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「…リバーの命はおれが受け持ったが、あいつは物じゃねェ。自分の意思でおれと共にある。説得するなら、あいつに直接言え」

モモンガの真上に、ぬらりと鬼哭を構える。

「まァ、出来たらの話だが」
「っ…トラファルガー…!後悔することになるぞ!!」
「……メス」

ずん、と突いた先、モモンガの心臓が反動でぽとりと呆気なく地面に落ちた。若い海兵がバラバラのままに悲痛な叫び声をあげる。頼みの綱の中将の胸に穴が空いたのでは、絶望するのも無理は無いだろう。しかし、弱い者が嘆いたところで、何も事態は変わらない。

ローは感慨無く波打つ心臓を拾い上げ、適当な岩場にぽんと置いてやった。余計な殺しが己の趣味では無いことを感謝してほしいくらいだ。

横目にモモンガを見下ろすと、酸素の供給がままならないだろうに、未だ執念深くぎらぎらとした瞳でローを睨めつけていた。何かを叫ぼうと空気を吸い込んでは、枯れた咳だけを吐き出している。ローは冷めきった目でその眼光を受け止めた。心臓をだしに、リバーを知っている訳を聞き出すのも手かもしれない。


「……っおい!!終わったか!!」

ふと、上空から大きな声がして、ローは視線の糸を切って上を見上げた。黒い天馬から澄んだ青年の声が聞こえる光景には未だ慣れない。リバーは翼による攻撃と角での薙ぎ払いを繰り返し海兵達の攻撃を退けていたようだったが、その動きには明らかに疲弊の色が見て取れる。
リバーの課題は体力だな、と冷静に分析しながら、ローは地上へと視線を戻した。

腐るほどいた海兵達はその多くが地に伏し気絶しているが、それでも未だ立ち向かおうとする者が少なからず立っている。すると返事をしないローに焦れたリバーが、「おっさん海兵はやったのかよ!」と再び叫んだ。

「…あァ、始末はつけた」
「そんじゃあ、おれの後ろの岩に登っててく れ!!」
「……何?」
「いいから!あんたがいると出来ねェ!!」
「だから何が」
「いいから早く!!」

一体、何が出来ないというのか。しかし空中でバタバタと脚を動かすリバーの剣幕は尋常では無い。何か策があるということか。訳も分からぬまま言葉に従い、ローはリバーの後ろに聳える岩場の石ころと自分を入れ替えた。

降り立った岩場は海兵達のいる地面よりも程高く、リバーの姿がより間近に映る。宙を舞い散る羽をなんとなく捕まえながら、ローはその後ろ姿を見つめた。完全に天馬の姿になるのを見るのは出会ったあの日以来だ。

「そこいとけよ!」
「…ああ。何をする気だ」
「面倒くせェから沈める」
「沈める?」

疑問符を浮かべるローの頭上に、流れる絹のような滑らかな尻尾がゆらゆらと揺れる。と、その瞬間、ローの目にちりちりと残像を残して、リバーの姿がかき消えた。

少し遅れて薙ぐような風が吹きすさび、ローは飛ばされぬよう岩を掴んで、驚きを隠せぬままに上空を見上げた。太陽と重なるようにして、黒い影が目に映る。…天馬とは、こんなにも速く飛翔することが出来るのか。

「ちまちました弾打ってきやがって…あーー嫌だ、嫌だ」

苛立たしげに言い放ったリバーが、その隆々とした前足を振り上げる。そしてたてがみがぶわりと靡いたかと思うと、一転空気を切るような速さで急降下を始めた。
黒い翼が風を切って、ごうごうと音を立てる。弾丸のように落下していくリバーは、地面に触れる寸前にばさりと翼を広げ、その空気を止めた。風の唸りが止み、束の間全ての音が無くなる。


「…ロング・グッドバイ」

落ちゆく勢いが嘘であったかのように、水面を打つ波紋の如く静かに、一角天馬の蹄が地を蹴った。海兵達は余りの速さに為す術無く、ただ目の前に降り立った天馬を眺めることしか出来ない。ローもただその姿を見つめることしか叶わなかった。

その内、我に返った一人が、覚束無い手元で銃を構えた瞬間だった。

「………は、」

ローは高見からその一瞬一瞬を見逃さないよう目を見開き、思わず乾いた笑いを漏らした。まるで神話のような、幻想的な光景であった。

リバーの蹄が蹴った地面がふつふつと波打ち、底から何がが湧き出るような音が響く。そして瞬きひとつした時にはもう、透きとおる真水が地面から溢れ始めたのだ。それは次から次へと、先程まで確かに乾いていた地面からぶくぶくと噴水のようにせり上がる。
リバーが駆けた後を追うように際限なく水が湧き、たちまちに海兵達を飲み込んでいく。

「な、なんだこれ!!水が!!」
「一体何処から!!…う、うわァァ!」

あっという間に首元まで達した泉に慌てふためく海兵達で、眼下は阿鼻叫喚の図だった。成程、それでリバーは能力者であるローに逃げるよう進言したのだ。

この島の本屋で、ローは天馬に関する記述のある書籍を密かに購入していた。リバーと共に泊まった宿屋で読んだその本には、天馬が駆けた後に泉が湧いたという伝説があると記されていた。

たかが神話だと真に受けてはいなかったが、まさか現実に、目の前で起こるとは。幻獣種という、ロギアよりも希少と言われる悪魔の実。その威力はローの想像の遥か上をいくものであった。

リバーは愉快そうに目を細めながら翼を扇ぎ、水面を駆けてローのいる岩場に近付いてくる。大きく広がった泉は、町の一歩手前でその勢いを止めた。家の窓から顔を出した島民達が、眼前に広がった泉を見て目を向いている。


「……これのお陰でさァ、おれ達水には困らなかったんだ。思いきり蹴ったら、どこにでも水が湧いたから」

ローの目の前に降り立ったリバーが、懐かしげに水に濡れた蹄を見下ろした。…かつて弟と、その脚で大地を蹴って笑いあっていたこともあったのだろうか。
ローは手を伸ばし、寂しげなその鼻の頭を撫でてやる。手触りの良い毛並みは、ローの手によく馴染んだ。

「上出来だ、リバー。見事なもんだ」
「…ほんとか」
「あァ」

黒い蹄の跡から水が湧き出る様は大層美しかった、という小っ恥ずかしい感想は飲み込んで、ローは踵を上げてリバーのたてがみを梳いてやった。リバーはゆるりと一度尻尾を振って、ローが撫でやすいように頭を下げてくる。
無意識だろうが、その目がローの手の感触を堪能するように閉じられているのを見て、思わずもう片方の手も使って頭やら角やらを撫でくりまわした。


…なぜ海軍がリバーを知っていたのか、ついぞ分からないままだった。ただの一国民であったはずの彼が、海軍中将にまでその存在を知られている訳。

憶測はいくらでも可能だが、今はただ、この青年の寂しげな気を和らげてやりたい。経験の無いそんな思いに突き動かされ、ローはひたすらにその艶やかな毛を撫で続けた。

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