本日も快晴、村は穏やか、住民たちに異常なし。チリン、と鈴を鳴らしながら自転車をのんびり漕いで、おれは晴天を見上げた。
島の最北に位置する小さな村の駐在になってから早5年。代わり映えの無い日常だが、それが1番幸せなのだとこうして見回りをする度思う。
朝の水揚げで賑わう港の漁師達に手を振り、そのまま海沿いへ。潮風を受けながらいつも通りの風景を眺めていたが、ふと違和に気がついた。
波を受ける防波堤に、見慣れない人間が腰掛けていた。観光客は大抵この島の中心部の街にしか訪れない。こんな端っこの村まで来る物好きなんてごく稀だ。おれは自転車を漕ぐ足は止めないまま、徐々に近づくそのシルエットを観察した。
真っ黒のTシャツが風にはためいて、その骨ばった身体つきから男だと分かった。俯きながら寄せる波を見るその横顔が、肩まで伸びた黒髪がサラサラと揺れる間にあらわになる。
荷物のひとつも持たないこの男は、とても観光客には見えなかった。うーん、なんとも怪しい。
ただ静かに海を眺める男の真後ろで自転車を止める。細身の背中は、ブレーキの音にも一切振り向こうとしなかった。
「やあ、観光かい?」
明るく尋ねると、男はようやく緩慢な動きでこちらを振り向いた。そうして間近に見えたその顔に、思わずアラッと目を開いてしまう。
男、というよりは青年と言うべき若さだった。無表情でおれを見下ろすその瞳はグレーに煌めき、長い睫毛が瞼の動きに合わせてはらりと伏せられる。青年の容貌はまるで、よく出来た人形のような美しさだった。
青年は胡乱げにおれの警官然とした服を見やり、駐在だと判断をつけたらしい。いかにも面倒くさそうに長い髪をかきあげると、こくりとひとつ頷いた。
「そう、観光」
「嘘おっしゃい。こんな手ぶらの観光客がいるかい」
「……」
防波堤に飛び乗り、青年の隣に腰を下ろす。笑いながら覗き込むと、ド級のため息が返された。あっさりと嘘を認めたらしい。
「…観光じゃなかったらなんだよ」
「うーん、家出とか?兄ちゃんまだ若いでしょ?」
小さくぼそぼそとした青年の声は、しかし綺麗に澄んでいた。声まで良いとは。おれは目の前の存在に素直に感心した。
切れ長の瞳が鬱陶しげにこちらを見て、またふいと逸らされた。長い前髪がその瞳を隠してしまうのがもったいないと率直に思った。
じ、と観察する内にそのTシャツの胸元のマークに気がついてしまった。
ニカリの笑うジョリーロジャー。ああ、なるほど。
「海賊じゃないの、ああ納得。どうりでグレてると思ったわ」
「……」
「いやでもあんたさ、海賊の割に綺麗だねえ!ほら前騒ぎになってたキャベンなんとかとかもすっごい美形だって村の子が騒いでたけど、あんたも負けてないんじゃない?頑張れよ!」
ぽん、と青年の肩を叩いて声をあげると、彼はぎょっとしたようにおれを振り返った。
「……いいのかよ、海賊がこんなとこいんのにその反応…」
「いやまあ、兄ちゃんここで黄昏てただけだしね。なんもしてないじゃん」
「……」
困惑して口を噤んでしまったその反応から、青年の元来の生真面目さが分かるような気がした。
にこにことそれを見返していると、青年の後ろから村の子供たちが勢いよく駆けてきた。
「駐在のお兄さん、おはようございまーす!」
「おお、おはよう。ジャン、昨日の怪我は治ったか?」
「うん、完璧!」
「そりゃ良かった。ああサーヤ、この痛み止めお袋さんに分けてやっといてくれ」
「わっ、お母さん喜ぶよ!ありがとう!」
「駐在さん、今日も暇そうだねー」
「うっせえ!転ぶなよ!」
ケタケタと笑いながら振られた手に、負けじと手を振って返す。うーん、子供は宝。騒がしく去っていく子供たちが小さくなるの見送ってから青年に向き直ると、予想外の表情がそこにあった。
嬉しそう、いや寂しそう?その瞳には子供の小さな影が映っていて、やけに眩しそうで。憧憬すら浮かんでいるのを間近で見て、問わずにはいられなかった。
「兄ちゃん、どうして海賊なんか?」
子供をそんな風に見る奴が、悪人な訳が無い。自分なりの尺度で青年の人間性を測って、そう確信した。
「……命を救ってくれた奴が、海賊だった。それだけのことだ。つまんねェ話だろ?」
青年の態度はこの数秒の間に何故か、驚く程柔らかくなっていた。いたずらにこちらを覗き込みながら、口元が皮肉げに微笑んですらいる。
ぱちくりと瞬きをしてから、おれもにっこりと笑みを返した。
「ううん、つまんなくないぜ。大恩人が海賊なら、そりゃあんたが海賊になるのも無理はないなァ……まあいいじゃん、きっかけなんてなんでもさ」
「……そう思うか?」
「思うとも」
はは、と小さく笑いを漏らした青年の顔を、潮風に吹かれた黒髪がさらさらと覆ってしまった。思わず腕を伸ばしてその髪を避けようとした瞬間、ジャリ、と鳴った靴音に青年が弾かれたように振り返った。所在なく手を伸ばしたまま、おれも音の方を向く。
そこには、見上げる程の長身の男が立っていた。デニムに覆われた長い脚に、小さな頭。鬼のようにスタイルの良い男の人相は悪く、目の下の隈が顔に影を作っていた。
ただでさえおっかない作りをしているのに、その眉がひそめられているから余計に怖い。腕に抱えた長い刀もその迫力を助長していた。
「おいリバー、なに道草くってやがる」
「ロー?なんでこんなとこに」
「こっちのセリフだ馬鹿」
低く鋭い声に、青年が不思議そうに返す。ロー、ローって。
「あ、トラファルガー・ロー!?うげ、兄ちゃんこいつの仲間なのか!?やばいじゃん懸賞金2億じゃん!」
「あはは、あんた驚いてる割にびびってねェだろ」
青年はついに破顔し、屈託なく笑いはじめた。おやおや、とその笑顔を眺めているうちに、まだ宙にあったおれの手を、伸びてきた刀の柄が容赦なくはたき落とした。
「いてっ」と声を漏らし刀の主を見上げると、酷く不機嫌そうな顔がそこにあった。何が理由か分からんが、どうやら2億の男の機嫌を損ねてしまったらしい。
「リバー、なんだこいつは」
楽しげな青年の腕を掴み防波堤から引きずり下ろしながら、死の外科医と異名のつく男はこちらを冷たく睨みつけた。流石に怖いな、と素直に思う。
あんな風に子供を見る青年が悪い奴だとは思えない。だからその船長にもびびらないでいたが、間近でこう凄まれると迫力に驚く。冷えきった瞳に、命を握られているような感覚に襲われた。億を超える海賊は、やはり何か別の次元にいるのだと気づかされる。
「この村の駐在だろ、多分。おれが怪しいから声かけてきたんだよ。だろ?」
「ああ、うん……」
トラファルガー・ローに腕を掴まれたまま、青年はいたずらっ子のように首を傾げた。人形のようなその容貌が、笑うと生き生きとして更に魅力的に映る。それに頷きを返しながら、隣で不機嫌さを増す億超えの船長の心情が何となく察せられた。
「……大変だね」
思わずそう感想を述べると、トラファルガー・ローは「フン」とだけ漏らして、踵を返して歩き始めた。素直にそれに従って歩を進めながら、青年がこちらを振り返りひらりと手を上げる。
「じゃーな、子供らにひもじい思いさせんなよ」
「おー当たり前だ」
にやりと笑った青年の顔を、高く登り始めた太陽の光が白く照らした。目を離せずその姿を見つめていると、刺青だらけの手が横から伸びて、青年の黒髪を慣れた手つきでわしゃわしゃと撫でた。
途端、大人びていたその顔がぼふんと音が出そうな程赤く染まり、おれへの視線は一瞬で途切れ、煌めいた瞳が毛皮帽子の後ろ姿へぱっと向き直る。
長い指が、滑らかな黒髪をサラサラと梳く。青年の口元は喜びに耐えきれないようにムズムズと緩み、足元はふらふらと長身の船長の傍へ吸い寄せられる。
トン、とぶつかった肩同士は、そのまま離れようとしなかった。
おれは思わず吹き出さずにはいられなかった。あんな風に海を眺めて、あんな目で子供たちを見るもんだから、どんなにか辛いものを背負っているのかと思ったが。
なんだ、すっかり安心できる場所があるんじゃないか。
小さくなっていく二人の海賊から目を離して、大きく伸びをする。
放置されて暑くなった自転車のサドルに跨って、いつも通りの道をまた進み出した。
「全く見せつけてくれるぜ」
チリン、と鳴らしたベルは、青年とその船長の航海の無事を願って。