目を開けると、真っ白の雲の中だった。温かく柔らかい綿のようなものが、頬の下で優しく胎動している。なんて、気持ちがいい。
もう一度目を閉じて微睡みの中へと戻ろうとすると、吸い込んだ空気の中にふわりと土の香りが混じった。
……地面?
「っ!」
「あ、リバー起きた」
がばりと跳ね起きる。途端、背後から呑気な声がしたので慌てて後ろを振り返った。雲だと思っていたものは、我がハートの海賊団航海士、ベポの腹だった。
「身体辛くない?大丈夫?」
「身体……」
寝転がっていたベポは起き上がり、気遣わしげな表情を浮かべた。その言葉に思考を巡らせながら、自分の体を見下ろす。…そうだ、おれは仮面の男に切られて、ツタの上に落ちて…それから、どうなったんだっけ。
少し腰を捻ると、脇腹の辺りに引き攣ったような痛みがはしった。無惨に破けた服の裾を捲ってみると、胸元から脇腹、そして背中にかけて2本の傷跡が線を描いて盛り上がっている。
…ああ、これは、ローが鬼哭で縫い合わせてくれのか。
どうやら、失血で気を失っていたらしい。ベポに礼を言って辺りを見渡すと、そこはジャングルの中の部落のようだった。開けた土地に建つ蔦が絡まる木造の家々と、周りを囲む鬱蒼とそびえる木々。ベポとおれが寝転がっていた場所は、平たい石の上に藁が敷かれ、頭上には屋根がついた休憩所のようの場所だった。太陽が降り注ぐ村の中、この場所だけがひんやりと涼しかった。
足を踏みしめて立ち上がると、目の前がふっと白くなった。…ダメだ、完全に貧血だ。
「リバー!」
ふらりと傾いた体を、慌てたベポが受け止めてくれた。
「……すまん。…ベポ、皆は」
「キャプテンなら、診療中だよ。みんなはそれぞれお手伝い中」
「診療…?」
こんなジャングルのど真ん中で、何故ローが本業を全うしてるんだ?血液の回らない頭を動かしていると、ひとつの家の戸が開き、男が1人外へ出てきた。
日に焼けた、腰に布を巻き付けた若い男だった。その男の他には誰もいない。そういえば、いやに静まり返った部落だ。
ベポに促されて再び藁の上に腰を降ろすと、男が此方を見て大きく目を見開いた。
「…!目が覚めたか!!」
吠えるような声が響いて、男が尋常でないスピードで駆け寄ってきた。…あ、と口から声が漏れる。素早いその動きで、おれはそいつが自分を斬った男だと気がついた。
「ッどうなってやがんだ」
「あーリバー、話すと長くなるんだけどさー、…ってもう遅いや」
ベポが何かを話す前に、男はおれの元へとたどり着き、おれは天馬の翼を大きく広げたところだった。
翼を出した反動で、頭が酷く痛む。なんとかふんばり、顔をゆがめながら迎え撃とうとした。しかし、男は襲いかかってはこなかった。急ブレーキをかけたかのようにおれの目の前で立ち止まるとサッとしゃがみ込み、地面に埋まりそうな程勢いよく頭を下げた。
「…すまなかった!!いくら詫びようと足りない!殺すつもりで斬った。一生残る傷を負わせた。すまない、生きるためだった!」
は、と息が漏れる。逆立っていた翼からよろよろと力が抜けた。…いきなり何謝ってやがんだ、こいつ。
「……ッあなたの船長のおかげで、村は救われた。あなたを殺そうとした、私の村を、あの人は…!」
「…おいおい、何の話だ。自己満足で語ってんじゃねェぞ。お前がおれを殺そうとしたことと、あいつがお前の村を救うってのと、何の関係が?」
こいつは、おれだけじゃなくてローのことも斬ろうとしていた。それがなんで、村を救うなんて訳の分からん流れになった?おれがちょっと意識飛ばしてる間に何があったってんだ。
「えーっと、リバー。おれ達だって勿論怒りはしたんだけど、色々あってね」
「いや、言葉足らずだった。私から話す」
ベポの言葉を遮って、男が顔を上げた。おれは顔をしかめ、威嚇ついでに翼をバサリと広げた。信用ならねェ。
男が目を見開いて翼を見上げながら、わななく口を開こうとしたとき、ざり、と足音が響いた。
「…リバー、そいつをしまえ」
「!!」
耳に馴染んだ低い声。おれは反射的に翼を戻した。黒い羽が舞い散る向こう側に、鬼哭を抱えた長身が姿を現す。
「キャプテン!」
ベポが呑気な声をあげた。ローは帽子やら服やらに羽が着くのにお構い無しで長い脚をフルに生かし、あっという間におれの前にたどり着き足を止めた。
そして、よく出来た、と言わんばかりに大きな掌がおれの頭をくしゃりと撫でる。少し冷たい手が触れた部分からじわじわと熱が広がって、貧血でキンと響いていた頭痛が不思議なほどに引いていった。
「頭は痛むか」
「もう、痛くない」
「そうか。傷はどうだ」
「……そっちは、ちょっと…いてェ」
答えながら、気がついたら目の前のローの薄いブルーのデニムを、おれの指が掴んでいた。…なんか、こういう無意識の行動が多すぎやしないか、おれ。
引きはがそうと苦労する指を、ローの手が掴んだ。そのまま足を曲げてしゃがみ込み、破れた服の裾を捲って傷跡を覗き込まれる。
「……跡は残るが、もう開かないだろう」
「っ、」
冷えた指先が傷跡を丁寧になぞったもんだから、こそばゆくて腹がひくりと動いた。息を詰めたおれを、胸元からローが上目遣いでちらりと見上げてきた。相変わらずの隈で覆われた瞳と、ばちりと目が合う。
う、わ。
耳たぶが燃えるように熱くなった。おいなんでだ、貧血なはずだろ。
黒い髪、光るピアス、匂い、全部が全部、ローがここにいると伝えている。腰に力が入らなくなって、思わず背後のベポにもたれかかってしまった。
すると、追いかけるように身を乗り出してきたローが、手を伸ばしてさらりとおれの髪を梳いた。手首から好きがつまった匂いがして、たまらず頬をローの掌に擦り寄せた。
夏島のぬるい風が、おれとローの間を通り抜けていく。
「……もう二度と、おれを庇うなんざ馬鹿な真似をするな」
いつもと変わらない声色で、表情で、淡々と。しかし頬に添えられた掌は、常になく熱かった。
おれは胸が詰まる思いがした。この男が言うことには、出来る限りは頷きたい。だけど。
「…無理だ。約束できねェ。…おれは自分より、あんたが大事だよ」
背後のベポが、何も言わずに肩に手を置いた。いたわる様な、優しいクマの手。あったけェなと思いながら、おれは目の前の切れ長の瞳から目を離さなかった。
ローはひとつ瞬きをした。そしていつもと同じ平坦な声で、そうか、とだけ呟いた。
おれは頬に添えられた手から顔を離して、ああそうだ、ともう一度返した。