多種多様なグランドラインの島々の気候は、その周りの海域にも影響を及ぼす。船内の気温は一定に保たれているが、夏島が近づくにつれて海水の温度が上がっているのが操舵室の温度計で確認できた。
朝飯時の食堂では、イッカクが長袖のつなぎを着て上陸するかどうか悶々と悩んでいた。日焼けは嫌だが着るには熱い、と隣りでぶつぶつと呟き続ける彼女を無視して、おれは早々にパーカーを脱ぎすてて半袖1枚になった。
そして島を視界に収めたベポの声が船内に響き、いよいよ船が浮上を始める。これでようやく、おれにとっては二つ目の島。
真っ先に甲板へ飛び出して、身を乗り出すようにして新たな島を目に焼き付けた。陽の光に慣れない視界に、じわじわと緑の島が映る。外の空気はすっかり夏島仕様になっていた。経験したことの無いほどの、湿気と太陽。
途端に吹き出す汗に驚いていると、既にぐったりと萎れかけたベポを引きずりながらシャチも甲板に上がってきた。曰く、「これまで通ってきた夏島の中でも一等暑い」そうだ。
鬱蒼とした木々で覆われたその島は先の春島とは違い、人の手が殆ど加えられていないように見えた。所狭しと生えたシダ植物と、図鑑にも載っていないようなうねうねと曲がった背の高い木々。これが、ジャングルってやつだろうか。
「宝の山だな」
はっと隣を見ると、心做しか喜色を浮かべたローが、人1人は収まりそうな巾着袋を携えて立っていた。薬になりそうな葉でも入れるのだろう。
マッサージ以来まともに顔を合わせていないのでなんとなく気恥ずかしく、「あっそ」と淡白な言葉を返して顔を背ける。
すると背後でローの手がゆっくり持ち上がる気配がして、おれは咄嗟に身を屈めた。
「……おい撫でんなよ、おれは餓鬼じゃねェ」
しゃがみ込みながらローを睨みあげると、帽子の影に隠れた静かな目と視線がかち合う。…どうやら見当違いのことを言ってしまったらしい。
「お前、そんなに自意識過剰だったか。……髪が伸びたと思っただけだ」
細長い指が、おれの首筋に垂れた髪を掻き分けた。冷えたローの手が汗の滲む肌をぬるりと滑る感触に息を呑んだ。
「っは、あ!?ばば馬鹿か、ふざけんな!」
「…あ?おいリバー…」
カッと熱くなった首、そして途端に騒ぎ始める心臓に仰天した俺は、勢いよく立ち上がりそのまま海水の残る甲板でつるりと足を滑らせた。あ、と思う間もなく身体が宙に浮いた。
手すりに頭をぶつけるその間際に、至極冷静に右手をかざしたローが“円”を広げる。
「…馬鹿はお前だ…シャンブルズ」
呆れたように目を細めるローの姿が ぱっと掻き消える。そして、おれは瞬きひとつもしない間に島の砂浜に着地した。為す術もなく尻餅をついたおれのすぐ後ろにはジャングルが迫り、船は未だ、岸から離れた海に浮かんでいる。熱気で揺れる海上で、ベポが呑気に手を振っているのが見えた。
ああ、やっちまった。あまりに無様な自分を省みて耐えられなくなり、膝を抱えてうずくまる。
ポーラータング号が近付くのを見ていられなくてどんより俯いていると、項がじりじりと、刺すような熱さに襲われて驚いた。あっという間に吹き出た汗が、髪の間から垂れてくる。
前の春島でも十分に暑すぎたのに、これが、夏島の太陽か。故郷の極寒に慣れきった肌が早々に悲鳴をあげ始めたので、おれは翼を出しのろのろと頭上に広げ、身体を包み込むようにして日光を遮断した。
翼で創りあげた繭の中も酷く蒸し暑かった。なぶる様な熱気に迫られながら、ついさっきローの手が滑った首筋にそっと手をのせる。あいつの肌は、いつもどこか寒々としている。
それを反芻しながら、今度は足元の砂浜から無理やり生えたような、見たことも無い妙な形をした草を指で撫ぜた。葉っぱが波打つように曲がっている。確か弟が夢中になって読み漁っていた植物図鑑に、これと似たようなものがあった。
兄ちゃん、兄ちゃん、この植物は熱帯でしか生きられないんだって。僕らが雪の降る気候しか知らないのと同じだね!
きらきらと輝いていた、おれのと同じグレーの瞳。
ハートの海賊団の連中の優しさを受ける度、記憶の中のその輝きはますます鮮烈に、おれに迫ってくるような心地がした。
ごめん、とぽつり零して砂を掴む。湿気を含んだそれは掌にこびり付いて、冴えないおれの心と妙に共鳴していた。
そうしてぼんやり翼の中で掌を眺めてどれ程経ったのだろう。おれは、砂浜を踏みしめる音が近づいていたのにも全く気が付かなかった。
「………おい、ヤドカリにでもなったつもりか」
「……!!」
「拗ねてねぇで出てこい、リバー」
情けなく沈んだ脳に、低い声が響く。
「…拗ねてねェよ」
「どうでも良いから顔をだせ」
「………」
のろのろと翼を広げて、上を見上げる。真っ青な空を背景にして、いつも通り無表情なローがおれを見下ろしていた。このクソ暑い島で、相も変わらないモコモコの帽子に厚手のパーカー。どこまでもブレない男。
沈みきった自分の思考と裏腹に、あまりにローの瞳が普段と同じで静かに凪いでいるもんだから、おれはじとりと目を細めた。
「なんだ、その妙なツラは」
「…何もねェよ。…いや、さっきは助かった。危うく海に落っこちるとこだった」
「危うくじゃねえ、確実に、だ」
大きな手の平に二の腕をむんずと掴まれる。そのままローがおれを立ち上がらせようとしたから、自分で立てる、と力なく呟いて足に力を入れた。
「……あれ、」
しかし、思うように膝が伸びずおれはよろめいた。がん、と頭に痛みがはしる。
たたらを踏んだおれを、ローは至極冷静に立ち上がらせ、首筋に何か冷たいものを押し付けてきた。皮袋に詰めた氷のようだった。
「……炎天下で黒い翼ン中に篭ってりゃ、そうもなる。そもそも夏島自体初めてだろうが」
「…っんだこれ、頭いてェ……これ、用意してくれたのか…」
「お前がいじけてこいつに引きこもった時点で、食堂から持ってこさせた」
だらりと垂れ下がった翼を見やるローから目線を逸らして、冷えた氷に頭を預けた。…本当に、こいつの前ではとことん格好がつかない。
「横になるか」
「…いや、良い。目が醒めてきた。…手間かけた、悪い」
「別にここでお前が拗ねた所で、島は逃げねェし何の影響も無い」
「だから拗ねてねェって……」
むくれたままに目を上げた先、ピアスの光るローの耳の裏から、一筋汗が垂れた。当たり前だが、太陽に晒されたらいつも涼し気なローだって汗をかくのだ。
おれはいささか驚いて、急ぎ翼を大きく広げて日光からローを守り影を作った。
「なんだこれは」
「…ひ、日陰」
「……リバー、いつからお前は馬鹿になった?自分から日光を浴びてどうする」
「馬鹿はあんただ、わざわざおれのために氷なんか…こんな面倒事誰かに押し付けりゃいいのに…っああ、もう!なんなんだ、本当…」
こいつはおれを、どうしたいんだ。得体の知れない、政府に目をつけられているかもしれない、役に立つ確証も無いお荷物を。
優しさに炙られて燃えるように熱い心と裏腹に、おれの手はローの服を強く握りしめていた。縋りたくなんか無いのに、縋らずにはいられない。本当に嫌だ、こんな弱っちい奴は。
…おれだ。
思わず空を振り仰ぐ。ローを囲うように伸ばした翼の上から、抜けるような青空が見えた。
その中を、数羽の鳥がゆるやかに飛んでいく。自由に、何の苦労も無いように、まるで泳ぐように。
「……ああ畜生、良いなァ…」