「麦わら!リバーを下に連れていく!!」
「ああ!」
「こいつの治療を済ませたら、おれはまたここへ戻る。悪ィがそれまで任せたぞ」
「お前も傷だらけじゃねェか。戦えんのか?」
「おれが受けるべきだった傷はリバーが殆ど受けた。ドフラミンゴはおれが倒す」
「おれもあいつぶっ飛ばしてェから、そんなに待てねェぞ!ウマ男を頼んだ!」
「誰に言ってる──こいつはおれの部下だ」
ルフィからリバーの右脚を受け取って素早く踵を返し、ローは外壁塔から身を投げ出した。
「ロー……その馬をどこへやる──?フッフッフ……まだ息がある!退場じゃない!」
「ミンゴ!!邪魔すんな!」
頭上で鬼気迫る戦闘の音が響き始める。リバーを抱きかかえる腕に更に力を込めたローの肌を、ドレスローザの風が吹きすさぶ。折れたまま戻らない天馬の翼が空に靡く光景に下がざわめいたが、ローには聞こえなかった。
腕の中で目を閉じたリバーを抱き寄せて、ひたすらに下へと落ちる。リバーはもう戦えない。絶対に戦わせない。トレーボルを倒したあの攻撃は限界をいくつも超えた先にある力を振り絞ったものだった。
舞い散る黒い羽根が街へと飛んでいくのが惜しく、“ROOM”を展開して落ちるスピードを緩めようと右手を掲げた。しかしその時、眼下で何者かがこちらに駆け寄ってくるのが見えた。
「トラ男くん!そのままここへ!!スパイダーネット!」
「───ニコ屋、助かる…ッ」
張り巡らされたロビンの腕の網へ向けて背中を丸め、出来る限りリバーを衝撃から守ろうと試みる。“ROOM”は発動するだけで体力を消耗する。リバーの治療のため、そしてドフラミンゴとの戦いのため、少しでも能力を温存できるのは有難かった。細腕でできた網は男二人分の落下を容易く受け止め、その勢いを最小限に押しとどめた。
「ッリバー君……!足が……!」
花が散るように網が消え、青ざめたロビンが駆け寄ってくる。ローはそちらへ視線を向ける余裕も無く、か細い息を繰り返すリバーを地面へ横たえた。自分の帽子を枕にその顔を仰向けにすると、根元で折れた角が目に入ったのかロビンが更に息をのむ。
「ああ、そんな……──ットラ男君気を付けて、ドフラミンゴの攻撃がくるッ!」
「くそ、しつけェ……!」
さっさと治療を始めたいのにいつまで邪魔をすれば気が済むのか。振り仰げばルフィの守りをすり抜けた“弾糸”がこちらへ振り注ごうとしていて、ローは舌打ちを零した。致し方無し、とオペオペの力を発動させようとすると、突然華やかなマントの男が前に躍り出てきた。
「ふん、腹立たしいが角が折れてもその美しさは損なわれていないな、チェンバーズ・リバー!!僕の次にだが!“金の斧 銀の斧”!!」
「!!キャベツ君!」
「トラファルガー、さっさと治療を始めろ!これ以上連中の好きにさせるな——このぼくを醜い人形に変えたあのくそったれ共のな!」
「……ふん、てめェに言われるまでもねェ。“ROOM”!」
突然現れたキャベンディッシュ、そしてロビンが背後に立って二人を覆い隠す。立て続けに台地にいたらしいキュロス、小人たち———ローはこの時生まれて初めて小人を見たがそれどころではなかった———がリバーの周りに集まってきた。
「ウマ男くん…!あんなに強かった彼までもがこのような…!」
「何か手伝えることがあったら言ってくらさい!」
「いや、いい。治療に集中させろ」
「わかったれす!皆、リバーランドはあのトレーボルを倒してくれた……僕たちの大恩人れす!」
威勢の良い返事と共に、ロー達を守るように周囲に人垣ができる。騒めきで意識が浮上したのか、薄っすらと瞼を上げたにリバー向かってローは小さく頷いた。
二人ぼっちだったパンクハザードでの日々からは考えられない程、知らず知らず多くの縁ができた。ここにいるキュロス、それからリバーに肩入れしている様子のあるロビンなどはローの知らぬ間にリバーが一人で繋いだ縁だ。おかげでローは今こうして、リバーを治すことに集中できる。
「……どうした…笑ってんの……?」
「お前がいて良かったと思っただけだ」
「──……うれしい、けど、おれこんな……」
「こんくらいさせろ。息止められるか。絶対に痛い思いはさせねェ」
「わか、った…」
静かに目を伏せてリバーが息を止める。それと同時に切断された脚を断面に密着させ、細胞、血管、筋、その全てが元通りになるように意識を集中させる。身体側の切断面は既に塞いでいたから再び繋ぎ合わせること自体は上手くいった。ただこの脚が元のように動くのか、再び天馬の脚に変身できるのか——それらはまだ分からない。
「頼む……」
無意識の内に呟きながらそっと手を離すと、リバーの右脚はしっかりと身体に馴染んだ様子だった。一生残るであろう接合面の盛り上がった痕を指でなぞりながら、唇を噛みしめる。傷跡は消せなかった。オペオペの力を借りはしても、一度切り離された細胞を無理矢理接合したのだから当然だ。
持ち主の元へ戻った右脚はその肌の白さも相まって動かぬ人形の脚のようで、一刻も早く血が巡るようにと心から願った。冷たい脚を手のひらで温めようと試みていると、目を開けたリバーが掠れた声を漏らした。
「くっつい、た?」
「ああ、どうだ……動くか?」
たぶん、と呻くように言ってリバーが脚に力を込める。土を握りしめた手を上から強く握ると、同時に足先がひくりと跳ねて太ももがゆっくり持ち上がった。ひとまず感覚はあるらしい。安堵の息をついたローとは逆に、リバーは眉を顰めて足の指を開いたり閉じたりした。
「……あ?」
「どうした。違和感があるか」
「ある……靴は?つーか、服は?」
「トレーボルの粘液に持ってかれたが」
「……そりゃそうか、まァいいか…」
言われてみればリバーの履いていたデニムの右脚部分は根元からごっそりと切り落とされていて、素足をさらけ出す形になっている。全身に回すには血が足りないのかずっと青白いその脚に、ローは素早く脱いだコートを巻きつけて腰でくくってやった。
「……ありがと。根元は完璧にくっついてる」
「———あァ」
こらえきれず、横たわるリバーに覆いかぶさるようにしてその身体を抱きしめた。背中に腕を回し、首元に鼻先を擦り寄せる。柄にも無い仕草をしている自覚はあったが耐える気も無かった。
ローが密着すると、リバーの心臓はいつだってその動きを速める。それは血が足りていない今も同じだった。胸に耳を当ててその鼓動を確認してから顔を離す。抱き返そうとしたのか中途半端に腕を持ち上げたリバーが、顔を赤らめたまま不服そうな表情をした。
「…もう終わり?」
「また後でな。麦わらが上でドフラミンゴと戦ってる。おれも向かう」
一瞬で真剣な眼差しになったリバーが頷く。そしてずっと握っていた手がきつく握り返されて、額にすり寄せられた。睫毛の感触が指の背を撫でる。そして何かを言おうとしてリバーの口が開き、逡巡して閉じられた。ローは間髪入れずに「言え」と囁いた。驚いたように見開かれた目を真っすぐ見返す。
「でも、急いでんだろ」
「お前の言葉は聞いておきてェ。その方が力が出る」
なにそれ、と困惑したように返されたが事実なのだから誤魔化しようもない。リバーから発せられる言葉が、視線が、表情が、オペオペの実の力を使えば使う程に消耗していく体力を底上げしてくれる。始めはなんとなくの感覚でしかなかったそれが、今や確かな実感を伴っていた。肩を抱いて目で促せば、リバーは周囲で続く戦闘に一瞬視線を走らせてから、少し早口になって話し始めた。
「別に今話すことでもねェかもだけど」
「良い」
「クリスが、さ」
「———お前の弟か?」
「そう……あいつはさ、おれの目の前で撃たれて死んじまう最期までずっと、おれに笑いかけてくれてたんだ。本当に、ずっと」
最期の笑顔。
記憶に刻まれたコラソンとの別れが脳裏に蘇り、ローは僅かに目を見開いた。まさか、こんなところにもリバーと似通った記憶があったとは。
「なんで笑ってたんだろうって、ずっと分からなかった。でもさっき、あんたの上で撃たれながら、ちょっとだけ分かった。目の前の大事な人に少しでも明るい未来に進んでほしくて、ずっと笑っててほしくて……多分、そういうことだったんだ」
リバーはローを通して遠い過去を見ていたようだった。きっと、弟の影を。ローの方も、リバーの向こう側に恩人の姿が現れては陽炎のように消えた。
「…ならお前は、あの時死ぬ気だったのか?」
———おれを置いて?
不意に、余りにも頼りのない言葉が口をついて飛び出しそうになった。口をつぐんで思わず俯く。雪の降る、薄暗い島。リバーと出会った島と、コラソンを失った島はよく似ていた。だが二人を重ね合わせたことなど無い。性格も、風貌も、声も、何もかもが違う。二人ともがローの心の一等中心に存在していることは確かだったが彼らは似ても似つかない。笑顔だって、ローのために不器用にふざけて笑ってみせたコラソンと、柔らかな微笑を浮かべていたリバーとでは真反対だ。
──それなのに、その儚さだけは似通っていた。
凍り付くように息を吐いたローの頬を、リバーの手がそっと撫でた。冷えた指先が髪をかき分け、グレーの瞳がこちらを見上げる。視線を合わせると、いつもと変わらず透きとおった美しい目が穏やかに細められていた。その肌は未だ青白く、額の角は輝きを失って根元で折れてしまっている。だがリバーはどんな姿だろうが、その髪の一本一本までがローにとって美しさという言葉の意味そのものだった。
「泣いてくれんの?」
「泣いてねェ」
「泣きそうな顔してる」
「……ばか言え」
「おれが本当に死んだら、絶対泣いてくれなきゃやだから」
「死ぬな」
「うん、死なねェ。死ぬつもりもない。あんたと約束したから。だから…あん時のクリスの気持ちも、きっと全部は分からない。このまま爺さんになるまであんたの傍にいれたら…きっと一生分かんねェままだ」
リバーの艶やかな黒髪に、白髪が混じる様を想像する。それを撫でる皺だらけの自分の手も。そんな年まで生きる未来など思い描いたこともなかったが、悪くない、とすぐに思った。
頬を撫でる手に頬を寄せて微笑むと、リバーの目尻に赤味が差した。照れたその表情を生涯忘れぬよう瞼に焼き付ける。同じように血を失っているローの心臓が燃えるように熱くなるほど愛おしく、そして頼もしい部下だ。
「なら一生分からねェままでいろ」
「……一生傍にいてくれるってこと?」
「ああ。だから待ってろ」
感じ入ったようにリバーが息をのむ。一生、といったそれが短かろうが長かろうが、その淵までこの部下と共にありたいと強く思う。
「———う、ん。待ってる。変な話してごめん。ただあんたには、あったかくて良い未来に進んでほしいって、それを言いたくて……ああ、できたらおれも一緒に…」
「一生っつったろ。あいつを越えて、お前とまた海に出る」
「……あァ。任せた、キャプテン」
身体を寄せて折れた角にキスを落とした。ざらついた断面と艶やかな側面の両方の感触を薄皮に刻んで、最後に血の跡の残った口の端に唇で触れて、潔く立ち上がる。柔らかな真ん中は、戦いの後の褒美に取っておこう。
リバーとのキスが自分にとっての褒美にもなっていることを自覚して、ローは愉快になって笑みを深めた。