早朝の港にはカマバッカ王国の住民達が押し寄せ、涙ながらに見送りをしに来てくれた。カトリーヌを初めとした何人かのニューカマー達がシャボンディまで船を出そうと言ってくれたので、おれは全ての荷物をまとめ、 桃色に輝く桟橋に立っていた。
スピニッチと別れた後、転がるようにサンジの元へと行き、ローのビブルカードを見せた。黙って抱きしめてくれたサンジは、その日ありとあらゆる料理を作って盛大に出立を祝ってくれた。
「行くんだな……ここにおれを一人残して…」
「お前の集合ももうすぐだろ」
「まだ半年も先だ。……リバー、これを」
ふう、と煙を吐いて、サンジは煙草一箱と何やら紙を一欠片おれの手に押し付けた。手のひらに乗せられたそれを見て、おれは目を伏せたサンジを覗き込んで笑みを向けた。
「……ああ、ありがとなサンジ」
麦わらの一味がそれぞれ持っている、シルバーズ・レイリーのビブルカードの切れ端だった。これがあれば、シャボンディまで迷わずにたどり着ける。
「負けんじゃないわよ新世界に!ハンサムボーイ!!」
「達者でな」
「ああ。世話になった」
イワンコフとイナズマに頭を下げ、おれはもう一度サンジと向き直った。そっぽを向いて煙草をふかし続ける、優しい男。同じ部屋で一年半も共に過ごした。こいつがいなかったらもっとたくさん、へこたれていたかもしれない。
「また会えるかもしれねェし、会えないかもしれねェ…だから言うけどさ。お前がここに飛んできてくれて良かった、サンジ。おかげで笑ってられた」
「……!!!ばっきゃろー!」
勢いよく顔を上げたサンジが思い切り抱きついてきて、おれも同じだけ力強く抱き返した。サンジからは、美味しい料理と煙草の匂いがする。
「こっちの台詞だクソリバー!!お前がいなけりゃおれは……おれは!!」
見送りにきたニューカマー達は、おんおんと泣いていた。おれは少し上の位置にあるサンジの柔らかな金髪を撫で、この男の行く先の幸運を心から祈った。多分この海に出て初めて、友達ってやつが出来たんだ。仲間とはまた違う、小っ恥ずかしい話をして笑い合える友達が。
顔をあげたサンジはにっと目を細めた。いつまで経ってもこの眩しい笑顔にぱしぱしと瞬きをしてしまうのは、おれの治せない癖だ。
「…また会おうぜ、リバー。お前の船長によろしくな」
「ああ。お前も麦わらによろしくな」
最後に笑みを交わして、サンジに背を向けた。大きなピンクの船に乗り込み、カマバッカ王国に別れを告げる。
「リバー!!腹一杯食えよ!お前まだまだ細ェから!後とっとと髪きってもらえー!!」
「うわーーーんリバーさまあああ」
「さびじいいいい」
叫ぶサンジと王国の皆に大きく手を振った。段々と小さくなるハートの島を見て、ふと昔のことを思い出した。
空が晴れ渡っていて、料理が美味くて、皆が笑ってて。いつか弟と行きたいと語り合った夢の島。そういえば、ここはそれが叶った島だった。ちょっとヘンテコではあったけど。
「よーし、じゃあリバーちゃん!シャボンディまで全速力で行くわよ!!」
「あァ、頼んだカトリーヌ」
サンジがくれた煙草を崩さないようポケットに突っ込んで、おれはモモイロ島が霞む水平線から視線を外した。
ニューカマー達の豪腕で、夜を越え白波を越え嵐を越え、シャボンディには恐らく最高速度でたどり着いたように思う。船の縁から身を乗り出せば、一年半前に見たのと同じシャボン玉の湧く幻想的な島に迎えられる。ここでおれは、ローと離れ離れになったんだ。
すう、と息を吸い込んだ。もうあの時のおれとは違う。バーソロミュー・くまに、黄猿の手から逃げられないと判断されたおれとは違う。
強くなった。きっと、あんたを守ることだって出来る程に。
「着いたわよ、リバーちゃん」
「ああ。……本当に、最後までありがとうカトリーヌ。お前が拾ってくれたおかげでおれは……」
「やだリバーちゃん。お別れの挨拶は無しよ。だって、きっとまた会えるもの」
「……あァ、そうだな師匠」
「そんな可愛くない名前で呼ばないでってば!!」
まったくカトリーヌは、どこまでも男前だ。おれ達は顔を見合わせ固い握手を交わした。それで十分だった。
「良い?出来るだけ端へ船は停めたけれど……貴方はこれから、誰にも見つからないようにシャボンディ諸島を突っ切って、赤い土の大陸──レッドラインを目指すのよ。こんな大胆なルートで新世界に行けるのは、空を飛べる生き物だけ。大空を羽ばたいて、あのバカ高い壁を越えるの」
カトリーヌはパチリとウインクをして、最初に会った時と同じように華麗な三回転ジャンプを決めた。
「早く愛しの彼に会いに行ってあげて!リバーちゃんなら出来るわ!」
大きな手に力強く肩を叩かれ、おれはシャボンディ諸島に足を踏み入れた。もう振り返りはしない。
樹木でできた地面の懐かしい感触。最後にこの島で見た酷く焦ったローの顔がフラッシュバックする。もう絶対あんな顔させたりしない。託されたビブルカードは、とっとと戻ってこいって合図だ。おれが戻ってくるって、あんたはずっと信じてくれてる。
……待ってろ、すぐ行くから。
鼻まで隠れるフードを被り、おれはガラスの球体に入れたローのビブルカードを取り出した。ツツツ、と動くその方角へ、全速力で走る。
砂浜ダッシュを数え切れないほどやったおかげか、足はやたらと速くなっていた。そして空を飛ぶスピードはもっともっと速くなった。
人呼んで黒い弾丸……とか言って、まあ呼んでるのはカトリーヌだけだけど。
遊園地、シャボン玉、樹木。
苦々しい記憶と一緒に鮮明に目の前に映る懐かしい景色を突っ切り、とうとう島の端に来た。この海を越えた先にあるのがレッドラインだ。
ヤルキマンマングローブとかいうらしい樹木のぎりぎりに立って、勢いよく、誰の目にも止まらない程のスピードで翼を広げ、地面を蹴って飛び立つ。
高度が上がるごとに気温が下がるので、体毛で寒さを凌ぐため早々に天馬の姿になった。ビブルカードは角の先にくくりつけている。
イワンコフが言うには、レッドラインを越える正規のルートは、赤い港──レッドポートから出発するボンドラと言う乗り物でこの壁の頂上に行く道らしい。そこは世界政府の直轄で、そう、おれが最も気に食わない連中が住んでる場所だ。絶対近寄らないようにしねェと。
びゅんびゅんと、角で割いた空気が身体を避けて行く。いくら飛んでも疲れが来ない。鍛え上げた成果と、それから少しでも早くローに会いてェ気持ち一心。
「見えた、レッドライン……!!」
やがてたなびく雲の向こうに、天まで届きそうな程の赤茶色の壁が現れた。ぶつかる寸前で、角度を垂直に変えて空を目掛けてひたすらに飛翔する。万一にも政府やら海軍やらに見つからないよう、出来るだけ雲の中を通るようにした。見られてもおれに追いつける奴なんかいないだろうが。
雨に濡れないようニューカマーの皆が作ってくれた天馬も覆う黒い外套が、めちゃくちゃ役に立つ。おかげで雲の中も問題ない。
上へ、上へ。
どこまでも上へ。
猛スピードで飛んでも軽く半日はかかったような気がするが、とにかく空だけを見て延々と飛んでいれば、いつの間にやらレッドラインを見下ろす高さにまで到達してきた。
海を真っ二つにする、巨大な壁。薄まる空気の中、思わず水平線の端から端までその壁を見渡せば、遠くに何やら建物が薄らと見えた。あれが恐らくマリージョアだ……クソくらえ。
羽ばたきながら、ふうと息を吐いた。ビブルカードはまだ向こうへ向こうへと、おれを急かすように動いている。
分かってるよ。この壁の向こうにいるんだよな。
翼を仰ぎ、前へ進む。少し速度を落として飛んでいたせいもあるが、レッドラインはやはり高く大きく分厚く、越えるだけで数十分はかかった。
なぁロー、あんたはいつこの壁を越えたんだ?
叶うことなら、一緒にこの海へ入りたかったな。そんなことを思ってしまう。
やがて眼下の陸地が見えなくなり、目の前にグランドライン後半の海が広がった。踏み入れた、というか飛び入れた新世界の空は奇妙なほど真っ青に晴れ渡っていて、おれが来たことを歓迎しているようにすら見えた。
まぁそんな甘い考えは、突如発生した巨大な竜巻に吹き飛ばされたけど。どす黒い風の渦が全てを巻き込みながらこちらに急接近してきたのだ。
「おいおい……!!勘弁してくれ!」
ばかでかい壁を越えた直後に、この全てを無に帰す勢いの竜巻。さっきまで晴天だっただろうが!息する間も無くブラックホールのようなその渦に巻き込まれ、ぐるぐる回転しながら竜巻の中の魚やら船やらにぶつかる。
イワンコフに散々とんでもねェ海だと教えられていたが、なるほどこれが新世界。
「っ舐めんなよクソが……!!おれァ、ローの、ところに……!行く……!!!」
全身に力を込めて翼と角に武装色の覇気を纏って、全速力で流れに抗い竜巻を抜けた。また晴天の空に放り出されて、振り返れば竜巻が小さな島まで巻き込んで遠ざかっていくのが見える。クソ竜巻め。えらい目にあった。
角の先にくくりつけたビブルカードは無事なようだった。見れば、ずっと新世界の奥へと動くだけだったそれが、少し方角を変えている。
嘘だろ。ローが、近い。
「……まさか、新世界のこんな序盤にいるのか…?」
ロッキーポート事件のあった島は確かもっと先のはずだが、逆走でもしたんだろうか。だとしたらラッキーだ。こんなレッドラインから大して離れていない海域にいるなんて。
これでやっと会える、なんて思ったが、ここからの道のりも半端なく険しかった。
おれは空で何度か夜を迎え、いくつかの雷雨といくつかの竜巻、そして三回の落雷直撃を経験することになった。
なあサンジ、雷の接近を察知するたび武装色を慌てて纏うこの苦しさが分かるか?
厳しい特訓を一緒にくぐり抜けた友は今は隣にいない。だというのに思わず語りかけてしまう程に、おれの意識は朦朧としていた。このカマバッカ製外套が無ければ多分感電死していた。
そして。
満身創痍の視界の中に、その燃え盛る島は現れた。