さて麦わらが現れてから、事態は目まぐるしく動いた。人魚に突撃しようとした麦わらを止めたタコの魚人が撃たれ、それに怒り狂った麦わらはなんと、天竜人に鮮やかな右ストレートを放った。
最高。
誰か殴ってくれ、と思ったそれが余りに早く叶ったもんだから、おれは笑いを堪えきれなかった。全くもって滅茶苦茶だ。大将が来るとかそんなこと、あいつには関係無ェんだ。
海軍大将と軍艦を呼べ、という天竜人の叫びが響き渡る。途端に出口目指して人々が殺到する中、おれは鍵を探すと言った青髪を手伝おうと、続いて走り出した。
その時だった。
「あ~~~~!!!天馬!!天馬がいるアマス!!誰か捕まえるアマス!!あれはわたくしのペットにするアマス~~~!!」
会場中に響き渡るような、ヒステリックな叫び声が耳を突いた。はっと見れば狂ったように笑みを浮かべた女の天竜人が、ぴたりとおれを指さしている。そういえば被っていたフードが麦わらの登場とともに脱げていたことに今の今まで気が付かなかった。
喧騒の最中、見開かれた目はおれから離れない。
すぐに分かった。
こいつだ。おれに4億なんてふざけた値段をつけたのは。この女だ。
「ほらお父上様、あの馬、写真で見るよりずっと綺麗な顔面してるアマス!!檻の中でライオンと遊ばせるのにぴったりアマス!!おい馬!とっとと姿を変えるアマス!!」
「シャルリア、その馬なら後で捕らえてやる!今は大将の到着を待て!」
「ええ!!今欲しい~~!!背中に乗ってここを出たいアマス~!」
眼前で繰り広げられる、ペット以下のおもちゃとしか見られていない会話。足が磔になったように動かない。あーどうやら、感情が振り切れると動けなくなるらしい。尊厳ってやつが土足で踏みにじられる感覚がする。この女のモンになるくらいなら、きっとおれは舌を噛みちぎって死ぬだろう。
「あいつらひでェこと…!おいお前大丈夫か!!」
タコの魚人を介抱していたトナカイが、気遣わしげな声をかけてきた。その瞬間。
「“ROOM”…シャンブルズ!!!」
聞き慣れた声とともに硬直していたおれの身体は一瞬かき消えて、まばたき一つした後にはもう、ローの膝の上に尻から落ちていた。歓喜からか何からか、胸が詰まる。もう、なんなんだよ。タイミング良すぎだって。
着地したデニムの上からたまらない気持ちで目の前のローを見あげる。帽子の鍔で影のできた切れ長の瞳が、射殺しそうな鋭利さで天竜人を睨みつけていた。
「リバーーー!!!」
「てっめえら、うちのリバーくん馬扱いしてんじゃねェよ!!こいつはおれ達の仲間だ!!」
「そーだそーだバーカバーカ」
ベポ、ペンギン、シャチがわっと周りに寄ってきてくれる。ぶーぶーと天竜人に向かって中指を立てるペンギンとシャチを見て、硬直していた身体から力が抜けた。おれは皆の所へ戻って初めて、自分が酷く緊張していたことに気がついた。
息を吐き出し安堵して、膝の上に座ったまま思いきりローに抱き着く。ぎゅっと腕に力を込めれば、ローも珍しく力強く腰に手を回して抱き締め返してくれた。冷えきっていた心臓が途端に高鳴る。ほんと、自分が現金すぎて笑えてくるな。
「さっきクリオネとハクガンからお前が消えたと連絡が来たとこだ。驚かせやがって…いつからここに?」
「ごめん。麦わらの一味と一緒に来た」
「そうか。……顔色が悪い。この場所はお前には酷だったかもな」
頬に手が添えられる。少し眉を顰めて覗き込んでくる端正な顔に笑みを返した。
「やばかったけど、もう平気」
あんたが傍にいるから。ぽんぽんと大きな手に頭を撫でられて、おれはとろけるようにローの肩にもたれかかった。後ろにいたシャチとペンギンがにやにやとこっちを眺めているのは無視してローの香りに集中。はー、安心する。ずっと主張していた頭痛も嘘のようにひいていく。
「…っおのれ、虫けらが!!良いアマス、その馬は殺して剥製に…」
「っぎゃああああ!!!」
女の天竜人がおれに銃口を向けたと同時に、今度は長鼻が天井から降ってきてジジイの天竜人の上に不時着した。娘だったらしい女天竜人は、父の哀れな姿に目を見開いて絶叫している。
ローの隣に座り直しながらその惨劇を見て、思わず笑ってしまった。
「っはは、滅茶苦茶なんだあいつら」
「ああ。船長が船長なら船員も船員だな」
おっさんごめん!と謝る長鼻が面白くてたまらない。おれはローの肩に頭を預けどさくさに紛れてその腕に手を回しながら、さっきまでの怒りやらが嘘だったかのように笑った。ローも心底楽しそうに喧騒を眺めていて、腕にぎゅっと抱きついても何も言ってこない。おれは今がチャンスとローの腕に頬をすり寄せた。
目の前では天竜人のお抱え兵士が次々と倒されていく。あちこちから手が生える……あれが多分、ニコ・ロビンだ。そんでさっきも会った喋る骨。麦わらの一味はとことん変な連中が多い。
その筆頭の船長が、気が付くとすぐ隣に来ていた。
「海軍ならもう来てるぞ、麦わら屋」
ローは至極楽しそうに麦わらに話しかけ始めた。当の麦わらはベポに興味津々で、尚のこと面白い。間近で見る麦わらは、正に夏島の太陽の如くあたたかいパワーに満ちていた。人が集うのも分かる。素直にそう思った。
「…なァ麦わら。あのクソったれ、ぶん殴ってくれてありがと」
思わずそう言えば、麦わらは今おれの存在に気が付いたようで、キョトンとした顔をした。
「誰だお前?あいつはおれがムカついたから殴っただけだ。礼なんかいらねェよ。…ところでお前もあのクマの仲間か?」
自分勝手な礼は、受け取ってもらえなかったらしい。やっぱり変な奴。おれは満足してローの肩に頭を戻した。うーん、ここベストポジションだな。永遠にいれる。
「トラファルガー・ローね。それに隣りはチェンバーズ・リバー…ルフィ、海賊よ。彼ら」
「…そういうあんたはニコ・ロビン」
「あら、知ってくれてるのね。一角天馬さん」
「そりゃ有名だからな」
青雉に聞いた、とは言わずにおれは軽い笑みだけを返した。
「あなたに言われたくは無いけれど……ッ!!!」
にわかに緊張が走った麦わらの一味につられて前を見れば、女の天竜人が人魚に銃口を向けている所だった。あいつ、根本を断って全部無茶苦茶にする気だ。どこまでも救えねェ奴。
おれも思わず立ち上がって翼を広げたが、それを振り仰ぐ機会には恵まれなかった。
突然現れた爺さんの登場と共に、天竜人が泡を吹いて倒れたのだ。中途半端に翼を上げたまま呆然とするおれの腕を、ローが掴んでまた座らせた。されるがままになりながら、呑気に酒を飲む爺さんを呆然と見やる。
「…なんだ、あの爺さん」
「生ける伝説って奴だ…」
ローが珍しく迫力に押され冷や汗をかいている。お、あんまり見た事の無い顔だ。爺さんに集中しているせいで全くこちらを振り返らないローの横顔を堪能する。ちょっとビビってるあんたもかっこいい。
不遜な男の見慣れない姿におれはすっかり気を取られ、爺さんが一睨みで会場中を気絶させたことにも気が付かなかった。
「危ねェ一瞬意識が遠のいた…」
「なに?なんかあったか」
「お前がキャプテンにうっとりしてる間に色々あったんだよ!おバカリバー!」
「はァ~~?うっとりなんかしてねーよ目ェ離せなかっただけだ!」
「一緒だよ!」
「おいうるせェぞお前ら…」
ローにため息をつかれたので、おれはシャチから顔を逸らしてすごすごと爺さんに目をやり直した。誰かが言った「シルバーズ・レイリー」というのがこの爺さんの名前らしかった。
シャチ曰く、海賊王の船の副船長。なんだか途方も無い話で、おれは理解するのを放棄した。
この世界に、ロー以上にいい男も尊敬すべき人間も存在しない。少なくとも、おれにとっては。