とある島で二人が帽子を拾う話



「あっ」

素っ頓狂な自分の声が海岸通りに響く。びゅんと吹いた風に、被っていたつば広帽子が飛んでいったのだ。潮風に煽られて帽子はどんどん遠くへ行く。慌てて目で追いかけると、それはやがて長い脚にコツンと当たって動きを止めた。

「あ~…」

通りの角に立っていたその脚の持ち主が、下を見て私の帽子を認める。すぐに声をかけようと開いた口が思わずまごついてしまった。もこもこの帽子の下に覗く、端正だけど鋭い目つき。どう贔屓目に見ても真っ当な職にはついてなさそうだ。私は隣で映画のポスターを眺めていた友人の肩をバシバシと叩いた。

「や…っばい人かな、あれ」
「え?あれ?」
「いや今帽子飛んでってさ、あそこにあるんだけど…」
「あそこって……待って駄目だ顔伏せてトラファルガー・ローだよやばいどころじゃないなんでこんな所にいるのー!」
「とら…?」

とぼけた返事をした私のカバンの紐を、友人が勢いよく下へ引っ張った。いやん痛い、と言おうとしたが彼女の必死の形相に思わず口をつぐむ。

「あんたいい加減新聞のひとつでも読みなさいよ!生きてくためには情報が必要でしょうが!海賊よ、かーいーぞーく!それも超大物!」
「海賊?…それにしてはこう、シュッとしてるね」
「ほんっとうに知らないの!?ロッキーポートとか心臓100個事件とか…!いくらシュッとしてようが…あれでも、本当にかっこいいなトラファルガー・ロー…」

指の隙間から向こうを観察しだした友人につられて、恐る恐る視線を戻す。すると、ちょうど私たちの方を見たらしいトラファルガー・ローとばちりと目が合い大げさに肩が跳ねた。その手には、ああ、私の帽子がしっかりと握られている。捨て置けばいいのに、なんで律儀に拾ってくれるかなあ。

「やばいよめっちゃこっち見てる。もう逃げよう。命だいじに。あいつの異名“死の外科医”だよ?」
「せっかく拾ってくれたのに無視できないよ…すみませーん!その帽子私のでーす!」
「ちょ…っ」

人通りの多い往来で、帽子を落とした拾ったくらいで殺してくるような人には見えない。何の根拠もない、ただの勘だけど。「ここで待ってて」と告げて、胸を張って歩み始める。いざ。

「一人で行かせらんないよお」と嘆いた友人は私の片腕にしがみついて一緒に来てくれるらしかった。怖いもんは怖いので、ありがたい。

大物海賊トラファルガー・ローは、感情の読めない無表情でただ私たちの到着を待っているようだった。脚が長けりゃ顔も小さい。目の下の隈が目立つけど、それすらも彼の魅力を引き立てる要因になっているように見えた。

建物三つ分程の距離まで近づいた時、彼の後ろの曲がり角からもう一人別の人物が姿を現した。すると友人が「ひょええ」と呻いて、しがみついていた手の力を強めた。

「どうしたの?」
「ちぇちぇ、チェンバーズ・リバーだ…ローの部下の…」
「あの綺麗な男の子も海賊なわけ?」
「あんたホントに知らないの!?ほら、花屋のマリィちゃんなんか部屋の壁一面にあの男の手配書貼ってるって自慢してたじゃん」
「ええ…」
「やだカッコイイ~…角の生えたペガサスに変身するってほんとなのかな…」
「ペガサスって…え、幻獣なんとかの悪魔の実!?」
「そんなことも知らないの!?あーでもやばいよ生で会ったなんて知られたらマリィちゃんに殺されるぅ!」

海賊よりもマリィちゃんの方が恐ろしくなったらしい友人は大いに嘆いたが、チェンバーズ・リバーへの好奇心は捨てきれないようだった。海賊の手配書を壁に?なんて思ったが、よくよく彼を見ればマリィちゃんの情熱も確かに頷けた。フードを被っていて見えづらいけど、少し長めの黒い髪に白い肌、そしてすらりと長いシルエット。精巧な仮面のように整った顔は、この海中の女の子が放っておかないだろう。

チェンバーズ・リバーはトラファルガー・ローの背中越しにその手元を覗き込み、すぐに盛大に眉をしかめた。何やら言葉をかわしてから不機嫌そうな目が辺りを見渡し、私たちを見つけて鋭くなる。

彼らの元へたどりつく頃には、帽子は何故かトラファルガー・ローからチェンバーズ・リバーの手元に移っていた。こちらが口を開く前に、勢いよく伸びてきた手が私の胸元に帽子を押し付ける。何やらご機嫌ナナメらしい。私は慌ててそれを受け取って、長身を見上げた。

「ありがとうございます。助かりました。大事な帽子だったの」

頭ひとつ分は離れた位置にあるチェンバーズ・リバーの顔と、その更にひとつ分上にあるトラファルガー・ローの顔を見て、しっかりとお礼を告げる。浮世離れした相貌の2人の威圧感に少し寒気がした。なんだか、冬の一番寒い夜みたいな空気を纏っている人達だと思った。

「…落ちてたもんを拾っただけだ。…お前ら、ここの島の人間か?」

チェンバーズ・リバーの肩越しに、トラファルガー・ローが冷めた表情のまま淡々と話しかけてきたので肩が跳ねる。まさか会話が続くとは予想外だ。それは手前の彼も同じだったようで、目を見開いてキャプテンを振り返っている。

「はい、そうですが…」
「一番でかい本屋はどこにある」
「えっ本屋?本屋なら、ちょっと入り組んだ通りの向こうに…………あの、良ければ案内しましょうか」
「ええっ?ちょっと!」
「頼んだ」
「は?おい、ロー…」

やっぱり、見境なく人を殺すような海賊には見えない。彼らはただ、帽子を拾って待っててくれただけだ。それならお礼くらいしたって良いだろう。直感を信じて、焦る友人の手を繋ぎながら角を曲がった。2人の海賊は私たちの歩調に合わせて歩幅を縮めながらも、素直に後ろについてきた。

「ロー、なんで案内なんか頼むんだよ」
「効率的だからだ」

背後で言葉を交わすのが聞こえてくる。海賊だというのに、彼らは2人揃って落ち着いた綺麗な声をしていた。

「本屋くらいおれが上から探す」
「目立つ馬が飛んでりゃ海軍が寄ってくるっつったろ」
「……駄目、か」
「駄目だ」
「……分かったよ。じゃあもう早く行ってとっとと2人きりに……ッあーっげほ、ごほ、んん!」
「なんだって?2人きりで?何する気だ?」
「…忘れて……」
「ふ、馬鹿」
「あー、もー…」

からかい混じりの声と、恥じ入ったような声。後ろから自然と耳に入ってくる会話に、友人と思わず顔を見合わせる。するとさっきまで怯えていた友人の表情が一気に明るいものになっていて、私は二重で驚いた。身体を屈めた友人は興奮した様子でばしばしと肩を叩いてくる。

「ちょっとなに!?今の会話!」
「さあ……?」
「なんかかわいくない…!?」
「うん……“死の外科医”って感じじゃない」
「えーやばい、あたし手配書揃えたくなってきた…」
「一瞬で手のひら返したねえ」
「だって2人とも実物こんなかっこいいなんて聞いてない」
「なあ、ちょっと」

小声で話していると、低く澄んだ声が頭の上から降ってきた。慌てて振り返ると、チェンバーズ・リバーが一歩私たちに近づいてきていた。半歩後ろにいるトラファルガー・ロー含めて、間近で見るとますますハンサムだ。

「は、はい…?」
「ついでにさァ、美味い飯屋とかある?名前だけで良いから」
「あっ、そ、それなら港近くの“コ・メガウマーイ”がおすすめですよ…!海鮮が!美味しくて!」
「…へえ、どーも…」

俄然元気になった友人が身を乗り出す勢いでチェンバーズ・リバーに進言する。青年は近寄られた分身体を引いただけで怒ることはなかった。むしろトラファルガー・ローが顔を顰めて、友人から距離を取るみたいに部下の腕をぐいと引っ張った。

「…で、本屋は」
「あ、あの青い屋根の建物がそうです」
「分かった、ここまでで良い。礼を言う」
「いえ、帽子拾ってもらったお礼なんで…」

私が言い終えるよりも前に、トラファルガー・ローはチェンバーズ・リバーを伴って本屋までの坂を登り始めた。友人と2人して道路に立ち尽くし、海賊にしてはスマートな男達が去るのをぼんやり眺める。

「……え」
「…あ」
「嘘!?」
「わー、わー…」


坂の上にたどり着く頃、白く細長い指が刺青のたくさん彫られた手にするりと絡んだ。それはすぐにぎゅっと握り返されて、薄い背中が驚いたように跳ねる。トラファルガー・ローの口元が楽しげに微笑んで耳元で何やら囁いた。黒髪が風に煽られて、真っ赤になったチェンバーズ・リバーの耳たぶが私にまで見えた。大きな手のひらが、繊細な手つきで青年の髪を梳く。

まるで映画のワンシーンだ。

惚けて立ち尽くしていた友人の腕を慌てて引っ張り、来た道を引き返す。

「ちょっちょっと!?急にどうしたの!」
「これ以上見てちゃダメっていうか…お邪魔しちゃダメな気がする!」
「……確かに!」

早歩きで石畳の上を歩いた。とんでもない光景を見てしまったというか、知ってしまったというか。

「かっ海賊も、あんな顔するんだね」
「うん…あっ」

友人が突然立ち止まったので、腕を掴んでいた私もつんのめった。振り返ると、友人の視線は街角の壁に貼られたポスターに注がれている。…ああ、なるほど。いつの間にか指名手配のポスターが貼られた路地にたどり着いていたらしい。

不敵にこちらを見据えるトラファルガー・ローと、そのすぐ隣には不機嫌そうに髪をかきあげるチェンバーズ・リバー。手配書の中の彼らは、いかにも冷えきった海賊の顔をしていた。

「…全然印象違うね」
「うん、違う」

花屋のマリィちゃんには申し訳ないが、私たちは多分彼らのとってもパーソナルな部分を覗き見してしまったんだろう。きっと世間には絶対に見せることの無い、根っこの素顔を。

真っ赤に染まったチェンバーズ・リバーの耳たぶを思い出しながら、再び歩を進める。爽やかな潮風が吹いたので慌てて帽子を抑えた。

彼らが今2人きりで、この島を楽しんでくれていると良い。心からそんなことを思った。

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