「麦わらボーイの居場所くらい、教えてアゲチャブルわ……」
「え?」
ずっと突っぱねていた態度から一転して、イワンコフがサンジに差し出したのは新聞だった。そういえば今日のはまだ読めていない。もしかしたら、ローの名前があるかも。そう希望を持って、新聞を広げたサンジの肩に手をついて後ろから同じ誌面を覗きこんだ。
「ルフィ!?」
目に飛び込んできたのは一面に大きく写った麦わらの写真。なるほど、体はボロボロだ。だがこの怪我をローが治療したんだと思えば、包帯の一個一個がやけに尊いものに思えた。記事をざっと見た限りではローの名前は無い。落胆するおれと反対に、サンジは段々と息を詰め、やがて「そうか」と呟いた。おれには分からない何かが、仲間であるサンジには伝わったらしい。これで、こいつはようやく前を向けるのかもしれない。
その日の夜、サンジは新聞から分かったことを嬉々として教えてくれた。
「おれ達は3日後にシャボンディで集合する約束をしていた。だがそれは叶わなくて……」
「ああなるほど、腕のあれ?3Dな。それを取り消して2年後っつーことか」
「お前ほんと話がはえェな…まあそういうことだ。レイリーの入れ知恵だろうが全くにくいことしてくれるぜ」
そう言いながらもサンジの顔は晴れ晴れとしている。
おれ達は宿屋の部屋のソファに二人並んで腰かけ、真ん中に麦わらの載った新聞を置いてのぞき込んでいた。イワンコフに城に泊まるかと言われたが、二人してそれを断った。口には出さなかったけど、この部屋の居心地をかなり気に入ってたから。
目の前のサンジは、ここに来てから初めて心底から美味そうに煙草を吸っている。目標が明確になったんだからそりゃそうだろうな。
「良かったな」
もちろん羨ましいと思わないわけではない。向かうべき方角も時も決まったサンジは、おれとはもう違う境遇になった。でもこいつが苦悩していたのを知ってるから心から良かったと思う。
「ありがとなリバー。……だが、二年も空いちまうのは事実だ。おれァこれから“攻めの料理”を学ぶため99人の師範とやらを倒さなきゃいけねェ。愛しのナミさんロビンちゃんと胸張って再会するためだ」
おれが最初にこの島に来た日に食べた、力が漲るあの料理。
イワンコフからあれが“攻めの料理”と呼ばれていると聞いたこいつは、そのレシピをゲットするため新人類拳法の師範99人と戦う、らしい。
隙あらばスイートドレスとやらを着せられるって妨害が入るそうだが、もういっそ素直に着ちまった方が楽なんじゃねえのかと思う。
「その拳法ならおれも教わってる。カトリーヌがその99人の一人だ」
「おお、どんな感じだ?」
おれは無言で部屋着の裾をたくし上げ、痣と包帯だらけの腕を見せた。
カトリーヌの特訓は厳しい。翼立て伏せやら角立て伏せやら、おれのために用意してくれた
地獄のお手製トレーニングを日々こなしていた。
「げ」と顔をしかめたサンジに、肩をすくめて笑う。
「これでおれら、同じ流派の兄弟弟子みてェなもんか?」
「ばかやろーおれは誓って弟子じゃねえ!!」
「素直になれよサンジちゃん。二人でスイートドレス着ようぜ」
「おうおう、そのワカメみてェにつやつやの髪で美味しいダシとってやろうかああん!?」
「はっ、とれるもんならとってみろ」
くだらないやり取りをして笑い合う。
狭いソファの上、クッションを投げつけ合って汗までかいた。こいつがいて良かったな、と口に出しやしないが割と本気で思う。
ロー。今あんたはどこにいんのかな。何を考えてんのかな。おれはずっと、あんたのこと考えてるよ。
待っててくれ。絶対、この海を渡れるくらい強くなってあんたの傍に帰るから。
……帰りたいんだ。本当に、あんたがいねェとおれは。
結構前向きな気持ちで眠りについたと持ったが、その夜は随分と久しぶりに悪夢をみた。
おれは小さな子供に戻っていて、今はもう無いあの暗澹とした雲の広がる故郷の路地裏にいた。
雪が酷く降り続きボロの家が寒くて寒くて仕方なかったから、弟のために暖炉に薪をくべようと思った。薪なんてご立派なものが当然家にあるはずもなく、角のパン屋の裏口にある薪置き場からバレないように拝借するのが常だった。
あの夜も薪置き場を目指して雪の中路地を歩いていた。風も強くて先が見えづらかったから、角から突然伸びてきた毛むくじゃらの腕に気づくのが遅れた。路地裏に引きずり入れられて腕の主を見れば、その男が海賊だとすぐに分かった。傷だらけの顔、太った身体、下卑た笑み。それがおれの知る海賊の姿だった。鼻息荒く顔を近づけてきた男は、猫なで声でおれを褒めそやしながら、極寒だというのに異様に汗をかいた手で頬を撫でてきた。
その美しいグレーの瞳は今すぐにでも売りに出せる。白い肌は女のようだ。お前がその顔でおれを誘惑した。だからおれは悪くない。
遠くを横切って行った大人の男は、一瞥だけして面倒事はゴメンだと言いたげにそそくさと逃げていった。これだから海賊も大人も大嫌いだ。身体を鍛えようと思ったのはこの日がきっかけだった。
何度か同じようなことがあったけど気持ち悪いということ以外は何も感じなかった。そうだったはずだ。弟が同じ目に合わないのであれば、別にそれで良かった。
伸びてきた毛深い手に痛いほど顔を掴まれたところで、勢いよく跳ね起きた。心臓がばくばくと跳ね額を触ればとんでもない量の冷や汗をかいていて、夢を見ていたのだと気づく。いや夢というよりかは過去にあった出来事そのものを。
一瞬自分が今どこにいるのか分からなくなって辺りを見渡せば、隣のベッドでもうすっかり見慣れた男が身体を起こしてこちらを伺っていた。
「…… リバー、大丈夫か?うなされてたぞ」
「…サンジ……?」
「あァ……おい本当に大丈夫か」
「おれ…何か言ってたか」
「いや何も?でも滅茶苦茶キツそうだったぜ…どんだけクソな夢見てた?」
ローと出会ってから、とんと見ることのなくなっていた過去のフラッシュバックだった。滲み出る汗を拭ってベッドに倒れ込む。
別にトラウマになってる訳では無いはずだ。おれにとってはもう忘れ去った過去だと思ってた。それなのに、こんなに冷や汗が止まらないのは何故なんだろう。ローが傍にいる間は忘れていられたのは、一体何故。
「ちょっと昔の夢見てただけ……起こして悪ィな」
「あーいや…もしかしたら、おれがルフィの記事見て喜びすぎたから、不安にさせたのかもしれねェ。それで悪夢なんざ…お前はまだ先が見えねェってのに悪かったよ」
しゅんと落ち込み出したサンジに、半分夢の世界に飛んでいた思考が覚醒した。顔を横向けて俯く金髪を凝視する。……こいつまじか?
「…おい、とんでもねえ勘違いやめろ。あんなん喜んで当然だろ?サンジお前、そこまで他人に気ィ回してたらてめーが潰れんぞやめとけ」
「あ?いや、そんなヤワじゃねェよ……」
「ほんとかよ?さっきのは昔のこと思い出しちまっただけだからお前は関係ねー。ローといる間は完全に忘れてたレベルだから大丈夫」
あいつと離れたせいで消えてはずの記憶が掘り起こされるなんて、とんだ笑い話だ。
「……トラファルガー・ローは嫌な思い出も忘れさせてくれたってか?」
「よく分かんねェけど、そうかも。でも別に嫌な思い出っつーか……どうとも思ってなかったけど」
「お前の過去に口出す気は無ェが…あんだけうなされて、それは無理があんじゃねェか?」
サンジは尚も心配そうな顔をしている。ベランダから入り込む月明かりに照らされて、その繊細な金髪がキラキラと煌めく。普段自分の真っ黒い髪に慣れているせいかそれがやけに綺麗に見えて、こいつの心根の善良さをそのまま映しているようにも思えた。
懐に入れた人間にはとことん心を砕くのが、このサンジという男のようだった。基本的には他人に興味の無いおれとは違う。
「…お前、優しいよな。優しすぎるくらい。自分のことばっか考えてるおれとは違う。凄ェよ」
それだけ言っておれは目を閉じた。二年後に仲間達と再会できると分かって、やるべき事も見えて。結構なことじゃねえか。他に気を回してる場合なんかじゃない。
こんな、たまたま縁ができただけの他所の海賊に気ィ遣うなんて馬鹿だろ。凄ェとは思うが羨ましいとは思わない。自分にはそういうまともな芸当はできないってハナから分かってるから。
でも、この島にこいつが来てくれて良かった。そんなことを思うのは確かだった。