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ベッドに吊るした巾着袋の中身は、大したものでは無い。生きるのに必要な最低限の衣類、非常用のランプ、後はあまりの奇妙さに思わず突っ込んでしまった“黒足のサンジ”の手配書。(最後に関しては、まじで毎晩眺めては笑いをもらっている)
おれの持ち物は、これだけ。手元には他に何もいらない。

ただ心の中には、いつでも大事にしまっているものがたくさん。弟と、ハートの海賊団のクルー全員。トラファルガー・ロー。
おれ自身に大した野望がある訳でもなし、最悪この手に何も残らなくても、あいつらが生きていてくれさえすれば構わない。そう思うまでになってしまった。
自己犠牲なんてご立派な名前すらつけられない。ただの餓鬼の我儘だ。

閉じていた目を開けて、寝返りをうった。視界には、船窓の向こうの深海が映る。紺碧のあぶくが煌めいてはたちのぼって消えていく。

もうかれこれ5日間は、こうして海の揺らぎに身を任せる日々を送っていた。あの蒸し暑い夏島を出航し、ポーラータング号は出来る限りの最高速度で次の島を目指している。らしい。
ほぼ書斎と寝床の往復しかしていないので、ローやベポとめっきり顔を合わせない日々が続いている。進行状況については、他のクルー達からの又聞きだ。

何故速度を上げてまで進路を急ぐかなんて、ろくな理由じゃないのだから考えすぎない方がいい。大方、おれの噂をしていたという件の海賊達が暫くはそこに停泊するなんて話をあの村人達から聞いたんだろう。

「……本当、ろくでもねェ…」

思わず恨みったらしい声が漏れる。誤魔化すように布団を頭から被り直したが、睡魔が全く襲ってこない。元来、おれは元々寝付きが悪い質なんだ。故郷の島にいた頃は金が盗られないか、弟が知らぬ間に襲われないかなんて心配事ばかりで、ぐっすりと眠れた記憶が殆ど無い。
…変わったのはこの船に乗ってから。あいつの傍にいるようになってから、やけに安眠できていたことの方ががイレギュラーだったんだ。

全く眠れそうに無いので、他の皆を起こさないようにベッドを抜け出した。部屋に響く呑気な寝息が不思議と耳に心地いい。
廊下に出ると、海底のひんやりとした温度が肌に刺さった。雪国生まれのおれには先の夏島よりも余程過ごしやすい。

深夜でも、ポーラータング号はあちこちから機械音を鳴らして海を進んでいる。その音を聞きつつ人気の無い船内を進み、ここのところすっかり一人で占拠してしまっている書斎の扉を開けた。
身体を鍛えたり知識をつけたり、必要なことはこの部屋でひっそりと行っている。クルーの皆に見られるなんざ恥ずかしくてごめんだ。

ランプを点け、棚から幾つか本を引き抜いて椅子に腰掛けた。“世界言語学”なんていう小難しい本に、睡魔を呼び出す望みをかける。
開いたページには所々にローのメモ書きが残っていた。ひたすらに活字を追いながらちらちらと目に入る几帳面な文字のせいで、前にローが突然この部屋に現れた時のことを思い出してしまった。多分あの時、初めてあいつに頭を撫でられた。寝不足の頭に、にやりと笑う端正な男の顔がぽんと浮かんでは色濃くなっていく。

「……あーあ、やべェなあまじで……」

結局10ページも読み切れずに諦めて顔を上げた。どんだけだよ、と誰に言うでも無く言葉が漏れた。ため息とともに頬杖をついて船窓を見ると、反射した自分が情けない顔で此方を見返している。

母親と同じグレーの瞳と顔の造り、父親と同じ真っ黒い髪。おれの顔もいつか、あいつらの様に醜く歪んでいくのだろうか。
ひくりと引き攣った頬には、あの夏島で自ら引っ掻いた爪痕が未だうっすらと残っていた。このまま傷だらけになっちまえば、おれを買おうとする連中なんざ一人残らず消えてくれるんじゃないか。消えかけの痕に爪を立てて、強く引っ掻いた。痛みとともに血がじわりと滲む。
こんな事をしてもなにも変わらない。余りにもしょうもない自傷行為。
ただ、自分が一丁前にストレスを抱えて落ち込んでいることだけは嫌でも分かって、船窓から無理やり視線を引き剥がした。

こういう時、あいつがいてくれたら。一縷の望みをかけて振り向いた扉に、勿論あの長身の姿は無い。

「…当たり前だ。自惚れんな。いつも言われてんだろ…」

自意識過剰、自惚れ。度々言われるこれは多分、気にしすぎるなっていうあいつなりの優しさの言葉。海賊のくせにどっか甘い、あいつのたまらない部分。
金になるからなんだ、おれなんて大したこと無い。あいつなんて2億の首だぞ。
…でも、あいつは強くて、おれは弱い。弟一人も守れなかったくせに、ここでぬくぬくと日常を噛み締めてる。

椅子の背にもたれて、天井を見上げた。血が流れたままの頬がずきずきと痛む。触ると、それだけで顔が歪んでしまう。
何発も撃たれた弟は、もっともっと痛かっただろう。泣くほど痛かっただろうに、弟は最期に笑ってた。あれは、なんでだったんだろう。
とうとう血がたらりと頬をつたう感触がした。
あーあ、くそだせェ、自分で訳もなく血流しやがって。

「ロー……」

こんな所で呼んだって来るわけもない。甘えるだけ甘えて、大したものを返せない奴にそんな贅沢は許されない。

無理やりに目を閉じて、何もかもから目を逸らした。睡魔はやはり、おれのことなんか見向きもしてくれないようだった。


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