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哀れな野郎、だと?ローとリバーの間に横たわる想いなど一つとして理解し得ない傀儡の王が、笑わせてくれる。

「“ROOM”!!──タクト!」

ローは鬼哭の斬撃を飛ばし、外壁塔を更に切り崩した。もう一度それをドフラミンゴへ向ければ、苛立たしげな無数の糸が塔を破壊するために伸び、予想通りにリバーを拘束する糸に隙ができる。

「餓鬼が……よっぽど死にてェらしい……!チッ、蜘蛛の巣がき!」
「シャンブルズ!!」

瓦礫を蹴り上げリバーと位置を入れ替えて、目の前に現れた体を抱きとめた。骨が軋む程の強さで糸に締め付けられていたリバーは、雪崩るように倒れ込んだローの腕の中でひゅうひゅうと木枯らしのような呼吸を繰り返した。押さえつけられていた翼は毛羽立ち、痛みからか小刻みに震えている。嫌な予感がしてリバーの腹のあたりに手をずらすと、新しく流れ出た血で服がぐっしょりと濡れていた。

「…ッリバー、一旦座れるか。傷を塞がせろ。手錠が取れたおかげでやっとお前を治療してやれる」
「っ、……そ、んな暇、ねぇだろ…前見ろよ…あんたとコラさんの仇が、すぐそこに…今がチャンスだ…!その実の力、を──これ以上おれに使っちゃ駄目だ……!」
「〜〜っ、いい加減に、しろ!!」
「ぅ、え?」

ドフラミンゴが未だ降りかかる瓦礫を切り刻んでいるのを確認しながら、ローはリバーの身体に痛みが走らないよう床に降ろした。荒くなる口調と裏腹に、丁寧な手つきで。石壁に力無くもたれたリバーは、乱れた黒髪の隙間からどこか——困ったようにローを見上げていた。

こいつのことだ、身体のことを悟らせるつもりは無かったんだろう。ローにはドフラミンゴだけに集中してほしいから。頭が怒りで熱くなるのと同じくらい、切ない思いが胸に広がる。
愛情の受け取り方がいつまで経っても下手くそな奴だ。それもひっくるめてこいつらしくて良いが、いくら触れ合っても、抱き合っても、リバーはローの手から零れ落ちようとしてしまう。その度にローの胸が締め付けられて軋んでいることを、リバーは知っているのだろうか。

「──コラさんが…死にかけの仲間を見捨てろなんて、おれに教えると思うか?あの人ならてめェの目的より目の前の仲間を救う!おれも同じだ…!」
「分かってる…」
「いや分かってねェ。お前がここにいてくれて良かったとおれは言った。忘れたわけじゃねェな?」
「お、覚えてる。絶対忘れねェ」
「言ったな?絶対だぞ──“ROOM”!」

リバーの服をめくり、赤黒く染まった肌に顔をしかめつつ円で覆う。鬼哭を翳すとリバーは諦めたように天を仰ぎ、「悪ィ」と呟いた。浮き出た喉仏にはグリーンビットでドフラミンゴの糸をちぎった時の傷跡が幾本も残っている。
──あの男の残した痕がリバーの体にあることがローを殊更に苛立たせた。

舌打ちを漏らして脇腹に空いた穴を埋める。苦しげに呻くリバーの頭をそっと撫でてやりながら。戦闘中ゆえ簡易的な対処しかできないが、傷を塞ぐことはできた。銃弾の痕からこれ以上血が流れることはない。ついでにヒビの入っていた翼の骨も修復し、リバーの手を取って立ち上がらせる。

医者としては休息を取らせてやりたいところだが、キャプテンとして、今ここでリバーと共に戦いたかった。俯いた頭を撫でてそっと上を向かせる。指の背で頬を撫でると、くすぐったそうに細められた瞳が戸惑いがちにローを見上げた。

「……お前が大切だ。何度言えば分かる」
「お…れもあんたが大切だ。あんたの生きてきた意味も、あんたの大事な人の意志も今全部がここにある。それを、守りたいだけ」
「ならその中にお前も入れろ」
「…おれを入れると、“あんたが一番大切なおれ”が入るから、意味ねェけど」
「この…」

ああ言えばこう言う。肉付きの薄い両頬を片手で掴み怒りを示すと、リバーはようやく微かな笑みを浮かべた。
———この大切な部下は、きっと他の仲間と共にゾウにいれば安全だった。レッドラインを超えてきたあの飛行能力なら、ベポのビブルカードを追えばゾウに着いただろう。少なくとも今この状況よりはマシだったに違いない。

だが、あの時パンクハザードに引き留めた事になんの後悔もない。その存在が一体どれだけの幸福をローに与えたか、リバーはきっと思い至ってもいないだろうが。たまには自惚れてわがままになってしまっても良いものを──などと思ってから、そうならないのがこいつの可愛いところだと脳裏で首を振った。

やがて王宮の屋上に轟音が響き、落下させた外壁塔が跡形もなく地上へと雪崩れ落ちる。上を見上げると、宙に浮かぶドフラミンゴが崩した瓦礫を手のひらから落としながらゆっくりとローとリバーを見下ろした。落ちた口角を見れば、男が苛烈な怒りを持て余していることは容易に分かった。幼い時分に見慣れた狂暴な怪物の顔だ。同じようにそれを認めたリバーが表情を鋭くして、一歩ローの前に出て翼を大きく広げた。

「…くだらねェ攻撃しやがって——コラソンはてめェに無駄死にしろとでも教えたのか?お前はその命をもって不老不死の秘術をおれに施しゃいいんだ…フッフッフ…」
「お前のチンケな命を生きながらえさせるくらいなら、死んだ方がました」
「……待て、なんだって──不老不死?」

ぴく、と肩を跳ねさせたリバーが困惑したように振り向く。ローは内心頭を抱えた。こいつは、その事を知らない。パンクハザードで自分の過去の話をした時、ただでさえローの心臓が無い事に感情を乱していたリバーにオペオペの実の話をする必要は無いと判断したが、いずれにしてもタイミングはあまり良くない。リバーが何も聞かされていないことを察したドフラミンゴは、案の定大袈裟に口角を吊り上げた。

「何も知らねェか…哀れな野郎だ、チェンバーズ・リバー。お前のキャプテンがおれから奪った実には、特別な力が宿ってるのさ……」
「特別な力?」
「そいつの話は聞くなリバー…おれを見ろ」

このままではろくな事にならないと察して、ローはドフラミンゴの言葉を遮った。ただでさえ血の気の失せていたリバーの顔は今や色を無くしている。不安そうに揺れるグレーの瞳を覗き込み、落ち着かせるために肩に手を置いた。

「オペオペの実には、能力者の命を持ってして不老不死を与える力がある。あの野郎はそのつまらねェ力を欲してた──あいつがコラさんに食わせるつもりだったそれを、おれが食った。それだけのことだ」
「能力者の、命……」
「おれが使うことは無い。安心しろ」

察しの良いはリバーは静かに唇を震わし、ローの存在を確認するかのように強く腕を掴んだ。目元にかかる前髪の隙間から潤む瞳が覗く。真っ直ぐに視線を絡めながら、冷えたリバーの手に己の手を重ねる。

「だ、からあいつはあんたを殺したがってんのか……くだらねぇ夢を壊されたから?」
「──…… リバー、」
「馬鹿みてぇだ……悪魔の実ってやつは……」

ローの目の前で、リバーの大きな瞳に一瞬で波が溜まった。瞬きに弾かれて大粒の涙が頬を落ちる。この部下は確かに脆いところはあるが、強い男だ。滅多に泣くことは無い…ローに関すること以外では。

宝石のように粒になってリバーの頬から落ちる涙を指で受け止めて、眉を歪ませて自分を見つめる彼と視線を合わせる。滑らかな肌は流れる涙の勢いを後押しして、次から次にローの指に染み込ませた。

「おれは──あんたの命が、ッそういう…突っついたら落っこちそうな所にあんのが、ほ、本当に嫌だ」
途切れ途切れの声が懸命に思いを伝える。これがリバーの本心なのだと痛いほどに響いてくる。
「だが、この実のおかげでおれの命が助かったのも事実だ。回り回ってお前の命も」
「あァ、っ分かってる。あ…あんたの能力は人の命を救う能力だ。“コラさん”があんたに残してくれた…おれのなんかよりずっとずっと綺麗な能力だ……だから、あんたの命を奪うような力、持っててほしくなかった」

ず、と鼻をすすり、リバーが前を向く。風に靡く黒髪を見つめながらローは開きかけた口を噤んだ。お前の能力こそ、この海の何よりも美しい。この言葉はもっと──静かであたたかな場所で告げたい。そう思った。

「ローの命は奪わせねェ。お前からも、悪魔の実からも、絶対取られたりしねェ。残念だったな鳥野郎……!おれが生きてる限り、こいつには指1本触れさせねぇ!」
「おーおー、威勢だけ良い弱者ってのは見てるだけで虫唾が走るぜ…!」

高笑いするドフラミンゴからローを守るようにして、黒い翼が大きく広げられた。眼前を覆った滑らかな羽根に手で触れながら、ローも前を向く。

ドフラミンゴは勢い良く糸を伸ばしてローの首を狙った。すかさず広がって盾になった翼に束になった糸が弾かれ、ドフラミンゴが舌打ちを漏らす。次から次へと襲いかかってくる糸を、リバーは武装色で覆った翼や腕で払い避けていった。決死の表情で猛攻に抗うリバーは、本当にあの糸をローに1本足りとも触れさせない気迫だった。

しかし、ドフラミンゴとの力量の差は紛れもなく存在する。弾け飛んだ羽根が頬に当たり、ローはリバーの背中を掴んだ。薄い背中だ。だが、この背中に何度守られてきた回数は数え切れない。

奥に控えていたトレーボルが薄気味悪い笑みを浮かべながら近づいてくるのが見える。あの強い粘液にリバーを捕らわれるわけにはいかない。すかさず手を掲げROOMを広げようとしたが、リバーが手首を抑えてそれを阻んだ。

「ッおいリバー……!」
「ロー、後ろに回れ…!俺が引き付けてる間、にッ、あいつを……!!」
「何を企んでるか知らねェが──そう全てが上手く運ぶと思うか?」

ドフラミンゴが口角を吊り上げて嘲笑した。底の見えない笑みがゆっくりと掲げられた手に隠れる。無性に嫌な予感がする。リバーを移動させるためにローが再び右手を掲げると同時に、足元を急速に伸びた糸がリバーの脚に巻きつき、背後から現れた糸がローの胴を薙ぎ払った。

「……っ、!!」

脇腹に食いこんだ糸によって石壁に叩きつけられながらも視界にリバーを納め、目に入った光景に一瞬時間が止まったような感覚に襲われる。ハ、と凍るような息が自分の肺から漏れるのがローには分かった。
ここに至るまでの戦闘で傷ついていた内蔵からせり上がった血が口から漏れ出る。オペオペの実は、自分自身の傷は治せない。だがそんな事は今どうだって良かった。

「──“ROOM”!!」

円が急速に広がる。それよりも速く、けたたましい笑い声をあげたドフラミンゴが腕を振り上げ、糸を巻き付けたリバーを引き寄せる。両脚に巻きついた糸によって、リバーの毛羽立った翼と身体が為す術なく吊り上げられる。


「っ、離──」
「てめェの脚が邪魔だ。見境なく水を湧かせられちゃたまんねェからな………」


シャンブルズが間に合わないと本能的に分かった。
やめろ、と引き攣った声が零れ落ちる。糸に逆さまに吊り下げられたリバーはもがきながら気丈にドフラミンゴを睨みつけ、左脚を必死に糸から這い出した───。


「駄目だ………ッやめろ!!」


自分のものとは思えない悲痛な叫びが喉から張り出た。

「ああ動くなチェンバーズ……邪魔なもんを切るだけだ───糸ノコ!!」
「───ッ!!!あ、あああああ!!!」
「へっ、べっへへへ!!やりやがった~~!糸ノコ!!糸ノコ!」


血飛沫が宙に溢れ、トレーボルの笑い声がこだまする。ドフラミンゴが手に掲げたのは── リバーの右脚。

引き攣った叫び声をあげたリバーが切り落とされた足の付け根を抑えながら落ちていく。
ローが“シャンブルズ”でリバーの身体を取り戻すと同時に、太ももから下を斬り払われたその脚がドフラミンゴからトレーボルの元へと放り投げられる。見慣れた脚がベタベタの実の能力でトレーボルの腹に貼り付けられるのを、ローは唇を噛み切りながら凝視した。


「ドフラミンゴ……!!てめェ……!」
「フッフッフッフ、片脚しか取れなかったか───まあ良い。もう片方もすぐに切り落としてやる……」



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