1-11:魂のない人
 デカイ外人のメタラー(※第一印象)・渕屋の運転するワンボックスは、広めのガレージに吸い込まれて停まった。渕屋はエンジンを切り、カーラジオから流れていた曲を引き続き口ずさみながら降りていく。馴染みのある場所なのか、呉とアリエルも特に何か疑問を呈すでもなく車内から簀巻き簀巻きの俺を降ろす作業に着手した。

「くそっ、重て〜、平池さん長いから余計重てぇよ」
「ぶっちゃんあの野郎、一番力あるくせに手伝わねーもんな」

 自分の身体に対してぶちぶち言われるの、地味にダメージ食らう。屈辱。しかし呉の手を通して持ち上げる自分の身体は確かにクソほど重いのだ。まあ死体は重いというしな――縁起でもないことが一瞬脳裏に掠める。そんなことを考えていると、呉とアリエルはようやく二人がかりで簀巻きの俺を抱え上げた。ガレージから出るのかと思ったが、そのままガレージの奥へ進んでいく。一番奥には扉があり、既に開かれていた扉をえっちらおっちらくぐると狭苦しい階段が頭上へ伸びていた。どうやらこの階段を経て、二階以上の住居スペースへと続いているようである。

「作りが完全にラブホ」

 えっちらおっちら、縦になったり横になったり、簀巻きの俺を抱えなおし、階段を踏みしめ、結局縦になって先を行くアリエルがぼそりと溢した。ぼんやりした視界でどことなく感じる既視感の正体を探していた俺はアハ体験を得て、一人でバツが悪くなった。

「んだな。一昔前のラブホの廃墟を改造したシリアルキラーの隠れ家って感じ」
「ヒィ〜」
「今日なんかガチで死体が担ぎ込まれてるしな」
「ヒィ〜!殺ラレル!口封じサレル!お家に帰してクレヤ!」
「お前らヒトん家来るたび同じネタで喜んでんじゃねーぞ!」

 階段上で玄関のドアを開けて待っていた渕屋がドスのきいた声を出す。喜んだアリエルが「ヒィ!」なんて仰け反ってみせるので呉の腕にかかる重みが一気に倍増した。あぶねぇ落とすわ、じゃねえ落ちるわ俺の身体が、もうややこしい。
 室内に入ると、ぼやけた視界の中で蛍光灯の白い明かりが絶好調に乱反射しまくり、もともとぼやぼやした視界の中にいる俺にはほとんどなにも見えなくなってしまった。しかしもちろん呉はそうではないらしく、室内をうろうろとしているのがわかる。手に掛かる重さが無くなり、簀巻きが降ろされたのだというのもわかった。「アリエル、それ開いとけよ」と言うのは渕屋の声。「それ」とは簀巻きのことか。アリエルがなにかぶつくさ言っている。文句を垂れているトーンのようだが、どうか丁重に開けてやってほしいと思う。しかしアリエルは死体(ともとれる俺の身体)を「イイモノ」としてどこかへガメようとしていた張本人なのだ。あまり期待はできないかもしれない。まだなにかぶちぶち言っているし。
 対して呉は先ほどから黙ったままで、しばらく室内を歩き回っていた。かと思うと何かに触れ、それに乗り上げるようにして座りだらりと四肢を投げ出す。背もたれのある椅子のようだ。歯医者や耳鼻科の診察台か、床屋の洗髪台のようながっちりとした座りごこちがなかなかいい。ここだけ照明の雰囲気が違う感じがするな、と思っていると、視界にぬぅっと渕屋の顔が現れた。

「平気か?」
「俺は平気。平池さんは?」
『…平気だ』
「意識あんのか、すげぇ」
「いや今更かよ」
「前代未聞じゃん」

 この状態での「平気」とは一体どのような状態を指すのか、と一瞬考え込みそうになったが、とりあえず「平気だ」と答えておくことにした。渕屋の反応と「前代未聞」という言葉が気になるけど。身体に戻れるならもう、なんだって平気だ。渕屋があの古びたゴム手袋と同じかあるいは似たものを手に嵌めていくのが見える。なんとなくわかってきた。呉の中にある俺の魂を取り出すのも、取り出した魂を再び俺の身体におさめるのも、勿論あの不思議な手袋の本来の持ち主もこの男、渕屋なのだろう。だとしたら呉以上に得体の知れない男ではないか。その得体の知れない男に頼るしか、現状すでに頼りまくっている状態なのだが。

「平池さん、わりと普段から抜けちゃってるみたいだから、鍛えられて?耐性ついてんじゃね」
「普段から抜けるぅ?はーんそりゃすごいねぇ。…はあいそれじゃあ呉くん痛かったら手を上げてくださいねぇ」
「それってなにかしら痛いってことですか!?やだ〜!」

 内容がよく読めない会話に気を取られていたが、突如飛び込んできた「痛い」という単語に思わず身構える。身構えたってなにもできやしないのだが。乗り出してきた渕屋の片手に肩を掴まれたところで呉の視界が下がり、だるだるのパーカーを着た呉の腹部が目に入る。黒いゴム手袋をした渕屋の手がそこに触れ、なんだ触診でも始めそうなもっともらしい手つきだな、などと変な感心をしていたら、次の瞬間その手がズブッと腹に沈み込んだのでギョッとした。

「うぅ」

 呉の口からため息程度の呻きが漏れるのがわかったが、平池自身は何も感じられない。確かに今目の前で、渕屋の手に腹の中をまさぐられているはずなのだが、モニター越しに映像を見ているかのように他人事に感じられるのだ。――もっともこれは呉の身体なのだから、他人事と言えば他人事なのだが。

「うひ、ちょ、ちょ、そこ触ったらアカンとこや!オエッてなるオエッて!」
「なんで関西弁だし。すぐ終わるから我慢してくださいねぇ」
「ヤバイヤバイやばば、オエッ」

 先の船着き場での茶番では痛みが共有されたのだからエズきも共有されそうなものだが、そんな感覚もまるでない。じゃあやっぱり、さっき吐いてしまっても起死回生の一撃にはならなかったということか。まあ音声だけでも、さすがにゼロ距離とも言えるこの状況でエズかれていい気もしないけど。それどころか、俺は徐々に自分の存在が呉の中で小さくなっていくのを感じていた。どう言えばいいものか、視野は狭く暗く遠くなり、呉の身体が途方もなく大きなものに思え、意識もはっきりしなくなってくる。呉がオエオエ騒いでいるのもどんどん遠くなっていく。わんわんと耳鳴りがしているような、していないような、何も聞こえてすらいないような、天地も不明瞭、意識も自我も不明瞭、限りなく無に近づく感覚。あれ、これはヤバイんじゃないか、というようなこともなにが?なんのはなし?とよく考えられなくなってきて、ぐるぐるぐる、そして、

「見つけた」

 ああ捕まってしまった、というよく分からない感想を抱いたあと、意識が一瞬途絶えた。



「はい目ぇ開けて」

 言われて、素直にパチリと目を開けてしまう。目の前に渕屋の顔。いつの間にそのメタラースタイルの長髪を結い、ギャザー型のマスクを装着したのか、ますます漫画に登場するような闇医者然としている。なんかさっきより明るいな、と思っていると、ゴム手袋の指が二本突き出された。

「これ何ぼん」
「…二本」
「よし、声も出るな」

 再び言われて、咄嗟に喉に手をやる。何気無く答えた声は呉の声ではなく、慣れ親しんだ自分自身の声だったからだ。流れで顎に手をやると伸びかけの髭がジョリジョリした。これがまた懐かしい感触でしっくりくる。思わず両手で顔を撫で回していると、ずっと見ていた渕屋が鼻で笑う気配がした。一瞬ムッとするも、まあ自分の顔こねくり回す野郎とか俺でも笑うわ。

「お疲れさん、ちゃんと身体に戻してやりましたよ」
「よっ!ぶっちゃんカッコいい!さすがだね!仕事早いね!」
「お前が金払うんだぞ」
「ぶっはは、なあにを仰るのか、怖いわこの人」

 どこからか沸いて出た呉が全力で渕屋に絡んでいるのをスルーし、俺はほとんど寝転がっていた椅子から降り立った。本当に歯医者や耳鼻科の診察台のような椅子だった。大地を踏みしめる感覚。いや大地ってもコンクリの床だけど、おそらく二階の。脇の丸椅子には渕屋が腰掛け、さらにその脇の作業台から部屋の奥にかけて用途のよくわからないギラギラゴテゴテした器具が雑然と並んでいる。何者だよマジで。ユニットバスに使われるような撥水性の安っぽいカーテンをめくると、殺風景だがごく普通のリビングのような部屋とその窓が目に飛び込んできた。カーテンの開きっぱなしになった窓の向こうは白み始めている。明るいと思ったのはこれか。一瞬意識が途絶えただけだと思っていたが、実際には数時間は経っているようである。まだ暗さを残す窓は鏡のように室内をよく映す。ちょうど夕方、居酒屋の前で見た銀行のウィンドウのように。違うのは、そこに俺の姿がちゃんと映っていることだ。市役所を出たときの姿のまま、まだ呆然とした様子で窓を眺める俺の姿がそこにはちゃんと映っていた。
 
 どっと力が抜けた。
 恥ずかしいことに涙すら出そうな心地になった。
 温かい湧き水のような安心感がじんわりと身体中に染みた。
 良かった。
 ――生きてる。

「平池さん、ちゃんと身体確認した?ホントに自分の身体?足の指とかちゃんと全部ある?コイツにガメられてるかもよ?」
「おいおいおいおめーらと一緒にしてんじゃねぇぞ」
「平池さんをアリエルみたいな悪人と一括りにしてやんなよ!真面目な社会人だぞ!」
「お前に決まってんだろが!俺の手袋ガメただろ!」

 そんな感慨は数瞬でナチュラルボーンアオラー(生まれながらのアオラー)呉が掻っ攫っていった。アリエルは悪人なのか、そうだよな。渕屋にヤカラのごとく絡みまくる呉は、相も変わらず無駄に溌剌としている。かと思えば、首筋から肩にかけてをやけに芝居がかった仕草で撫でさすり、ムカつくほどのわざとらしさでため息をついた。

「アリエル御一行めちゃくちゃだったわ。知り合いで良かった〜途中でやめてくれたもんね、念のため渕屋呼んどいたのに来んの遅ぇーし、正直あのままだとボコボコにされてたね」

 そのわりにやけにつるりとした顔である。思い返せば結構な勢いで殴られたのに、痣一つない。そんなものだろうか。あいにくそんないざこざとは無縁の人生を送ってきたのでわからないけれど。

「平池さんはなんかずっと俺のこと疑ってるし?」
「ごめん…いや、ありがとう」
「いーって。平池さんだって知らないヤツ信じるの嫌だったでしょ。でも良かったね、俺、基本超いいヤツだし、超お人好しなの、ね!」

 呉は同意を求めるように渕屋の肩を叩く。まあ総評ではそういうことになるんだろうが、いかんせんこの態度が鼻につくのでどういう反応をしたものか、渕屋の反応を参考にしようと目をやる。しかし渕屋は何故か苦虫を噛み潰したような顔をして、渋々頷いただけだった。

「オラ、アリエル起きろ!」
「んあ!?ミズちゃん?」
「おめーの嫁じゃねえよ!」

 部屋の隅のソファで堂々と眠っていた悪人(らしい)アリエルを呉が揺り起こす。ていうかアリエル既婚かよ、悪人のくせに。
 ようよう起き上がったアリエルの前に呉が仁王立ちした。

「おらアリエル、まあだいたい察しはつくけど、なんで平池さんの身体持ってたのか説明してあげて」
「おわっ、はじめまして」
「あ、はじめまして」

 所在ないので呉の隣に立っていると、露骨にビクついたアリエルに挨拶された。俺としては全然はじめましてではないし、アリエルにしても全然はじめましてじゃねえだろが、とは思ったがそこは大人なのでとりあえずはこらえる。

「なんでって…市役所の裏にこの人が倒れてて…どうも死んでたから…死体を見つけたらあれでしょ?正攻法でいったら警察、ダメ押しで救急、ちょっと警察に会いたくないな〜って気分で、ついでに恩を売っときたいなって気分だったら渕屋かボスでしょ?」
「余計なこと言うな…!」

 名前を出された渕屋が歯を剥き出しにして唸った。え?なに?死体の処理に困ったらこの渕屋かどこぞのボスなの?超怖いんだが?ぜんぜん理解したくない。堅実薄給下っ端の公務員の端くれとしては。

「…だって!そういうことだって!あんまり深く突っ込むのは勘弁してやってくれる?…平池さん、夜が明けたらごくフツーの公務員に戻るわけだし?」
「…」

 なんかこれ、説明してやると称してまた丸め込まれてないか。あまり深く突っ込むとホント後悔しそうなのは確かだけど。正直身体を拉致ってややこしい事態にしたアリエルたちを然るべき場所に突き出したい気持ちは無いでもないが、肝心の死体が無事復活してしまってるので突き出されたほうもハア?と困るばかりだろう。小市民的にことなかれで行くには、身体ももう戻ったことだしこのままフェードアウトするのがいちばん良さそうなのだ。――という結論に至るところまで予想されていそうなところが癪なのだが。
 いや、待て。
 どうしても気になることがあった。身体が戻った今、それは些細なことかもしれないが、どうしても引っかかっていることが。それにこの疑問は突っ込みすぎてもいないだろう。ただの、素朴な疑問なのだから。

「さっき奇襲かけることになったとき、呉くんは――」
「あら?平池さん質問?ていうか“呉くん”て」

 へらりと笑う呉を見返す。何笑ってやがる、お前のことだぞ――という思いが強くなる。

「呉くんははじめ渋ってた。俺はそれを呉くんが――誰だってそうだが――喧嘩が嫌だからだとか、見ず知らずの俺のために体張りたくないからだと思ってた。だから俺に“身体を貸す”って言ったんだと。魂だけで自分じゃどうにもできない俺に身体を貸してやるから、あとは勝手にしろってことかと思った。それだってすごい善意だと思ったから、俺はお言葉に甘えて呉くんの身体に入ったわけで…」
「…」
「でもなんだ?俺は呉くんの身体に入っても指先ひとつ動かせないまま、結局実際に立ち回ったのは呉くんだし、殴られたりもしてる。それはすまないと思うし、ありがたいと思うが…ならどうして俺が呉くんの身体に入る必要があった?そんな必要があったか?俺は入らず、最初から呉くんがそのまま行けばいい話じゃないか?」

 ずいぶん久しぶりに喋った気がして、喉がカラカラに渇くのを感じた。実際には久しぶりともそうでもないとも言い難いけど。夕方から、深夜をまたいで夜明けまで。今この手を動かすのは実に半日ぶりだ。
 アリエルは寝起きの頭で長台詞を読み込めないのか眉間にシワをよせている。渕屋は後方の丸椅子に座ったままなので俺には様子が窺えない。当の呉はうっすら笑った顔のまま、空中の何もない場所を見ていた。どうにもダーティな連中なのはわかった。目を瞑ろう。どうも住む世界が違うようなので、善悪もろもろの価値観が違うのはどうしようもない。それでも、呉がいなけりゃ今頃俺は順当にお陀仏しているか地縛霊しているか、ふたつにひとつに違いないのだ。ムカつくところもかなりあったが、感謝したいじゃないか。信じてないわけじゃない。疑ってるわけでもない。ただ感謝して別れるのに、少しスッキリしておきたいだけなのだ――。

「魂が無いから」

 俺の疑問に答えたのは呉ではなく、もちろんアリエルでもなく、丸椅子に座ったままの渕屋だった。振り返ると、渕屋はアリエルを威嚇した険しい顔のままで俺を見、呉を見ている。その表情には確かにかすかな苛立ちがあったが、その声音はどちらかというと呆れかえっている、というほうが近い気がした。

「アンタの今夜の経験自体が、俺からすりゃ前代未聞の信じがたい事件なんだけどな。まあ百歩譲ってそれは置いといて。アンタは今夜、身体を無くしていろいろと不便な思いをしただろ?理不尽としか思えない制約を受けただろ?逆だって同じだ」

 おそらく自分の根幹が暴露されているというのに、呉はヘラついたまま動きもしない。アリエルはもう存在を限りなく消しておくことに決めたようだった。俺は聞くしかない。渕屋のあの目力の強い、灰色の目に見据えられながら。なにしろ聞きたいと願ったのは他でもない俺自身だからだ。

「魂が無いから、アンタでも誰でもいい、身体に魂を入れる必要があった。じゃなきゃ、できないことだらけだ。逆に言えばコイツには魂が無いから他人であるアンタの魂だって入れたんだ。そんだけだ」

――「ここでさらに希望的観測をするなら〜、身体だけ歩いてどっか行っちゃった説〜な〜んて」
「…そんなこともあり得るか?」
「いや、無いね。あるわけないじゃん信じないでよもお。例外は無いことは無いけどまず99割無いね。ほぼ100割だね。ガチありえない」――
 “例外は無いことは無い”まあそういうときは得てしてその例外をこの上なく知っているときだよなって、今更。
 呆然と呉を見る。呉はやはり表情を崩すこともなく、何もない空中を見つめていた。
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