カツ、と足音がして、俯いた視界にローの靴が現れた。ぴくりと指が跳ねる。
「おいリバー、そんなとこで拗ねてねェでとっとと寝とけ」
相変わらずの、低く響くローの声が蒸し暑い空気を揺らした。おれはひとつ大きく息を吸って、知らずの間に力を込めていた拳をほどいた。
「…………悪ィ」
顔を上げられないままに立ち上がって、踵を返そうとしたが肩を捕まれ動けなくなった。目をやると、刺青の掘られた長い指が肩に乗せられ、破れた服に皺が寄っている。何度か振り切ろうと足に力を入れたけど、置かれた手にますます力が入るだけだったので諦めた。
とっとと寝とけって言ったのはあんただろ。言いようの無い怒りが湧く。
「…なに」
「面倒臭ェ…リバー、こっち見ろ」
「………」
振り返ってじろりと見上げた先、月光に照らされた端正な顔。夏島だってのに変わらないいつもの毛皮の帽子が、ローの目元に濃い影を落としている。
静かに此方を見下ろす表情には、“またか”と思いきり書いてあるような気がしてならない。横目には、我関せず、といった風にペンギンが大きく伸びをするのが見える。…なんなんだよ、二人して。手のかかる餓鬼だとでも思ってるんだろ。
…ああ、どうせまた拗ねてるよ。おれなんかのことを知るためだけに、村人全員の病を治して、オペオペの力を使って樹木を切りまくって。ここら辺の森、殆どハゲちまったぞ。その力使ったら、滅茶苦茶疲れるくせに。
…初めて会った時、別におれのことを何も知らなくなって、あんたはおれを拾ってくれたじゃないか。
おれは、ただのハートの海賊団のクルーだ。あんたがそう言ってくれた。それだけでいいじゃないか。それ以上掘っても、きっと良いことなんか出てきやしない。
無言のまま睨みつけても、ローの表情は何も変わらない。
「…言っておくが、お前のためじゃない。おれが、おれの知りたいことを知るためにやっただけだ。いい加減自意識過剰はやめろ。お前の悪い癖だ」
「………っ!」
ローは面倒くさげに鬼哭を抱え直して、幾分か冷えた声でそんなことを言った。
腹の奥からふつふつ湧き上がる、得体の知れない感情。これは、怒りか?それともやるせなさ?
…ああ、これも確かにおれの、自意識過剰なんだろうな。
「…ッああ、悪かった。余計なことは考えない。…だけど、だけどおれは、ただあんたの……」
傍にいれたら、それだけでいいのに。
でも、やっぱりおれは、おれのこの能力と姿は、すごく厄介なもんを背負ってる。なんでか知らないが、この海に知れ渡るくらい。おれって本当に、なんなんだろうな。あんたの傍にいて良いものなんだろうか。
“とっても、綺麗だったから“
先程の子どもの、真っ直ぐな声がリフレインした。酷い吐き気がする。嫌んなる、本当に。
あんたが嫌いじゃないと言ってくれたこの瞳。あんたが気に入ってると言ってくれたこの見てくれ。全部全部、大事にしたいのに。
う、と込み上げてきたものを、手で塞いだ。爪が頬にぎりりと食いこんで、やけに痛い。喉の奥で乾いた笑いが漏れた。ああ、本当に。
「っ本当に……気持ち悪ィな、おれ…」
「……」
「リバー!なに言ってんだお前」
痛い程の力を込めて肩を掴むローの手と、腕を伸ばしてきたペンギンを無理やり振り切って、今度こそ踵を返した。震える身体を腕で抑えて、足早に家へ向かう。ローとペンギンは追っては来なかった。
正解だと思う。妙な癇癪を起こしてる子どもなんか、ほっとくのが一番だ。何を言っても聞きやしないから。
勢いよく扉を開ける。そこらに寝転がって眠りの世界に入っているクルー達を跨いで、一直線に奥にいるベポの元へ向かった。
「…おーいリバー、ひでェ顔だぜ。なんかあったか?」
壁際から問いかけてきたシャチの声も、聞こえない振りをした。皺くちゃの毛布をすっぽり被って、いびきをかくベポの隣りに寝転がる。
未だ震える脚を抱え込んで、ぎゅ、と目を閉じた。ぐるぐる、ぐるぐる、脳が回る。
おれの命は、ローのもんだ。こんな面倒臭いものを受け持ってくれたあいつのためにも、迷惑なんかかけたくない。
何も考えずに頼ればいい、って前にローは言ってくれたけど、到底出来る気がしない。傍に居させてくれるだけで、もう十分に頼りきってる。
大事だ。大事で大事で仕方がない。クルーの皆が、ローが。
なんで、どこのどいつだか分からない連中がおれのことを知ってる?なんで、おれは新聞に載せられない?無理やり自分に納得させていたことが、ポロポロと剥がれ落ちていく。
おれを乗せちまったせいで、皆の旅路に何かがあったらどうしよう。そんなの嫌だ。
人間、落ちた思考の時はとことん落ちる。穏やかに眠るベポの隣で馬鹿みたいに震えたまま、おれはその夜、結局一睡も出来なかった。