鎖に囚われていたおれの前に現れた男は、海賊を名乗った。だがそいつはおれがこれまでに見てきた、街をふんぞり返って歩く野蛮な連中や、下卑た笑みを浮かべておれや弟のクリスに絡んできた輩とはあまりにもかけ離れていた。
床に這いずり血溜まりから見上げた男の、その声こそ静かで冷たい空気を纏っているのに、言葉や立ち居振る舞いからは清廉な印象を受けた。かつて見た海賊の中に、こんな男は一人もいなかった。
ペンギンにポーラータング号を案内してもらいながら、おれは自分の頬を撫でた刺青だらけの手の感触を思い出していた。
雪に濡れて冷たかったが、その心地良さは、かつて弟と手をつなぎながら眠ったときに感じた温かさに似ていた。それが何故なのか分からない。ただ、この掌の温かさに自分の命をかけたいと、あの時漠然と思った。
おれの憎しみと悲しみを請け負うと言った男の静かな表情を思い出して、思わず強く手を握りしめる。
「おぉい、聞いてる?」
「……悪ィ」
「ちゃんと聞いとけよー。さっきのが整備室で…ここが、厨房なー」
上の空だったおれに、ペンギンはさして気に触った様子もなく次のドアを指さした。ポーラータング号の中は広く、油断すれば部屋に迷うことは容易に想像がついた。整備室、厨房…案内された部屋を復唱しながら前を見ると、ペンギンは未だ厨房の前から動かずにいた。
「…どうした?」
「…お前さあ、何日間食ってない?」
「……多分、二週間くらい」
「はああ!?二週間飲まず食わずでなんで生きてんだ!?」
「…さあ。弟の仇うつまで死なねえって、それだけ考えて生きてた」
「おいおい……分かったリバー。キャプテンのお達しだ。今日の調理担当に話も通してるから、とりあえず、食え!」
ばんっと厨房のドアを開けたペンギンに背中を押されて、おれはよろめきながら部屋の中に入った。途端、嗅いだことの無い、鼻腔をくすぐる芳醇な香りに全身を包まれた。
「おっ、来たな!お前がリバーか。…いやーしっかし、おい、痩せてんなあ!」
厨房には長いテーブルが併設され、上には海鮮料理から肉料理まで、雑誌でしか見た事のない飯が湯気を立てて並んでいた。配膳途中らしい大柄の調理番が、両手に皿を掲げながらおれに向かって朗らかに笑った。
きらきら輝く料理の山を凝視して、おれは二週間分の空腹を一気に思い出した。
「こ、これ……食っていいのか?」
「ああ。キャプテン命令だ。前の島で食糧はだいぶ積んだし、次の島までそんな長い航海でも無いらしいから余裕はある。まあ、食え。食わなきゃ始まんねえだろ」
「まじか…おれ……こんな豪勢な料理、初めて見た」
ふらふらと椅子に腰掛け、目の前の食卓を見つめた。光ってる。輝いてる。すげェ、料理って光るのか。
「いただき、ます。…で、良いんだっけ…」
「おう!」
「たんと食えー」
調理番とペンギンの許可を得て、おれは次々に料理をかきこんだ。弾けそうな海老、柔らかい肉、ほろほろの魚にみずみずしい野菜。なにも言葉を発さずにただひたすら噛み締めていく。
「…すげえ食いっぷりだな」
「二週間食ってないんだと」
「そりゃあ…悲惨なこった。キャプテンに紹介されたときはスカした野郎だと思ったが、苦労してきてんだなァ」
「こいつがいた場所も穴蔵みたいだったからなあ」
調理番とペンギンがしみじみと話しながら、皿から料理が消えていくのを見守っている。おれはコーンスープを飲み干すと、初めて感じる満腹感に感動して震えが止まらなかった。
「…おーい、どうした。喉に詰めたか」
「………ッ!うめえ…!こんな美味いもんは、はじめて食った…うめえ…!」
感動しきってそう伝えると、調理番は眉を下げて微笑んだ。
「そりゃ良かった」
「ありがとう…!」
「礼ならキャプテンにもな。真っ先におれんとこ来て、お前のためにありったけの料理作っとけって言ってきなさったんだ」
こくこくと頷いて、おれはすぐに食事を再開した。
食べるということは、自分が生きたいと願っている証拠だ、と思う。スラムにいた時、どんなに絶望しようとも弟がいる限り、おれは生きたいと願って必死で食料をかき集めていた。今は、ローに助けられたこの命を繋ぎ止めたい。そのことだけで頭がいっぱいだった。
尋常でないペースで食事は進み、程なくして山盛りあった全ての料理を綺麗に完食した。初めての、腹十分目。今頃驚いているだろう胃袋をさすりながら、調理番に頭を下げた。
「こんなに腹いっぱい食べたのは生まれて初めてだ……ありがとう」
「おお、どういたしまして」
「よーーし、んじゃ次は風呂だな」
深々と調理番に頭を下げつづけていたら、ペンギンに腕を引っ張り上げられた。
「風呂……?」
「ああ、風呂だ。キャプテンが言うから飯優先にしたけど、リバーお前、血やら泥やらこびりついて正直見れたもんじゃねェぞ。それに臭い」
「自分じゃ分かんねえな…湯なんて何ヶ月浴びてねえかな……」
記憶を掘り返そうとしたけど、結局諦めた。少なくとも城にぶち込まれてた期間は風呂なんて無縁だった。はあ、とため息をついたペンギンに腕を引かれ、風呂を目指した。