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熱い。


ローの腕に抱えられながら必死に脚の付け根を抑えたが、そこにはもう何も無い。あいつがおれの脚を切るつもりなのだと糸が巻きついてきた時点ですぐに分かった。誰だってこの足を狙うだろう。どう考えたって、有翼のユニコーンの能力の中でこれが一番厄介だから。
覚悟はしてたけどいざ無くなっちまうと、てんで駄目だ。途中で無惨に引き裂かれたデニムが血に染まり、熱くて痛くて一人で立つこともできない。

「リバー、リバー……!」
「っは、ああ……くそ、ロー、ごめ、ぁ──_」
「喋るな。すぐに取り返してやる。すぐくっつけてやる……!」

ローは鬼哭を振るい、糸に切られた断面を塞いでくれた。出血は止まったが炙るような痛みは増す一方で、滲んだ大粒の汗が目に入って視界がぼやける。

ヘマをした、と妙に冷静な自分がそう言っているのが分かった。一本足になったせいでローの腕に体重を全部かけたまま、残った左足を見下ろす。ローに余計な思いさせて、この一本だけで何ができる?仇との戦いに集中させてやるのが部下の務めだろ。この馬鹿、役立たず──。

荒い呼吸を繰り返しながら、必死におれの名前を呼ぶローを見上げる。噛み切ってしまったのかその口元には血が垂れた跡があった。震える手を伸ばしてそれを拭おうとしたけど、血まみれの指では更に汚してしまうだけだった。

「リバー、おれは──……くそ、」

だけどそんな事お構いなしに、ローはおれの手のひらに頬をすり寄せた。眉根を寄せて苦し気なグレーの瞳と視線が絡み合う。血に塗れて真っ赤に染まるその顔を見上げながら、切られたのがローじゃなくて良かった、と心から思った。

「傍にいたのに、またお前が傷ついた……」
「……覚悟してここにいる。傍においたこと後悔してるとか、絶対……」
「思ってもねェよ。お前が必要だ。だからここで待ってろ…すぐに治す」

ドフラミンゴの死角になる石壁の隅にそっと降ろされて、脚の無くなった場所を大きな手が覆った。脂汗の滲む顔を誤魔化すように頭を壁にあずける。ただでさえ足りなかった血がまた減った。動きの鈍い脳を無理やり動かして、この状態で自分にできることを必死に考えた。

「…立たねェと…」
「いい。もう考えるな…お前は十分、本当によくやった。今ここで生きてさえくれりゃあ良い」
「……駄目だ…」
「リバー、頼むから──動かないで待ってろ」

ローはそう言って、冷え切ったおれの唇に一瞬だけ唇を重ねた。見えてないだろうとはいえ、仇の前でこんな大胆な真似していいのかよ。そう言ってからかってやりたいのに掠れた喉は仕事を放棄していた。

あーあ、最悪だ。いつもなら尻尾振って抱きついて、もっともっとってねだるのに。額に当たった帽子の感触と、愛しいキャプテンの顔を視界に焼き付ける。血の味がするキスを残して、ローはおれの髪を優しく撫でて立ち上がった。
鬼哭を振りかざし、踵を返して去って行くその後ろ姿を見送り、細く息を吐く。唇に残った温かさにはローの切実な想いが篭っていた。

少し背中を浮かして翼を動かしてみると、傷ついてはいるが骨は問題なく機能していた。脚が無くとも翼がある。まだおれは、ローのために動くことができる。呼吸を繰り返して血液を循環させて、なんとか身体を回復させようと意識した。

ああ、カマバッカの飯が食いたい。今あの料理を食べたら、血なんか一瞬で補えるだろうに。サンジにレシピ教えてもらっときゃ良かった。そんで全部終わったら、ポーラータングでローと一緒に飯を───……。そこまで考えて、閉じていた瞳をはっと持ち上げる。


「………はは、今おれ、終わった後のこと考えてた──」


ドレスローザに来てから、おれもローも“この島を出てから”の話はしてこなかった。パンクハザードで話した通り、ローは最初っから死ぬ覚悟でドフラミンゴに挑んでいるし、おれだって死ぬ覚悟でここまでついて来た。

「生きてさえくれりゃあ良い」なんてあんたは言うけど、あんたのいない世界なんて生きてられない。だからさ、あんたが死ぬなら一緒に死にたいよ。それでもおれに生きろって言うなら、あんたも生きててくれなきゃ困る。

……本当は、この先もずっと一緒にいたいよ。

足を失ったって離れたくない。血に濡れた頬に涙が伝う。固まっていた血が溶けて、赤く透き通った雫が手の甲に落ちた。

生きるか死ぬか、どうせどっちかしか選べねぇんだから、一緒に皆のところに戻れたらそれが一番良い。なあロー、そう思わねぇ?こんな前向きなことおれが考えるようになるなんて笑えるよな。……麦わらのせいかもって言ったら、ちょっとは不機嫌になってくれる?


ローがドフラミンゴとやり合い始めた声が聞こえる。トレーボルも戦いに加われば二対一だ。キャプテンに一人いかせるなんて部下の名折れだが、この身体で今すぐ突撃しても足手まといになるだけだ。もっとタイミングを見極めて、一瞬の隙を突いて動く必要がある。

「……くそ、麦、わらァ……はや…く……」
「ん!?ウマ男呼んだかーー!?」
「……!!」
「ゴムゴムのォ!ジェットガトリング!」

凭れかかった石壁の傍の床が突然崩れ、下から威勢の良い声がする。麦わらだ。奇妙な安心感に襲われる自分がなんだか笑えた。癪だけど、こいつが来てくれて本当良かったってもう何度も思ってる。
麦わらの拳はローと戦っていたドフラミンゴを吹き飛ばし、また下へと消えていった。転がった頭部を見るに糸で作られた人形だったようだが、ローへの攻撃が止んだのは事実だ。

「おーいミンゴ!ベラミーを止めろ!!死んじまうよ!」
「ああもう十分だベラミー……自由にしてやるよ。今まで通りな……」

ふらつく頭を抑えながら腰を浮かせる。麦わらは麦わらで、今手を離せない戦いをしているらしい。つまり……あいつばっかに頼るわけにはいかねぇってことだ。左足に力を込めて必死に身体を持ち上げ、地面につけた翼を頼りになんとか一人でも立つことができた。

「ッ……ロー……」

壁に凭れながら移動して壁の向こうを見ると、戦闘に加わったトレーボルの粘液がローの腕に絡みついているのが見えた。“ROOM”を広げたローはドフラミンゴの首元に迫ったが、動きを封じられて糸の束に鳩尾を薙ぎ払われる。
やっぱり、あんたを一人で戦わせるなんてできない。助けるだけなら足手まといにはなんないだろ。血を吐きながら塔に叩きつけられたローを見て、即座に翼に力を込める。


立てないなら飛べば良い。この翼は、ローのためにあるんだから。


鋭く伸ばした翼で一気に飛翔する。右足が無いせいで不安定ではあったけど、それでも、飛べる。翻って素早く空を飛び、まだおれに気が付いていないドフラミンゴの脳天目掛けて武装色で硬化させた左足を思いきり振り下ろした。

「……!?てめェ…!」
「べっ、べっへへ!!しつけェ野郎だ一角天馬…!ベトランチャー!」

蹴り飛ばしたドフラミンゴは石壁に激突して苛立たし気にこっちを睨んできた。直後にトレーボルが飛ばしてきた粘液が翼に当たったが、動きが制限されるほどのことはない。
宙で回転しながら素早くローの元まで飛び、その身体を掴んでドフラミンゴ達から離れた。後ろから羽交い絞めにされたローは顔をしかめて振り向いて、風になびくおれの髪をかき分けて視線を合わせた。

「おい……!動くなと言っただろうが…!」
「あんたがキスしてくれたおかげで、だいぶ回復したから」
「こンの──ッ嘘つけ!」
「ほんとだって——あ、やば」

着地と同時に崩れたバランスを翼を仰いで持ち直して、なんとかローを降ろす。やっぱり左足だけじゃ上手く立てそうに無い。気遣わしげに素早く腕を伸ばしてきたローと一瞬だけ手を握り交わして、翼を仰ぐ。飛んどきゃ倒れずに済む──体力は減っちまうけど。

休んでろ、と、そう言いたげに開いた口を苦しげに閉じて、ローはすぐ隣に浮いたおれの左足を掴んで自分の肩に置いた。どこまでも優しいその手つきは、ちょっとでも休めと言っているようだった。医者として葛藤しながらも、ここまでついて来たおれの覚悟を全部受けとめてくれてる。その想いに甘えて翼を仰ぐ速度を緩めて、糸で身体を起こしたドフラミンゴに顔を向ける。

「足だけで済ましてやれたってのに…どうやらよっぽど死にてェらしいな…」

蜘蛛の脚のように広げられた指先から糸が流れ落ちていく。無表情のあの男は、人形でなく本物のドフラミンゴだ。隣に下卑た笑いを零すトレーボルが並び立つ。
──粘り気を帯びたその身体の真ん中に、おれの右足の先端が沈んでいるのが見えた。あれを取り戻すのは骨が折れそうだ。でも、あいつの身体が張りぼてだって事はよく分かった。

「チェンバーズ、おれにお前を殺させるな……せっかくの献上物なんだ」
「……おれは天竜人のペットになる気はねェ。殺す気でくりゃいいだろ」
「フッフッフ…家畜風情が偉そうな口きいてんじゃねェ…!超過鞭糸!!」

残った左足を狙って焼け付く熱気を帯びた糸が襲い来る。猛攻を躱して更に上へと舞い上がり、ドフラミンゴ……の隣のトレーボルに脚の照準を定めた。何よりもまずあの右足を取り返さなきゃ、いつあいつらの気が変わって切り刻まれないとも限らない。

「リバー!真っすぐ行け!」
「!!」
「シャンブルズ!」

瞬きひとつしない内に、目の前にトレーボルの後ろ姿が映る。おれを移動させたローはそのままドフラミンゴに向かって鬼哭を突き立て石壁に激突し、砂塵で見えなくなった。

──目の前の敵に集中しろ!左脚を天馬の後ろ脚に変化させ、トレーボルの頭に思いきり打ち付ける。水さえ湧かせればこいつのベトベトの実の効力は無くなる。しかし片足に慣れないせいで蹄がぐらつき、トレーボルの腕が伸びてくる前に少量の水しか呼び出すことができなかった。
脳天から湧いた水によって半身を溶かされたトレーボルは気味の悪い形相で振り返り、奇妙にねばついた物体をおれの角に纏わりつかせた。

「水なんか呼びやがってどうしてくれんだ!ちょっと溶けちまったじゃねェか!調子にのんじゃねェ奴隷野郎!吹っ飛べェ、ベタベタチェーン!」
「……っ、!」
「べっへへへ!角!角折ってやったぞ!次はその左脚だァ!」

能力で伸びた粘液によって塔の外壁に打ち付けられ、衝撃で角が真ん中から折れた。カラカラと音を立てて落ちていく角の先端を一瞬見送って、軋む翼を仰いでもう一度宙へと飛ぶ。
どうしてくれんだはこっちの台詞だ。貴重なユニコーン角折りやがって……あれってまたちゃんと生えてくるんだっけ?あーくそ、こんな場面で気絶なんかしてみろ、おれはおれを絶対に許さねェ。

トレーボルにもう一度水を食らわせてやるために、今出せる最大のスピードで降下する。流れるように過ぎ去っていく視界の隅で───ドフラミンゴが床に伏したローに向かって腕を振り挙げている光景が恐ろしいほど静かに止まって見えた。

「……ロー」

せり出した瓦礫で足を着き、直角に向きを変える。ロー、ごめん。あんたは怒るかもしんないけど。やっぱさ、分かってて動かねーなんて、おれにはできねぇよ。

「とっとと死ね、ロー…!!」

無数に伸びた糸とローの間に身体を滑り込ませて、大きく翼を広げた。自分の影に覆われたすぐ下に、ローの背中の文字が見える。“corazon”。この人はローの大切な人。おれにとってのローだ。彼の意志をやり遂げる。それがおれの全てを受け止めてくれたローへのせめてもの恩返しになるって、信じてる。

「………リバー、なん──」

顔を上げたローが口を震わせておれの名を呼んだ。ひっでー面。笑ってやりたいのに、口から血が出て笑顔のひとつも作れない。
翼から、身体から、貫通した糸を伝った血がローの上に雫になって落ちた。真っ赤に染まった糸が引き抜かれていって、磔になっていた身体がローの上に雪崩れ落ちる。

「リバー……おい、リバー!!!」
「フッフッフ…全くどうやって世話したらここまで献身的なペットに育つんだ?ここまで使い勝手の良い駒もそういねェだろう……脚も角も失くした不良品が、泣かせてくれるじゃねェか。なぁ、ロー?」

起き上がったローに抱きかかえられて、何度も名前を呼ばれた。攻撃の半分くらいは覇気で防いだけど、ドフラミンゴの覇気の方が上だった。カマバッカで修行してなかったら全身穴だらけで死んでたな。笑おうとしてまた失敗して、ローはますます青ざめた顔をしておれの顔を覗き込んできた。そしてすぐに“ROOM”で身体が包まれて、傷跡が塞がれていく。

そう、おれの傷はあんたが治してくれるから。敵地のど真ん中で一瞬で治療ができる医者なんて、きっとこの海であんただけだ。

「これ以上血を流すな、死ぬな…!」
「死、なねぇ、あんたが生きるならおれも生きるから……」
「———リバー」
「あんたのおかげで、日が差してんだよおれの人生……信じらんねーくらい、毎日眩しいんだ…」

霞む視界に映るローの顔の上に、雲間から太陽が覗く。鳥カゴの糸でその輝きは途切れ途切れだけど、間違いなくおれ達を照らしてる。故郷では殆ど見られなかった太陽は、ローと出会って海に出ていつの間にか当たり前の存在になっていた。空を見て感傷に浸るなんてこっ恥ずかしいけど、今繋がってるあんたの手がいつもより温かいからこんなこと考えちまったのかも。

「あいつを越えて、ゾウに…皆んとこに、一緒に帰ろう…」

頬に手を添えて言えば、見開かれた瞳に光が差す。ちょっと隈の目立つ、大好きな目元。もう一回、あんたが連れ出してくれた青い海の上でその目が見たい。

「———必ずだ。約束しろ」
「は、っはは…ん、約束…」

ローは強く頷いて、後ろから迫ったドフラミンゴの糸を片手で掴んだ鬼哭で弾き飛ばした。
ああ、初めて………ローが“この島を出てから”のことに答えてくれた。

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