島が燃えている。海も燃えている。
見える光景は信じ難いが、どう見たってその島は猛る炎を纏って燃えていた。新世界、やはり奇想天外な海らしい。何度も瞬きをして確認したが、ローのビブルカードはこの燃える島へとひたすらに動いていた。
残念ながら馬は暑さに弱い。上空を飛べば熱気に襲われ力が抜けるため、おれはやむ無く地上に降りた。
蹄が熱気で干上がった大地を踏みしめる。シャボンディを飛び立って以来の土の感触だった。もう一度角の先を確認すれば、ビブルカードはこの島の奥へと動いている。
この島に、ローがいる。
逸る気持ちのまま、目の前にそびえる金網を見上げた。PUNK HAZARD≠フ文字、それに世界政府と海軍のマーク。…なんだこれ、廃れた工場か何かなのか?ローは七武海になって、それからこの島に?だとしたら何か訳があるはずだ。ハートの皆はどうしているんだろう。ベポがこんな暑さに耐えられる訳無いと思うんだが。
疑問は次々と湧いてくるが、目下の問題は地面まで燃えてやがるってことだ。
「歩いて行くには無理あんな…もっと上まで飛ぶしかねェ」
一度休めた翼に再び力を入れ、空へと舞い上がる。まあ空も厳しいがこの熱気の届かねェ高さまで行けばいいだけの話だ。思いきり高度を上げもう一度島を奥まで見渡す。すると遠くに目を疑う景色が広がっていた。
「……はァ?雪?」
信じ難いことに、島の向こう側には雪景色が広がっていた。それに、あの空。故郷で毎日眺めたつまらない空と同じ色をしている。どんよりと暗澹とした、冬の空。
つまり、半分は燃えてて半分は雪で?ますます妙な島だ。
ただローがいると分かれば、満身創痍だった身体にも力が戻る。速度を上げ、身体が悲鳴をあげる炎の大地をさっさと抜けて雪の大地へと移動する。こちら側はかなり激しい吹雪で荒れていた。遠くはとても見える状態じゃない。
政府のマークはあったが、どう見ても人間が住める環境じゃねえよな。つーかずっと無視してたけど、どう考えても有り得ねェ形態の動物とかうろついてるしさァ。眼下にちらっと見えた、弟が喜びそうなケンタウロスのような生き物から目を逸らす。面倒くせェもんは見なかったことにしよう。
眉を顰めながらビブルカードを確認して、ひゅっと息を詰めた。紙の動く方向が変わってる。ってことは。
試しにぐるりと大きく旋回してみれば、まるで北だけを指すコンパスのように、おれが宙に描いた円の真ん中をビブルカードは目指そうとしていた。
「……っ、」
静止して言うことを聞かない首を無理やり動かしてその先を見れば、吹雪と銀世界に紛れるようにして人工的な建物がひっそりと建っていた。
ロー。
ロー、そこにいるのか?
吹き付ける雪の渦中にいるというのに、心臓が熱くなりバクバクと鼓動を鳴らした。
ロー。
おれ、帰ってきたよ。あんたの所に。
ふつりと身体から力が抜けて、地面に落下した。雪のクッションに受け止められ、込み上げる涙を放置してよろめく前脚に力を入れる。だが緩んだ身体まで言う事を聞かず、おれは実に幾日ぶりか人間の姿へと戻った。
天馬の体毛が無くなったせいで雪の寒さが直で襲ってくる。
積雪に倒れ伏したまま、震える手で埋もれたガラスの球体を掴みあげる。手に取ったそばからもう雪が積もろうとしているのを指で避けて必死に確認したビブルカードは、懸命にあの建物を目指している。流れた涙が、雪の寒さで凍りつく。
「ッロー……!!!」
早く、早く、会いたい。
無理やり足に力を入れ立ち上がった。──その瞬間、後ろから何かが火を吹いた。
振り向けば、ぎょろりとこちらを睨みつける巨大な出来損ないのブルーのドラゴンがそこに居た。………ドラゴン?
「っ今ァ、それどころじゃ無ェんだよ……!!!」
翼を限界まで広げ武装色を纏う。散々した翼立て伏せの成果で、天馬の翼は最大で10mに達するほど巨大化することが可能になっていた。これも全部、あの島の皆のおかげだ。
翼で思いきり薙ぎ払いその身体を上半身と下半身で真っ二つに断ち切れば、断末魔をあげたドラゴンは呆気なく崩れ落ちた。
翼についたドラゴンの血を白い雪に擦り付ければ、吹雪のせいでその上にあっという間に雪が降り積もる。どす黒い血溜まりから目を逸らし、荒い息を吐いて振り返ろうとした。
その時だった。
「…誰だ、そこにいるのは?」
瞬間、呼吸を忘れる。
酸素は全くもって足らないのに、心臓は条件反射でばくばくと大急ぎで早まりはじめた。
…声、ってさ。頭ん中で再現したくても上手くできねェんだよな。あの声で呼ばれなくなってから、もう寂しくって寂しくって仕方なかった。
顔に張り付いた涙を必死に拭った。だけどその上から、次々溢れてきやがって。必死に深呼吸をして涙をせきとめて、おれはようやく振り返った。
吹雪の向こう側に、長身の影。
見間違えようもないシルエット。思わずからからの笑いが漏れる。震える手をそのままにフードを引っ掴みするりと脱げば、腰まで伸びた髪が一気にこぼれ落ちて吹雪に煽られた。
息をのむ音が、ここまで聞こえる。
「ロー」
誰もいない宙に向かって一人何度も呼んだ名前に、ようやく届ける相手ができた。空気を震わしたおれの声に影がぴくりと身じろぎした。
角を戻し、翼を戻し。身軽になった体で雪の上をもつれながら歩いた。何度も足を取られつまづきながら、でも顔は絶対に逸らさない。会いたくてたまらなかった人がいるから。
段々と鮮明になる、その顔。止めたはずの涙がまた一筋頬を伝った。
なぁ、なんだよその間抜け面。焦った顔は見た事あるけどさ、泣きそうな顔って初めて見たかもしんねェ。もう絶対忘れてやんない。
雪に埋もれて固まっていたその長い脚が、やがてこちらへと歩み始めた。耐えきれなくなって、積もりに積もった雪の上を息せき切って駆ける。
変わらない帽子の鍔の下、何かを堪えるように眉がしかめられていて、口は少し震えてる。でもその薄灰色の瞳はおれをいっぱいに映して瞬きひとつしない。もう、手の届く場所まで来た。
「……ッリバー」
震える声で呼ばれて、おれは夢にまで見た男の目の前で歩みを止めた。
「…なに、ロー」
顔をゆがめて下手くそに笑えば、揺れるように息を吸ったローの長い両腕が伸びてきて、力強く抱きしめられた。途端に変わらない香りがして目の奥から大粒の涙が溢れ出る。冷えたコートの中に包まれたというのに、この腕の中は、この世の何よりも暖かい。
思いきり背伸びをして回された腕よりも強く抱きしめ返せば、更に強く抱きしめ返されて。ひとつの隙間も無くその長身の中にすっぽりと包み込まれる。
ああ、毎日焦がれた場所にやっと、やっとたどり着いた。
ロー、ロー。
背伸びをしきった足は殆ど雪から離れていた。縋り付くように抱き上げられて胸が詰まる。ローはうわごとのように「リバー」と呼びながら首筋に鼻先を擦り寄せて深く息を吸い込んだ。おれも負けじと深く深呼吸をする。ローの香りがなんにも変わっていないのが嬉しかった。
前と何も変わらない、おれを骨抜きにする香り。
「…ただいま」
Come home と書かれたビブルカードを見て、おれはここに帰ってきた。あんたの傍が、おれの居場所だから。
「………………遅い…」
鼓膜を震わすくぐもったローの声は、掠れ震えていた。顔をうずめるように近づいてきたその唇が、おれの冷えた耳たぶに押し当てられる。そんな声で呼ばれたらさ、うぬぼれちまうけど良いのかよ。
「文句言うなよ。これでも急いで来た……う、」
背中に回されたローの腕にまた力が入る。いい加減痛いけど、こんな幸せな痛みならいくらでも喜べる。
すり、と凍えた頬に頬ずりをされて、おれもそれを同じように返した。頬を掠めた二連のピアスが酷く嬉しい。
「…………よく帰ったな… リバー」
「……!!っうん、うん……!」
ローなりのおかえり≠ェ、ずっと積もり積もっていた寂しさを一瞬で吹き飛ばした。ロー。ロー。
会いたかった。抱きしめてほしかった。
本当にずっと。あんたしかこの寂しさを解決できねェんだもん。両手でその頬を包み視線を合わせれば、相変わらず隈をこさえた瞳が揺れながらおれを映している。最後にシャボンディで別れた時よりも随分と伸びてしまった髪を、大きな手が優しく撫でた。
「…な、皆は?」
「今は別行動だ…ゾウというベポの故郷にいる」
コートの胸元に埋もれながら問えば、そう返事があった。皆にも会いたかったな。そう思ったけど、深い事情は何も聞かない。こうして生きていてくれただけでおれには余る程幸せだ。それにローの傍にいれば皆ともきっと会えるはずだから。
「そっか……多分そのゾウ出身のミンク族のさ、スピニッチって奴があんたのビブルカードくれたんだ」
「あァ……託して良かった……」
「うん。おかげであんたのとこに帰ってこられた」
「…リバー」
染み入るような声。ローの声。何度も夢で聞いた声なのに、やっぱ本物はまるで違う。
目の前の存在が現実だって確かめるために、もう無い隙間をまだ足りないと埋めるようにまた腕を回した。そしたら冷えきった耳を覆うように両手が顔に添えられて、それに任せて見上げれば額に柔らかく、寒さで冷えた唇が押し当てられた。ローの顎髭が鼻筋にこすれて何故だか涙が溢れた。
雪が吹きつける寒々しいキスだ。なのに、こんなにも温かい。
笑いながら泣いて、その手のひらに頬を擦り寄せる。雪の積もった帽子の鍔の下、大好きなその瞳が優しく細められて。
ああ、この腕の中がおれの一番の場所だ。
ゆっくりと目を閉じて、心からそう思った。