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麦わら帽子の肖像を睨み続けていると、ローがふと歩みを止めて此方を振り返った。通路の真ん中に立ち止まって動かくなったローに合わせて、おれとシャチも何となく足を止める。
観察するようにおれの頭頂から爪先までしげしげと眺め出したローに、シャチが不思議そうに首を傾げた。

「船長?リバーに何か?」

それに答えないままローはおれの腕を取り、摩ったり握ったりと筋肉の具合を確かめるように触れてきた。するりとパーカーの裾をたくし上げられて、ローの手が直接触れた肌が、じんじんと熱くなっていく。刺青の入った細長い指に揉まれて力が抜けて、新聞を掲げていられなくなり、おれは腕を下げてわなわなと口を震わせた。

「……っんだよ!何とか言え!」

威勢の良い言葉を吐いたは良いが手を振り払うことは出来ず、力無く垂れ下がった前髪の間から整った相貌を睨み上げる。ローはなんて事の無いようにその視線を受け止めて、何時もと変わらぬ静かな表情で頭一つ分下にあるおれの瞳を真っ直ぐに見下ろしてきた。

「お前、倦怠感は無いか」
「………はァ?」
「あれだけの人数を相手にしたのは初めてだろう。おれのような大人の男を背中に乗せたことも無かったはずだ。…一日経って疲れが抜けねェようなら、マッサージでもしてやる」

……マッサージ?倦怠感?ぽっかりと口を開けて、切れ長の薄灰色の瞳を見つめる。おれの腕を握りしめたまま黙って返事を待つローの背後で、シャチが生温く微笑んで首を横に振っていた。
いや、確かに、結構酷使したから筋肉痛やら疲労感やらは残ってる。だけど、こんなのあんたの手を煩わせる程のもんじゃねェだろう。怪我なんか当然してないし、ローを乗せて飛べたことはいっそ誇らしくて嬉しくて、疲労感が飛んでいったくらいだ。

…もしかして、凄くヤワな餓鬼だと思われてる?そりゃあ、他のクルーと比べたら経験も少ないし頼りないだろうけど。船に乗ってからの短期間でローにかけてきた迷惑は、もしかしたらぶっちぎりで多いかもしれない。
…でも、海に出た時点でこの位の身体のだるさなんか覚悟してる。血も流れてないんじゃ、覚悟の内にも入らないくらいだ。餓鬼じゃ、あるまいし。キャプテン直々にマッサージなんか、他のクルーに笑われる。
段々と頭に血が上ってきて、おれは思い切りローの手を振り払った。

「…いらない、こんくらい何てことねェ」
「こんくらい、って事は倦怠感があるにはあるんだな」
「……っ馬鹿にしてんのかよ…そんなもんあんただって、他のクルーだって何時も抱えて過ごしてるだろ。昨日海軍とやり合ったのはおれだけじゃねェ。全員にマッサージして回んのかよ」
「お前は栄養と体力が圧倒的に足りてねェ。良いから来い」
「ああ?いらねェっつってんだろ!…おい!」

二の腕をやすやすと掴まれて、引きずるように船長室への道筋を連行される。なんでこんな頑ななんだこいつ。絶対嫌だ、おれだけ餓鬼扱いなんか。一番太い部分を掴まれているのに、ローの指が簡単におれの腕を一周しているのにも腹が立つ。これでも毎日満腹になるまで食ってんのに。
意地でも抵抗するおれの肩を、横をのんびりとついてくるシャチがぽんぽんと叩いた。

「良いじゃねェかリバー。船長にマッサージなんて、誰もしてもらったこと無ェぞ?」
「そ、っれが嫌なんだよ馬鹿!なんで分かんねェんだよ、クソ!」
「あーあー癇癪起こしちゃってまあ…お前そういうとこが、餓……」

何やら言いかけたシャチの口を、ローの余っていた手が勢いよく塞いだ。

「こいつが餓鬼だからやるんじゃねェ」

横目に冷たく睨まれて、しかしシャチはおどけたように両手を上げて軽く笑いながら頷いた。

「分かってますよ」
「はァ…余計な茶々入れてんじゃねェ」
「はいはい、おれァ退散しますよ。リバー、その新聞貰ってくぜ。ペンギンにも麦わらの記事見せてやりてェんだ」

目の前で交わされる気安いやり取りに苛立ちながら、粗雑に握りしめていた新聞を突き出す。シャチは気にせずにそれを受け取って、踵を返して去っていった。小さくなる白いつなぎを睨みつけていると、また腕を強く引かれる。
舌打ちをして掴まれた二の腕を見下ろすと、こんなに腹が立っている時でも指に彫られた刺青に何故か胸が高鳴って、更にイライラする。

「……っおい、まじで大したこと無ェから。手離せよ」
「往生際が悪ィな。…なら、聞き方を変える」

立ち止まって振り返ったローが、にやりと口端を上げた。至近距離で見下ろされて、おれはごくりと唾を飲み込んだ。


「おれに、マッサージされたいか。されたくねェか」


隈の陰った整った眦が細められる。突っぱねようと口を開いたが、言葉が詰まって出てこない。はくはくと何度か声を絞り出そうと喘いだが、最後にはぎりりと歯を食い縛って、諦観の姿勢を示してしまった。

「…ぐぅ」
「ぐう?」
「……ず、ずりィ…その顔…」

目を逸らしながら小さく呟くと、ローが一瞬大きく目を見開いた。痛い程の沈黙が走って、潜水艦の動力の音だけが辺りに響く。それからすぐに、ローの肩がふつふつと揺れだして、耐えきれないようにおれを掴んで無い方の片手で顔を抑えた。

「…はっ、ははは」
「………何笑ってんだよコラ…やっぱ餓鬼扱いしてんじゃねェか………」
「…っあァ……悪ィ。…はは、」

地を這うような声で恨み言を告げれば、笑い混じりのローに頭を撫でられる。だから、これが餓鬼扱いだってんだよ。流石にムカついて頭に乗る手をはたき落としながらも、滅多に見られないローの爆笑はしかと視界に収めておく。
やがて一頻り笑い終えたローが、首を傾げておれを覗き込んできた。愉快げに細められた瞳に、顔をしかめたおれの顔が映る。

「…それで、されてェのか?」
「………聞かなくても分かんだろ」
「さァな」

…しらばっくれやがって。マッサージってことは、あんたの手でおれの身体を解してくれるってことだろ。……そんな、そんなの。…そんなの、決まってんじゃねェか。子供扱いとか矜恃とか、積み上がった高すぎるプライドを頭の中から放り投げてしまうくらいには、その問いは破壊力がありすぎる。

「……たい」
「何?」
「……っから、されたい!しろ!っ、言わせんな!」

耳が、焼け落ちそうな程熱い。これ以上ない位に目を吊り上げて睨んでいるのに、ローは全く堪えてないように更に目を細めて、おれの耳たぶをぎゅっと掴んできた。指図されることが嫌いなくせに、おれの物言いに怒り一つ見せないで柄にもなく微笑んでる。ひんやりとしたローの指に、高すぎる体温がじわじわと移っていくのが分かって余計に顔が熱くなった。

「……あァ。お前の望み通りにしてやる、リバー」
「…うるせー、ばか…あほ…」
「…ふ、」

スラムにいた頃は悪態の限りを大人達に撒き散らしながら生きてきたのに、その時あった語彙はローを前にするとすっかり影を潜めてしまう。余りにも子供じみた悪口を聞いたローは、むず痒そうに口を歪めて耳から手を離した。

腕を引かれて、ふらふらと広い背中の後をついて行く。時折思い出したように揺れる肩が酷く恨めしい。ローに触られていた耳たぶは相変わらず熱いままで、ちっとも冷えそうに無い。

ああ、こんな顔誰にも見られなくねェなあ。きっと林檎みたいに赤くて、さぞ格好のつかないことだろう。さっきまで威勢よく啖呵を切ってたのに、本当最悪だ。
…でも、あんたになら、見せても良いんだろうか。こんな風に腕を引かれて大人の後をついて行くだけの幼子みたいな真似、今までのおれなら死んでも嫌だった。…でも、あんたはいつも、知りたくも無かったおれの姿をいとも容易く引きずり出してくる。

誰かに見惚れたり、その言葉に一喜一憂して凹んだり舞い上がったり、こんなに自分の感情が波立つものなんだって、今まで知らなかった。
…心配されることが、こんなにも照れくさくて恥ずかしくてやり切れなくて………でも酷く、嬉しいものだなんて。本当に、知らなかった。知らないままの方が良かったんじゃないかと思うほどに胸が締め付けられて、どうしようもなく痛い。

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