きゃあ!?」
「外から飛んだ方が速ェだろ」

突然回された腕に身体を引き寄せられて、硬い胸板に頬がぶつかった。兵隊を右腕に、ヴァイオレットを左腕に抱きかかえたリバーが天井すれすれに跳躍する。自分の体が一気に宙に浮き上がって悲鳴をあげるヴァイオレットをそのままに、ぐんと翼が仰がれスピードが加速した。

「麦わらァ!!あの窓割れ!」
「おお!わかった!」
「ちょ、ちょっと何する気!?」
「飛ぶに決まってんだろ。落っこちんなよ」

言われるがまま、見かけよりもしっかりと筋肉のついたリバーの身体に必死にしがみつく。今彼から落ちたら命はない。そう確信できるスピードだった。ヴァイオレットと同じように身体を支えられた兵隊が困惑した様子で「キミなんで翼が生えてる!?その角は!?」と叫んだのに、「能力者なのよ彼!」とだけ返してやる。

先に駆け出したルフィが両方の拳を振りかざし、目の前に迫った窓のガラスを粉々に吹き飛ばした。開けたその窓枠からヴァイオレットと兵隊を抱えたリバーが勢いよく飛び出す。最後に彼の肩越しに見えた通路内では、グラディウスが遅れを取って走り出したところだった。それもすぐに見えなくなって、思わず見上げた先で太陽の光がリバーの角にきらりと反射していて、ここがもう空の上なのだと分かった。

「ししっ!おれも乗せてくれー!」
「はあ?お前は自分でいけるだろ」
「いーじゃんいーじゃん」

ヴァイオレット達ごとリバーの身体にぐるぐると腕を巻き付けて、ルフィまでくっついてきた。すらりと細いのに案外力のあるらしいリバーは、ため息を吐きながらも難なく上へと飛翔した。

天馬の背中に乗ったと思ったら、今度は人間の姿の彼に抱えられて空を飛ぶとは。恐る恐る下を見ればドレスローザの街が眼下に広がっていて、余りの高さに肝が冷える。しかしヴァイオレットにとっては未知の領域であるこの上空は、リバーにとっては勝手知ったる世界らしい。2人と1つを抱えて慣れた動作で翼を優雅に仰ぐと、ぐわんと推進して一気に2階の高さへとたどり着いた。

「うひょーはえー!ウマ男ぉ!お前ほんっとすげぇな!!」

リバーの背中に巻きつきながら下を見下ろすルフィが、実に楽しげに声をあげた。覗き見たその顔は少年のように輝いている。リバーはバルコニーの柵に軽やかに着地して、ヴァイオレットと兵隊を床へ降ろした。

「あ、ありがとう」
「翼に角とは…実に不可思議な力だな」
「別に大したもんでもねぇよ」
「え?大したもの以外の何者でもないわよ…」

心底つまらなさそうに呟くリバーに、兵隊と揃って困惑してしまう。正真正銘、稀有な能力だというのに。この悪魔の実がこれほどまでに似合うのはきっと世界に彼1人だろう。

「よーし、待ってろミンゴ―!!」
「…ここがそうか」

あっという間に駆け出して行ったルフィとは反対に、柵の上で佇むリバーは酷く静かな声で呟いた。ヴァイオレットは、たなびく髪をそのままに王宮を見据えるリバーを息を詰めて見上げた。

今朝までこの国は、永遠に思えるような闇の中にあった。まるで1枚の絵画のようにリバーが翼を広げて立っているこの光景こそが、あの苦渋に満ちた日常が終わりを迎えた象徴のように思えた。

青空を背に、彼の黒い羽根がざわざわも揺れる。額から伸びた鋭い角が、まるで今にもはじけ飛びそうな、張りつめた矢のように見えた。

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