ルフィに会った。薄々気付いていたことを、真っ直ぐ突きつけられた。
おれが例えば、「好き」だと言ったとして。お頭はおれを切り捨てたりは決してしない。どこまでも大きな器で、おれの迷いごと受け止めてくれるだろう。そういう人だ。
でもそれが、たまらなくて。そうやって甘える自分が許せなくて、おれはこんな、ともすれば不毛に思える旅を続けている。
しかしもう、万策尽きた。感情や記憶を操る能力者が、どこにいるのかも分からない。
後はもうここしかない。最後の手段、最後の砦。正直おれは、正気では無い。その自覚はある。だって、どこにいてもお頭の影がついて回るんだ。消そうと思うほどに、一層濃くなる。
小舟を蹴って飛び上がり、空気の流れを掴んで空を駆ける。風がびゅんびゅんと耳を吹き抜ける、慣れた感覚。暫くすると、空にシャボンが立ち上っているのが見えた。
二年前の戦争が原因で、新世界側に場所を移転したらしい。このシャボンはマリージョアに登るために必要なものだ。おれはシャボンとシャボンの間を飛び移りながら、地面に近づいていった。眼下のざわめきが、徐々に大きくなっていく。
たん、と着地した時には、無数の銃口がおれに向けられていた。おれは両手を上げて無抵抗の意志をしめした。
「あー……突然の来訪申し訳ない。話の分かる者に御目通り願いたい」
「な…何を!ここが何処だか分かっているのか!」
「何故ここに…っ!赤髪海賊団幹部、ケイレブ……!!」
手厳しい対応も無理は無い。ここは海軍本部、ニューマリンフォード。四皇の部下といえど、海賊がおいそれと足を踏み入れていい場所ではない。
海兵達は恐れをあらわにしながらも、勇敢に銃を構えている。お互い微動だに出来ない膠着状態のまま、じりじりと時間が過ぎていく。ふう、とため息をついて、おれは緩く首を振った。
「…悪ィが、あんたらではおれを捕えられない」
「…そうだろうなァ。ほら、どきなさい。通して通して」
輪になっておれを囲んでいた海兵が、どよめきながら道を開け始めた。声の方を見ると、おかきをぽりぽり頬張る丸い白髪頭が、海兵達をかき分け俺の前に現れた。
「…仏のセンゴク」
「誰かと思ったら、赤髪んとこの優男じゃないか。…海賊が、ここに何の用だ」
二年前、頂上戦争で見たときのセンゴクとは、えらく雰囲気が変わっていた。強い意志のこもった瞳は相変わらずだが、元帥に君臨していたときよりも肩の荷が降りたようだ。
おれはかなり高い位置にあるセンゴクの顔を真っ直ぐに見上げた。
「檻の中へ、入れられに」
「……冗談ではすまんぞ」
「大真面目さ」
「はあ…どいつもこいつも、ここの敷居を簡単に跨ぎよって…」
「悪い。だが、他に行くあてがない」
「なーにを訳の分からんことを…もういい、ここは騒ぎになっとる。来い」
「…ああ」
センゴクへ連れられ、おれは海軍本部へ入った。大目付になったらしいセンゴクの部屋は上階に位置した。和風の作りの内装、窓代わりの障子の向こうからは海を一望できる。
そして、案内された部屋のソファには、既に先客がいた。その人物は盛大に眉を寄せ、顔をしかめて此方を睨みつけてくる。
「ん?んんーー?…ああッ!貴様、赤髪んとこの優男!ケイレブ!!おのれ、ルフィを海賊の道に引きずり込んだ忌まわしい一味め…!」
「ガープ、落ち着け。…そこに座れ、ケイレブ」
ガープの正面のソファに座り、おれはにやりと笑ってやった。
「…ルフィは自分から海賊を選んだんだ。そういう強い意志を持った子だろう?」
「ぬわぁにををを!知ったような口を聞きおって、若造め!」
ガープは憤慨したが、その手に大きなせんべいが握られたままだったのでいまいち迫力に欠ける。おれは鼻で笑って、机の皿に入っていたせんべいをひとつ口に放り込んだ。ガープが頭から煙を出しそうな勢いで更に怒り出す。
「おい火に油を注ぐな。面倒臭い。…それで、出頭なんていたいけな真似に出た理由は」
「はあ?出頭ォ?……赤髪は知っているのか」
真面目な顔つきになった海軍の生ける伝説二人を前に、おれも背筋を伸ばして彼らに向き合った。しかし、もはや相手が海軍だとか、そういう細かいことはどうでも良い。何せおれは、万策尽きて平常心を失っているのだ。
「…お頭とは、一年近く別行動してる。連絡も取ってねェ。……実は、かれこれ十年以上仲間に懸想している。これ以上引きずんのは自分を許せねェから船を降りた。しかし、あらゆる方法を試したが一向に忘れられる気配が無い。もうこうなったら檻にぶち込んでもらって、お頭への慕情を忘れられるほどの苦痛を与えてもらいたい。もはやそれしか方法が無い。どうだ」
淡々と言い切って、恋情の相手がお頭だと初めて人に言ってしまったと気が付いた。一人で抱えていた重い枷がひとつ外れて、おれは爽快感すら感じてしまった。為す術の無い人間とは本当に愚かだと、僅かに残った冷静な頭が言う。
センゴクとガープは、見事にぽっかりと口を開けていた。当然だろう。我ながら、海軍を舐め腐った酷い口上だとは分かっている。
「…赤髪のことが、好きだと」
「ああ」
「好きすぎて耐えきれんから、いっそ捕まえてくれと」
「ああ。笑ってくれて構わねェ。我ながら子供じみているとは思う」
「…笑ってやりたいが、そうまで真剣に言われると笑えんくなるわい」
ガープは額を抑えて天を仰ぎ、センゴクは腕を組んで低く唸った。前例が無いのだろう。まあ、当たり前だ。
「…それで、もし赤髪への慕情を忘れられたら、どうするんだ。檻の中だぞ」
「またそん時考えるさ」
「はあ……怒りを通り越しすぎて、よく分からんわ…元帥やめてて良かった」
「…呆れたことを言っているのは分かってる。だがこれしか手がない」
「お前ほどの男なら、インペルダウンのレベル6は確実だぞ。…終身刑だ」
「…上等だ。……こんな迷いのある半端もんは、船にいるべきじゃない」
おれは、お頭のくれた剣を撫でて俯いた。必ず船に戻るという誓いを思い出す。あの時は、恋情を忘れるのがこんなに難しいとは思っていなかった。…インペルダウンの、レベル6。無限の退屈だけが待ち受ける、一生涯出られない地獄の監獄。
少し震えた手を、握りしめて抑えた。こんな時までおれは恐れて、迷ってばかりだ。本当に軟弱で救いようがない。
「……おい。お前が海賊だということの前に、一人の年長者として、一人の若者に教えてやる」
黙り込んでいたガープが、ばん、と机を叩いた。おれは驚いて顔をあげた。
「いいか!恋情ってのはなァ…忘れようと思えば思うほど、熱く燃え上がる!!!ケイレブ、お前の徒労は無駄に終わるぞ!だって、一度火の点いた愛はもう消えてくれない…永遠のハリケーンなのじゃ!!!」
握り拳を振り上げて叫んだガープに、センゴクもうんうんと頷いている。
…忘れようと思えば思うほど、燃え上がる。そんなこと、この一年で死ぬほど思い知った。
握っていた手から力が抜けて、肩が落ちる。おれは、これまでずっと堪え続けていた糸が、ぷつんと切れる音を聞いた。
目の奥がじわっと熱くなって、喉が震える。ぽろぽろぽろぽろ、涙があふれた。海軍本部で、しかも中将と大目付の前で、こんなの馬鹿げてる。分かってるのに止められなかった。
「わっ……分かってるよ、んなこと……ッ!消じだくても、余計好きになるだけで…!じゃ、じゃあおれァ、どうすりゃあ良いんだ……ッ!」
「…お前が、たとえば希望通り捕まったとして。赤髪は必ずお前を取り戻しにくるぞ。そうなったら、頂上戦争の二の舞だ。…海軍としては、それは避けたい」
冷静にそう言うセンゴクの顔も、ぼやけて全然見えなかった。
「ぅ、ううう……分かっでる、分かってんだおれァ…でも…っ」
「あーあー…男前の面が形無しじゃ。…赤髪海賊団、宙を駆ける特攻隊長ケイレブ。プライドの高いお前が、こんなになるまで……」
同情の声すら滲ませたガープが、がしがしと頭をかいた。
「二年前のワシらなら、赤髪の来襲なぞ気にせずとっ捕まえておったが……時代はうねり始めとる」
おれは尚もとめどなく涙を流し続けた。海賊になってから、いやもっと前から、泣いたことなど無かった。一体この身体のどこに、こんなに涙があったのか。目から溢れる雫は、膝に落ちては消え、いくつも染みをつくった。
…お頭、お頭。会いたい。こんなにも会いたい。本当に、おれはどうしようもなく弱い。