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「あ?何がだ」

ローは胡乱な声を隠そうともせずに、おれの目線を追って上を見上げた。

「…ちっ、リバー、翼を退けろ。何も見えやしねェ……おい、聞いてんのか」

おれはローの声を無視して、青空を真っ直ぐに羽ばたき消えた鳥達の軌道を目でなぞった。あの鳥は、島から島へと飛んでいけるのだろうか。人間が海の上で無様に苦しむ様に目もくれず、自由に。
訳の分からない思惑や、こんな面倒くさくてまどろっこしいクソみてェな思考とかもとっぱらって、ただロー達のために強い自分であれる、何にも侵されない自由。

ぼんやり呆けていると、痺れを切らしたらしいローが、服を掴んだままだったおれの手を剥がしにかかった。おれは思わず手に触れてきたローの指を捉えて、ぎゅっと握りこんだ。
顔を戻して、薄灰色の瞳を見つめる。翼でできた影の中、ローは口を真一文字に結んだままおれを見下ろしてきた。

「…あんたはさ、自由になりてェとか、思ったことあんのか」

偏見だらけの他人の目も、世間の値踏みも、この男には多分、何の傷もつけられない。
でも、身体に張り巡らされたあの刺青は、まるで彼を縛る鎖のようだった。そしておれを見るこの瞳も、どこかおれと……。


「ある。餓鬼の頃の話だが。それがどうした」


空気を斬る刃のような、いつもと変わらないローの低い声だった。
風に雲が流されて、束の間太陽がその姿を隠す。辺りは影に覆われた。

そうか、と声を絞り出して、おれは日差しを遮っていた翼を背中に戻した。ローの薄い虹彩に、少し顔を歪めた自分の顔が映る。
予想通りの、答えだった。
光に晒されていた翼は、身体に返っても猶、責め立てるようにおれの肌を熱くした。


「…お前、また考えすぎてこんがらがってやがるな」
「だって、あんたが」


おれに優しくしすぎるからだ、と口走りかけて、唇を結んだ。こいつに何もかもを押し付けるなんて、てんで間違っている。
力無く首を横に振って、両手で握りしめていたローの手を見た。DEATH、なんて、洒落にもならない文字を彫りやがって。


「……お前は、ウチのクルーだと言ったはずだ。ついこの間の話だが、お得意の記憶力を海に落としてきちまったか」


覚えてる、覚えてるよ。政府に狙われようが、海軍に狙われようが、ローの傍で海を進めりゃあそれで良いって。おれだって本当にそう思った。
でも、おれが良くてもあんたは?おれの全部を受け止めた優しいあんたが、おれのせいでどうにかなっちまったら。

振りほどかれないのを良いことに、ローの手を持ち上げて額をすり寄せた。熱帯の夏島だろうが、この男の手は変わらずに、どこかひんやりとしている。
熱い額に触れた指は一瞬ひくりと動いて、それから、垂れ下がったおれの髪を静かに梳いた。天馬になったときに撫でてくれた手つきと同じだ。この手を、絶対に失うわけにはいかない。


「なあ、もし今後…どうしようも無ェ敵が襲ってきたりしてもさぁ、絶対におれを見放して逃げてくれるって、約束してくれるか」

「できない」


間髪入れず返ってきた返答に、おれはむっつりと顔を上げた。ローはこの会話にまるで意味が無いような顔をして、指の隙間を流れていくおれの髪を眺めていた。

「なんで。こんな面倒くせェ餓鬼よりも、なんか…叶えてェ野望とかあんだろ。だから海賊やってんじゃねェのか」
「野望はある。だがお前を踏み台にして叶えたところで、胸糞が悪い。おれは胸糞悪いことが嫌いだ。ウチは基本ドライだが、出来る限りの手は尽くしてやる」
「でもそれじゃ、あんたの足枷になんだろ。…あんたに甘えっぱなしになるのは勘弁だ」
「……おい、思いっきり握りしめたまま離さねェくせして何言ってやがる」

ローは呆れたように、おれに掴まれたままの手を眼前で振った。

「…これは、その…違う…」
「何が違う。第一、お荷物になるのが嫌だから、ここんとこ身体を鍛えてたんじゃねェのか。だったら黙ってそれを貫き通せ。いい加減ぐだぐだ考えるのはやめろ。お前には向いてねェ」

すぱすぱと図星をさされておれが押し黙った隙に、ローは1歩こちらに踏み出してきて、おれに掴まれた手を勢いよく引いた。

「……リバー、」

ローに導かれるままに、おれの身体は前に傾く。帽子で影に覆われた端正な顔が目の前に近付いて、鼻の先が一瞬触れ合った。
ひゅ、と息を呑んだおれを、長身が覆うように見下ろした。その瞳は、ぎらりと煌めいていて、どこか獣のようでもあった。


「良いか。お前を見放すも見放さないも、全てがおれの自由だ。指図される謂れは無い。お前がどれだけうだうだ悩もうが、お前はおれのクルーだ。もう面倒臭ェから、この件に関してはお前の意見は聞かないことにする。肝に命じておけ」


淡々と、殆どゼロ距離でローはそう言い放った。低い声が脳髄を駆け巡る。
おれは、ローのクルー。
何かに操られるようにして、おれは呆気なく頷いた。

ああ、おれが知る海賊とはまるで違うのに、この男はどこまでも海賊なんだ。
束縛とか、そういう堅苦しいもんが大嫌いで、いつだって自由を叫んでいる。…何かに縛られている分、殊更に。
たかだか一介の部下が見栄を張ろうが、こいつには通じないんだろう。


「分かったら歩け。ベポ達は先に島に入ってる。追いかけるぞ」


ぱっと手を離されて、おれは重力に従ってローの胸板に頬をぶつけた。すん、と鼻を啜ると、ローの香りが鼻腔に広がった。
本当に認めたくなんかねえが、おれはこいつの香りが多分、凄く好みなんだと、そう思う。だって男の胸にしがみついて、こんなに離れ難いなんて有り得るか?

「おい、いつまでそこにいる気だ」
「……ほっといて行けばいいだろ」
「こんなデカいもん抱えて歩けるか」
「う…」

本能に抗って、ぎこちなくローの身体から離れる。

ローは表情を変えないままおれの額を軽く小突くと、鬼哭を抱え直してジャングルに向かって歩き出した。
浜辺に残る足跡は、その脚の長さの分、歩幅が広い。何となく、それに自分の足をぴたりと合わせながら、おれもローの後を追いかけた。

見放してくれないなら、やはり強くなるしかない。間違っても、おれのためにハートの連中が傷つくことが無いように。

彼らの優しさに、報いるために。

未だローの声と香りに打ちのめされている足を叱咤して、先を急ぐ。鬱蒼としたジャングルが、もう近くまで迫っていた。




砂浜はすぐに途切れて、足元の土はぬかるんだ濃い色に姿を変えた。

鮮やかな緑のコケや葉が地面を覆い、見たことの無い光に輝く昆虫が目の前を通り過ぎていく。

健康の行き届いた細い枝をパキリと踏みしめながら、おれは間抜けに口を開けながら上を見上げた。手をついた木の幹は樹皮がつるつると滑って、その先が何処まで続いているのか見えない程に高い。

「すげェな……これ、なんて木だろう」
「トワランという木だ。足元のはブロメリア。奥のでかい花はラフレシア。あれは臭ェから近寄るな」

ローは手近な植物を物色しながら、淀みなくおれの興味に答えてくれた。なんだか小っ恥ずかしくて顔が見れないので、おれはローの手元に咲く花に目を向けた。

「…それは、何かに効くのか」
「草が関節痛を和らげる。こっちのは、煎汁が皮膚病に良い」
「へェ…」

脳みそに植物図鑑でも埋まってるみたいだ。ローが携えた巾着袋は、あっという間に半分以上が薬草で埋まっていった。
あんまり風貌が厳しいもんで忘れかけるが、この男はどこまでも医者なのだ。出会ったその時に、地下牢にぶつけて腫れ上がっていた額をスパスパと結合してくれた腕前を思い出して、おれは額を手でさすった。
海賊の船長で、医者で、ブレない信念もたまんねェ程にあって、器量も良くて。……なんつーか。

「…あんた、ズルい男ってやつなんじゃねェの」
「あァ?何の話だ」
「…いや、別に」

薄い眉が顰められるのに肩をすくめて、おれはペンギンから貰った輪ゴムを腕からとって適当に髪を結んだ。木々で影が出来ている分涼しいのかもしれないが、それにしたって暑すぎる。垂れ落ちる汗を拭いながら、歩を進めるローを追う。

「…この島に人はいねェのかな」
「分からん。栄えてる島なら情報も入ってくるが、こういう島はてんで駄目だ。一か八かで進むしか無い」
「へー…本当に博打だなァ、グランドラインってのは」

よくここまで無事に進んできたな、とハートの海賊団の軌跡へ思いを馳せたその時だった。

前方の地面から足が竦むような地鳴りが響いた。そして何かが崩れ落ちる音ともに、けたたましい鳴き声をあげた鳥達が一斉に羽ばたいていく。

続いて、誰かの叫び声。いや、誰かというか、この声は。


「…ベポの声だ」


ローと殆ど同時にそう言って、おれは背を震わせて天馬の翼を出そうとした。しかしそれよりも早く、ローの右手がおれの手を勢いよく掴んだ。
ブゥンと聞き慣れた音を立てて、“円”が大きく広がっていく。

「シャンブルズ!」

焦燥感に駆られて思わずローの手を握り返した瞬間、目の前の景色が掻き消えた。


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