36


ベポの声のした方角へ二度ほど移動して、ローは“円”を消した。植物で覆われたぬかるんだ地面に勢いよく降り立つ。その反動でおれは少しよろめいたが、ローに手を引かれてなんとか耐えた。
顔を上げて礼を言おうとしたが、目の前の光景を視界に入れてすぐに動きを止めてしまった。


「…穴?」


樹木の生え茂るジャングルの一角に、ポーラータンク号が丸ごと入りそうな程の巨大な穴が空いていたからだ。隕石でも貫通したかのようながらんどうの空洞。

辺りには薄らと砂埃が舞い、ツタで繋がっていた隣の樹木が落ちたのに引っ張られたのか、幹が真っ二つに折れた木が穴の手前で未だゆらゆらと揺れている。見ている傍から、オウムのような鮮やかな鳥が1羽、焦ったように羽をばたつかせながら穴から這い出てきた。
間違いなく、この地面はさっきの地鳴りと共に、今まさに崩落したのだ。

「また派手に崩れ落ちたもんだな……お前ら!そこにいるのか!」

淵に駆け寄ったローを追って穴を覗き込むと、広がっていたのは黒一色の世界だった。底が全く見えない。
皆を呼ぶローの声が、反響もせずに穴へと消えていく。まさか皆はここに落ちたのか。認めたくないが、認めざるを得ない。

「ベポの声がこっちからしたのは事実だ。穴が深すぎて聞こえてねえんじゃねェのか」
「…ちっ、十人程で散策に行かせたが、あいつら全員落ちやがったのか」
「殆ど先も見えねェジャングルだから、固まって行動すんのはまぁ分かるよ。……おいキャプテン、乗れよ。こん中降りるぞ」

ローが此方を振り返って頷くのを確認してからぶるりと首を振って、身体を天馬に作り変えていく。ペンギンがくれた輪ゴムがたてがみの生える途中でパチンと切れてしまい、あァやっちまったなあと思った。また、くれるだろうか。

蹄で土を踏みしめて軽くいななくと、足元にいた大きなトカゲが警戒するように駆け出していった。
翼をひと仰ぎして身体を慣らしてから、膝を曲げて地面に屈む。ローはたてがみを掴むと、ひらりとおれの背に跨った。まだ二回目だっていうのに、ローがそこにいるのが至極自然のことのように思えるから不思議だった。

「座り心地、悪くねェか」
「問題無ェ。良好だ」
「……そっか。っし、んじゃ行くぞ」
「あァ。…警戒しろよ。何かの巣かもしれねェ」

返事がわりに翼を震わして、穴に向かって一歩踏み出した。身体が落ちる前に大きく翼を仰いで宙に浮かぶと、ゆっくりと下降を始める。

穴の中を進んでいくと、だんだんと冷涼な空気が通ってきた。地下だから当然なのかもしれないが、一体何処まで続いているというのか。……というか、この高さから落ちて無事な人間がいるのだろうか。あと、無事なシロクマも。

不安げな気配が伝わったのか、ローが腕を伸ばして角の付け根をさらりと撫でた。突然の感触に、耳がぴくぴくと跳ねる。そのまま頭頂をワシワシとかき撫でられて、思わず呻くように低く鳴いた。

「……それ、やめろ」
「やめていいのか」
「…………」

まんまと黙り込んだおれの翼を手で梳きながら、ローは下を見下ろした。未だ暗がりだが、さっきよりも更に辺りが涼しくなっている。

「おいベポ!!いるか!」
「……!!キャプテーーーンッ!!ここだよーー!助けてー!」
「…!」

下方から微かに、元気そうなベポの声が響いた。続いて、他のクルー達の歓喜の大声。
張り詰めていた身体がほどけるのを感じた。ああ、ろくでもねェ想像させやがって。返事がわりに大きくいなないたおれの背を、ローがぽんと叩いた。

「無事みてェだな。…リバー」
「…あァ!」

底にいるとなれば話は早い。おれはローの負担にならない程度に身体を前に傾けて、降りるスピードを速くした。
下降しながら徐々に目が慣れてくると、穴の壁面が何で形作られているのかがよく見えた。

「…木の根だ。こんな下まで続いてる」
「あァ。やはりこの海域は妙な生態系だらけだ」

ローはどこか愉快げにそう言った。いつも冷静な面をしているが、やはり心根にある好奇心や冒険心が時たま顔を出してしまうらしい。
もう何十メートル降りたかも分からないのに、上から伸びた木の根は未だ太く地下へと伸びていた。無数の根が垂れ下がる光景は、確かに奇妙で、荘厳だ。
その隙間に空いた穴をひたすら羽ばたいて、ようやくベポ達の姿が見えてきた。

どうやら底を覆うツタとその葉のお陰で無事だったらしい。流石海賊、悪運が強い。内心安堵に笑いながら降りたとうとした瞬間、ペンギンがアッと声をあげて此方を指さした。


「キャプテン!リバー!後ろーー!」
「ーーーッ!?」


ペンギンの声と殆ど同時だった。尋常でない殺気が背後から迫ってきたのは。尻尾がゾワゾワと総毛立つ。確実におれ達を殺そうとしている、獣みてェな気配。
なんだこれ。やばい、殺られる。
一瞬の判断だった。振り向きざまに、おれは咄嗟にローを振り落として前に躍り出た。


「チッ、おいリバー……!」


木の根をロープのようにして伝いながら、何かが勢いよく飛びかかってくる。葉で出来た仮面をつけた…これは、人間だ。腰に布きれを巻き付けた、大柄な男が頭上からこちらを狙いすましている。

おれが角を振り仰いで迎撃しようとした動きよりも、仮面の男の動きが数段早かった。逆手に構えられた鋭利な二本のナイフがぎらりと光ったのがちりちりと目に焼き付く。
一呼吸もしない内に、一本は胸元から前脚にかけてを、もう一本は翼の付け根を深く抉り抜いていく。

「…ッ!!」

獲物をしとめるための切り口だ。裂かれた筋から血が吹き出て、仰ぐ力を入れることが出来ずおれは真っ直ぐに落下した。早すぎる。全ての動作が一秒にも満たなかった。

太いツタに身体を打ち付け、か細いいななきが喉から漏れ出た。痛みには慣れているつもりでいたが、これまでの比では無い。右の翼は危うく斬り落とされるところだった。
前脚に力を入れて立ち上がろうとしたが、蹄が血に塗れて滑り再び身体を打ち付けてしまう。切り裂かれた痕が熱くて熱くて、焼き切れそうだ。

「…ゔッ、」

天馬の姿を保っていられず、おれは横たわったまま人間へと戻った。胸元から手、背中までが血に濡れて嫌に熱い。
黒い羽根が舞い散る視界が、自分の荒い息で揺れる。着地した仮面の男が此方へ勢いよく駆けてくるのがぼんやりと見えた。

「ってめェ、この半裸野郎!!リバー、逃げろ!」

シャチが叫んで、つなぎの裾から取り出した小刀を男に投げつけた。気づかなかったが、どうやらクルーの皆は足をどでかいツタに埋め込まれているようだった。あれじゃナイフでは切れそうに無い。

男は小刀をあっけなく弾きとばして、尚もおれに向かってくる。とんでもなく速いスピードの筈なのに、動きがスローモーションに見えた。
瞬間、怜悧な低い声が空気を割いた。

「“ROOM”!」

過度な流血で霞む視界を一瞬膜が覆い尽くして、すぐに身体をすり抜けていく。
…ああ、本当にこの中は酷く安心できる。
おれからしたら心底ほっと出来る空間、だが敵にとっては無慈悲な地獄と化すローの手術台が、確実に男を捉えた。

尋常でない速さで駆ける男に、放たれた鬼哭の斬撃が追いついた。
振りかざしたナイフがおれの喉を刺す直前に、男の首がすぱりと斬れる。

「!?」
「……はっ…残念だったな」

ぽとりと落ちて転がった男の生首が、横たわるおれの眼前に止まった。ざまあねェ。
引き攣る筋肉を動かして仮面越しに見える瞳に向かって目を細めてやる。

視界の奥では、ローが此方に歩み寄りながらベポ達の足元に絡みつくやけに太いツタを切り裂いていた。長い脚はあっという間に距離を詰めて、まるで状況を呑み込めていない仮面男の首をボールのように蹴りあげた。
弧を描いた生首は、腕を伸ばしたシャチの手にぽすりと収まる。

「…“メス”」

続けて男の身体から慣れた様子で心臓だけを取り出し、それもペンギンに向かって放り投げる。

「言葉が通じたら言い訳を吐かせろ」
「アイアイキャプテン!」
「こんの野郎~~!どうしてやろうかァ」

低い声で男に詰め寄り始めたペンギン達の声を聞きながら、おれは目を閉じた。全く派手に斬ってくれやがって。脳が回らなくなってきた。
冷たくなってきた頬を、大きな手のひらが覆った。ああ、ローだ。

「リバー、寝てんじゃねェ。…馬鹿な真似しやがって」

静かな声だった。
寝てねぇよ、と伝えたくておれはローの手に頬を擦り寄せた。鬼哭を振るっていた手のひらは、じんわりと熱い。ああ、本当に安心する。
…こいつは、おれに効く薬でも何処かに仕込んでるんじゃないだろうか。

「…匂いを嗅ぐな。全くお前は…」

そう言いながらも、おれの鼻を指の腹が撫でる。…そんなこと、されたらさぁ。
ますますローの手のひらに顔を埋めて息をすると、意識がふわふわと沈み始めた。ローの香り、ローの手。そんなもん信じちゃいねェが、ここが天国ってやつなのかもしれない。


「おいリバー、そのまま動くなよ。この忌々しい傷を塞ぐ」


鬼哭が、キンと音を鳴らしたのが遠くに聞こえる。
ぱくりと切り裂かれた痕の熱さが消えるのと同時に、おれの意識はぷつりと途切れた。



- 36 -

*prevnext#

back

TOP