1-03:よもやそのとき-b
 何事も命あっての物種だ。命がなければ命乞いだってできない。たぶんね。例外があったとして、それはものすごく幸運な上に境遇・日頃の行い・人脈・それか頭、いずれかもしくはすべてがどこかクレイジーなヤツにしか巡ってこない例外だ。俺のようにきわめて凡庸かつ慎ましく生きる小市民は、まず日々是平穏に過ごすしかない。そのために、精勤に自分の仕事をこなし、たまーにエラい人のご機嫌なんかとっておくことはとっても大事。もしかすると臨時のご褒美なんかがあるかもしれないし。
 それで今、俺たちはそのエラい人から支給された軽自動車でころころと街を駆けている。最近の軽自動車はどれも見た目のわりに広々とした内装だけれども、こうも異国情緒あふれる体格の野郎が三人も詰め込まれると圧迫感がなくもない。

「どういうコトかなア?」
「役所って、なンかボスの仕事に関係アル?」
「社長なんだからそのへんはいくらでも用事はあるだろ、ほら、確定申告?とか?」

 ニット帽の下の目をギョロギョロさせながらハンドルを切り、「へー」とよく理解してなさそうな相づちを打っていうのがアシフ。隣で「アリエル難しい日本語知ってル〜エラい〜」とひたすら無邪気なのがエイド。難しい日本語知ってるのが俺、アリエル。日本語なら任せてくれよな、日本語チョー得意、なんてったって日本生まれの日本育ちだから。そう、日本人だから、戸籍の上でガッツリと。名前と母ちゃんゆずりのエキゾチックな顔面のおかげで日本人だと思われることのほうがまれだけど。

「お菓子持ってこなくてヨカタ?」
「誰に渡すんだよ。誰に会えって言われたわけでもねーのに」
「じゃあなにすンの?」

 なおもギョロギョロ純白の白目を惜しげ無く見せつけながら疑問系のアシフ。自由の国の大都会で暮らしていたことをことあるごとに主張してくる彼は、それが嘘くさいほどに朴訥とした性格と牧歌的なオーラを発している。イヤに日本人的な価値観で土産物の心配をするエイドは過去を尋ねても「寒いトコで生まれた」としか言わない。闇。俺はアリエル、日本生まれの日本育ちで母ちゃんは美人のフィリピーナ(但し今は熟女)。
 中央通りで路面電車と併走し、県庁通りを素通りする。目指すは市役所。特に明確な目的があるわけではない。我らが「ボス」が「市役所を気にしておけ」なんて曖昧きわまりないことを言うから、別件の仕事終わりに文字通り気にしにいくだけだ。まあ、俺なんかは公共料金を払い忘れたミズちゃん(俺の奥さん・かわいい)に頼まれたときくらいしか用がないけど、ボスのほうはなにかしら用はあるんだろう。よくわからないけど、なんてたって社長だもの、表向きは。

「ボスはたまに意味分からんコト言うナア」
「なにアッシー大胆不敵じゃ〜ん」
「ボスにチンコロいたらダメよオ?」
「オイアッシーちゃんと行き先ワカテる?」
「エッ、どこ入るどこ入る?」

 ザ・真面目(当三人組比)のエイドが慇懃無礼かつチクチクナビしだしたのでじゃあお前が運転すりゃいいだろと思うが、エイドは普通免許を持っていないのだった。ちなみに船舶免許は持っていらっしゃる。
 俺たちのボスは、このへんじゃそこそこ有名な会社の社長である。人間エラくなると秘密が増えるのか、敵が増えるのか、それは定かではないし人それぞれと言えばそれまでだけど、そのおかげで俺たちのようなのが食っていけるのもまた事実なのである。今日も今日とて俺は呼び出され、ありがたくお仕事を頂戴つかまつった。そのスリリングな世間話まじりな歓談の終わり際、ボスは思いだしたように、取るに足らない些細なことだという調子でこう付け加えた。

『市役所があるだろう。あれを気にしているといい。なに、面白いことに興味がないなら結構、忘れてくれ』

 さて、ここで問題となるのがボスの物言いはかなり、なんというか、奥ゆかしいということ。前の座席で案の定なんか揉めだした二人とか、呉ちゃん(俺の友達・ナマイキ)とかに聞いてみてくれればわかると思うけど。前述のように言われて額面通り、興味ねえなあとかそんなに重要な案件じゃないよなあと受け取って、ホントに忘れ去ろうものなら大変である。忘れた頃に『で?どうなってる?』とか聞いてくる。いちばん面倒くさい上司のパターンである。面倒くさい、なんたる理不尽、言葉にしてくれなくては伝わるものも伝わるものか!と言い返せたらそれは爽快だけど実際そんなことができるのは呉ちゃんくらいで、アイツはボスのお気に入りだしもともとの性質が命知らずのバカなので同列に考えてはいけない。同じくバカで我らが同列のアシフはケツハリセンを食らった。ケツハリセン。あのでっかい、紙のヤツね。たかがケツハリセンと侮ること無かれ、手加減とおとなげというものを知らない我らがボスのケツハリセンは一撃で生まれたての恐竜くらいならしとめるくらいの威力はある。アシフはそのショックで三日間悪夢にうなされた。だから、今回のこの何気ないつぶやきも決してスルーしてはならない。まったくもって何をしたらいいのか見当もつかないとはいえ、とりあえず現地に足を運んだという実績くらいは作っておかなければ即・ケツハリセン送りだ。

「ちょ、ちょ、ちょ、ここホント入っていいのオ?」
「ンフフフフ!!わかんない」

 前の座席ではまだ二人がグダグダやっている。わかんないじゃねーだろお前がナビしたんだろうが。所詮エセ生真面目のエイドがこういう笑い方をしてるときはもう楽しすぎて頭がグダグダになってるときなので多分ダメだと思う。スモーク張りの窓ガラス越しに外を一応確認すると、なんとすでに市役所の敷地内であった。しかもかなり裏手のほう、これホントに入って大丈夫なのってくらい裏手のほう、いや絶対ここ関係者以外立ち入り禁止的なところでしょ。俺の当初描いていたビジョンとしては、大通りから車に乗ったまま、ちょっと市役所をチラ見して「なんもないよねー」ってそのまま通り過ぎる感じだったのに、ちょっとこれはガッツリすぎる。しかももし仮にここが立ち入り禁止で誰かに見咎められようものならちょっとかなり面倒くさい。だって俺ら怪しすぎるし、多国籍すぎるし、車はスモーク貼ってるし。

「ちょいちょいちょい、いったん止まれ、止まれアッシー」
「ホイ」
「ナンで?」

 なんでじゃねえ、エイドはさっさとテンション下げんかい。

「これ絶対入っちゃダメなとこでしょ?」
「ホラ〜だめよエイド」

 アシフが肘でエイドをつつく。んふふふと笑うエイド。なに喜んでんだコイツ。

「もう閉館時間かも、入っちゃダメだたかも」

 エセ生真面目エイド、あへあへしてるわりにそれなりの意見を述べてくる。しかし言っていることはごもっともで、確かにこの暗さこの人気のなさ、もうそういう時間じゃねえの?市役所の閉館時間なんかなじみなさすぎて知らんけど。ならなおのことさっさと出たほうがいい。

「じゃあタバコ吸ってカラ帰ろ」
「なんでだよタバコなんかここで吸えよ」
「車でタバコ吸うとケツバット、アリエル知らねえのオ?」
「マジか、殺しにかかってんなボス」

 ハリセンであの威力だ。バットなんか確実に人の身では耐え切れまい。生後三ヶ月の恐竜くらいまでならしとめられる。ボスは手加減もおとなげも、そしてたぶん良心も持ち合わせていない。
 仕方なしに車を降り、当然携帯灰皿なんか持っていないアシフのために速やかに灰皿スポットを探す。すでに侵入してしまっているうえにタバコのポイ捨てなんかしようと思うほどぼくたち悪党じゃないアルよ。それにしてもそもそも市役所というものは全面禁煙がデフォなのか、そんなものはありそうでなかなかない。味気ない古びた建物もあいまってホントに暗く閑散とした市役所裏手をうろうろして、結局車を停めた場所のすぐ脇に灰皿を見つけた。プチ鬱蒼とした木々に埋もれるように設置されてるもんだから気付かなかった。灯台モトクラシーとはこのことだと二人には教えておいた。

「あったあった〜。ねえねえ今日飲みいこオ〜」
「ミズちゃんがいいって言ったらね」
「じゃあミズチャンも一緒にいこオ〜」
「俺もミズチャン会いたい会いたい、ちょっと恐いとこがカワイイ」

 わかってんなエイド!そうなのちょっと恐いとこがカワイイのジャパニーズキュートガールなのミズちゃん!でも俺の奥さんだからそれ以上あへあへしてっと殺す。
 密かな決意をし、やいやい言うアシフのケツを叩き(物理)さっさとタバコ吸いに行かせる。相変わらず建物の中にすら誰もいないかのように閑散としていて、ボスの言う曖昧な面白いことなんかなにもなさそうだし、俺たちは無駄に怪しいしで長居は無用だ。

「ひっ…!」

 とか思ったそばからドラマチックな気配だよね。ごきげんで灰皿スポットへ歩いていったアシフが、一口も吸わないうちからタバコを取り落とした。どーでもいいけどオイオイ結局ポイ捨てになってんじゃねーか拾え拾え!って。しかしアシフは落としたタバコに目もくれず、大した距離でもないのに血相を変えて戻ってくる。見開いた目の純白の白目と地黒の肌のコントラストが鮮明、肌のほうは血の気が引いてるせいかよくわかんない色になってるけど。

「ネエネエネエ!ミテミテミテ!」

 よくわかんない色のアシフはヒィヒィ言いながら俺とエイドの袖を掴み、またヒィヒィ言いながら灰皿のほうへ踵を返す。引きずられ、アシフの視線を追って前を見たエイドが「ひぅ」となんとも可愛らしい声を出した。身長190センチのバリトンボイスである。

「うーん?おやおやおやこれはこれはこれは」

 果たしてほとんど木々に埋もれた灰皿、その脇に転がっていたのはくにゃりとへこんだ空き缶と、死体であった。
 死体であった。
 いやいや、死体かどうかは断定できないにしても意識のない成人男性が倒れているのは事実だ。スラックスにワイシャツネクタイって、お手本のような社会人スタイル。おしゃれヒゲ。両腕を覆うアームカバーのインドア感がおもっくそ屋外のこの状況になんともミスマッチである。ちょっと尋常じゃない光景である。重大事件感がある。そりゃアシフも変な色になる。エイドも可愛らしくもなる。

「エッ?マネキン?」
「酔っぱらい?」
「いやいやこれはヤバそう、結構ヤバそう、もしもーし大丈夫ですかあ!」

 しゃがみこんで声をかけつつ生存確認、そりゃ小市民ですから!助け合わないとね!とりあえず脈と呼吸をば…確かめながら、ふとボスの言葉が脳裏をよぎった。

『市役所があるだろう。あれを気にしているといい。なに、面白いことに興味がないなら結構、忘れてくれ』

 なるほど、なるほどお…。
 こういうことかね。これがボスの言っていた『面白いこと』ならば、我ら三人は試されていることになる。ゾクゾクきちゃう。いえ、我々とて意識不明の成人男性を見つけたところで面白くも嬉しくもないのが普通の感覚だというのは重々承知の上ですが、少なくともボスは普通の感覚をしていない。していないけど、まさかこれだけで『面白いこと』だなんて満足するようなボスじゃない。つまり、これは『はじまり』に過ぎない。エイドのバカのおかげで『はじまり』に運良くたどり着けたに過ぎない。すべては次の対応にかかっている。
 これからこの男をどうするか?

「救急車呼ぶ?」

 最初の衝撃が過ぎ去ったのかアシフはどこまでも冷静で小市民であった。そうだよ。ここでそうするのが道理ってもんだよ。人情ってもんっていうか人として当然の範囲だよな、でもねえ。

「いやいや待て、それよりタバコ拾っとけ。ついでにそこの空き缶も、このにいちゃんが飲んだヤツかもしんねーし。あとどっちか手貸してくれ。このにいちゃん、タッパあって抱えきれない」
「ホイ」
「ボスが言ってたのってこのコト?」

 ぐったりした身体を運ぶのはそうでないときの数倍労力がいる。うっかり落として傷なんかつけたら大変だし。エイドと二人でようやく抱え上げ、えっちらおっちらと車へ。まあ二人で横から支えてたら、万が一誰か見てたとしても酔っぱらいと思ってくれるんじゃないかなあ。タバコと空き缶を回収したアシフがすでに車のドアを開けて待機している。チームワークだけはいいんだ俺たち、でもそれが一番大事だよね、なーんて。

「さあな、その可能性を考えるとこうするしかねーよ。まあボスにはこのにいちゃんが生きてようが死んでようが問題ないだろうし」

 そう、問題ない。そういうことは『ボス』にはあまり意味のないことだ。おまんま食べるためとは言え、人の分際でその価値観に追随しちゃう俺たちはなんて罪深いんだろうってわかってるよちゃんとね。でもほら言うじゃない。人間、地獄を信じていなけりゃわりとなんだってできるものだ。
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GFD