「…今あの糸の傍で泣き叫んでる連中ほったらかしておれ達とやり合うのがお前の仕事だってのか?反吐が出るなァ海軍大将」
「あんさんは本当に…ずけずけとまァ言ってくれる…」
藤虎の表情は変わらない。しかしその声色は呻き声のような響きをしていた。命令だけ聞いて動くそこらの兵隊とは違う。それは分かっていたが、苛立ちは収まらなかった。
「…ロー悪ィ。麦わら、おれのキャプテンちょっとの間だけお前に任せる。この半端な海軍大将ぶん殴らねぇと気がすまねぇ」
「おう分かった」
「リバー!」
背中におぶっていたローを麦わらに託し、藤虎の前に立つ。グリーンビットの海岸、そしてコロシアム前。何度も立ちはだかっては散々ローを痛めつけたこの男への怒りは、もう頂点にまで達していた。
「おい…!」
「黙って見とけトラ男。ウマ男の奴本気だ」
「ああ!?お前に言われなくても分かる!それが危険なんだ、あいつはまだ傷が癒えてねェ!」
「ま、治療の途中でおれが叩き起しちまったからな。後でちゃんと診てやれよ」
「だからんなことてめェらに言われなくても──」
麦わらの肩に担がれたローが制止してくるのを聞きながら、翼を左右に大きく展開した。言う事聞けなくてごめん。でも、あんたの道はおれが切り開かねぇとここにいる意味がないから。地面を蹴り上げ、藤虎が刀を抜くのと同時に足裏でその刃を食い止めた。脇腹が引き攣れて悲鳴をあげる。だがそんな痛みを気にする暇なんてなかった。
「なァ“働け”よ海兵…今お前の敵は本当におれ達か?」
「──……」
貧困に苛まれていたおれの故郷には役立たずの兵隊しかいなかった。助けを求めて伸ばした手が素通りされる絶望を味わったことのある人間はきっと俺だけじゃなくて、この海に数え切れないほどいる。今このドレスローザで、そういう人間がまた増えようとしてる。こいつはそれに思いを馳せたことがあるだろうか。
ほんの1秒。多分おれの言葉を聞いて、藤虎の動きがぴたりと止まった。その隙を見逃さず身体を捻って翼で巨体を殴りつける。やはり地力の差か、藤虎は数歩よろめいただけで倒れはしなかった。だが「ぶん殴る」という目的は達成だ。
「麦わら先行け!ここをとっとと抜けて───」
こうなったら、おれが足止めしている間にローを遠くに運んでくれ。脚で藤虎の刀を止めながらそう願って叫んだが、直後に襲ってきた揺れに言葉が途切れる。この振動、まさか。街が蠢き、さっきまで壁だった所が地面になり、地面だった所が壁になって崩れ落ちてきた。
「──!ピーカだ…ッ!ゾロ屋、リバーを!!」
「分かってらぁ!!」
ロロノアの斬撃が藤虎の刀を弾き、勢いでつんのめった隙に腕がむんずと掴まれた。この混乱に乗じて藤虎を巻く気らしい。しかし逃げるまでも無く、おれ達と藤虎の間の地面が地割れを起こして断裂を始めた。ロロノアに腕を引かれて更に離れた岩場に飛ぶ。その間にも日光を巨体に遮られた周囲はすっかり薄暗がりになっていた。
藤虎との戦いはお預けになったが、海軍大将とだらだらやり合っても大して勝機が見えないのは分かってる。自分の力を過信するつもりはない。だからとっとと奴から意識を逸らして、太陽を遮る巨体を見上げた。
「…うわでた。あの野郎さっきよりでかくねぇ?」
「あそこまでいくとさっきよりとか違いが分かんねぇな」
「確かに。つかもう離せ。あのクソ大将あんな遠くに行っちまった」
ロロノアと一緒に呆れながら見上げた先で、島の地面ごと立ち上がった石人間が空を覆うほどの高さにまで達していた。恐らく口に位置するであろう箇所がゆっくりと開かれていく。あのデカブツ、話せたのか。
「…さァ…我がファミリーに盾突く者達は…おれが相手に…」
「!!っ声!たけェ~~!!」
想像してた声とちげェな。おれはぼんやりとそう思っただけだったが、麦わらにはどうやらツボだったらしい。奴が思いきり吹き出すのと同時に、周囲にいた連中が焦った形相で「し~~~!!」と指を立てた。しかし人の話を聞かない麦わらは「似合わね~~!」と笑い続けている。
「麦わら……!!」
「だーっはっは!変な声~~!」
「……!!」
あーあ、聞こえてるうえに多分キレてる。おれはさっさと麦わらからローをふんだくって背中におぶり、翼を仰いだ。早いとこその場を離れようとしたが、一気に辺りが暗くなって石男の沸点が予想以上に低かったことを悟った。くそ、最悪だ。
「麦わらてめー…どうしてくれんだよ」
「そうだルフィお前敵をおちょくるのもいい加減に…ぷ、っはは!!」
「ホラお前も笑ってんじゃねェか!」
「てめェら……」
「ロー、もうほっとこうぜ。こいつらアホだ」
パンクハザードから分かってたことだけど麦わらの一味とは根本的にソリが合わねぇ。こいつらにある根っこの明るさみたいなもんが、おれには無さすぎる。同じように感じてるいるであろうローが地獄の底みたいなキレ声をだした直後に、満を持して巨大な拳が地面に振り下ろされた。
「うわァァァピーカの鉄槌だァ!!」
いくつもの叫び声と共に周囲が激しく崩壊する。飛んでいるおかげで衝撃はこなかったが、面倒くさいことに衝撃で吹っ飛んだ建物や瓦礫を避けなければならなかった。そして案の定軽々と飛ばされていく麦わらとロロノアの後を追って、為す術なく落下する海軍やら海賊やらの間を縫いながら翼を仰いだ。
「お前らどこまで飛んでく気だ」
「ウマ男~~!おれ達も乗せてくれ~~!」
「無理。自業自得。おれはローの安全第一だから」
麦わらは「くそ~!」と嘆きながらみるみる落下していき、結局コロシアムの前まで舞い戻ってしまった。麦わらの腹の上にバウンドしたロロノアの隣に減速しながら着地して、比較的綺麗な岩場の上にローをそっと降ろす。
「どこも怪我してねぇ?」
「あァ。お前は」
「平気。上手く飛んだろ?」
「上出来だ」
座ったローの前にしゃがみこんで問えば、海楼石のせいで幾分か重たそうに伸びてきた手に優しく頭を撫でられた。その抗い難い気持ちよさに逆らえず膝に顎を乗せ、手のひらの感触を堪能してしまう。だってもう気持ちよすぎる。うっとり見上げて微笑むと、ローも息を漏らして笑みを返してきた。このまま死ねたら、と何回思ったか知れない願望がまた顔を覗かせたけど、おれがそう思うのをローは嫌うから慌てて打ち消した。
「おい麦わら!!」
「ん?あ、キャベツ!」
背後から聞き慣れない声がしたが、ローの膝から離れるほどのことではなかった。しかしおれの髪をわしゃわしゃと撫で続けていた手がピタリと止まってしまって、不満から顔を上げる。
「そっちは海賊狩りのゾロか……」
「おいルフィ、なんだコイツは?」
「そして……そこにいるのはトラファル……、ッ!!??」
訝しげなローの視線を辿って渋々振り向くと、麦わらとロロノアの傍に派手な金髪の男が立っていた。なんか、弟が読んでた絵本にいた王子にそっくりな格好の野郎だ。しかし何よりも先に、抜かれかけたその剣がまず目に入る。こいつもしかしてローを狙う気か?そんなの死んでもさせねぇけど。随分と背の高いそいつを立ち上がって睨みつけると、剣呑に尖っていた目がおれを映して大きく見開かれ、あんぐりと口が開いた。
「……?」
「おま……おま、おまおま、お前は…!!!」
唇がわなわなと震えだし、鞘から抜かれた剣先までカタカタと音を鳴らし始める。あからさまに不審な挙動にすかさず身構えたが、剣よりも先に襲ってきたのは辺りに轟く叫び声だった。
「チェンバーズッッ!!リバーーーーッ!!」
「!ッんだようるせぇな」
「こ……こいつら最悪の世代に奪われたぼくの人気!!それでも!美しすぎる海賊の名声はぼくだけのものだった!!それを…っそれをお前がァァ!!」
「は?何……──!!」
「お前だけは生かしておく訳にいかなァい!!」
訳の分からないことを叫びながら振り下ろされた剣を、翻した翼で食い止める。突拍子のない野郎だが厄介なことにその重みだけは本物だった。歪んだ青い目が真っ直ぐな殺意を伴っておれを睨みつけている。まじでなんなんだ。こいつも海賊ってこと?こんな見ず知らずの奴に恨まれる覚えが全くねぇんだけど。
「世界に出回りきったぼくの手配書がどんどん値下がりして、代わりにお前の手配書がぐんぐん値上がりしていく!!その絶望を考えたことがあるか!!」
「手配書?お前さっきから何の話——」
「そもそもお前とぼくとでは美しさのベクトルがまるで違う!つまり人気が二分される!せめて同じ方向性なら勝てたのになんだその黒髪はァ…おまけに幻獣種なんて卑怯な相乗効果まで…!メラメラの実を食べてお前をギャフンと言わす予定だったのにそれも台無しだ!!」
「?待て、海賊に人気とか──」
「“キャベンディッシュ様も良いけど恋人にするなら絶対リバーよね~~”“分かる~あのクールな顔が最高!”……こんな会話が今!この海に溢れかえっている!!許せん!!」
「……」
一個も意味分かんねえ。こんなの相手にしてられるか。翼で剣を薙ぎ払い腹に蹴りを食らわせようとしたが、割り入ってきた麦わらが金髪の首根っこを引っ掴んだ。
「おいキャベツやめろ!ウマ男はおれの仲間になったんだ!」
「なってねぇよ。つかこいつなんなんだよ。お前の知り合い?」
「ああ。コロシアムで会ったんだ」
「離せ麦わらァ!この男だけは!この男だけはー!」
「…今の言葉撤回しろ麦わら屋…リバーはおれの部下だ」
「えー?トラ男、お前もおれの仲間だろ?」
「ちげェ!」
おれは腕を引かれて、そのまま不機嫌なローの後ろに回された。広い背中に隠れながら思わず顔が緩む。こうしてローが怒ってくれて、"おれの部下"とか言われただけでこっちの機嫌はみるみる上昇していく。
いくらか気分を立て直してローの身体越しに向こうを見やると、金髪は変わらず頭から湯気が出る勢いで怒り狂っていた。髪を振り乱して睨んできたので舌を出して返すと、今度は金切り声をあげて地団駄を踏み出した。……もしかしたらこれまで生きていた中で1番意味わかんねぇ奴かも。
「きー!チェンバーズ・リバー!お前を殺してこのぼくが名実ともにこの海で唯一の美しすぎる海賊になってやる!!」
「ウマ男ってそんな風に言われてんのか?」
「知らねぇよ興味ねー」
「まァ確かに派手なツラしてるしな。それにしても難儀な星の元に生まれてんなァお前も」
「だから知らねーって……」
麦わらとロロノアに憮然として返答すると、ローがそれはそれは大きなため息を吐いた。
「……世間の目なんざどうでもいいが、こいつがそのふざけた謳い文句を使って記事にされてるのは事実だ。海賊の情報を得るとき、顔写真が真っ先に目に入るだろうからな。……おいお前、リバーは自分への賞賛は聞き流す癖がある。いくら喚こうが無駄だ」
「なに!?賞賛を流す、だと!?!?信じられないがそれじゃつまり…自他共に認めてるぼくの勝ちってことか?」
「は?興味ねぇっつってんだろ」
「そうかぼくの勝ちか!!はーっはっはっは!!」
「………」
これ程訳の分かんねぇ奴に初めて会った。軽く恐怖すら覚えて思わずローの服を掴み、背中に隠れた。出来ればもう二度と顔を合わせたくない。
ローは理解しがたそうに息を吐いてから、おれの方を振り返って優しく頭を撫でてくれた。それをありがたく受け入れて背中に擦り寄る。
誰にどう思われようとどうでもいい。この海全部ひっくるめたって、ローのこの手のひら一つに敵いっこないんだから。