頭をコツン、と小突かれる。そして一瞬何か、ちりりとした感覚で眠りから覚めた。夢も見ずに深い眠りについていたらしい。一瞬、自分が今何処にいるのか分からなかった。
じわじわ目を開けると薄い青色のデニムが目に映った。そこでああローだと思い至って、ごろりと仰向けになる。目に入るのは今にもはげ落ちそうな古ぼけた天井。そういえば宿をとったんだった。
伸びをしながら見上げた頭上にはローの刀の鞘が迫っている。頭を小突いたのはこれか。
「おい。起きろ」
「…なんで……今日予定ねェんだろ」
おれは寝転がったままベッドの傍らに立つローを胡乱に見た。いつもの服にしっかり帽子まで被って、出掛ける準備万端といった感じだ。別におれに声掛けないでも勝手に出掛けりゃあ良いのに。連れ立って出掛けたいような質じゃないだろう。
動かないおれにため息を吐いたローは、おれの頭上に電伝虫をかざしてきた。
「予定変更だ。海軍の船が来てるらしい。港にいるベポから連絡がきた」
「…海軍?」
別に良いじゃねェか、と一瞬考えてああそういえばおれ海賊になったんだったと思い出した。まだ寝ぼけてるみたいだ。ふああ、とでかい欠伸をしながら体を起こす。寝起きは悪い方だから朝は辛い。
「…どうすんだ?ログ溜まるのって明日だろ」
「ああ。とりあえずベポ達と合流する。バラけてるより一箇所にいた方が見つかる危険も減る」
「成程ね…それならここに来てもらえば良いんじゃねェの?一番目立たない気するけど」
外観はボロい宿屋だし島で一番広い通りからもかなり距離がある。身を隠すにはもってこいだろう。何故わざわざ移動するんだ、と疑問を込めてローを見ると無言で窓を指さされた。
一体なんなんだ。おれはベッドを這いずり降りてカーテンをそろりと開けて窓を覗き込んだ。
「…はァ?どうなってんだ」
思わず寝癖だらけの髪をがしがしとかく。見下ろした宿屋の前には、白い軍服を着た数十名の海兵が銃を構えて隊列を成していた。
先頭に立つ指揮者らしき厳つい男は今にも突入命令を出しそうな表情で宿屋を睨みあげている。おいおい、なんでいきなりバレてんだ。振り返ってローを見るとなんて事の無いように肩をすくめられた。
「通報でもされたんだろう」
「通報?……まさか」
「あァ。海に沈めたがしぶとく這い上がってきたらしい」
「…昨日の奴らか。…悪ィ、足の骨でも折っとくんだった」
気絶させるだけじゃ手ぬるかったのだ。はらいせに海軍に居場所を漏らされるなんざ思ってもいなかった。技が通るからって浮かれて、ただの喧嘩の延長気分で調子に乗っていた自分が情けない。死ぬほどでは無いにしても結構痛みつけたつもりだったのに。
落ち込み項垂れているとローが頭上でため息をついた。
「…おい、動きは悪くなかったと言ったはずだ。時間もない。とっとと荷物をまとめろ」
「荷物?…金は身に付けて寝たし、持ち物は何も無いぜ」
「ならいい。落ちるなよ」
えっ、と思う間も無くローにズボンのウエストをむんずと掴まれた。いとも容易く足が床から持ち上がり、俵のように肩に担がれる。
細い腕のどこにこんな力があるんだ。というか、この数日の間にこいつに担がれるの何回目だ?手軽に運べるサイズでは無いだろうに。
悶々としている間にローが左手をかざしてブゥンと膜が広がり、次の瞬間にはふっと浮かび上がる感覚とともに身体が既に宿屋の外へ移動していた。
あァあれだ、と妙に冷静な頭で思い出す。見るのは慣れた“シャンブルズ”だが体験するのは慣れない。眼下を見れば、何処かの建物のベランダのようだった。
荷物のように担がれた体制に不平を唱えようとしたがローはもう次の“円”を広げている。というかこの状況を見られたら凄い悪目立ちするんじゃないか。
ちらりと後ろを振り返ると、土産屋のような建物の間から海兵達が宿屋へ突入していく様子が見えた。しかし直ぐにそれもかき消えて今度は飲み屋街の端の路地裏に着地する。一応人の目につきにくい場所へ移動してるらしい。
宿屋の連中は大丈夫なのかと一瞬考えたが、よくよく思えば建前上海軍は民衆の味方である筈だ。もし捕まればそれは悪党である証。心配など杞憂だ。
「…で、何処向かってんの」
「ベポ達が島の外れにいる。そこへ行く」
「船は?」
「見張りの奴らが潜らせて隠した。明日ログが溜まったら合流する」
「分かった」
やっぱりローは頭がきれる。おれが眠りこけてる間に段取りを全て決めてしまったんだろう。ひゅん、と何処かの家の屋根に着地する。一体何と入れ替わったらこんな所に移動するっていうんだ。
そろりと頭を持ち上げてローを見上げる。いい加減腹がローの肩に食いこんで痛くなってきた。視線に気付いているだろうに、ローは当然の如くそれを無視して左手をかざした。空気の渦が巻いて見慣れた“円”が広がる。それをぼんやりと見て、今更な疑問が沸いた。
「…その能力、なんて言うんだ」
「あァ…オペオペの実だ。このサークル内のものはおれの意のままに改造できる」
「オペ……そういや頭を切られた時、全然痛くなかった」
「外科手術なら一瞬で終わる」
「へェ。あんたにピッタリだな」
医学の知識が無ければ使いこなすことさえ難しそうだ。ローが実を食べてから医術を学んだのか、それ以前から知識があったのかは知らないが、聡明なローに似合いの能力だと思った。
ぱっと森の中へ移動する。ローは何も言葉を発しなかった。疑問に思って見上げると意外にもぱちりと目が合った。ローはどことなく不思議な表情をしておれを見下ろしていた。怒ってるでもない、笑ってるでもない、傍目にはいつもと変わらない。でもなんとなく、目が。
「…ピッタリ、か」
「ああ」
「そう思うか」
「思う。あんたじゃなきゃ使えねェ実だ。おれのなんかとは違う」
おれが変身する角付き天馬には誰にでもなれる。なるだけだから。そう自分で納得していると、ゆらゆらと揺れていたローの目がふっと細められた。背中に乗っていた手が馬でもいさめるようにポンポンとおれを叩く。
「そうでも無ェだろ。あの天馬は、お前じゃなきゃ様にならねェ」
「…どうだかな」
「少なくともおれは気に入ってる。あの見てくれが」
「え」
なんだそりゃ、と思ったと同時にまた身体が浮かび上がって、捨てられた畑のような場所に降り立った。
ローの肩から降ろされてよろりと地面を踏みしめる。抱えられてた腹が痛むのを擦りながら辺りを見渡すと、荒れた畑の傍に立つ廃屋の入口から、見覚えのあるシロクマがこちらに手を振っていた。