マリンフォードに行く、と己のキャプテンが言いだした時、ペンギンは慌てふためいて反対した。今この海で最も危険な場所に自ら赴くなんて、そんなバカな話がありますかと。
「リバーがいなくなってヤケになったんじゃねェか?」とは、小声で数十秒間の会議を開催したシャチの意見だった。あの戦場には七武海も来るはずで、今度こそバーソロミュー・くまとやり合うのでは。ペンギンもこの負けず嫌いのキャプテンならあり得ない話では無いと思った。
結局有無を言わせぬローの様子にいつも通り折れ、ハートの海賊団はあの戦場から麦わらのルフィと海峡のジンベエを救出することに成功したのだ。
ちなみに数十秒間の会議の結論は大きく外れた。ローは、あの場にいたバーソロミュー・くまに一瞥をくれることすらしなかったのだ。
そして戦争の後我が物顔でポーラータングに乗り込んできたボア・ハンコックの導きで、ハートの海賊団はアマゾン・リリーにたどり着いたのだった。
「うわああああ!!!」
「おい麦わらいい加減に…ダメだこりゃ」
アマゾン・リリーの片隅。錯乱した麦わらを止めようとして止めきれず、吹き飛ばされるシャチを見捨ててペンギンは諦め半分でローの姿を探した。億超えの海賊が正気を失って暴れているのを止められると思うほど自惚れてはいない。
ペンギン達が天国が如き女人島に鼻の下を伸ばしていた間に、ローは早々に復活したジンベエやどうやら麦わらにゾッコンなご様子のボア・ハンコックと何やら難しい話を色々と展開していた。
今は険しい顔をして、ジンベエと麦わらの健康状態について会話をしているようだった。叫びながら森の岩に激突したあの男の身体が限界を既に超えていることはペンギンにも分かる。
ここにリバーがいれば、とふと思い描いてしまうのはここ最近のペンギンのクセだった。勿体ないことに女にまるで興味の無いリバーのことだから、きっとベポと二人喧騒の輪の外にいて、遠くからローのことをじっと眺めていただろう。そりゃあもう、うっとりと。そんな姿が容易に想像できる。
というか女どころか、あの弟分はロー以外の人間には基本興味が無い。勿論ペンギン達とは仲間として遠慮のない間柄だったが、やはりローは別格だ。
シャボンディからリバーを欠いたまま出航した時のことは、昨日のことのように覚えている。
自分に心底懐いていた部下を消されローは静かに怒り狂っていて、艦内の空気も最悪そのものだった。さっきまで隣で笑い合っていた仲間が、もうこの海のどこにいるのかもわからないなんて。ふざけた話にも程があるだろう。
ローは以前にもまして口数がぐっと減ったし、船員たちも明るく振舞ってはいるが時折リバーの名がひょいと出ては沈黙が走るのがお馴染みになりつつあった。 クルーの中で一番年下で、ツンとしているように見えて案外素直なところもあったりするあの青年を皆可愛がっていたから。
考えを巡らしていた隙にいつの間にか姿を消していたローに気がついて、ペンギンは慌てて辺りを見渡した。
森を少し歩いた先で見つけた長身のキャプテンは、シャボンディから飛ばされた麦わらの第一発見者だという女戦士に当時の状況を教えてもらっているようだった。
真剣なその眼差しに、ペンギンの背も伸びる。
分かってはいたが、ローは何ひとつ諦めてはいなかった。最近の突拍子もない行動理由の大部分を、やはり消えたリバーも占めているのだ。
マリンフォードに現れた麦わらは、あの日リバーと同じ時にくまに飛ばされた内の一人だ。わざわざあの戦場に赴いた理由に、そのこともきっと絡んでいる。
マーガレットと名乗ったその女戦士は、唯一と言っていいペンギン達とも言葉を交わしてくれる島の住人だった。何やら向こうを指さしたマーガレットにローがついていくのを見て、ペンギンもいそいそと後を追った。可愛い弟分に何があったのか、知りたくない訳がない。三人連れ立って森を少し歩いて、マーガレットは足を止めた。
「直接見たわけじゃないけど…ルフィはあそこに降ってきたらしい。ほら、あの穴だ」
見れば木々の生える地面の合間に、肉球のような形をした異様なクレーターがあった。いやでも思い浮かぶニキュニキュの実。あいつを消したにっくき七武海の能力。ペンギンは人知れず拳を握りしめた。
どこかの島に、リバーもこうして落下したのだろうか。ならやっぱり生きてはいるはずだ。頭では分かっても、どこにいるのかが分からなければ迎えにも行けない。今頃あの寂しがり屋がどんな気持ちでいるのか、考えただけでもペンギンの胸がずきりと痛む。
「…その時麦わらに怪我は?」
「いろいろ傷はあったけど…全部飛ばされる前のものだったと思う。新しいのはなかった」
「そうか。落下の瞬間はニキュニキュの実の何かしらの力で衝撃が和らげられたのかもしれねェ」
あの時のリバーは、機械の放ったビームにやられて満身創痍だったらしい。後からベポに聞いたことだ。そんな状態で飛ばされて一体どうなってしまったのかと思っていたが、一つ良いことを聞けた。
隣を見れば、鬼哭を握るローの手は雪面のように白くなっていた。リバーがいれば、この手を握るくらいのことをやってのけただろうな、とペンギンはまたぼんやり思う。多分あいつは自分でやったくせにすぐに真っ赤になって、それをローが面白そうに揶揄うのだ。
今にもリバーが森の奥から現れて、そっぽを向きながら歩いてくるような錯覚に襲われる。そのくらい、リバーはペンギンの中で当たり前の存在になっていた。
それはもう、世間で言われているような彼の上っ面だけを見た賛美がまるでピンとこない程に。
むしろ生意気ですぐ拗ねてはむくれるし、気に入らなかったら角で突いてくるし。
あいつに美貌の天馬なんてとってつけた呼び名は似合わない。あいつはリバーで、ただのハートの海賊団の一員だ。
「…どこ行っちまったんですかねェ、リバーのやつ」
ただの船員とは評したが、他の船員が彼の代わりをできるわけではない。別に口に出しはしないが、船員それぞれに役割があるようにリバーにはリバーの役割があった。あの青年の代わりなんて、殊更誰にもできないだろう。
あんな焦がれるような目でローを見るのはリバーだけだ。
それにローがあんなに目で追いかけるのもリバーだけだった。
一方が見つめれば一方が目を逸らして、逸らされればまた見つめて。たまに一緒に姿を消したりすることのあった二人がどんな関係を築いていたのかなんてペンギンは知らないが、それでも他のクルーでは考えられないような距離感で彼らがぴたりとくっついていたこともあるのは事実だ。
「さァな…だがあいつはおれの元に帰ってくる。帰りが遅けりゃこっちから迎えに行くだけだ」
いつも通りの口ぶりで、ローはそう言った。だが自分に言い聞かせているように聞こえたのは、きっとペンギンの気のせいでは無い。
迎えに行くなんて、途方も無い話だ。ハートの海賊団はきっと近いうちに新世界に入る。ローが何かしらの目的を持ってこの海を進んでいることはペンギンも承知の上だったし、彼がその目的を意地でもやり遂げるだろうと信じている。
ローが自分の目的を放ってまで迎えに来ることをリバーはきっと望まないだろう。あの男は骨の髄までローにどっぷり浸っているような奴だ。もしかしたら、ハートの海賊団の誰よりも。そしてそれをローも分かっている。
迎えに来いだなんて、あいつは口が裂けても言わない。
生きていればきっと這いずってでも帰ってくる。それがいつになるのかは、誰にも分からないが。
「……ルフィと同じように仲間が飛ばされたんだったな?」
肉球型のクレーターを見つめたまま黙り込んだローとペンギンを気遣いながらマーガレットにそう問いかけられて、ローが浅く頷いた。
「…ああ。麦わらと同じ時に」
「どんな人?ルフィを助けてくれた礼だ。私も覚えておく」
「こいつ。名前はチェンバーズ・リバー」
ローが動くよりも先に、ペンギンはツナギのポケットからリバーの手配書を出してマーガレットの前に広げた。ハートの海賊団の連中は、あちこちでこの青年の所在を尋ねるために何枚も手配書をストックしていた。それを受け取って、マーガレットは顔写真をしげしげと眺めて感嘆したような息を吐いた。
「……この人が……男にもこんな綺麗な人がいるんだな」
素直な賛辞につられて、ペンギンも彼の顔写真に視線を落とした。ペンギンからすれば不機嫌にカメラを睨んでいるようにしか見えないその顔は、世間の人間からすれば絶世の美青年の憂い顔に見えるらしかった。
いつだったか見せた手配書に対して、金払うからあるだけ全部くれなんて言ってきた女もいた。写真の向こうで、リバーが偉そうに腕を組んで「嬉しくねーよ」とぷりぷり怒っているような気がして思わず苦笑してしまう。売っぱらってなんかねぇから安心しろ、とペンギンは届かない返事を彼にかけた。
手配書を託したマーガレットと別れ、ローと二人来た道を引き返す。森を迷いなく進むキャプテンの後ろを歩きながら、長身の割に細いその腕にいつだったかリバーが嬉しそうに抱きついていたことを思い出した。
ローにあんな風に触れる人間は他にはいない。好きで仕方ないと全身から叫ぶように、だけど壊れ物に触れるような慎重さをいつだって忘れずに、リバーはローに触れていた。気が付いていないのは、多分あいつ本人だけだ。
ローも満更でもなさそうにそんなリバーを許すから、初めは驚いた。いくら古株の仲間だろうとローは他人との線引きを忘れたことはなかったからだ。
だがその戸惑いも、リバーと出会ったあの地下牢での惨状を思い返せばすぐに無くなった。
ローとリバーは、どこか似ている。
見ている景色とか、感じる事とか。多分そういう部分の根っこが同じなのだ。
「……キャプテン、これからどうします?」
「近いうち新世界へ行く」
間髪入れず返ってきた言葉に迷いは無い。やっぱり彼は前だけを向いている。ペンギンはいつだって、そんなキャプテンを誇りに思っていた。それはきっとリバーだって。
「確か新世界でしたよね、あれが作れんの」
「ああ」
決意を込めるかのように、鬼哭を握るローの手に再び力が込められた。
「……ビブルカードを作る」