踵を返したローが“ROOM”を広げて外壁の上へと戻っていく。ついさっき一生傍にいるっつったのに、もうあんなに遠くに行っちまった。未来のためにドフラミンゴの元へ向かうローを、今は待つことしかできない。
麦わらとドフラミンゴは塔の頂上で凄まじい速さで戦いを繰り広げていて、そこにすぐさま鬼哭の一太刀が加わる。せめてローができる限り傷つきませんように。信じてもいない神にではなく、鳥カゴの向こう側に見える空にそう祈った。
「──ロビン、それからキャベツ。さっきは助かった」
「キャ、ベ、ン、ディッ、シュだ!!それとお前達話が長すぎやしないか!」
「あ?キャベツって呼ばれてたろ……まぁいいや。おれのお守りはもういいから、お前らは自分の仲間んとこに戻れ」
「僕に命令するな!」
「リバー君、どうするつもり?ここは危険よ。トラ男くんを待つにしてももっと遠くじゃなきゃ…一緒に離れましょう」
会話しながらもかろうじて見えるロー達の戦闘から目を離さないでいると、ロビンが頭の隣に跪いてきた。伸びてきた指の背が根元で折れたおれの角に触れる。その感触で、心底から心配されていることが伝わってきた。覗き込んでくる深青の瞳と視線を合わせて、ゆっくりと首を振る。
「……分かるだろ、ロビン。ローが戦ってんのにそれに背を向けるなんてできねェ」
「リバー君……」
「ふん、何をかっこつけてる!死んだら元も子もないだろうが!下の段にバルトロメオがいるはずだ。奴の能力ですぐ下へ行くぞ」
「──…待って、キャベツ君。無理矢理にでも連れて行こうとしたら、リバー君はきっと死んでしまう。肉体的にという意味ではなくて、あなた自身として。……違う?」
条件反射のように頷いた。不思議だけどやっぱり、おれとロビンはどっか似てんのかな。眩しくってたまんないものに引き寄せられて魅せられて、それがしんどい時もあったけど、今じゃこの温かさが心地良くって仕方ない。
隣にしゃがんだロビンの手の平がローのコートの上からおれの脚に触れる。華奢なのに頼もしい手だと思った。
「───……傍に、いたいんだ。息を吸って、吐ける限り、ローの傍にいたい。本当は、本ッ…当は……、隣に立って、最後まで一緒に戦いたかった…!でももう、隣で一緒にドフラミンゴをぶっ飛ばす役目は、麦わらに譲っちまったから……せめて一番近くで見届けねェと、おれァ、ハートの海賊団でいられねェ」
ゾウで待ってる皆の分まで、ローが事を成し遂げるのを最後まで支えたかった。おれが麦わらくらい強けりゃ、なんてだせェことは口が裂けても言えやしねえけどさ。悔しいが身体はもういっこも動かせない。弾丸が食いこんだ痕も切れた脚もローが治してくれたけど、失った血は戻らない。だからローは「待ってろ」と言ったし、おれは待つ。出来る限り近くで。
「やばくなったら翼出してなんとかする。だから、おれは置いてけ」
「……無謀なまでの献身だな、チェンバーズ・リバー」
「そんな立派なもんじゃねぇ。ただのわがままだ」
「そう。なら私も残るわ。キャベツ君は下へ」
ロビンがそう言い切ったのに思わず「は?」と間抜けな声を出してしまった。なんで。おれの勝手なエゴにこいつがつき合う義理なんてない。
「ロビン、何言って——」
「ニコ・ロビン、まだ傷が癒えていないんじゃないのか」
「背中ならさっきトンタッタ族のお姫様が治してくれたわ。だから、行って。鳥カゴがますます狭まってる。下にあなたの助けを必要としている人たちがいるはずよ」
「ぼくの助けが必要?……つまりファンか!仕方ない!チェンバーズ・リバー!!君とはいずれ世界一美しい海賊の座をかけた勝負を正式に行わなければならないからな——絶対に死ぬんじゃないぞ!」
「…………おれァ辞退する。お前の不戦勝にしとけ」
「駄目だ!君が生きている限りトラファルガーが認めないからな。それでは世界一とはいえない…だからぼくがお前たちを殺すまで死ぬな!」
颯爽とマントを翻してキャベンディッシュは去って行った。思わずその華やかな金髪を見送ってしまった。つくづく変な奴。だけど、妙に筋の通った男であることは分かった。
「キャベツ君ならきっとゾロ達の力になってくれるわ」
「ああ……ロビン、本当にいいのか。元はといやァおれ達がお前らを巻き込んだんだ。こんなとこにいて、なんかあったら……」
「リバー君。同盟において船長の立場は対等よ。ルフィも、そしてもちろん私も自分の意志でここにいる。あなたがボロボロになるまでトラ君の隣にいようとしたことを、私達は知ってる。そういう人を見るとほっておけないのよ、この一味は」
「———……へえ。本当に、おかしな海賊だなお前らは……」
「ええ、私もそう思うわ」
微笑んだロビンの頭上にドフラミンゴの張り巡らした鳥カゴのてっぺんが見えた。だんだんと小さくなるその真下でローと麦わらがドフラミンゴ相手に戦っている。動きの鈍い手をなんとか動かして、馬鹿みたいに熱くなる目を誤魔化すために覆い隠した。
「……ありがとう…」
一緒に戦ってくれて。なんの利益もないのに、今こうして傍にいてくれて。仲間でもないのに見返りもなしに案じてくれる人間がいることを、こいつらと出会って初めて知った。
「どういたしまして」
「——海、って、広ェんだな……」
「…ええ。私も二年前に初めて知ったわ。あなたの故郷は、狭かった?」
「あァ。狭くて、暗かった。でも弟がいた。あいつにも、外にはこんな人間がいるんだって、教えてやりたかった………」
「…そうね。なぜかしら、あなたがそう思えるようになったことが嬉しいわ」
「それは先輩だから?」
「ええ、先輩だから。ひとりぼっちの…」
自己嫌悪、人間不信、得られた仲間。深く語り合わなくてもおれとロビンの間には奇妙な繋がりが見えて、それが心地よかった。
ああ、ローに会いたい。ロビンとこんな話をしたこと、こんな事を言ってくれたこと、全部ローに聞いてほしい。
「ローに会いてー…」
「ふふ、さっき別れたばかりなのにもう会いたいの?」
「会いてェよ。会って抱きつきてぇ」
思ったままに言って指の隙間から上を見れば、ロビンは彫刻めいた顔を綻ばせて笑っていた。
「リバー君、恋をすると人が変わるタイプね」
「……え」
「恋。トラ男君に恋してるんでしょう?」
二年前に青雉にも言われた言葉だ。あの時はローに対する感情をふざけた一言で片付けられた気がして頭にきたけど、年月が経って、その言葉を聞いて浮かぶ思いは変わっていた。頭ごなしに否定はできない。でもやっぱり、たったの一文字じゃ到底足りなくて。
「恋なんて、可愛いもんじゃねェと思う。分かんねーけど」
「海は広いって気づいたでしょう?恋も同じじゃないかしら。可愛くない恋だってあるわ、きっと」
「……そうなのか?」
「ええ」
可愛くない恋。そんなものが存在するのなら、おれのこのどろどろとした感情も恋と呼べるのだろうか。そんな資格は無いと分かっていても、他の女を、男だってローに近づけなくない。おれ以外に触らせないでほしい。できることなら、おれの翼の届く範囲にずっといて欲しい。
——かけがえのない大切な男にそんな感情を抱く自分のことを、前なら殺したいほど嫌いになっていた。でも今なら、ローが全部受け止めてくれると信じられる。おれがこんな思いを抱いていることもきっと知っていて、それでも「お前が必要だ」って何度も言ってくれたから。
「全部終わったら、言ってみよっかな……おれあんたに可愛くない恋してるらしいって。おれらの感情につける言葉が無いって話、丁度してたんだ」
「そう…素敵な話をしていたのね」
ローに対する感情が例えば海に吹く風だとしたら、おれが知ってる言葉は船の帆だ。風を全部は捉えられなくて、すぐいっぱいに膨れちまう。
だからやっぱり、恋なんて言葉じゃ足りない。可愛いのも可愛くないのも全部混ざってて、痛みも恐怖もある。それで良い。ローはおれの全部だから。
「……なァ、身体だけ起こしていいか?なんかあった時に動けねぇから」
ロビンの助けを借りながら上半身を起こし、瓦礫に寄りかかる。ローが枕代わりに置いていった帽子から砂を払って、これ幸いと頭に被らせてもらった。あーこれ、あいつの匂いを近くに感じられて最高だ。
満足したおれとは反対に、帽子が折れた角に引っかかったのに目を留めたらしいロビンが心配そうに眉を顰めた。
「その角は元に戻るの?」
「さァ…ひびが入った時は気づいたら治ってたけど」
「鹿の角は毎年生え変わると聞いたことがあるけど、ユニコーンはどうかしら。今のところ何も変わったところはない?」
「ああ、折れてからも能力は普通に使えた。まァ…もし戻んなくても別にいい」
ローはこの折れてしまった角にもキスしてくれたから。
──あたたかな唇が触れた角の断面を少し撫でたその瞬間、台地の上から建物が崩れる轟音が響いた。驚いて音のする方を見上げると、“ROOM”が一際大きく広がっていた。そして“タクト”を利用して、何やら黒い大きな塊がドフラミンゴに向かって猛烈な勢いで飛んでいく。
「なんだ、アレ…?でっけェボールみてェな──」
「……ルフィだわ」
「え、麦わら?」
ロビンは珍しく目を丸くしていた。ということは、こいつもアレを見るのは初めてなんだろう。おれは半信半疑だったが、巨大なゴム風船から伸びた腕のようなものがドフラミンゴを殴り飛ばしたのを見て、確かに麦わらだと確信した。吹き飛ばされたドフラミンゴを追いかけて、ローが麦わらの身体を踏み台に瓦礫の中へと消えていく。なるほど、黒く見えたのは武装色の覇気で身体を覆っているからか。
「……信じらんねェ体力だけど、覇気を使いすぎてるな」
「あなたも覇気を使えるわよね。ルフィのあの姿は一体…?」
「ゴムゴムの実の性質と武装色を上手い具合に応用させてる。風船の容量ででかくした身体を強化して飛んでる……んじゃねェかな。確かにドフラミンゴには有効だ。ただ、キープすんのは相当疲れるぜ。あんまもたねェぞ麦わらの奴」
「そう……早く決着が着いてくれると良いのだけれど」
「残ってる幹部はドフラミンゴだけだ。それに、ローと麦わらが共闘すれば野郎の糸を攪乱できる。相性は良いはずだ」
さっき一瞬見えただけでも、シャンブルズとタクトを利用して麦わらの攻撃が補強されていた。あの鳥野郎も体力を消耗しているのだから、二人の猛攻は確実に奴を追い詰めるはずだ。
祈りなのか願いなのか、言い表しようのない息が自分から漏れ出る。氷のように冷たかった右脚にはだんだんと熱が戻ってきたけど、身体はやっぱり動かせそうになくて。
「あーあ、見てるだけしかできねェ。ローはあそこにいんのに」
「でも、信じてるんでしょう。私達もルフィを信じてる」
「当たり前だ。ローならやり遂げる。おれも全力で戦った…でもお前らと違って、ローの一番近くにいたいって欲がある。ただそんだけ」
一番近くにいたくても脚は動かないし、傍にいてほしくてもローはすぐ遠くに行っちまう。思い通りにはならないけど、それでもやっぱりローのことが好きで好きで、でも好きなんて言葉じゃ足りねェし。ああやっぱあいつのこと考えてると馬鹿になるな、おれ。
瓦礫にもたれて台地の下を見下ろす。ローが展開した“ROOM”を割るように、地面からドフラミンゴの糸がせり上がった。
「あ?なんだ、ありゃ」
「まるで街自体が糸になったようね。悪魔の実の能力には“覚醒”と呼ばれる高次元のゾーンがあると聞いたことがあるけれど──」
「あれがそうだってのか?パラミシアの範疇超えてんじゃねェか……!」
ローと麦わらの周囲の建物自体が糸になって二人に襲いかかる。砂埃で見え隠れするローの姿を追いかけようと咄嗟に身を乗り出すと、トレーボルの炎に巻かれた後遺症なのか肺が悲鳴をあげた。
「っほ、げほ、ッあーくそ、ローが見えね、」
「落ち着いてリバー君!とても動ける状態じゃないわ」
「ッ分かってる、分かってるから……」
必死に呼吸を整える。鳥カゴの収縮が止まらないせいで、ドレスローザの街は混乱を極めていた。人々が泣き叫び逃げ惑っているのがこの高さからでも分かる。
思わず故郷の島が頭に過ぎった。ローと初めて出会った日に見た、あの血に塗れた街の姿。内乱に乗じて世界政府の軍に皆殺しにされた時、故郷の人々もこうやって泣き叫んで死んでいったんだろうか。
嫌いな人間の方が多い島だった。それでも、会話を交わした数少ないスラムの仲間達も、その群衆の中にいたんだ。雪に飛び散ったあの血飛沫のどれかが、あの日パンを分けてくれた子供のものだったのかもしれない。そう思うだけで腹ん中に錨が沈んだような心地になる。
「あァ…虐殺なんざ選びやがってあの鳥野郎、胸糞わりィ…」
「ええ、本当に」
「ロー達があいつをぶっ倒すにしても、今この瞬間の混乱はどうにも───」
おれを助けてくれたあの医者達は無事だろうか。立地からして病院は既に鳥カゴに切り刻まれた後だろうが、せめて糸の内側へ避難してくれていれば良い。やるせない思いで唇を噛み締めると、瓦礫に埋もれたスピーカーが突然機械音を発した。
『───みな、聞いてくれ!私は……元ドレスローザ国王、リク・ドルド三世──』