城を出ると、散らばっていたクルーがちらほらと集まってきていた。何人かはローが抱いた青年を見てぎょっとしていたが、青年の重苦しい表情を見て何かを察したようで、口を開くものはいなかった。もぬけの殻の島を見て回ってきたクルー達からすれば、彼がこの島で唯一の生き残りだということは明らかだった。
ローは黙って青年を地面に降ろした。力が入らずふらつく青年の腕をとり、自分の肩に乗せて支えにしてやる。汚れた素足のまま雪を踏みしめた青年は、しかしその冷たさに気付かないまま呆然と城壁の前を見渡し始めた。
おびただしい血と、争いの跡。森の向こうに見える街からは、黒い煙が細く立ち上っている。
「クリス……ゴーディ、セオドア…」
先程口にしていた弟の名前、それに馴染みの人間であろう名を連ねながら、青年は瓦礫と化した街を遠目に見て、ふらりとよろめいた。ローの肩に置かれた手に、ぎりりと力が入る。
「……悪い…絶対、戻ってくるから。ちょっと、飛ばさせてくれ」
「……?」
俯いて黙り込んだ青年を見下ろすと、彼は震え掠れた声でそう言った。飛ぶ、の意味が理解出来ないローの返事を待たずに、青年は呻きながら歯を噛み締めてぎゅっと背を丸めた。
途端、雪が舞い降りるだけだった灰色の空を切り裂くように一陣の風が吹いた。青年を中心に渦を描くように空気が流れ、雪と土が舞い上がる。ローは帽子を飛ばないように手で抑えながら、目を見開いて青年を見た。
風が渦巻く中、丸められた青年の肩甲骨が隆起し、やがて大きな、巨人の手程もある黒い翼がばさりと広がった。舞い飛ぶ黒い羽が、言葉の出ないローとクルー達の上にひらりと落ちる。
それに驚愕する暇もなく、青年はひと扇ぎ翼をはためかせ、雪の渦巻く宙へと浮かびあがった。続けてもうひと扇ぎし、ローの頭の高さまで舞いあがったところで、その額が盛り上がり、黒々とした一本の角がメキメキと伸びる。
やがて手が黒い蹄に代わった。背筋に青年の黒髪と同じ色をしたたてがみが伸び、尻の辺りに滑らかなしっぽが生える。全身はやがて黒々と輝く絹のような毛で覆われ、人間とは異なる筋肉が青年の身体を形作り始めた。
ばさり、とひとつ翼をはためかせた角を生やした青年、もはや青年と形容して良いのかも分からないが、姿を変えた彼を見上げ、ローは鳥肌が立つのを感じた。たまらなくなって、口角を上げる。
「……え、えっ!?これっているんだっけ!?」
「…いや、伝説上の生き物だ。しかしこいつは…」
すっかり腰を抜かして上を見上げるベポの声に、ローはその美しい姿を目に焼きつけながら返した。
「……そりゃあ王族も欲しがるはずだ。………ウマウマの実の幻獣種、しかも有翼のユニコーンなんざ…!」
そう言ったローに低いいななきを残し、黒い一角の天馬となった青年は、翼を扇ぎ灰色の空へと飛び立った。街の方へと飛び去っていく天馬を、クルー達は呆然と見送った。
「……い、行っちまいましたけど…」
羽を散らしながら空を駆ける黒い天馬の影を追いながら、シャチが困惑しきってそう言った。
「絶対戻ると、そう言っていた」
ローは青年の言葉を疑わず、淡々と返した。
「…ベポ、ログはどうだ」
「ええ?ああ、それが針はもう次の島を差してる。ここは大分ログが溜まるの早いみたい」
「…成程な」
海楼石を知らない能力者、革命決起や政府の所業など、島の情報が外へ漏れにくいこと。全てこの島のログがほんの数時間で溜まることに起因しているのだろう。貧しいこの国では物資の調達も娯楽もままならず、海賊達も長く滞在することは無かったはずだ。外海との接触時間の短いこの国の環境は、かなり閉鎖的だっただろう。
「……先に船に戻ってろ。出航の準備をしておけ」
「アイアイ!」
「…キャプテン、まさかあいつも船に乗せるんで?」
「ああ」
クルーの一人が訝しげに尋ねてきた。ローは城壁の一部だったであろう瓦礫に腰掛け、空を見上げながら浅く頷いた。
「良いんですか?あんな得体の知れない能力者乗せて」
「責任はおれが持つ」
「良いじゃねえかカッコよくてよ~角生えたペガサスだぜ!初めて見たァ~あれなんて言う生き物なんだろなあ」
不安そうなクルーの肩にシャチが腕を回し、能天気に笑った。
「背中にさあ、乗せて飛んでくれたりすんのかなァ」
「えーーー?…でも、そりゃ良いな…」
もう片方の肩に寄りかかったペンギンと合わせて、ローの意志を疑わない二人に両隣を挟まれ、クルーも感化されながらずるずると引きずられていった。
誰もいなくなり静まり返った城の前で、ローは雪がしんしんと降る空を見上げ続けていた。帽子の鍔にうっすらと雪が積もり始めた頃、島の端の上空に黒い点が現れ、徐々に大きくなりローの元へ近づいきた。
ローは立ち上がって、真っ直ぐにその影を待った。やがて影は、大きな天馬の形となってローの元へ向かって駆け下りてきた。
ローの前に舞い降りた一角の天馬は、ローの帽子や肩に乗った薄い雪を見やると、黒い翼を大きく広げローを雪から守った。
空が翼で遮断され暗くなった視界で、ローは黒く塗れた天馬の瞳を見つめた。長い睫毛には、うっすらと涙の跡がある。
「…憎いか」
「憎い…」
「悲しいか」
「悲しい」
ローは彼の頬に手を当てた。滑らかな黒い毛をゆっくりと撫でる。
「その憎しみも悲しみも、おれが受け持つ。共に来い。…お前、名前は」
青年はローの手に顔を擦り寄せたまま、ぶわりと舞い散る羽を残して人間の姿に戻った。頬に当てられたローの入れ墨に震える指で触れながら、青年は涙の残る瞳でローを真っ直ぐに見た。長い睫毛の下にある濡れた灰色に、ローが反射して光った。
「…チェンバーズ・リバー」
「……リバー。お前の命、おれが貰い受ける」
「もう、意味の無くなっちまった命だ。……物好きなあんたに預ける」
そう言って耐えきれず涙を零したリバーの肩を引き寄せて、ローは「上等だ」とリバーの耳に囁いた。
左手を地にかざし、大きく“ROOM”を広げる。そしてポーラータング号の甲板にあった木片と入れ替わり、船に戻った。
「…全員いるか」
「はいッ」
「すぐに出航する」
甲板に揃っていたクルーに指示を出し、ローは隣に立つリバーを親指で差した。
「こいつはリバー。仲間に入れた」
名を呼ばれたリバーは、先程までの濡れた顔が嘘のようにニヤリと笑い、顎まで伸びた黒髪をかきあげてクルーを見渡した。
「海賊のことは分かんねェが、拾ってくれたこの船長のため、必ず役に立ってみせる。どーぞよろしく」
彼が天馬になる様を目撃した者、していない者、困惑や歓喜、様々な反応で甲板がざわめいた。
「命はおれが預かっている。こいつが道を違えたらおれが斬る。これまでと同じだ」
静かなローの声に押し黙ったクルー達の中、ベポが「やったーペガサスだ!かっこいい!」と明るい声をあげ、シャチとペンギンも拳を振り上げてそれに同調した。
クルー達をざっと見渡して異論を唱えるものがいないと判断すると、ローはちらりとリバーを見て頷いた。
「…よし。じゃあ出航だ。この物騒な島とっとと出るぞ」
「アイアーイ!」
「ペンギン、リバーを案内してやれ」
「はーい」
ローは慌ただしく潜航の準備に入るクルー達の間を縫って、船内へと消えた。無意識にそれに着いていこうとしたリバーのぼろぼろの服を掴んだのはペンギンだった。
「ハートにようこそ、リバー」
「…あァ。えっとあんたは…」
「ペンギン。ここの古参だ。あの熊がベポで、あのキャスケットがシャチ。まァ今はそんくらいで良い」
歯を見せて笑ったペンギンが、クルーに指示を出すシャチとベポを指さした。
「ほんじゃ、ここの案内するよ。服もそのままじゃ寒ィだろ」
朗らかに笑うペンギンに連れられ、リバーは船内に入った。
憎しみも悲しみも請け負う。そう言ったローの言葉を反芻しながら。