「…そろそろ船の様子見に行くか」
耳元で聞こえたローの声ではっと我に返る。何甘んじて撫でられてんだおれは。殆ど顔を抱き込まれるようにして撫でられていた体制が急に恥ずかしくなって、おれはもぞりとローの腕から抜け出した。
なんだか、こいつに撫でられると一気に意識が曖昧になる。ほわほわして、ぽわっとして、言葉で表せない気持ちになって、困る。
気まずく瞬きを繰り返すおれにローはにやりと笑って、鼻の頭を優しく叩いてきた。くそ、調子乗ってんじゃねェ。そう思うけど気持ちが良くて、結局頭を下げてローの手を受け入れてしまう。
「…ふ、ご満悦なところ悪ィがリバー。船の方の様子は分かるか」
「あ?…ああ、ちょっと待て」
顔の側でそう問われて、おれは耳をピンと立てて音に意識を集中させた。馬の耳は、人間の耳よりも遠くの音を拾うことができる。
まず聞こえてきたのは、水から這い上がろうともがく海兵達の声、島民達の戸惑う囁き声。その更に向こうから、微かだが未だ銃の発砲音や剣の弾き合う音が聞こえてきた。
「…まだ戦ってるみてェだ」
「やはりあっちにも駒を回してやがったか。…行くぞ」
ローは右手をかざして、“円”を広げようとし始めた。しかし移動するには、おれが呼んだ水を超えなければならない。かなり広範囲に渡って湧かせてしまったし、濡れればローもおれも海兵達のうようよいる泉にドボンだ。
まあローなら泉を迂回するなり、別に考えはあるんだろうけど。別れる前にシャチが言っていたことが頭をよぎる。オペオペの実は、使えば使うだけ体力を使う。先程の中将との戦いで、ローはほとんど“円”を発現させっぱなしだった。
…だったら。あんたに、おれが出した泉のせいで余計な体力使わせるくらいなら。
「…なあ、背中乗るか?」
「え」
おれを見上げたローの目が、見た事の無いほど丸くなった。予想外のあどけない顔に、持ちかけたおれの方が戸惑ってしまう。なに、まさか高所恐怖症とか言い出さねえよな。それか、おれの背中なんか安心できねえとか、もし言われたら凄い嫌だな。
いささか自信を無くしたおれは、地面へ視線を落とした。
「…いや、それ体力使うんだろ。あんたさえ良かったら、船まで乗せてくけど」
「……良いのか」
「…当たり前だろ?あんたなら良いよ」
おれの背を見上げたローが、そわ、としたのが伝わった。ちらりと視線を上げると、心無しかローの目に光が増えている。少なくとも嫌では無さそうだ。…良かった。
なんだかよく分かんねえが、ローの負担を減らせるならおれとしては万々歳だ。
「…ほら、安定感悪いと思うけど。乗れば」
脚を曲げて、ローの前に跪く。乗りやすいように翼の付け根を持つように言うと、ローは言う通りにして器用におれの背に跨った。
ゆっくり立ち上がり、乗り心地に慣らすように数歩歩く。ローは全く問題無くバランスを取って、時折たてがみや翼を撫でる余裕まであるようだった。
その感触が心地よくて、おれは翼を震わしてローの腕を柔らかくさすった。すると珍しく、くつくつと楽しげな笑い声が返ってくる。思いの外気に入ってくれたらしい。
「よし、じゃあ飛ぶぞ。羽んとこ持っとけよ」
「ああ」
勢いよく踏み込んで、思いきり地面を蹴る。翼をひと扇ぎすれば、もう蹄は宙へと躍り出た。船の周囲の様子を確認するため、おれは島の上空目掛けて飛び上がった。ローがいるから、速度はいつもより数段遅めで。それでもあっという間に町や泉が小さくなって、太陽が程近くなる。
背中から「すげェな」と小さな声が聞こえてきた。ローはおれの翼を撫でながら、遠ざかる眼下の景色を見下ろしているようだった。
こうして背中に人を乗せるのは、弟以来だった。夜ごと背に弟を乗せて、故郷の空を飛んだものだ。暗い空でも、弟はいつも楽しそうにはしゃいでいた。…こんな風に、綺麗な青空へ連れて行ってやりたかったな、とか。出来もしないことを考えてしまうくらいには、こうしてローを乗せて飛べたことが、やけに嬉しい。
しかし呑気に遊覧飛行をしている訳にもいかないので、風を切って桟橋のある方向へと曲がった。その折、ローが抱える刀がおれの身体に触れ、ちりりと静電気のような感覚が走った。
そういえば前にも、刀の鞘で小突かれて起こされたときに似たような刺激を感じたんだった。あの時は寝ぼけていたからよく分からなかったけど、ローの相棒とも言える大太刀に何処か異質な雰囲気があるのは感じていた。
「…なあ、その刀さァ」
「ん?ああ、当たったか」
「別にいいよ。…でも、触れたらなんかチリッと来るんだよ。普通の刀じゃねェよな」
「……鬼哭という、妖刀だ。しかし、お前にこれの妖気が分かるとはな」
「…どういうことだ?」
「こいつに気に入られたってことだ」
ローは心做しか嬉しそうな声色でそう言って、おれの背をぽんぽんと撫でた。その反動で肌に触れた鬼哭は、相変わらずちりちりとした何かを発しながら身体を跳ねる。
これが、気に入られてるってのか?刀の考えることはよく分からない。でもまぁ、持ち主が言うんだから信じてやってもいいけどさ。
「…ま、切れ味はお前の知っての通りだ」
チャキ、と背中で音が鳴って、刃が鞘から抜けていく響きが伝わる。眼下を見れば、水面から顔を出したポーラータング号の前でハートのクルーと海軍が鍔迫り合いを起こしていた。
おれは高さを保っていた高度から一転、その争いの渦中を目掛けて急降下した。ローを守るためそこまでの速度は出さないけど、それでも空気が靡き、風が巻き起こる。
上空の影に気付いた海軍がはっと此方を見上げた時にはもう、ローのサークルが全てを包み込んでいた。おれの背に跨ったまま、鬼哭がゆらりと振り上げられる。
「上から斬るっつーのも、悪くねェな」
ローが愉快げに笑う。そして一息に放たれた斬撃が、海兵達の身体を節々で切り刻んだ。続けて二度目、三度目の斬撃。
「ぎゃあああ!真っ二つに斬られたあっ!死んだ!」
「いやお前死んでねェぞ!!」
「あれっおれの手は何処だ!?」
ものの数秒で地獄絵図になった海辺に、おれはふわりと着地した。クルー達は此方を見て安心したように武器を下ろす。
船番をしていたらしいイッカクや、他にもおれのこの姿を見た事が無かったクルーはあんぐりと口を開けて固まっている。悪魔の実の能力者だということはクルー全員の知るところではあるが、この馬がおれだという事も彼らには分からないだろう。
とっとと元の姿に戻ってやろうと思っていると、前線にいたシャチとペンギンがばたばたと駆け寄ってきた。その顔はきらきらと輝いている。なんか、嫌な予感。
「うおお!良いな!!良いなキャプテン!」
「リバーーー!おれも乗せてくれよお」
「やだ」
「なんでッ!??」
ローがひらりと背から降りたのを確認して、おれは天馬の姿を解いた。途端にブーブーと二人から非難があがる。それに、べ、と舌を出して返してやった。…まあ、本当に必要なときは別に乗せてやってもいいんだけど。