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「クソ野郎………」

低く呻きながら俯いたリバーの肩甲骨が波打ちながらうごめいた。途端、背中からぶわりと黒い翼が広がり、ひらひらと綿のような羽が舞う。ローはいささか驚いて、青年を覆うように生えた翼を見上げた。

月明かりと街灯に照らされて輝く翼は、ローが最初に見たときより幾分か大きくなっているように思われた。

身体の一部分だけ変化させることが出来る程に、悪魔の実をコントロール出来ているらしい。リバーは身体は人間のまま、背に生えた大きなペガサスの翼を出現させていた。そして額からは、漆黒に光る角が鬼のように伸びている。

怒りにふるえるリバーの相貌は、その整った面立ちも相俟ってさながら黒い翼の悪魔のようだ。ローは子供じみた自分の思考に呆れ、内心で苦く笑った。シャチやペンギンが見たら、きっと大はしゃぎするだろう。

すると、中々見れないゾオン系の能力を呑気に観察していたローの腰を、リバーが突然ぐいっと抱き寄せた。

「…おい、何の真似だ」

自分より小さいリバーの身体に抱えられながら、ローは呆れた声を出した。しかしリバーは何も答えず、ただ男を怒りを湛えた目で射抜くだけだった。
ローは武者震いをするかのように揺れた翼になんとなく予感がして、首を捻って後ろを確認した。手を掲げ、男の向こう側で腰を抜かしている漢方屋の娘の身体と、リバーの背後の木箱の位置を入れ替えてやる。
リバーの肩越しにぱっと現れた娘は、瞬間移動した我が身に気付かず、あんぐりと口を開けて天にも届きそうな黒い翼を見つめていた。

リバーと相対する男は、既に銃を握る力を失っていた。恐怖に染まった顔で、ばさりと翼を動かすリバーに向かって叫びだす。

「…な、なんなんだよお前………ば、化け物ぉぉおおお!!!」
「………あァ、化け物さ」

ぐわん、空気が切り裂かれる音が響いて、ローの真横を黒い閃光が通り過ぎた。粉塵が頬を掠める。ローは風圧で飛びそうになった帽子を抑えた。
浮いた石畳が舞い上がり、屋根の板が空気の渦に呑まれて剥がれ、空へと吹き飛んだ。叫んでいた男の声が、何かに呑み込まれたようにぶつりと切れる。

「…おい、面倒くせェから殺すなよ」

しばらくローの背後でうごめいていた翼が、その言葉を受けてか、ゆっくりと戻ってきた。ローはリバーの身体に両手を回し、その背に戻った大きな翼を撫でた。
まるで鳥の羽毛のようなそれは、ふわふわと心地よくローの手に馴染む。黒々とした羽に目を凝らすと、血がべとりとついているのが見えた。

「……おい」
「…んだよ、殺してねェぞ」

リバーは拗ねたように言って、ローの胸を軽く角でつんつんと突いた。恐らくこの青年は、それほど人に甘える質ではない。ともすれば戯れているようにもみえるこの行為はリバーにとってかなり異例で、彼自身感情を御しきれていないのだろうと思う。
だからローは褒めるようにして、青年の黒髪を撫でてやった。その動きは少しぎこちない。自分とは違う、柔らかい髪の感触がローの手に馴染む。人の頭を撫でるということを、ローはリバー以外にしたことが無かった。

そうしながら後ろを振り向くと、漢方屋の壁に激突した形で気絶している男がいた。肩から腹にかけて血を流してはいるが、時折痙攣するのを見るに、確かに生きている。ローが娘と入れ替えた木箱は、木っ端微塵に粉砕されていた。
引き戸は壊れ、屋根は所々はげ落ち、漢方屋は中々のダメージを受けていた。

リバーが、翼で男を薙ぎ払ったのだ。余りに素早いその動きで風圧が生まれ、その余波が辺りにも被害を与えた。ローは、自分の腕の中で大人しくしている青年の頭を見つめた。

「…この力はどこで」
「……弟を、守るため」

硬い声で言ったリバーは、ゆるりとローの胸元から顔をあげ、自嘲するように口元を歪めた。ローは少し息を詰めて目を見張った。二人の視線がしばらくの間、ほどけないように絡み合う。やがてリバーが小さく首を振り、後ろの娘を振り返った。お互いの手が、身体から離れた。

「…おい、店を壊しちまったのは悪かった。寸止めしたから言うほど被害は無ェと思うが」
「え、ええ…それより貴方、その翼と角は……」
「…別に。海に呪われただけだ」

リバーは翼を引っ込め、肩をすくめてにやりと笑う。額からせり出た角も、みるみる小さくなって姿を消す。
娘は、その笑顔を見て初めて青年が自分とそう歳の違わないことを知った。唖然とする娘の手のひらに、ふわりと宙を漂っていた羽が一枚、そっと落ちた。

リバーは謝罪は済んだと認識して、あっさりと娘に背を向けた。暴力をふるわれそうだったところを助けたと考えれば、これでプラマイゼロだ。ガードマンにしては過剰だったかもしれないが。

「…なあ、今晩どこで寝るつもりだったんだ」
「どこかで宿を取るつもりだったが、もう閉まっただろうな」
「おれの部屋来るか?シングルだけど」
「…ベッドはおれが使うぞ」
「あ?んじゃ無理だ。今すげェ疲れてんだよ」
「知るか。お前がグズグズしてるからだ」
「ああ?おい、待てよ!」

おれに命令するな、と刀の鞘で頭を小突かれた青年の後ろ姿を、座り込んだままの娘はぼんやり見つめていた。

昼間娘の店で漢方を買っていった医術に詳しい端正な男と、突然現れた美しい青年。すらりと背の高い二人は月明かりに照らされ、しばらく言葉を交わしながら歩んでいたが、ふと思い出したように此方を振り返った。一瞬驚いたが、どうやら娘ではなく、完全に伸びている三人組に目を止めたらしい。

帽子の男が手をかざして何事か呟くと、ブゥン、と膜のようなものが広がった。訳が分からず困惑していると、目の前の男たちが三人とも、不意に姿を消した。ぱっとかき消えた彼らがいた位置には、貝殻が三つ、ころりと転がるだけだった。

二人は何事も無かったかのように、また歩き出す。



何が起きたのか、娘にはまるで分からない。

ただ手の中の黒い羽の感触は、確かにそこにあった。指を折り曲げそれを握りしめて、娘は青年の笑顔を思い出す。そして、ぽつり呟いた。


「…天使みたいな、悪魔だったな」


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