肩のあたりだった髪は、いつの間にか腰に届きそうなほどまでに伸びていた。
いい加減切らないのか、とサンジに聞かれておれは答えた。あいつが切ってくれるって言ったから、今度会える時まで伸ばすんだって。
それからサンジは、気が向けばヘアブラシで髪をといてくれるようになった。風呂上がりにサンジに手招きされて、ソファで二人過ごすその時間は心地いいものだった。
コックはヘアブラシさばきも上手いんだぜとか言ってたけど、まあ当たり前だが最初その手つきはぎこちなかった。それが本当に腕を上げていって、今じゃサンジにといてもらうのが一番ツヤツヤになるくらいだ。
そのサンジが麦わら達と合流するまで後1年程になった時のことだった。
この日の朝の新聞でおれは見出しに大きく書かれたローの名前を見つけて、思わず腰を抜かしてしまった。
それまでもちょくちょく、ハートの海賊団は誌面を騒がせてはいたんだけど。ローの懸賞金が4億4000万になった時には、おれがあんまり喜ぶもんだから城でパーティまで開いてくれた。あん時サンジが作ってくれたケーキはまじで美味かった。
でもちょっと、これは規模が違う。
ベランダの欄干に足をかけ、勢いよく空へ飛び出す。背後でサンジが何やら叫んでいたがそれどころじゃなかった。
朝もやの中街の上を滑空すれば、地上から住民が手を振ってくるのが眼下に見えた。これもこの1年で見慣れた光景だった。
開いていた城の二階の窓から直接入り込み、おれは大声で目的の人物の名を叫んだ。
「イワンコフ!!イワンコフーー!!!」
「ウルサーイ!!言われんでも翼の音で分かるのよヴァナタの訪問!!ハンサムボーイ!!」
バーン!と扉を開けて自室から出てきたイワンコフの眼前に、新聞をはち切れんばかりに広げた。
「見ろ!ローが!!七武海になった!!」
「……えっ!?」
「おいリバー!!てめー輪ゴムで髪くくんなって何度言やァ分かんだ!痛むだろ!」
ぷんぷん怒りながらおれを追いかけて城に入ってきたサンジの首根っこを引っ掴み、記事を無理やり読ませる。
最初は訝し気だったその顔も、見出しを見た瞬間からみるみる驚愕に染まっていった。
「あいつロッキーポートの次は七武海って…!!おれローのやることには基本文句ねェけどさァ、驚くんだよいちいち!!」
一面に載った、悪い笑みを浮かべるローの顔。何に置いてもこの写真は永久保存するとして。
騒ぎを聞きつけやって来たイナズマと四人して、
広間の豪奢な丸テーブルを囲った。議題は勿論“トラファルガー・ロー七武海になったってよ”だ。
「おいおい七武海って…だってそれじゃ、お前を消した奴と同じ称号を得ることになるんだぞ」
こつこつとテーブルを叩くサンジは憤っているようにも見えた。こいつ、いちいち優しいんだよな。海賊向いてねーんじゃって思っちまうくらい。
「それは…まァ。でもおれのことはいい。あいつのやることならなんでも」
「お前なァ、盲目すぎんのも考えもんな時だってあるぞ?」
「同感だな。もちろん君の勝手ではあるが、その陶酔っぷりは少々危険な域に達しているように見える」
サンジとイナズマは本心からの親切で言ってくれていて、これは多分正論だ。でもおれだってそんな事とっくに分かっていた。ここまでのめり込んだら危ないって分かったうえで、おれは全部がローのもんなんだ。あいつが好きにしろって言ってくれるうちは。
「おれ、角のてっぺんから尻尾の先までローのだから。あいつがいらねェって言う限りこれは変わらねー」
「…あー、はいはい…余計なお世話だったな」
サンジはひらひらと手を振って、つまらなさそうに煙草に火をつけた。
「海賊の心臓100個を海軍本部に届けたって…かなり用意周到ね、ヴァナタの船長。何考えてるのかしら」
「さっぱり。なァ、七武海になったらこの海で好き勝手やれるようになんのか?」
「そりゃ懸賞金が無くなる分くらいは自由は増えるでしょうけど…それよりも政府の命令聞かなきゃッティブルなのよ?」
あいつが好き好んで政府の支配下に下る訳が無い。何か目的があるはずだ。会って話したい。……ああ、今すぐ傍にいきてェ。
「あ〜〜〜…ロ〜〜どういうことだよ~どこいんだよ〜」
「…あら、珍しくふやけてるわねハンサムボーイ」
「トラファルガー・ローの野郎、こうやってクソでけェ事件起こす割に居場所は漏れねェからな」
カトリーヌとの鬼のようにキツい特訓と修行は全ての過程を終えた。おれは血反吐を吐きながらカトリーヌから武装色の覇気ってやつを伝授され、今は他98人の師範とイワンコフから武装色の応用と見聞色の基本を教わっている最中だ。
対価はスイートドレスを着ること。別に何を着させられようが心底どうでもいいので安いもんだった。だからおれの修行風景は全員ひらひらのドレスを着て行われるかなりシュールなものになっている。最初は笑い転げていたサンジも、最近では「怖い」と言って近寄ってこない。
ちなみにサンジはドレスを拒否しまくった結果おれよりもかなりキツい戦いを強いられつつ、あと少しで全ての師範を越えられそうな段階まできていた。
「もう、あいつんとこに飛んで行けるだけの力はある。後は何処に行けばいいかなんだよ……」
「こればっかりはな……奴が新世界にいることは確実なんだが」
イナズマが肩をすくめる。ローが首謀者だと報じられたロッキーポート事件の舞台がレッドラインの向こう側、新世界だった。こちらまで戻っているとは考えにくい。
魚人島を経由して新世界に渡るルートは、乗る船が無い以上おれにとっては現実味が無い。だったら翼があるんだから、レッドラインを空から越えた方が手っ取り早い。それがカマバッカの連中とも話し合って決めたプランで、その為に延々鍛えてきたんだ。
かなりおれに肩入れしているカトリーヌは向こう側まで送ってあげるなんて言ってくれたが、船の殆どが沈むという魚人島への道をおれだけのために渡らせる訳にはいかなかった。
腰まで伸びた髪をまとめきれず、適当にくくった輪ゴムがパチンとちぎれた。ほら見ろ、とサンジが煙をはく。あーあ。この髪、早くあんたに切ってもらいてェな。
さて。
事態が大きく変わったのはそれから更に数ヶ月経った時だった。
修行を終え、おれは沈む夕日を眺めながら浜辺を歩いていた。その視界の隅に、時たまカマバッカ王国に立ち寄る行商人の集団が港の方から街へと移動しているのが見えたのだ。
それから目を逸らし、すっかり日課になった翼立て伏せでもしようかと翼を出した。翼だけで身体を支えて伸縮させるという鬼畜じみた筋トレだが、おれはもうこれを500回やらないと眠れねェ体になっちまったんだ。
「チェンバーズ・リバー?」
「ッ、」
なんの前触れもなく、息を詰めたような声が背後からかけられた。ひとつの足音も無く、そいつは真後ろにいた。
おかしい。見聞色はちゃんと身につけたはずなのに全然気づかなかった。
ばっ、と勢いよく振り返れば そこにはウサギと人間を混ぜたような生き物がいて、くりくりと丸い目がおれを見上げていた。とっさに頭に思い浮かんだのは、我らが航海士ベポのことだ。
「……、ミンク族?」
「うん、そうだ。きみに気づいて跳んできたんだ。翼を出してくれたおかげで分かったよ。ああ、まさか本当に会える日が来るとは……」
なるほど、あの集団から1歩で跳んでここまで来たらしい。そりゃ気付かない。ウサギで言うところのオスのそのミンクは、スピニッチと名乗った。やけに興奮したような様子でスピニッチは岩場におれを座らせ、殆どくっつきそうなほどの至近距離に自分も腰掛けた。距離感に引きながら、とりあえず尋ねる。
「……なんだ?何の用だ?」
「ベポを知っているね」
「…おい、本当になんだてめェ」
不躾に仲間の名前を出されて思わず角がメキリと伸びた。しかしスピニッチは慌てることなく、おれを落ち着かせるように肩をさすってきた。振り払いたいのにどうにも振り払えない雰囲気のある男だった。
食い入るようにこちらを見つめながら、黒目がちのその瞳が潤みながら煌めく。
「不審に思うのも無理は無い。少し聞いてくれ
。ぼくはベポとは幼い頃よく遊んでね。随分前に故郷を出て行商として海を渡り歩いていたんだが……半年程前になるかな。ハートの海賊団とある島で出会ったんだ」
「…あいつらと?」
「ああ、ベポがぼくに気づいてくれて。思わず泣いてしまったよ。同族と海で出会えるなんて夢にも思わなかったから。それから、一緒にご飯を食べた。きみの仲間と一緒に」
スピニッチの口調はゆっくりとしていて落ち着いたものだった。思い出を唄うように、やわらかな声が波の音とともに皆のことを語る。確証なんて無いのに、こいつが嘘を言っていないことがその瞳からよく伝わった。
「…そうか……ベポは、元気だったか?」
「そりゃもう。相変わらず打たれ弱いところはあったけれど。変わってなくてほっとした」
ニコリと笑って、スピニッチはおれの手を握ってきた。普段なら振り払うそれだが、ふわふわと温かく白い手がベポを思い出させてどうにも動かせなかった。
「リバー、きみのこともたくさん聞いたよ。一人消えてしまった仲間がいるって。きみの名前が出ると皆酷く悲しそうで」
「…………」
「でもこうして会うと、彼らが話してた印象通りだ。少しツンとしてるけど良い奴だって」
陽だまりのような笑みを浮かべてスピニッチがおれを覗き込む。色々な感情が渦巻いて、危うく涙が込み上げそうだった。新聞の文字で見るのとは訳が違う。初めて生きた声で聞く、皆の話。寂しさがこれまでの比ではない程募った。初めて会う奴の前で泣く訳にはいかないと、眉間に皺を寄せて必死にそれを押しとどめた。
力の籠るおれの拳から手を離し、スピニッチは肩にかけていたバッグの奥底の方から何やら厳重に封された包みを取り出した。何重にも巻かれた紐。
スピニッチはひとつ息を吐き、真剣な眼差しで覗きこんできた。
「…それで、それでね。ぼくに何か出来ることは無いかいって尋ねたんだ。そしたら、トラファルガー・ローがこれを。もし何処かできみに会ったら渡してくれって。きみが飛ばされた方角も教えてくれた……それでずっと探してたんだ、きみのこと」
「……ローが?」
震える手でそれを受け取って、幾重にも巻かれた紐を解いた。静かに開いた包みの中に入っていたのは、一枚の白い紙。
折りたたまれていたそれを開けば、見覚えのある字がこう綴っていた。
Come home River
「ふふ。帰ってこい、だってさ」
「これは……」
「トラファルガー・ローのビブルカードだ……手に置いてごらん」
ビブルカード。命の紙。
恐る恐る開いた手のひらに置けば、その紙は遥か彼方の水平線を目指して少し身動きをした。カサ、と動くその音に、指先がかたかたと震える。
「この紙は持ち主がいる場所を目指して動くんだ。ほら、この先にトラファルガー・ローがいる。……ずっと、きみを待ってる」
今度こそ涙が目から溢れ出た。
ぽろぽろ、ぽろぽろ、頬から大粒の雫が落ちて行く。
「……ああ、これは夢か?」
「君が信じなかったら、こう言うように言われてきた。弱点は香り=c…ってさ」
「…っは、ははは…………ああ、そうだよ。おれの弱点。もうあんたの香りも忘れちまいそうになってた……ああ、ロー、そこにいるんだな……」
「そう。その紙の先に、彼はいる。ずっときみを待ってるんだ」
手を伸ばせば、ビブルカードは先を急ぐように指先へと進む。まるで早く行こうと語りかけるように。
泣き続けるおれを、スピニッチが優しく抱きしめた。頬と頬が柔らかく触れ合う。
「ガルチュー、リバー。きみと彼に、良いことがたくさんありますように」