「大人しく着いて来てくれたら、ハートの海賊団には手をださねェんだが」
欠伸すら漏らしながら、心底面倒くさそうに大男はのたまった。そんなもん信じられるか、と言ってやりたいが、そうもいかないことは分かっている。
噛み締めた歯の間から漏らした息が、白い霧になって消える。
「…上からの命令、ってのはつまり天竜人か」
「あれ、もう知ってたか」
知ったのはついさっきだ。だが、そもそも大将の上にいる奴なんて限られている。
ハ、と乾いた笑いが喉から零れでた。一体いつからおれは、こんな偉い海軍サマに目をつけられていたっていうんだ?
頭上で手錠を固めたまま凍りつく氷が、雪が降りしきる故郷の寒さを思い起こさせる。突然おれと弟の元に現れ、国に引き渡した両親。「こいつを売れば金になる」と言っていた城の人間。厳しい税収に苦しんでいた国民。それでも豊かにならない国。
点を線で結ぶのが怖くて、目を逸らしていた。
「……天竜人はどうやっておれを?」
「きっかけはある写真だ。人攫いの界隈に流れ出たそいつはちょっとした騒ぎになった。ヒューマンショップに出入りする天竜人の耳に入るほどに」
「おれの、写真か」
「ご名答」
大将青雉は、思いのほかあっさりと話し出した。口調は淡々としていたが、いつの間にかその眉は何故か、苛立ったように険しく寄せられている。
胡座をかいた膝の上に置かれた指が、トントンとリズムを刻む。まるで自分を落ち着かせようとしているような様だった。
「人間体のお前と、天馬になったお前……そいつを隠し撮りしたものだ。その写真すら高値で売買されていた。出処は……」
「おれの国だろ」
「…そうだ。オルールはある事情で多額の資金を必要としていた。そこで目をつけられたのがお前だ」
嫌悪感に打ちのめされ、ガクリと首の力が失せた。
「天竜人はお前に4億ベリーもの価値をつけた。……分かるか、このトチ狂った金額が」
青雉は懐からくしゃくしゃになった紙を取り出して、項垂れるおれの視線の先に広げた。ヒューマンショップオークションリスト、と殴り書きがある。
ミンク族70万ベリー。人魚族女性7000万ベリー。これは、人買いのためのリストか。なんて気持ちの悪い。
一番下の欄にあるのは、能力者…時価、の文字。おれは相場のうん倍の値段をつけられたってわけか。全く有難い話だ。
「希少な幻獣種、それも黒い有翼のユニコーンに姿を変える美少年。まるでおとぎ話だわな」
とんでもない吐き気と共に、目の奥から涙が押し寄せた。いつの間にか垂れた情けない一雫が、趣味の悪いリストにぽつり染みを作った。
ローが気に入ってると言ってくれたこの姿かたち。それがまた汚されていくみたいだ。4億だってよ。あんたの懸賞金の2倍だぜ、それも中身なんて見ちゃいない、おれの親そっくりのこの外面に。
でも、たかが4億のために、弟は銃弾を浴びせられた。弟の命は金なんかじゃ測れない。おれにとっては全てだったのに。
リストを丸めてしまい込んだ青雉は、胡座をかいて地面に座り込んだ。溢れる涙越しに、奴が黙ってこちらを見上げているのが分かった。
…何故こいつは、こんな話をおれにするのだろう。
ふと疑問が湧く。おれが抵抗しようが力ずくで連れて行けるのは明白だ。バキバキに凍らせちまえばいい。そもそも海楼石の手錠を嵌められたせいで力なんて入らない。
天竜人のペットになろうとしている奴に、その事情なんて語って聞かせてこいつになんの得がある?
「……おい、大将さま。おれを天竜人にくれてやるために来たんだろ」
「まァ、そういうことになってるわな」
「じゃあとっとと連れて行け。大人しくしてたらハートの海賊団には手を出さないっつったのはお前だ」
迷いなんて無くそう言った。
こいつがローと接触しちまう前に、おれはこの島を出なくてはならない。ローは強い。それは知ってる。
だがこいつの化け物じみた能力は、そしてこの迫力は、絶対にこの海で上から数えた方が早い強さだ。鉢合わせない方がいい。分かりきったことだ。
ポーラータング号が潜る海中が真っ白に凍る場面を想像して、心臓が詰まったように傷んだ。
それに、ジョーカー。
ローが聞いたこともないような張り詰めた声で吐いたその名前。この先おれといたら、人買いに追われ続けるようなことがあったら、そいつと接触してしまうこともあるかもしれない。
出会わせたくは無かった。
「良いのか」
思いがけない問いかけだったが、おれは直ぐに頷いた。
「いい」
「トラファルガー・ローは?」
「……いいつってんだろ」
あいつを守るためなら、なんだってする。それは本人にも伝えた。納得してねェって顔してたけど。
青雉はため息とともに頭をかき、少し強い声色で話し始めた。
「……あのな、これだけは聞いとけ。オルールが資金を必要としていたのは、グランドラインを半周する程のどでかい魚雷を作るためだ」
「…は……?魚雷?」
低く通る声が、レンガと石畳に囲まれた路地に響く。青雉が固く握りしめたその両手は、力が籠るごとに白い冷気を漂わせた。
「そいつで赤い陸に穴を開け、政府を支配しようと目論んでいた。あの国の土地は貧しい。言っちまえば領土を広げたかった、それだけだ。そいつが分かったのが、あの革命の日だ。国民の蜂起に対して、王国側の支援に駆けつけた政府軍が城の地下深くで製造されていた魚雷を発見した。そしてその威力の大きさ、思想の危険性を問題視した政府が選んだのが、国民皆殺しってわけだ」
搾り取られる税に、苦しみ怒っていた街の住民達。それが全て、世界政府を敵に回す魚雷製造のため?なんだ、それ。
しかし、捕らえられた時に白の奴らが言っていた「こいつを売れば莫大な資金が手に入る」という言葉。だとしたら、全てが噛み合う。
突然怒涛のように知らされる真実の中、ロー達に助け出されたあの日、血みどろになっていた城の様子を思い出した。
街にも、いつものたまり場にも、人っ子一人いなくて。
「なっ…んで、関係ねェ奴らまで殺さなきゃならない」
「疑わしきは罰せよ、が今の海軍の主流でね」
青雉は何処か遠くを見つめながらそう言った。
「まぁだが、その混乱のおかげでお前はここにいる」
「……どういうことだ」
「本来なら…魚雷なんてもんが見つからなけりゃ、あの時お前は天竜人に引き渡される手筈だった。国を滅ぼすなんて大混乱の中、地下にいたお前は見落とされた。そしてとんでもねェ忘れもんに気づいた政府が慌てて戻った時には、お前はもういなくなってた……ハートの海賊団にかっ攫われてな」