奥さんと免許証
「見てくださいな」
「免許か」
ソファーに座っている俺の前に膝立ちして、名前はどうだ、と言わんばかりに免許を差し出した。
受け取ると、そこには口角が少しだけ上がった顔写真に住所と降谷名前の文字。
「ああ、今日更新だったな」
「おうおう、それだけかね」
「名前の顔が化粧バッチリ」
「やめてよ!言わないでよ!」
少し気合い入れたんだ!と、俺の膝を叩く名前に思わず笑ってしまう。免許証の写真だけの為に気合入れて化粧ってなんだよ、その問に名前も声を出して笑った。
「でもこの私中々可愛いでしょ!」
「可愛いけどいつもの名前の方が、」
「じゃない!そうじゃないんだ!」
「... ...なんだよ」
「ゴールド!」
ちゃんと見て!とゴールドのラインを指さされて初めて意識をして見る。ああ、確かに。そう呟いて名前に返すと満足そうな顔で免許証を見直している。ローテーブルの上に置かれたお茶を一口飲んでまた視線をテレビの方へと向けた。名前はテーブルの上に置いてあるボールペンを手に取り免許証に何かを書き出した。
「何か不備が?」
「え?臓器提供の部分書いてるだけだよ」
ほら、と今度は裏面を見せてくれる。
そこには空白の備考欄の下、臓器提供の意思表示の部分。名前のそれは1に丸が付いていた。
1には脳死後及び心臓が停止した死後のいずれでも提供する意思。その意思表示に自分の眉がピクリと動いたのが分かった。
「何不機嫌になってるの」
「なんで2じゃなくて1なんだ?」
「なんでって、脳死してからも人工呼吸器で生きる方が嫌だから」
「... ...」
確かに自分が脳死判定受けて人工呼吸器を付けられて意識も何もないまま生きるのは嫌だ、それは分かる。だけど、最期に見る名前の姿が何も無いなんて、耐えられない。そう考えている間にも名前はペンを滑らしていく。無理。
「やめてくれ、」
「零くんの大好きな日本の、一国民の意思表示をやめろとな?」
「そうじゃない、違うんだ」
「何?どうしたの?何が違うの?」
「名前の最期が、空っぽなんて」
耐えられない、そう言葉を続けようとした中、視界に入った文字に言葉を飲み込んだ。
「眼球... ...?」
「ああ、眼球は提供出来ないもん」
「?」
今度は俺がキョトンとする番だった。
俺を見てニコリとしてゆっくりと口が開く。
「最期まで私は零くんを見たいから、眼球だけは提供出来ないの」
そう言う名前はやっぱりニコニコとして、さっきまで暗い気持ちでいたのに、一瞬で暖めてくれる。
ふっ、と笑い返して俺はソファーから滑り落ちるように降りて名前をギュッと抱きしめた。
(あ、ズレた)(良い、署名しなくても)(ちょ、心臓まで消さないで!)(心臓も俺だけの)