外観どおりの古びた狭い宿屋だった。カウンターの向こうで大きな椅子に腰掛けた仏頂面の店主は、太い葉巻を天井が曇るほどくゆらせている。近寄るおれに気付いた店主は新聞から顔を上げて「おひとり様?」と低くしゃがれた声を出した。
無言で頷いて、ちらりと狭いロビーを見渡す。顔に幾筋も傷跡のあるものや手配書の束をめくりながら下品な笑い声をあげているもの。どうやら無法者が集まる宿屋を引き当ててしまったらしい。運が悪い。
顔を見られるのが面倒でそろりとパーカーのフードを被った。一泊分の金を払い、部屋の鍵を受け取る。せっかく観光地に来たというのにこの調子ではかつていたスラムとさして変わらない。ぎゃははは、と下品な笑い声が響く。そう、おれの知ってる悪党は大体がこんな連中だった。力だけが自慢で頭が空っぽの気色悪い奴ら。だからローが海賊を名乗った時驚いたのだ。
思い出すと無性にローに会いたくなってしまってそんな自分にため息をついた。人に甘えるなんて柄でもない。かぶりを振ってギシリと大袈裟な音が鳴る階段を上り始めたとき、円卓で手配書を見ながら酒を呑んでいた男三人の会話がふと耳に入った。
「…あいつ、1000万の首を取ったって今日触れ回ってたんだぜ」
「ああ、おれらに向かって手柄を取って悪ぃななんて抜かしやがった」
「1000万なんて雑魚の首でこれからでかい顔されちゃたまんねェぞ!」
「……だろう?そこで、だ」
ばん、とテーブルに何かを叩きつける音がしたので足を止めて振り返った。毛むくじゃらの手の下にある手配書にはすっかり見慣れた男の顔がでかでかと載っている。…馬鹿か、こいつら。
「今この島にこいつが来てる…トラファルガー・ロー。2億の首だ」
「おい、おいおいおい……こいつァやべえだろ。死の外科医とかいう物騒な二つ名付きだ」
「億越えなんざ、化け物しかいねェぞ!やめとけやめとけ」
「まあ聞けよ。…実は夕暮れ時からずっとこいつの跡をつけてた。手下も引き連れねェで、呑気に薬屋や漢方の店に寄るだけ。でっけえ獲物携えちゃいるが、ひょろ長い身体してやがる。体だけならおれの方がでかいくらいだ」
男はそう言うと脂肪だけで出来た腹を誇らしげに膨らませた。シャツのボタンがはち切れそうだ。皮下脂肪がすごい。おれは手すりに頬杖をついて、眠気と闘いながら眼下で繰り広げられる哀れな会話に耳を傾けた。
「まずは居場所だ。つけてたのはいいが、奴め途中でいきなり姿を消しちまいやがった。一瞬でぱっとだ。残ってたのは石ころひとつだけ」
「ああ?なんだあそりゃ!」
『シャンブルズ』とかいう技だろうな、とすぐ思い至った。他のふたりもいまや熱心に頷きながら男の話に前のめりになっている。
「港には何隻も船が泊まってて、どれが奴さんの海賊船か分かんねェ。漢方屋の娘でも脅して何か知ってることを吐かせるか……それか、街で奴の仲間を探すかだ」
「娘の方が先だろう。億越えの手下なんざ面倒くせえ連中に決まってる」
部下にびびっていて何故船長であるローの首をとれると思うのか、不思議でならない。おれは、ふああ、と漏れ出た欠伸を噛み殺した。ローとは、まだ出会って数日だ。しかし、この連中がローの手を煩わせる程の器でないことは明確だった。
男たちはにやにやと顔を見合わせて立ち上がった。連れ立って宿屋を出ていった三人の後ろ姿を頬杖をついたまま見送る。そして少し間を置いておれも階段を再び下りて静かにドアを開ける。
仏頂面だった宿屋の店主が、「いってらっしゃいお客さん」と愉快げな声で見送ってくれた。
さて、漢方屋はおれの予想以上に宿屋の近くにあったらしい。数メートル離れたところにある店先で三人組が閉められた引き戸を既にドンドンと叩いているところだった。
正直、いくら脅したところで漢方屋の娘がローの行方を知っているとはとても思えない。ローは無駄なおしゃべりを好む人間では無い。奴らは単に女をいたぶりたいだけだろう。
不毛だな、と思いながら三人の方へ歩み始めると丁度若い娘が戸を開けて出てきた。屈強な男達を見上げて一気に青ざめ怯えた顔になる娘に、三人は下卑た笑い声をあげた。弱い奴にでかい態度とるの、すげェださいって何で分かんねえんだろう。
「嬢ちゃん、ちょっと聞きたいんだけどよお」
「…この手配書の男、夕方にこの店に来ただろ?」
「今晩何処に泊まるとか、聞いてねえか」
娘は目の前に突き出された手配書を見て、恐れ入ったように首を横に振った。
「き、聞いてません!確かにこの方はうちで漢方を買っていきなすったけど、これから何処へ行くかなんて、世間話を出来るような雰囲気でなかったもの!」
「ああ?本当か?」
「ほ、本当です!…医術にすごく詳しくて、そりゃあ目付きは悪かったけど、あんた方みたいな厄介者に追われるような、そんな野蛮なお人には見えなかったわ!」
怯えながらも威勢よく男を睨みつけた娘に、男のこめかみに青筋が浮かんだ。
「…嬢ちゃん、生意気言ってるんじゃねえぞ」
「…生意気言ってんのはてめェらだ」
「ああ?……ぼげッ!?」
おれは宿屋の影になっていた暗がりから飛び出して、足に勢いをつけた。にやり笑って拳を振りかざす。力の限り、今にも女に殴りかかろうとせんばかりだった男のこめかみをぶん殴った。昨日ローに渡された本に書いてあった、人体の急所のひとつだ。
思いの外良いところに入ったらしく、大柄な男は呆気なく仰向けに倒れてしまった。ローを狩ることを提案し、体格自慢をしていた太っちょだ。
おれはゆっくり足を振り上げて、男の肋骨を躊躇無く踏みつけた。次いで鳩尾、次いで腹。痙攣する男の口から、血と唾液が吐き出される。きたねェ。
すぐ後ろで、ひえ、と女のどん引いた声が響いた。