1-10:人に取り憑いてみよう
 待って待って、どういうこと、これ、俺が入った意味あんの――。
 結局殴り込んでる身体も意志も呉じゃん、俺、入んなくてよかったじゃん。とりあえずそんな文句を言いたかったのだけど、呉が走り出してしまうとそんな追及をする余裕はおろか、何が起こっているのか把握することさえほとんど不可能になってしまった。というのも、もともとブレブレぼやぼやだった視界は移動をはじめた途端、ハンディカメラを全力でシェイクしながら撮った映像を観ているような凄まじい様相となり、呉が一歩一歩地面を蹴りつけるたびに地球上に生きとし生ける全てのモグラが自宅地下に押し寄せて来たかのような突き上げが繰り返され、尋常じゃない吐き気すら起こった。今、端的に言えば俺は呉に「取り憑いてる」状態なんだろうが、呉の身体の憑き心地はオフロードを無理矢理走行する軽自動車よりなお悪い…テレビアニメの疾走する巨大ロボットに乗って戦うパイロット達は、酔ったりしないんだろうか?と常々疑問だったけど、きっとああいう二足歩行する巨大ロボが現実に存在すればこんな乗り心地に違いない…半ばくだらない走馬灯のような思いを馳せて俺は吐き気を堪えた。ちなみに堪えきれなかったらどうなるのだろう、呉が吐くのだろうか、それはそれで最悪、とかマジで最悪な考えばかりが瀕死の思考回路を巡る。

「そいっ!」
「うっぷすっ!」

 突如重力の方向が真横に変わり、足下から圧縮されるような衝撃のあと急降下してもう真剣に気を失いたいと思った。…出ちゃうよ呉くん。どうやら呉は怪しいメンズのうち一人の急襲に成功し、背後からのドロップキックをお見舞いしたようだった。小憎たらしい顔してやることがえげつない。お見舞いされたメンズ@がどうなったのかはちょっとわからない。ついでにあの三人組なのかどうかもやっぱりわからないし。残りのメンズがひどく慌てふためき何やら叫んでいるのは窺える。と唐突に、ギャン!だかいう爆音と共に凄まじい以上に凄まじい衝撃に襲われ面食らった。痛い。猛烈に痛い、顔面が。どうやら呉が反撃にあったらしい。ていうか俺は四肢ひとつ動かせないのに一丁前に痛みは共有なのかよ。理不尽すぎる、と訴えたいが訴える手段もそんな余裕もない。

「いっっってぇ!!…そうだよ不意打ちできても2対1だもんな…ダメかも、とほほ」

 おい今ボソッとなんつった。カッコつけたわりに諦めるの早すぎだろうが。もうちょっと頑張ってくれよ、おじさんは吐きそうです、強烈な取り憑き酔いに早々に心が折れそうです。

「あー!あー!あー!うわー!」
「ウルサイ!アナタウルサイよ!人クルよ!」

 うわなんかコイツ急に叫び出したぞ、追いつめられて心が壊れてしまったのか、人のことは煽りまくるわりに割りと繊細なメンタルだったんだなかわいそうに、と自分の口が叫び出した感覚を他人事のように心配する。まあ、自分の口って感覚だけどまごうことなく呉の口だしな、ややこしいことに。遠くヤメテヤメテというカタコトと、口を塞ごうと伸びてくるメンズの手を感じ取った。やたら騒いで人が来るのを期待しようというのが呉の次の作戦らしい、破れかぶれすぎる。ここまで来るのに病院正門のある大通りからどれだけ歩いたことか、叫んだくらいで誰かに届くとは到底思えないが――。

「うあー!あー!それ!返せ!あー!」
「ダメヨ!コレ私がミツケタもの!私の!」
「ああー!違う!先見つけたの俺!おれ!」
「ウソ!!」

 そりゃあ嘘だろう。ていうか口喧嘩かよ。平和的だな。
 とはいえ腕を掴まれてる感じはするので、もみ合いは続いているのだ。相変わらず視界は最悪でおぼろげだけど。と余裕こいていたらどうもまた殴られた。痛い。酔った。吐きそう。最悪だ。もうどっちが殴っていて殴られているのかもぐちゃぐちゃでわからないが、どっちにしたって俺の気分は最悪だ。それこそ簀巻きにされて滝壺に投げ込まれたらこんな感じ。ちょっとマジでヤバいけどマジでこれ吐いたらどうなるのかな?やっぱり呉が連動して吐いて、起死回生の一撃になったりしないだろうか?いやもっとマシな起死回生がいいけどさあ。

「だから痛ぇよ!!ズルいだろが二人がかりでそんな……アリエル?」
「…ンオ?呉ちゃん?」

 知り合いかよ!!怒りも酔いも心頭、とりあえず吐かなくて良かった、心境はまさしくツッコミの修羅と化す俺をよそに、お互い知り合いと分かった呉とメンズAは揉み合いを解いてエヘエヘ照れ笑いなんかをしている。おい、笑ってる場合かよ。お前の知り合いだろうが俺にとってはにっくき誘拐犯でしかない。まあ、真剣に殴り合ってた相手が知り合いだったらちょっと照れるよね、気持ちわからないでもないけど。

「アリエルってことは…やっぱエイドじゃ〜ん」
「お〜ジャンボ〜」
「じゃあコレ、アッシーか。うわ、マジゴメン?」
「いーよ、仕方ない仕方ない」

 全員知り合いかよ。一人はすでにノックアウトしてしまって地面に伸びているらしい。足もとよく見えないけど。仲間が一人ノックアウトされておいて「仕方ない」で済ませるとはなかなか心が広いのか…薄情なのか。というより全員知り合いならやっぱりコイツ、呉、怪しいんじゃねえか。グルなんじゃねえの。ぞっと、誰のものか判然としない背筋に鳥肌が立つ。俺はまた、丸め込まれようとしているのでは…。

「呉チャーン、なにしてるのー?」
「アリエルたちこそ何やってんだよ〜?そんな…そんな見ず知らずの死体なんか持って…?」
「コレ?イイモノ見つけたからー、ボスにドウスル?って聞こうと思ッテー」
「や!や!や!それはやめて、それはやめよう」
「ドシテ?」
「その人俺の知り合いだから。お願い、ね?」
「オーマジデ?」

 マジでマジでと言う呉に、「マジかー呉チャンが言うならなー仕方ないなー」とあっさり引き下がる気配の怪しいメンズA――もといアリエル。そんなあっさり引き下がれるもんなの?平気なの?とこっちが心配になる。人身売買めいた簀巻き俺の扱い、スモークを貼ったバンとモーターボート、「ボス」という単語…どう考えても一筋縄でいかない感じがするんだけど。端的に言えば深く関わりたくない感じ、堅実薄給下っ端の公務員の端くれとしては。

「返してくれるって、平池さん。良かったじゃん」

 かなり扱いの悪い傍観者に徹していた俺は、急に会話を振られて我に返った。視界の激震とやめったらやったらな衝撃も収まると、流しかけてた疑問がふつふつと復活を始める。色々問い詰めなくてはならないことが山積みだ。

『これ俺が入った意味あったのか』
「ん?呉チャンなに?」
「ちょ、急にしゃべんないでくれる?俺、一人会話してる可哀想な人みたいじゃん」
『あ、声は出るんだ』
「もー!しゃべんなって!」

 自分の言葉が呉の声で発され、怪しいメンズその他と何やら話し込んでいたアリエルが律儀に反応した。うわー変な感じいやな感じ。それにしたって何も説明しないでおいて「しゃべんな」は横暴だろう。『呉の身体を貸してやるから、自分の身体を取り返したいなら自分の意志でなんとかしろ』という話だと、急ごしらえの思考回路で納得したから受けたのに。結局暴力に晒されるのは自分の身体なのに、そこまでして殴り込みたくないものだろうかと一抹の疑念はあったけれど。それがどうだ、入ったところで指先ひとつ動かせないし、結局呉のドロップキックと口喧嘩と顔の広さで解決した感しかないし、『俺が呉の身体に入る』というプロセスが果たして必要だったのか疑問しか湧かないのが現状だ。

「あ、そうか、そりゃ普通に考えてそう思うよね〜ごめんごめん」
『あとこれ、ちゃんと出られるんだろうな。なんか光のケーブルもどっか行っちまったし、折角身体が戻ったって出られないんなら…』
「大丈夫だいじょーぶ。もうホント、いい加減信じろよな〜保証するって…あー来た来た」

 みちみちと砂利まじりの砂の鳴る音がして、辺りがヘッドライトに照らされた。車の乗り入れられる道などあったかと訝ったが、よくよく考えれば怪しい黒いバンが乗り入れているのだから獣道ならぬ車道は存在するのだろう。明らかな第三者の登場に、アリエル以下怪しいメンズ達が目に見えてビビり慌て始める。そんな彼らに「だいじょーぶだよ、渕屋くんだよ」とよくわからないフォローを入れる呉。いや、この場でいちばん不安でフォローが欲しいの俺だけどな、とひとりごちたくなるのをなんとか大人のプライドのみでギリギリ堪えた。
 みちみちと乗り入れた車が黒いバンの真後ろで停まる。コンパクトな業務用のワンボックスだ。ボヤけた視界の中でも、車体のあらゆる箇所がベコベコに凹んでいるのがわかるほど、かなり年季が入っている。顔の筋肉が勝手に釣り上がる心地がして、呉がどうしようもなく楽しそうなのに気づいた。何笑ってんだコイツ。
 そうこうしている間にワンボックスの運転席のドアが開き、男が一人降り立った。デカイ。すごく髪が長い。すごく彫りが深い。その男の容姿を一言で表すならば、“デカイ外人のメタラー”まさしくそれだ。
 デカイ外人のメタラーは無言で俺を――呉を見下ろした。ド迫力。俺には呉があの何も言われなくても煽られてる気分になるようなニヤニヤ笑いを浮かべているのがわかる。この無言の圧力…もしかしてこの見ず知らずのメタラーさんはご機嫌斜めなのでは――俺がそんな危惧をしているのとは裏腹に、呉は満面の笑みでメタラーに歩み寄っていく。

「渕屋〜!お迎えごくろ、」
「てめえなに手袋ガメてくれとんじゃコラぁ!!」

 メタラーの脚が振り上がり、あっ長い!と思った次の瞬間に尻を中心に凄まじい衝撃が走った。口から出た悲鳴が呉のものか自分のものか判然としない。ほらな、こんな気がしたんだよ。


 業務用ワンボックスの荷台部分、つまり座席もクソもない部分に呉(すなわち俺)と何故かアリエルが、これまた何故か未だ簀巻きのままの俺の身体を挟み向かいあって座っている。こうして見るとアリエルはいかにもオリエンタルなハーフといった顔立ちをしていた。彫りが深く憎めない顔立ちだが、とにかく濃い。それにしても簀巻きにされた自分をまじまじと眺めるのも変な心地がする。これ、心臓は動いているのか。目元が辛うじて覗くほどに雁字搦めにされているので苦しそうだ。解いてやってほしい。と平池は伝えたが、即座に却下された。

「だって今解いたら平池さんの身体、バランバラン転がるでしょ。す〜ぐ着くから、ね」
「呉チャンの中、違う人入ってる?オモシロ」
「アリエルさ、なんでさっきからカタコトなの?」
「初対面の人がいる場ではカタコトで喋ることにしてんの。この顔だとカタコトの方が優しくしてもらえるんだって、マジで。オンナノコとか〜」
「で、でた〜ハーフあるある〜そして惜しげもなくネタばらし」

 アリエル日本語ペラペラなのかよ…。思わず呉の口で呟くと、「アリエルは生まれも育ちも日本だよ」「ワタシノ母、リトルマーメイド大好き、だからワタシ『アリエル』言ウノ」とさらに信憑性のよわよわな追い打ちがかかる。ていうかもうカタコトはやめろ。
 しばらく走り、ゴトゴト進むワンボックスのせいでかすかに酔いがぶり返したところで呉が運転席に乗り出した。相変わらず視界はボヤけていて、外の暗さもあいまってどこを走っているのかはわからない。先ほどご機嫌斜めでこちらの尻を蹴り飛ばしてきたメタラー外人は今や上機嫌でカーラジオに合わせ口ずさんでいる。座席を掴む呉のゴム手袋を嵌めた手が視界に入り、呉が中華飯店で軽犯罪行為を露呈していたのを思い出した。

「渕屋、手袋ガメてごめんちょ」
「商売道具だぞ、アホが」
「いっぱいあるくせに、けち」
「何か?」
「いいえ」

 これは第一印象から思っていたことだが、メタラー外人こと渕屋の目力ハンパない。こわい。

「…具合はどうよ」
「へーきへーき、ま、着いたらよろしくね」
「金払えよ」
「うっほほ、何言っちゃってんのこの人、友達の頼みに。笑っちゃうね」

 真顔で引っ込み座り直した呉に、聞かなければならないことがたくさんあった。なによりいちばんはすぐ目の前にある身体にちゃんと戻れるのかということだ。だがそれら全ての疑問を押しとどめるように、呉の手が自分の心臓を――俺にとっても心臓と感じられる箇所を抑える。

「平池さん、いろいろ言いたいことあるだろうけどあとちょっと辛抱してね。自分の身体じゃない身体に入ってるの、しんどいっしょ?まずは身体に戻してもらおうぜ。それから全部説明してくれるよ――そこのアリエルが」
「ワタシ何も知ラナイアルヨ」
「吉田テメエふざけんなよ」

 アリエル、フルネーム吉田アリエルかよ。
 決して乗り心地のよくないワンボックスと他人の身体の酔いに耐えながら、俺は運転席脇のデジタル時計に目を凝らす。もうすぐ日付が変わる。長い長い夜がようやく終わろうとしていた。
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GFD